第23話
秋雨が世界を鈍色に染めていく中で、学院内の高位貴族専用の一画にあるサロンでは、普段と変わらぬ別世界の輝きを保ったまま、二人の客人を迎え入れていた。
煌びやかな調度品が並ぶ室内で、優雅に紅茶を飲んでいる公爵令嬢オフィーリアと伯爵令嬢マグダレーナ。ただ、優雅さの中にどこか普段とは違う画竜点睛を欠いた空気が、二人の間をたゆたっている。
ひとつは、王宮に詰めることが多くなったオフィーリアにとって、これが久しぶりの学院での茶会の開催という点が挙げられるだろう。
もうひとつは、彼女たちが茶会を行なうとき、通常なら参加しているはずのナターリエが、今日に限っては同席していないためであった。
ややあって三人目の人物が扉から入ってくる。はっとして振り返る二人の令嬢の視線の先にいたのは、よく知る侯爵令嬢ではなく、黒い衣装に身を包んだ一人の男であった。
「――そう、あの娘はパラダイン家の屋敷に向かったのね」
「はい。雨のためはっきりとは確認できたわけではありませんが、シェーンバッハ家の馬車がパラダイン家の屋敷の前で停車したところまでは間違いありません」
「それで十分よ。もう下がっていいわ」
オフィーリアが手を振ると、報告をもたらした男は「失礼します」と丁寧なお辞儀を残して足早にサロンを後にした。
「オフィーリア様、いまの方は?」
「王妃殿下がお貸しくださった従者よ。頼りになるわ」
「そうでしたか」
窓から聞こえる雨音も、彼女たちの会話を邪魔するほどではなく、二人だけのサロンは、どちらかが口を開いていなければ、沈黙の帳が下りてしまう。
かすかな雨音だけが響く中、オフィーリアは意識を外界から室内に移す。重い空気を押しのけるようにして、沈黙を破るべく口火を切った。
「――わたくしは、あの娘の甘さは、弱さの裏返しだと考えています。ですから、いずれ強欲な者に目を付けられ、弱みを握られてしまえば身を滅ぼしていまいかねないと考え、考えを改めるようにと幾度となく忠告してきました」
独白を思わせる語り口は、ここにはいないどこか遠くにいる者に聞かたいかのようであった。
「ナターリエはよい娘です。聡明でよく気が付く――ですが、思いやりも度を過ぎれば、勘違いした者を付け上がらせるという副作用を生むことも多くありました。そのことで彼女自身が苦しくなるのがわかっていても、あの娘は誰にでも手を差し伸べてしまう」
オフィーリアは一度言葉を切り、ため息をつく。マグダレーナは口を差し挟まず、話の続きを待っている。
「それではこの先、社交界で生きていくのは辛いだろうと、わたくしは荒療治を施すことに決意しました」
今度こそオフィーリアが口を閉ざしたのを受けて、薄い黒髪の伯爵令嬢は慎重に言葉を選びだした。
口にしたのは、確認という体をとった追従だった。
「それがシャルロット様にお灸を据える役目をナターリエ様に与えた理由だったんですね?」
オフィーリアは満足そうに小さくうなずいた。どうやら正解であったようだ。
「そうです。常々、ナターリエがあの女に節度ある行動を求めていたことは、わたくしも知っています。ですが、あの女は態度を変えましたか? むしろ、徐々に悪化しているではありませんか! その度に心を痛めているナターリエを見るのは、わたくしにとっても辛いことでした。ですが、彼女の性格ではあれ以上のことはできないでしょう。だからこそ、わたくしは強く命じたのです。『あなたの手で、あの女を社交界から追い出してしまうように!』と」
実際にナターリエに命じたのは、もっと直接的な意趣遺恨の発露であったが、さすがにここでは口にしない程度の分別は残っていた。
彼女は、自分の差配がナターリエを追い詰める行為だとは露ほども感じていないようであり、むしろ善意の贈り物とすら考えていそうな節があった。
黙って聞いていたマグダレーナも、それを正しい行動だと疑っていないようである。大きくうなずくことで同意を示していた。
「ナターリエ様はお優しくて、たとえ身分が低いような相手でも、強く窘めるようなことはしませんでしたから。オフィーリア様がもどかしく思う気持ち、私もよく理解できますわ」
わが意を得たりと、再び満足げにうなずくオフィーリアだったが、マグダレーナの理解に少しだけ修正を施した。
「シャルロットのような、分を弁えない女に対しても、です」
「ええ、そうでしたわ」
「ナターリエに命じたのは、わたくしなりの思いやりのつもりだったのです。たかだか一介の騎士の娘と、口実であろうとはいえ友誼を結ぼうとしてみたりと、高位貴族にあるまじき行い。そのようなばかげた振る舞いに釘を刺す意味も含めて、これは自らの立場というものを今一度省みる、よい機会となりましょうから」
そこで、オフィーリアの表情が一変する。
「だというのに、彼女はわたくしの思いやりを理解しないばかりか、わたくしの厚意をまるで余計な差し出口のように感じているようでした。将来国を背負う立場であるからこそ、こうして心を砕いているというのに!」
「お気持ち、お察しいたします」
「ナターリエはよい娘です。ですが残念ながら、社交界で生きていくには弱すぎる。そう確信せざるを得ません。残念ではありますがナターリエに頼るのは、もうやめにします。
