第24話
「〝高貴なる者の義務〞?」
おうむ返しに投げ返されたアーデルハイドの言葉には、少しばかり侮蔑の響きが含まれていた。
普段は決して見せない友人の一面に、初めて触れたナターリエは、突然のことに面食らってしまっているようであった。
すぐに気を取り直したナターリエは、非難を込めた視線をアーデルハイドに送ったが、それは節度を逸した態度に対してか、それとも貴族の有り様を否定するような態度をとられたことに対するものか。おそらくは両方だろうとクラウスは考えていた。
(……まぁ、いきなりあんな態度をとられれば驚くよなぁ)
硬い表情のナターリエを眺めながら、クラウスは他人事のような感想を漏らした。
シャルロットの振る舞いに、『貴族にあるまじきものなのではないか?』との疑義に対するアーデルハイドの返答は、ナターリエが期待したようなものではない、無関心さが透けて見えるようなものであった。
いささか以上にピントが外れていた受け答えに業を煮やしたナターリエは、今度は高貴なる者の義務という概念を持ち出して、貴族のあるべき振る舞いを説き始めた。
さきほどのアーデルハイドの態度は、それに対する反応であった。
「私から言わせてもらえれば、〝高貴なる者の義務〞なるものは、害悪でしかありませんね」
「なぜですか?」
むっとしてナターリエが聞き返す。
「ナターリエ様の論法では、貴族が行なうあらゆる行動に免罪符を与えることになりますよ? 私を冤罪にかけようとしたことも高貴なる者の義務だから許されるとでも? そんなはずはないでしょう! もし本当に義務があるとしたら、自分の下した決断がもたらした結果に対して責任を持つことでは!? それを責任逃れの言い訳に使うなど、言語道断でしょう!」
「ハイディ。話がそれてる」
ヒートアップし始めたアーデルハイドをクラウスが横合いから宥める。
アーデルハイドもすぐにクラウスが云わんとすることに気付き、沸騰しかけていた血を鎮め、ナターリエに向きかけていた矛をそっと下ろした。
「失礼しました。ですが、そのような概念で物事の善悪を判断すべきではないと思います。その点は理解してもらえませんか」
「……あなたの判断ではシャルロットには、罪はないというのですか」
「罪? 罪って?」
「傍若無人な振る舞いを改めようとしないことです。彼女の行いに皆が眉を顰めているのを知らないのですか」
「……それは、罪なんですか?」
「…………えっ?」
ナターリエは絶句する。今日、彼女の価値観を何度も揺さぶられてきたが、これはその中でも最たるものだろう。金魚のようにパクパクと口を開閉しするだけで、次の言葉が出てこない。
「――クラウス様。あなたはどうお考えなんです?」
アーデルハイドに振られたクラウスは、心底から迷惑そうな顔をした。そこで話を振られても、とても答え難いのだが、と。
だが、答えを渋ったところで見逃してくれないだろうと観念し、ため息まじりに自分の考えをナターリエに伝えた。
「……結局のところ、俺にはシャルロットの気持ちをとらえ続けることができませんでした。一番の問題はそれだったんじゃないでしょうか」
「……クラウス様まで、アデルさんと同じ考えなんですか!?」
「いえ……己の恥をさらすようで恥ずかしいのですが、婚約が決まった後の俺は『釣り上げた獲物には餌をやる必要はない』とか、そんな感じだったので……それもあとで指摘されましたけど、それじゃシャルロットの心が離れるのも当然だと、いまだにみんなから責められるばかりで……」
クラウスの告解をアーデルハイドが引き取った。
「まぁ、そんなわけです。シャルロット様は自分に向けられた好意に応えているだけであって、自ら不和を起こしているわけではありませんから。だからこそ、まずはオフィーリア様自らローデリヒ殿下のお心を取り戻すべく動くのが筋だと言っているんですよ。それでも、シャルロット様が王太子殿下に執着を見せるなら、そこで初めて問題にすべきです」
ナターリエの顔に理解の色が現れる。
さきほどからアーデルハイドの主張は一貫して変わらない。
要は、これはローデリヒとオフィーリアの個人の間での問題であり、他人を巻き込むほうがよほど筋違いなのだと。それでも手を貸したいなら、まず己が先立ってオフィーリアに手本を見せてみろと、彼女はそう言い続けているのだ。
それでもナターリエは食らいつく。
「彼女が自ら身を引くべきだとは考えないのですか?」
「それも優先順位の問題です。オフィーリア様が何もせず、果実だけを横取りしようとするから、私はそれに異を唱えているんです」
「まず、自分がやるべきことをしてからだと?」
「そうです。許婚だからといって、浮気された、愛してもらえないと嘆くだけではいけないはずです。相手の望みを拒否し続けて、何を甘えたことを言ってるんだって感じです。それで別の要因を見つけて逆恨みするなんて、〝高貴なる者の義務〞どころか、人としての品格すら疑ってしまいますね」
