第34話
――時間は、シャルロットが教室を後にしてすぐにまで遡る。
アーデルハイドの教室に、血相を変えたナターリエが文字通り飛び込んできた。
「――アデルさん!」
「……なにごとですか!?」
その時は、騎士科の学院祭実行委員の仕事を押し付けられたアーデルハイドが、ちょうど学院祭の詳細について、クラスの意見を出し合わせていたところだった。
「――シャルロット様のところに不審な来客が?」
ナターリエから事情を伝えられたアーデルハイドの行動は迅速を極めた。
大事に備えるために、ひそかに呼び集めていたパラダイン辺境伯領の騎士団を、予測された襲撃予定地点に秘密裏に移動させつつ、クラウスには、護衛を兼ねてシャルロットが乗せられた馬車を監視させた。
王妃派の刺客がシャルロットを狙うのは、すでに予測済みであった。
その動機も、個人的な怨恨に見せかけようとしているが、分析の結果、本来の意図は別のところにあることもすでに判明している。
真の狙いは、ローデリヒの精神に強い衝撃を与えることで、反抗の意思を摘み取り、未来の国王が権力を手にするその前に、彼らの用意した軛に繋いでしまうことである――つまりこれは、紛うことなき権力闘争に絡んだ謀略なのだ。
これからアーデルハイドたちが行なおうとしているのは、シャルロットを襲撃しようとしている者たちを捕らえ、彼らを背後から操っていた連中を一網打尽にするという、あらかじめ準備されていた計画なのであった。
――じつのところ、マルケス男爵令嬢シャルロットに関するさまざまな風評は、敵対勢力を釣り出すために、ローデリヒ陣営が用意した餌であった。
敵がうまく餌に喰らいついてきたら、王妃ベアトリクスを筆頭とする、影で陰謀を画策していた敵陣営の連中を、芋づる式に表に引きずりだすことが可能となる。
オットーたちと組んで宮廷に張り巡らせた策謀の網は、すでに水面下でそこまで根を伸ばしていたのだ。
そして、彼らを一網打尽にしたあとは、そのまま王太子ローデリヒを担ぎ上げて一気に宮廷の実権を掌握する。
――これが、アーデルハイドたちが築き上げた計画の骨子であった――
しかし、計画を実行に起こす直前で、大問題が発生した。
シャルロットの危機を聞きつけて王宮から駆けつけたローデリヒが、土壇場で作戦に異議を唱えだしたのだ。
「――殿下! これは遊びではないのですよ!?」
アーデルハイドが強い口調で諌めるのを、ローデリヒはまるで聞き入れようとしなかった。
「当然だ! だからこそシャルロットだけを危険な目にあわせることはできないと言っているんだ!」
「彼女たちに危険が及ぶ可能性はほとんどないと言っているじゃないですか!
彼女たちのために用意された馬車は、囚人護送のための装甲車で安全性に問題はありません! 中からは開けられないようになっているため、戦闘中に飛び出してくるといったような危険性もない。なにが不満なんですか!」
「不満だらけだ! あんな美しくない馬車に長時間閉じ込められれば、精神に支障をきたしてもおかしくない!」
作戦遂行に必要な機能のみを考慮するアーデルハイドにとって、ローデリヒが拘泥する馬車の外観の問題など、単なる言い掛かりにしか思えなかった。
だが、アーデルハイドにはささいな問題でも、あれに乗せられるシャルロットの心情を慮るローデリヒにとっては、とても看過できるようなものではありえないらしく、二人の主張は平行線をたどっていた。
「装飾ではなく実用性を優先するのは当然でしょう! 殿下は彼女を危険にさらしたいんですか!?」
論点がまるでかみ合っていないため、両者の意見に合意を見るのは不可能であろう。ローデリヒもその辺はさすがに弁えていた。
だからこそ、彼は次善の行動を主張し、アーデルハイドに食い下がっているのだ。
「そうではない! 心のケアをする者が必要だと言っているんだ!」
「だから、侍女を一緒に乗せています。それに、ことが終われば殿下がいくらでもやってくださればよろしいでしょう!」
「だから私を連れて行けとさっきから言っているだろう!」
さきほどからのローデリヒの主張は一貫している。
いわく、『自分も連れていけ!』
最愛の女性にリスクを強いてしまう彼の、これは絶対に譲れない一線であった。
しかし、戦闘が起こることをを前提とした最前線の現場に盟主を迎え入れるなど、とてもではないが無条件に呑めるような要求ではなかった。
それはアーデルハイドに許容できるリスクをはるかにオーバーしてしまっているため、彼女にできることといえば、こうして繰り返し説得することだけなのであった。
「殿下に何かあれは、計画のすべてが水泡に帰します。なぜわかってくださらないんですか!?」
「計画より、シャルロットのほうが大事だからだ」
「ですから! 彼女たちの安全はちゃんと確保していると何度も申し上げてるはずです!」
