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第36話 

 『マルケス男爵の危篤は誤報であり、そのような事実はない』


 その日のうちに男爵家の使いが学院に勢い込んで乗り込み、事情の説明がなされた。

 生徒の急な呼び出しに不審に思った学院側が、念のため男爵家に確認を行なった結果判明したのは、マルケス男爵の危篤という事実の完全な否定であり、もとよりマルケス男爵家から学院にいる娘に使いなど出していないという、至極当然の返答が戻ってきた。


 ただ、間の悪いことに、学院からの連絡を受けた男爵家の使いがやってきたのは、シャルロットと侍女が押し込まれるように乗せられた馬車の出発と、ちょうど入れ違うようにしてのことであった。

 偽りの使者が乗っていた黒塗りの馬車は、二人の淑女を乗せたまま悠々と学院を出発し、そのまま人知れず消息を絶ってしまっていた。


「落ち着かれよ、使者殿。それでは、ご令嬢はいまだ行方知れずのままなのですか?」

「はい。まったく足取りがつかめません。郊外に向かったらしいという証言は得られたのですが、よほど人通りのない道を選んでいたようで、途中から忽然と姿を消してしまったかのように、行方がつかめなくなっているそうです」

「わかりました。これは学院の不手際でもあります。我々からも捜索隊を出しましょう」

「おお、ありがとうございます! どうかよろしくお願いします。シャルロット様……どうかご無事で……」


 男爵家の使いの男は、最後には祈るように胸の前で手を握り合わせ、涙ながらに無事を祈願し続けた。


 ――数日後、シャルロットの無事が確認されたとき、彼は全身の力が抜けたようにその場に座り込み、しばらくの間立ち上がることができなかったという――



      *   *   *



 賊に狙われたシャルロットの危機の対処を手配し終えたあと、オットーの予定にちょっとした無為の空白ができてしまっていた。


 王太子ローデリヒを(めぐ)る謀略は、すでに彼の手を離れていた。

 ローデリヒ本人は王と面会するために郊外の離宮へ向かい、行方不明扱いのシャルロットは、人目につかないようパラダイン家に保護されている。

 残った彼の役目は簡単な後始末ぐらいで、それもすでにほとんど終わらせてしまっていた。

 早ければこのあとすぐ、遅くとも二日後には結末を見届けるために参内することになるだろうが、今は、呼び出しがかかるまで何もせず、ただ待っていることが彼に与えられた役割なのであった。


 ――シェーンバッハ侯爵令嬢ナターリエが彼の元にやってきたのは、そんな間隙を突いてのことであった。


 ――オットーの知る範囲では、彼女こそすべての肩書きを取り外されたオフィーリアの、最後に残った本当の友人といえる、ほぼ唯一の存在であった。

 彼女だけが、損得も打算もすべてを越えたところで、ただ一人の女性としてのオフィーリアの身を案じていた。そのことを知るのはオットーのほか、限られた人間だけであったが。

 だからこそ、ナターリエは、オフィーリアの友人としてオットーに(ただ)さなければならないことがあるのだろう。


「二年前、侍女のアナに『シャルロット様が殺された』とオフィーリア様に告げるよう使嗾(しそう)したのはあなたですね?」


 アナというのは、入学のときからシャルロットの身の回りの世話をしている侍女の名前である。

 いつにない険しい表情をしたナターリエは、射抜くような視線をオットーに向けた。


「これは最初から仕組まれていたことなの? ア、アデルさんは……」


 ナターリエの声が震え、一瞬言葉に詰まる。


「……アデルさんは、私をずっと騙していたの?」

「……最初の答えは『イエス』。後半は『ノー』です」


 オットーは簡潔に答えた。彼女がここに来た時点で、オットーにも隠し事をするつもりはなく、彼がこれまでアーデルハイドと組んで何をやってきたのかということを、聞かれるままに正直に答えようと思っていた。


「アーデルハイドさんが僕のことを訪ねてきたのは、あなた方が彼女に冤罪を着せて裁こうとした、あの茶番劇の後ですよ。僕たちはそこである取引をしたんです」

「オフィーリア様を陥れるために、ですか?」

「アーデルハイドさんは最初、そのつもりのようでした。それを責めることはできないでしょう。何しろ彼女の主君たるクラウス殿を煽って、事実上殺人を教唆したのは、オフィーリア様のほうが先ですからね」

「…………」

「ですが、僕たちの狙いは王妃ベアトリクス様だったんですよ。交渉の結果、彼女も納得してくれて、オフィーリア様をターゲットから外すことに同意してくれました。その見返りがあなただったんですよ」

「私?」

「そうです。本来、僕たちは、あなたをシャルロット様の盾代わりにするつもりだったんですよ。あなたとオフィーリア様の間に不和を起こさせて、シャルロット様から目を背けさせるのが狙いでした。

