第11話
「――それで、今回はちゃんと満足できたの? オットー様?」
オットーの心中を見透かしたような、ひとひねりを加えてきた話題は、特別講堂での顛末のことであった。ふたりとも、その場には参加していなかったが、彼らの元にも、うわさ話はいろいろと漏れ聞こえてきていた。
(やはりシャルロット様も、彼らのこと気にはなっていたのですかね)
不意打ちのような問いかけであったが、あらかじめ予期していた彼は、しれっと、すっとぼけた答えを返しておいた。
「ええ、シャルロット様。特にクラウス様の行動が私の想定のはるかに斜め上でして、じつに味わい深いやり取りを堪能できました」
オットーとしても、クラウスの行動を言葉巧みに誘導し、途中あさっての方向に向かいそうになりつつも、ほぼ望み通りの結果に導けたという自負はあった。
「……そう。それは良かったわ」
「あの男、頭の中まで筋肉に侵食された単細胞かと思って放置していましたが、なかなかどうして。たかが最底辺貴族の娘のために王族の威光に逆らうとは、バカもあそこまで突き抜ければこちらの想定すら超えるのだと、私に新たな視点をもたらしてくれましたね」
オットーの、クラウスに対するあんまりな言い様に、シャルロットはわずかながら不快げに眉を寄せた。
「あの……私の元婚約者を捕まえて、馬鹿はさすがに言いすぎではないの?」
「ですが、シャルロット様。あの男に未来はないと見限ったからこその行動でしょう? しかも乗りかえる相手のチョイスがすばらしいですね。ゾクゾクさせられてしまいますよ。それでこそ私が手を貸す甲斐があるというものです」
「それは違うわ。別に見限ったわけではないのよ。ただ彼の愛情が醒めたものに変わってしまったから、歓心をもてなくなってしまっただけ。
――でもよかったのかしら? 今度のことであなたもあの女に目を付けられてしまったでしょうに」
「一蓮托生というヤツです。共犯関係は望むところだと言ってあるでしょう」
「共犯ねぇ……」
シャルロットの意味ありげなつぶやきが、オットーの興味を引いた。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、あなたの言葉から好意を感じなくて……あなたは私には本当に興味がないんですね。落ち込んでしまいそうだわ」
シャルロットの指摘はオットーの虚を突き、珍しく微かな動揺を見せた。
儚げな姿に強烈な保護欲を刺激されてしまったのだ。
(こういうことをしてくるから油断がならないんですよね、この女性は!)
だが、すぐに気持ちを立て直した彼は、シャルロットに対する答えに少しだけ嘘をまぜた。本心が八割に、動揺を誤魔化すための虚言が二割といったところだろうか。
「興味がないわけではありませんよ? ただ、自分の色恋よりも他人の生き様の方に、より魅力を感じていますので。平地に乱を起こすこともいとわず、己の純愛に突き進む姿には、見ているこちらの魂が震わされてしまいますね。こういう関係はお嫌いですか?」
――自制心を保つためにも、ここで本音を見せるわけにもいかない。
シャルロットは、言葉の奥底に眠る欺瞞には、気付かなかったようであった。
「……あなたも業が深い人ね。人が苦悩している姿に興奮するなんて――変態って呼ばれたりしない?」
「他人のことは言えないでしょう? それと、私のものは純然たる『知識欲』ですよ? 変態なんてとんでもない」
「そう――でも、ひとつだけ言っておくわ。私が求めるのは真摯な愛情、それだけよ。誰であるかは意識してるわけじゃないの。それは勘違いしないでほしいわ。ローデリヒ様のことも、私が選んだというより、一番の愛を捧げてくれたのがあの人だったというだけ」
「……もちろん承知しておりますとも」
「本当に?」
表情から言葉の真意を読み取ろうとでも思ったのか、真顔で答えるオットーをシャルロットはじっと見つめてきた。しかし、くるのがわかっている攻撃に狼狽をさらすほど、彼の面の皮は軟弱ではない。
そして、シャルロットの追撃の一手は、さらに角度を変えて放たれた。
「……クラウス様のことは、まあそれでいいわ。それでは、アーデルハイドさんのこと、オットー様はどう考えているのか聞かせてくださいな?」