「気持ちの問題だと言っているだろう! わからない女だな!」
「意味がわからないのはこちらです!」
このまま言い争いを続けていても埒が明かないと判断したアーデルハイドは、黙って二人のやり取りを眺めていたクラウスに、説得の加わるよう話を振った。
「クラウス様! 黙って見てないで、クラウス様からも何とか言ってください!」
「そうだ、クラウス! お前からもこの偏屈な女に言ってわからせてやれ!」
「わかっておられないのは殿下のほうでしょう!」
「なんだと!? 私のどこがわかってないと言うんだ! か弱い女性を気遣うことのどこがおかしい!?」
「シャルロット様を気遣うなと言ってるわけではありません! ご自身をご自愛くださいとお願いしてるんです! なぜ聞き入れてくれないんですか!?」
「私の身柄より、シャルロットの安否のほうが大切だからだ! 何度も説明してるであろうが!」
二人の様子をじっと見ていたクラウスは、二人の言い争いに割って入る形で口を開き、彼なりの考えを語った。
「ローデリヒ殿下の指摘には一理ある。マルケス男爵令嬢に何かあれば、我々は大義名分を失うことになろう」
「クラウス様っ!?」
「クラウス! 素晴らしい、良くぞ言ってくれた!」
「ハイディ。お前の言い分もわかるが、シャルロットはお前ほど強くない。どちらにも理はあるが、ここはシャルロットの安否を優先しよう」
「…………」
「納得できないか? だがいまはのんびり論戦を戦わせている余裕はない、行動の時だろう! 機を見誤るな!」
アーデルハイドは軽く唇をかんだだけで、反論はしなかった。
「……わかりました。お手を煩わせて申し訳ありません」
「わかればよい! ではいくぞ、行動開始だ!」
* * *
――時は現在に戻る。
ローデリヒとシャルロットの抱擁をじっと眺めていたアーデルハイドは、隣で同じ光景を眺めていたクラウスに、ひとつの疑問をぶつけてみた。
「クラウス様」
「なんだ、ハイディ?」
「ローデリヒ殿下を連れてこなければ、もっと早く片付いたんじゃないですか?」
「……かもな」
「では、なぜあの時、ローデリヒ殿下の肩を持ったのですか?」
「……『兵は拙速を尊ぶ』。戦いにおけるセオリーだろう」
「どういうことですか?」
「つまり、ローデリヒ殿下に折れる気配がなかったから、お前を説得したほうが早いと判断したのさ。どちらにも一理あり、どちらを選んでも結局は一長一短だったろう」
「私のほうが説得しやすいと?」
「意固地になっているほうを避けただけだ。他意はない」
「……ほんとにそれだけなんですか?」
なかなか追求をやめないアーデルハイドに、クラウスは苦笑いで応えた。
「――ああ、お前に隠し事はできないな。じつは俺自身、少し期待していたことがあってな……以前、お前はあの二人が結ばれるはずがないみたいなことを言ってたよな。覚えてるか?」
「……ええ、そんなこともありましたね」
「もし本当に惹かれあっているのなら、結ばれて欲しいと思ったんだ。いつまでも変わらぬ愛を持ち続けて欲しい……俺にはできなかったことだからな」
「……!」
アーデルハイドの驚きは、クラウスの意外な一面に触れたからだ。彼の答えは、少しだけ彼女の意表をついたものであった。
「……そんな理由で?」
「悪いか?」
「いえ、そうではありませんけど……」
――だが、驚きと同時に納得している自分もいた。そう! 彼は昔からこういう性分だったのだ、と。
「……ずいぶんとお人好しなことですね」
想いが零れ落ちるように、ぽつりとアーデルハイドの口から呟きが漏れた。
子供の頃の勝気だった自分は、このさりげない優しさに触れて、うれしさをかみ殺すのにずいぶん苦労させられたものだ。
おせっかいではあっても、善意からの申し出なので拒絶することは難しい。うれしいけれど喜ぶ顔は恥ずかしくて見せたくない、痛し痒し。
――二人とも、まったくもって、厄介な性格だった!
(もっと素直に喜んでおけばよかった……気付くのが遅すぎたけど)
――そしてこうも思うのだ。こんな好人物だからこそ、生涯をかけて仕える価値があるのだと。
「俺は騎士道を重んじているだけだよ」
アーデルハイドの内面の想いを知ってか知らずか、クラウスの答えはそっけないものだった。
だが、当の彼女は気にした風もなく、クスリと小さく笑って追求を取り下げた。
「まぁ、クラウス様らしいといえるかも知れませんね。わかりました。そういうことにしておきましょう」
正面に向き直ったアーデルハイドの顔には、どこかすっきりとした表情が宿っていた。
彼女の中で、何かに決着をつけることができたのだろう。
クラウスはそのことには言及せず、残った責務を果たすべく、次の仕事に意識を切り替えた。
「では、戻ろうか。俺たちの戦いはこれで終わりだが、戦果を待っている者たちを待たすこともあるまい」