 しかしアーデルハイドさんの要求は、シャルロット様ご自身が矢面に立つことでした。代わりにあなたをこちらの陣営に引きこむ、と」

「なぜ、アデルさんは私を?」

「これは僕の推測にすぎませんが、彼女はあなたをクラウス殿の奥方に推挙したかったのではないですか」

「ありえません。クラウス様にもっとも相応しいのはアデルさんでしょう」


 ナターリエにとっては当然の答えだったが、オットーは素直には同意しなかった。意味ありげに口元を歪め、皮肉っぽい口調に変わる。


「僕もそう思いますよ。しかし周囲はそれを許さないでしょうね。彼女はあまりにも有能すぎる」

「それはよいことなのでは? 障害になるようなことには思えませんが……」

「そうとも言えません。今回のことでパラダイン家の宮廷内での発言力は跳ね上がるでしょう。力を削ごうとする者たちが出るのはむしろ当然です」


 アーデルハイドという存在は、すでに個人として宮廷における重要な駒と目されているのだ。

 彼女に対する警戒心は、もはやただの騎士の娘という扱いではなく、上位貴族にも匹敵する破格の待遇といえるものだった。


「ですが……」

「そのときの材料となるのが彼女の身分の低さです。ここぞというところで身分差の問題を出してくるのは疑いようもありません。彼女は他家に嫁ぎに出るか、一生独身を貫くかを要求されるでしょう。それがわかっているから、彼女は信頼できる女性とクラウス殿を結び付けようとしたのでしょうね」

「それはあなたの憶測ですよね?」

「否定はしません。真実は彼女しか知らないでしょうが、彼女が誰かにそれを明かすとは思えませんしね。だから真実は永遠に闇の中です」


 そもそも、オットーの見たところでは、アーデルハイド自身がクラウスとの婚姻を()()()()()()節が感じられた。

 ――今のままの関係を崩したくない。

 そう彼女が考えても不思議ではないだろう。なにしろ、一時はお互いの信頼関係すら失われかけていたのだから。


「では、騙したわけではないというのは……」

「そのままの意味です。彼女にとって大事なのはあくまでクラウス殿であって、オフィーリア様には、もともとさほどの執着を持っていたわけではありませんから。少なくとも、あなたに交友関係を申し込んだ時点では、オフィーリア様に対して、無関心に近かったでしょう」

「……無関心」

「そう、無関心です。あなたが彼女に相談に行くまでは」

「……そう、よくわかりました。なら、この話はこれで終わりでかまいません」

「ほかに聞きたいことはありますか?」


 ナターリエはためらいがちにオフィーリアの安否を口にした。


「……オフィーリア様はどうなるとお思いですか?」

「ヴェントブルク公爵家で一生幽閉されるか、修道院に送られるかのどちらかでしょうね。どう判断されるかまではわかりませんが、命をとられるほどの罪にとわれることはないと思います。ただ、王太子殿下との婚約は間違いなく破棄されるでしょうね」

「そうですか」


 これだけのことをしでかしたのだ。それなりに重い罰が下されるだろうことは確実だろう。

 そうオットーに告げられたナターリエは、それでも胸のつかえが取れたように、ほっと緊張を緩めたようであった。


「僕はすべて正直に答えました。今度はこちらからも質問させてもらってよろしいですか?」

「どうぞ」

「あなたは今後どうなさるおつもりなのですか?」

「――決めていません。オフィーリア様の処遇が決まってから決めます」

「オフィーリア様の罪にあなたは無関係でしょう? それでも?」

「彼女は友人でした。近くにいたのに止められなかった責任を、私は取らねばなりません」


 なんとまあ、真っ正直な性格なんだと、オットーは呆れて見返した。

 そして、そんなお人好しな友人の真実の価値を見抜けなかったことが、最終的にオフィーリアの破滅への道を開くことに繋がったのだろうかと、彼は漠然とながら推察した。


「律儀なことですね。アーデルハイドさんは悲しむでしょう」


 オットーの口から出たもう一人の友人の名に、ほんのわずかにナターリエの表情が曇った。


「……彼女の友人として、私は相応しくなかった。それだけです」

「彼女自身はそうは思っていないでしょうがね」


 その答えにナターリエは複雑そうな表情になったが、口に出したのは別の話題だった。


「最後にもうひとつだけよろしいでしょうか。ローデリヒ殿下はオフィーリア様との婚約を解消したあと、シャルロット様を妻に迎えるつもりでいるのですか?」

「少なくとも僕はそのつもりで動いていました」

「あなた本人はそれでよろしかったの? ずっとシャルロット様の一番近くにいたんでしょう?」

「……結ばれることだけが愛の形ではありません」


 それが、彼が他人に見せられる、己の胸のうちの限界であった。

 そして、その一言だけでナターリエはすべてを理解できたようであった。


「ありがとう。正直に答えてくださって」

「……今になって、なぜアーデルハイドさんがあなたを味方に引き入れることに拘ったのかわかった気がしますよ。その観察眼が敵に回っていれば、破滅していたのは僕たちのほうだったかもしれない」

「買い被りですよ」

「アーデルハイドさんといい、あなたといい、女性は一見謙虚な方のほうが恐ろしいのかも知れませんね。肝に銘じておくことにしますよ。まぁ、アーデルハイドさんの場合は猫を被っていただけでしたが」


 ナターリエはしとやかな淑女の礼をとり、オットーに(いとま)を告げた。


「では私はこれで失礼します。答えてくださってありがとうございました」

「ええ、僕にとっても有意義な時間でした。すべてが終わった後、またどこかでお会いしましょう」

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