第29話
放課後、生徒会室へ向かう廊下でアーデルハイドはナターリエと行き会った。
「ごきげんよう、ナターリエ様」
ナターリエに道を開けるために一歩脇へ移動し、軽く会釈する。
いまのアーデルハイドは騎士科の首席であり、規範となるべき立場に立っている。たとえ親しい友人であっても、衆目のあるところでは礼節を怠るわけにはいかないのだ。
「あら、アデルさん。なぜこんなところに?」
「学院祭での施設の使用申請です。騎士科では模擬戦を披露する予定ですので、あらかじめ会場を確保しておかないと」
騎士科の制服である男装に身を包んだアーデルハイドは、そう言って手に持っていた書類をかざした。
ピンと背筋を伸ばし佇立する様は、中性的な凛々しさにあふれていて、すれ違う令嬢の目を惹かずにいられなかったようだが、ちらちらと向けられる視線の一切を無視して二人は会話を続けた。
「ナターリエ様は?」
「私は学院祭の実行委員長代理です。実行委員長のオフィーリア様が学院に来られていないので」
「……ああ、そうでしたね」
これまで実質生徒会を束ねていたオフィーリアは、いまは王宮にこもり気味で、学院には稀にしか登校してこない。そこで代わりを任されたのが、人望の厚いナターリエということになったらしい。
――学院祭の話題が一段落ついた瞬間を見計らって、突然、ナターリエがとてもいい笑顔で提案してきた。
「ちょうどよかったわ。次の休みの日、アデルさんの予定は空いているのかしら?」
「はっ?」
それはアーデルハイドにの耳に、まるでデートの誘いのように聞こえてきた。
周りから噴出す音がいくつも起こるが、二人に気にした様子はない。二人の関係が誤解されがちなのは、こうした物言いだというのに、両者ともまったく気付いていなかった。
アーデルハイドのわずかな沈黙は、周囲の反応を不快に思ったためではなく、頭の中で予定を確認するためであった。
「空けられます。ですが、ずいぶん急な話ですね?」
快く了解をもらったナターリエは、身分違いの友人に、艶やかな自慢の薄茶色の髪を揺らして近づき、はっしとその手をとった。
「そうなのっ! アデルさんの言ったとおりでしたわ!」
アーデルハイドが知る中でも、もっともたおやかな物腰で鳴る令嬢がとった、親密すぎる――というより馴れ馴れしすぎる振る舞いに、彼女は思わず面食らい、仰け反りそうになった。
(――だれだ、こいつ!? 性格が変わってるんじゃないの?)
心の中で、思わずそんな突込みを入れてしまう。
「……なにがですか?」
突然のことに驚くアーデルハイドは、高揚した気分のまま華のような笑顔を向けてきたナターリエに妙な胸騒ぎを隠せなかった。おかしなことになっていなければ良いのだが……
努めて平静さを装って聞き返したが、意味がわからず、気圧されている自分の姿を自覚する。
「シャルロットさんのことです。あなたの言う通り、好意を持って話しかけたら、彼女、とても素敵な笑顔を向けてくるのよ。もうかわいらしくって!」
その無防備な姿は、恋する乙女が恋人に言い寄っているようにも見え、怪しげなうわさが立つ温床となっていたのだが、ナターリエにはまるで態度を改めようとする気配はない。
しかも、語る内容も聞きようによってはけっこう際どいものである。
「えっと、それはよかったですね?」
彼女たちを取り巻く緊迫した状況と、目の前で行なわれる平和すぎる会話との隔たりに戸惑い、その雰囲気に飲まれてしまったアーデルハイドは、曖昧な返事しか返せなかった。
勢いづいたナターリエは、周囲や彼女の戸惑いを無視し、さらに勢い込んで畳み掛けてきた。
「それでね、今度の休みに日に、シャルロットさんが行きつけにしている輸入雑貨の店に案内してもらえることになったのよ。それで、アデルさんもどうかなって」
目を輝かせながら誘ってくるナターリエは、ほんの数日前と別人のような明るさで、心が沸き立つのを抑えられないようであった。
(人って変われば変わるものね……屋敷を訪ねてきたときは、あんなに思いつめていたのに……『士別れて三日なれば、刮目して相待すべし……』って、これは意味が違うか)
アーデルハイドは、ふと気になった。自分とシャルロットの間には、クラウスをはさんで敵同士といっても過言ではない因縁が横たわっていたはずだ。
「それってシャルロット様の了解は取ってあるんですか?」
「ううん、これからよ。でも、きっといいって言ってくれるに違いないわ」
(それは、とっていないという事ね)
「時間的には大丈夫なのですか? 学院祭の実行委員長代理の仕事もあるのでしょう?」
「ええ、ですから、次のお休みのときしか時間が取れないのですよ」
「……忙しそうですね」
「責任ある仕事を任されるのは、悪い気はしませんわ。皆が頼ってくれるわけですから」
なんのてらいもなくそう答えるナターリエ。
アーデルハイドの心中に急速に暗雲が立ち込めてきた。
(これって、クラウス様が陥ったのと同じ症状なんじゃ……)
ふたりの共通点は、頭に〝馬鹿〞がつくほど真っ直ぐな性格をしていること。
彼女にとって好ましい性格ではあるのだが、副作用も存在する。
