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第16話 

 アーデルハイドの前方からやってきたのは、侯爵令嬢のナターリエであった。

 彼女もまた、クラウスと進めている計画において、重要な位置を占める一人であった。


「ごきげんよう、ナターリエ様。今日はお一人で?」

「ごきげんよう、アーデルハイドさん。さきほどアルブレヒト先生に呼ばれまして、職員室に行ってきたところです」

「あら、今日はアデルとは呼んでくれないんですね」


 さりげなく投げかけた、毒を含んだ切り返し。

 ナターリエが冤罪を画策した当事者ではないことをわかった上での挑発は、彼女の意識を自分に誘導するための撒き餌のようなものだった。


「そう呼んだほうがよかったのかしら?」


 自分を非難しているとも取れる放言を、ナターリエはなんのてらいもなく正面から平然と受け止め、アーデルハイドを瞠目させた。


「……あなたには、申し訳ないことをしてしまったと思っています。どれだけの謝罪を重ねても、あなたに許されるとは思っていないわ」

「ええ、許すつもりなどありません」


 アーデルハイドは、きっぱりと一切の翳りもなく堂々とした態度で言い切った。

 高位貴族だからといって、馴れ合うつもりも卑屈になる気持ちもない。

 ――ただ、意味もなく敵対するつもりもない。


 自らの謝罪に対して拒絶の意思を表したような返答に、ナターリエは驚きに目を見開き、言葉を失ってしまう。彼女は、アーデルハイドがここまであからさまに自分に敵意をぶつけてくるとは思ってもいなかった、というところだろうか。


(……あら、勘違いさせてしまったのかな?)


 アーデルハイドは、すぐに自分の発言が誤解を与えてしまったことに気付き、二人の間の緊張を解こうとして、心持ち表情を緩めた。


「感謝を捧げるべき相手を恨むなど、そんな筋違いなことは出来ません。私は恩知らずではありませんから。ナターリエ様は、私にいったい何を許せとおっしゃっているのでしょうね?」

「えっ?」


 きょとんをした表情は、意外と歳相応の少女らしい、じつにかわいらしいものであった。


「――私は助言を頂いただけで、何もされていないのですから」


 そう言って、さりげなくフォローを入れておく。


 華やかな侯爵令嬢の微笑ましい一面を思いがけず発見して、思わず口元がほころびそうになるアーデルハイドであったが、もちろんいまはそんな場合ではない。

 侯爵令嬢という立場は、彼女にそれほど自由な時間を用意していないのだ。

 鋼の意志で表情を引き締めたアーデルハイドは、真面目くさった態度に切り替え、優雅な態度で足元に跪いて騎士として臣下の礼をとった。

 〝願い〞、という形でナターリエの懐に飛び込むことを決意する。


(――勝負をかけるなら、今でしょ!)


 これはひとつの賭けというべき行動だった。

 誰もいない廊下にたった二人きりですれ違う――そんな千載一遇の機会が、今後そう何度も訪れるとは思えない。

 たしかに、仕掛けるには予定よりはるかに早い。だが、幸運の女神は気紛れで、いつも味方してくれるとは限らない! 今やらねばいつやるというのだ!


(大丈夫……きっと大丈夫!)


 アーデルハイドはそう自分に言い聞かせることで、唐突に訪れた好機に、不安と昂奮の間でめまぐるしく揺れ動く気持ちを、懸命に鎮めようとする。

 拳を強く握り締め、ついに意を決して切り出した。


「――ですが、私の望みをひとつだけかなえてくれるというなら、お願いしたいことがあるのですが?」


 すかさずナターリエが了承の答えを返してくる。


「どうぞ。あなたにはその権利があります。私に出来る限りのことなら何でもいたしましょう」


 心地よいリズムで打ち返されたその答えに、平静を装いつつも、全身全霊を込めてアーデルハイドは重要な一言を口にした。


「では遠慮なく。ナターリエ様、私と友達になっていただけませんか?」


 うるさいくらいに高鳴る心臓は、今にも口から飛び出していきそうだ。

 震える足に気付かれないように注意しつつ、視線は決してナターリエの目から離さない。


(大丈夫。声は震えていない)


 ここで気後れしてしまえば、そこで自分の負け。アーデルハイドは、なぜかそんな強迫観念にも似た思いに囚われていた。


「友だち……?」


 ナターリエにとっては意外な要求だったのか、腑に落ちないとでもいうように軽く首をひねっている。

 その様子に手ごたえを感じたアーデルハイドは更なる追撃を決意した。

 少なくとも、いきなり拒絶されるようなことはなかったのだから、ここはさらに押すべきだとの判断であった。


「そうです。表面(うわっつら)を取り繕うのではなく、ゴマをすり合うのでもなく、常に真実の言葉を語り、身分の差をも越えて、心からの信頼と敬意をお互いに払いあう、そんな関係です」


 平静を装いながら、ナターリエに気付かれないように深呼吸を繰り返した。

 完璧な臣下の礼をかわしつつ、実際に要求するのは対等な立場での友情なのだ。

 アーデルハイドにとって、ここが勝負どころだった。


 特権意識の強い貴族にとっては、アーデルハイドの行為は許し難い侮辱に映るだろう。

 知己を得るどころか、『調子に乗るな!』と、その場で退学を命ぜられても文句の言えない、あまりに厚顔無恥な要求――侯爵令嬢であるナターリエがそう受け取ったとしても、まったく不思議ではなかったのだ。


「いかがでしょうか?」


 アーデルハイドの要求に、ナターリエは深く考えるそぶりを見せた。

 一見なんでもない仕種であったが、見ようによっては伝えた言葉を噛み砕き、奥底に隠された思惑まで精査されているかのようにも感じられた。


 アーデルハイドにとっては気の遠くなるような時間が、しかし実際にはそう長くもない時間がすぎ、ナターリエが顔を上げた。そしてアーデルハイドの目を正面からしっかりと見据えてきた。

 そこには、なにか悩みが吹っ切れたような、晴れた日の青空のように一点の曇りもない笑顔があった。


「学院では、成績の如何によってのみその人の評価が決まり、そこに身分の上下は考慮されません。ならば交友関係に身分の上下を当てはめては、学院の方針に反してしまいますわね」


 よろしくね、アデルさん――そう言ってナターリエは、艶やかな明るい茶色(ベージュ)の髪を揺らし、屈託のない笑顔のまま、すっと右手をアーデルハイドにむけて差し出してきた。

 その明るい笑顔は、アーデルハイドを魅了するものであり、差し出された手をとるのにためらいはなかった。


 彼女は賭けに勝ったのだ。


 その日、偶然すれ違った侯爵令嬢と騎士の娘は、この学院内において真の友情を結ぶことを誓い合った。

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