……ごめんなさいね、マグダレーナ。彼女があなたの友人であることは知っています。ですが、このままではあなたまで周りから軽く見られてしまうでしょう。ですから、あなたも少し距離を置いたほうがよいと思います。彼女が目を醒ましてくれたなら、そのときにもう一度友誼を結びなおしてはどうかしら」
「……そうですね。オフィーリア様がそうおっしゃるなら」
神妙な顔のマグダレーナは、ためらいを見せつつも否定はしなかった。その様子に、マグダレーナの同意を得られたと受け取ったオフィーリアは、表情を再びやわらかいものに変化させた。
「ですが……彼女がパラダイン家に協力を求めたのは悪い選択ではありませんね」
「そうでしょうか?」
不意の話題の転換に、マグダレーナは疑問符を頭の上にうかべた。
それを見てオフィーリアは説明不足を悟り、誤魔化すようにはにかんだ笑顔をうかべながら、優しく説明をはじめた。
「彼の方の立場は揺れ動く板に乗った卵のようなものです。ほんのわずかな傾きで地に堕ち、壊れてしまいますから。こちらの要求と引き換えに手を差し伸べれば、それがどんなものであっても振り払うことはむずかしいでしょう。相手の弱みに付け込むなど、あの娘らしいやり方ではありませんが、効果的であるのは認めざるを得ません」
「そういうことでしたのね。ナターリエ様がパラダイン家の屋敷を訪れただけでそこまでお分かりになるとは、さすがオフィーリア様ですわ」
「この程度は公爵家の娘として、当然のたしなみです」
「高貴なる者の義務というわけですね」
「ええ」
おだてられて気分が高揚したオフィーリアは、今日一番の笑顔で返した。
「ではシャルロット様のことはナターリエ様にお任せになるおつもりですか?」
「それこそまさかです。よもやオットーのことをお忘れではありませんか? それにナターリエの目を醒まさせるにはそれなりの刺激が必要でしょう? ですから、王妃様に相談したところ、あの方が手をうってくれたそうです。後のことは王妃様に任せておけばうまく対処してくれるでしょう」
「申し訳ありません。オットー様のことを失念しておりました。シャルロット様もナターリエ様も、オフィーリア様のお言葉に従っていればこんな大事にならずに済んだものを……目先に囚われて正しい判断が下せないのは、やはり、認識が甘いからなのでしょうね」
「ええ、本当に残念です。ナターリエには期待していたのに。これでわたくしにはあなただけしか心を許せる者がいなくなってしまいましたわ」
「たとえ一人でも、私がオフィーリア様を支えてみせます!」
「ありがとう、マグダレーナ」
話題はそこでナターリエから、社交界の流行の話に移っていったが、オフィーリアはまだナターリエのことが心のしこりとして残っていた。
(マグダレーナとナターリエは幼い頃からの付き合いがあると聞きました。なら、ナターリエのあの態度は、マグダレーナをわたくしにとられてしまうと恐れていたからかしら?)
マグダレーナやほかの取り巻きに比べて、オフィーリアはナターリエから隔意を感じるときがあった。それは、以前から気にはなっていたが、ささいな問題だとして見過ごしていたのだ。それが、最近になって心のしこりとして現れだしていたのである。
ここまでその原因が見い出せずにいたのだが、今になってようやく答えにたどり着いたような手ごたえがあった。
(いえ……もともとわたくしを慕ってきたのはマグダレーナでした。ナターリエにとってわたくしは友人の友人といったところだったのでしょう。それが、マグダレーナが自分よりわたくしと親しくなってしまったせいで拗ねてしまったのでしょうね。その代償としてアーデルハイドと友人ごっこをはじめたというところかしら? ふふ、ナターリエにもずいぶん可愛らしいところがあったものね)
――ですが、とオフィーリアの思考は続く。
(〝高貴なる者の義務〞――貴族たるもの、友人は選ばなければいけません。アーデルハイドが護衛として優秀なのは認めますが、しょせんは騎士の娘。友人などと秩序を乱す呼び方など、到底、認められるものではありません)
「オフィーリア様?」
マグダレーナの怪訝な顔に気付かず、オフィーリアは沈思に耽る。
(もしパラダイン家から引き抜くにしても、もっと上手いやり方があったはずでしょうに。やはり、あれはわたくしとマグダレーナに対するあてつけと見るべきなのでしょうね)
彼女は自分がたどり着いた答えに会心の手ごたえを感じ、ひとり気を良くする。
(ならば、これは試練です。この試練を乗り越えてこそナターリエはわたくしの信頼を得ることができるでしょう。彼女もそれを望んでいるはず。なぜならわたくしは公爵家の娘で王太子の婚約者なのですから)
オフィーリアはそう結論付けた。
思考に一段落ついたことで、さきほどから自分を呼びかけている声に、彼女はいまさらながら気付いた。
そして正面を向いて思わず赤面してしまう。
二人きりしかいない場で、自分ひとり妄想に浸っていたとすれば、残されたひとりはどう思うだろう。
オフィーリアは謝罪の言葉を述べつつ、会話の中に戻っていった。