「おいっ、ハイディ!」
「もちろんオフィーリア様は違いますよね?」
過激すぎる言動に対するクラウスの突込みを受け流し、涼しい顔でナターリエに迫るアーデルハイド。
昔からやりすぎなところはあったが、学院に入学して以降、だいぶ落ち着いたと人づてに聞いていた。ところが、二年前、冤罪で罪人犯にされかけて以来、どうやら寝た子を起こしてしまったらしい。しかも、相当にこじれた状態で覚醒してしまったらしく、高位貴族に対しての追及が半端ないレベルに上がっていた。
普段、犠牲になるのはクラウスだったが、ナターリエに対しても同様の攻めを見せている。
見た目は静かだが、激しい視線のぶつかり合いが続く。
お互いに目を逸らさない。
普段は穏やかな物腰のナターリエも、このときばかりは、一歩も退くことなくアーデルハイドの視線を受け止めていた。
結局、先に退いたのは、アーデルハイドのほうであった。
「……とりあえず、ローデリヒ殿下の目をオフィーリア様に向けることができれば解決する問題だと私は思っています。誰かの罪という考えはいまは捨て置いて、意識改革のほうを優先してもらえませんか?」
「……そうね。私が相談を持ちかけたのに、方法が気に入らないといって不満をぶつけるなんて、友人に対してとる態度ではなかったわ。ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ言いすぎたことに関しては謝ります」
(やっと矛を収めてくれたか)
クラウスは、アーデルハイドが提示した答えがナターリエの望みとまったく別物であることに気付いていたが、口を出そうとは思わなかった。
何しろ二年前の件で、『オフィーリアを失墜させる!』とかつてクラウスの前で断言しているのだから、これでもアーデルハイドにしてみれば相当な譲歩なのだと彼は知っているからだ。
そもそも、ナターリエがこの屋敷を訪れたのは、クラウスに会うためだろう。アーデルハイドがここにいることをナターリエは知らなかったはずだ。
会う目的は、クラウスにシャルロットを諦めさせた要因を教えてもらい、ローデリヒにシャルロットを諦めるよう説得するつもりだったとクラウスは見ている。
その考えは大きく外れてはいないだろう。
そこにアーデルハイドがいて驚いただろう。しかも非難めいたことを言われて癇癪を起こさないでいること自体、ナターリエの器の大きさを証明している。だが、余裕があるうちにやめておかないと取り返しのつかない事態まで発展してしまうのではないだろうか。
そんな危惧を抱きながら、クラウスは二人の会話を眺めていた。
(やれやれ……)
アーデルハイドにこれ以上追及する気がないことを確信して、クラウスはようやくほっと胸を撫で下ろした。
ナターリエはシャルロットを指して傍若無人と評したが、アーデルハイドの発言も大概のところ放言に近い。
ナターリエの実家のシェーンバッハ侯爵家は、ローデリヒの王家、オフィーリアのヴェントブルク家に次ぐ第三位の家格を誇っているのだ。
にもかかわらず、あまりに不遜な態度をとったのは、貴族に対して根本的な不信のせいだろうか。
アーデルハイドはいまや学院で知らぬ者のいない実力者である。座学でも実技でも他の追随を許さぬ高みに立ち、さらに引き離しにかかっているという。
にもかかわらず、一時は冤罪によって罪人に仕立て上げられそうになったのだ。恨みを抱いていてもおかしくない。
(……ん?)
そこまで考えて、クラウスはふと違和感を感じた。アーデルハイドのナターリエに対する態度には、負の感情がこもっていなかったことを今更ながらに思い出したのだ。
(――いや、違うか)
クラウスは大きく頭を振った。自分の思い違いに気付いたのだ。
(逆だ。怨恨ではなく信頼! 彼女を信頼しているからこそこれほど赤裸々に心の内をさらすことができるんだ)
そう、ナターリエを交流を持つときの殺し文句がそうであったはずだ。
(たしか『常に真実の言葉を語り、身分の差をも越えて、心からの信頼と敬意をお互いに払いあう』だったか? それで友情を信頼を勝ち取ったと言っていたはずだ)
たしかに、いまのやり取りは気分的にはよくないかもしれないが、その内容に嘘やごまかしは一切混じっていない。それをどうとるかは相手次第だが、ナターリエに関しては問題ないと判断してのことだろう。
こういうことに関してアーデルハイドは抜け目がない女なのだ。
敵味方を嗅ぎ分ける能力は天才的で、パラダイン領では、史上最高の工作員との呼び声も高いらしい。
そうやって別の思惑に気をとられていたクラウスは、すぐ側に災厄が迫っていることを見落としてしまっていた。
「そういえば、クラウス様はどうやってシャルロット様を口説き落としたのですか?」
アーデルハイドが矛を収めたことで、ナターリエの攻撃の矛先はクラウスのほうを向いた。そしてクラウスは、初撃でいきなり防御不能の急所を突かれ、瀕死の状態に陥ってしまったのである。