その最たるものは、頼られるとうれしくなってしまって、つい何でも抱え込んでしまうこと。その結果、オーバーワークで破綻する。
重要なことと必要性の低いことの区別を、きちんとつけられれば問題はないのだろうが、しかし、根が真面目な彼らはそれらすべてを対等に扱い、その責任を自分ひとりで被ってしまうのだ。
クラウスとシャルロットの関係が破局したのも、シャルロットにかまう時間を取れなかったせいで、お互いに気持ちが醒めてしまったためではなかったかとアーデルハイドは疑っている。
(この状況はさすがにまずいですね)
アーデルハイドの忠告は、二心なく、ただ大切な友人を案じてのものであった。
「一人で背負いすぎでは? 無理な頼みは断ったほうが良かったのでは……」
「そう?」
「オフィーリア様とローデリヒ殿下のこと。学院祭の実行委員長代理の仕事に、シャルロット様のこと。同じ時期に重なりすぎてます」
「学院祭が終われば、ローデリヒ殿下との問題に集中できますから、問題はないと思いますよ? それに……」
一度言葉を切った。
「シャルロットさんのことは、まるで友人がもう一人増えたようで、とてもうれしいのですわ」
言葉通り、心からうれしそうに言うナターリエの楽観を危惧したアーデルハイドが、内面の焦りを見せないように、釘を刺すべく念を押した。
「それはよいのですが、本来の目的を忘れたわけではありませんよね?」
ナターリエの目指す最終目標。それは、ローデリヒの歓心をシャルロットからオフィーリアに取り戻すこと。
そのために、彼の趣味を理解できる素養を身につけるという話だったはずだ。
アーデルハイドの指摘に、心得ているとばかりにナターリエは胸を張って答えた。
「もちろんです。ですが、もうしばらくはシャルロットの信用を高めることを優先しようと思います。オフィーリア様が登校してこない以上、ローデリヒ殿下との接点は彼女を通すことになるわけですから」
「なるべく急ぐことをオススメします。オフィーリア様はあまり気が長い方ではないそうですから……」
「あら、どなたがそんなことおっしゃったのかしら」
そんなことを嘯く余裕もあるらしい。
だが、だからこそアーデルハイドはナターリエが心配でならなかった。
「あなたじゃないですか! ナターリエ様、お気をつけください。私のところにも少し良くないうわさが聞こえてきてるので」
真剣に憂慮を伝えようとする友人の姿に、ナターリエも表情をやや引き締める。しかし、やはりそれほどの危機感は抱いてはいないようである。
「そうね、気をつけるわ。心配してくださってありがとうアデルさん。でも不思議ね。今頃になって、もうすぐクラスのみんなとお別れなのが、名残惜しくなってしまっているの。たった数日前にはそんなことまるで思いもしなかったのに」
「それは……いいことだと思いますよ」
「シャルロットはあなたの言った通りの人だったわ。ですから、ローデリヒ殿下とオフィーリア様のこともきっと上手くいくでしょう。見守っていてくださいね」
ナターリエは掴んだ手にしっかりと力を込め、アーデルハイドを見つめてきた。
真っ直ぐに見つめてくるその瞳は、窓から差し込む斜陽を受けてきらきらと輝いていたが、赤みがかった瞳の奥には、不吉な影をも映しこんでいるように感じられてならなかった。
(残念ですが……それだけの時間は、もう残されていないかもしれませんよ……)
口には出さなかったが、ナターリエの楽観にアーデルハイドは懐疑的であった。
そして、ナターリエを案ずる言動は、アーデルハイドの純粋な真情の表れでもあった。彼女は、この明るくて真っ直ぐで苦労人な友人のことが大好きなのだ。
身命を捧げるに値する主君と親友に恵まれたことは、彼女としても望外の喜びであった。
立場を省みることなく自分の心情に正直に生きるシャルロットの姿が、クラウスやナターリエのような真っ直ぐな性格の人物を惹き付けてやまないように、自分にも惹かれずにいられないタイプというものが存在することをアーデルハイドは自覚している。
人に仕えることに喜びを見出す人種というのは、たしかに存在していて、アーデルハイドはそうした中に分類される人種なのである。
だが、仕える相手は誰でもいいという訳ではない。
全身全霊で仕えようとするからこそ、主を選ぶ基準も厳しくなるというものだ。
(こういう人には傷ついて欲しくないけど、そういうわけにもいかないでしょうね……)
アーデルハイドが求めるのは、虚実入り乱れる醜い世界の中で、それでも穢れることのない清らかな魂の持ち主。
命を賭けても惜しくないと思える者たち。
クラウスとナターリエの両名は、まさに典型的な好みのタイプなのであった。
(……まあ、汚れ仕事は私の領分ですからね)
かつてクラウスが利用されようとしたのと同じように、今度はナターリエが策謀の粘糸に絡めとられようとしている。
アーデルハイドはそれを知っていたが、彼女の前でわざわざ口に出すような無粋なまねをしようとは思わない。
――これは、自分のような影に生きる者こそが果たすべき仕事なのだから。