――今度こそ彼は言葉に詰まった。
じつは彼自身も、突然に現れた女傑のことを計りかねていたのだ。
彼女のことは正直言って、取るに足らない存在だと考えてスルーしてきた。成績にも言動にも目立つところがなく、視界から見落としてしまっていたらしい。
(……特徴らしい特徴がないから、評価の下しようがない人なんですよね)
成績自体は常に上位をキープしている。しかし、すべてにおいて特出したところがなく、またすべてにおいて欠点が見当たらない。クラウスの近くで目撃された事例が耳をわずかに汚しただけの、取るに足らない存在。それが、オットーがそれまでアーデルハイドという少女に対して下していた評価であった。
ちなみに、あのとき講堂にいた者の評価は、真っ二つに分かれていた。
生意気だと嫌悪を示すものと、気概を示したと一目置くようになった者と。
彼らの証言から窺えるのは、彼女は公爵令嬢の追及に対しても、一歩も引くことなく自分を貫き通したらしいということ。
その胆力は、決して平凡なものとはいえず、端倪すべからざる人物とみておくべきであろう。
(つまり、いままでは、猫を被っていたと見るべきでしょうね……)
だが、それをどう評価すべきなのか。
判断を下すだけの材料は、今はまだ彼の手元にはない。
わかった事実は、彼女の出自のみ。クラウスの母親とアーデルハイドの父親が、いとこ同士であるということ。あとは、彼女自身がすでにパラダイン領の騎士として遇されていることか。
学院での彼女の足取りは、奇妙なほど掴むことができなかった。
シャルロットからの問いに、答えに詰まってしまったオットーは、苦し紛れに質問に質問で返した。
「気になりますか? 彼女のことが」
「ええ、気になりますね」
即答であった。
(もしかして、僕に対する揺さぶりは陽動で、本命はこっちだったのか?)
オットーは奇妙な思いに囚われた。比類なき美貌の持ち主が、一介の騎士の娘に執着しているように感じられたからだ。
彼は、自分に向けられた質問に答える前に、さらに問いを重ねた。
「珍しいですね。あなたがああいった無縁ともいえる人に興味を示すなんて。それだけのものを彼女は持っていると?」
「ええ、ただ者ではないと思っています。少なくともクラウス様の背後には、常に彼女の影が差していた。正直言ってとても恐ろしかったわ」
シャルロットは、オットーの前でほとんど見せたことのないような、神妙な顔でアーデルハイドに対する思いを吐露した。それだけのことで、オットーの警戒心は一気に決壊寸前にまで跳ね上がった。
(恐ろしい? 恐れているんですか、彼女のことを?)
意外な告白は、たしかに彼の意表をついたのだ。
「なぜ、いままで黙っていたんです?」
「むしろ、なぜだれも気付かなかったのか、そのほうが不思議なんです。私には、どこにでも彼女の目があるように感じていたというのに」
「そこまでですか!?」
「そうです。あなたは本当になにも感じていなかったの?」
「……認識不足だったことを告白しなければいけませんね。正直、そこまで気にしていませんでした」
「そう、あなたですらそうなのね……」
「申し訳ありません。オフィーリア様の動向にばかり気をとられて、そのほかに警戒を怠っていたかもしれません。配慮が足りず、汗顔の至りです」
オットーはもう一度頭を下げた。今度の謝罪は本心からのものであった。
注意深く行動していたつもりであったが、指の間からこぼれていた情報は少なくないのかもしれない。気を引き締めなおすにはいい教訓であろう。
もっとも、シャルロットのほうも確信が持てないでいたのか、多少の未練は感じさせたが、それ以上の追求はしてこなかった。
「あなたですらそうなら、わたしの勘違いだったのかも知れません。この話はこれで終わりにしましょう」
彼女は諦めたように肩をすくめ、話題を変えた。
「で、これからどうするつもりなの? このままオフィーリア様を追い落としてしまうの?」
「いえ、力関係ではあちらのほうが上。下手に動けばすぐに潰されてしまいます。今はあの女の取り巻きを盾代わりに力をつけるべき時かと」
「クラウス様の代わりというわけね」
「然様です。彼のお人はすでに骨抜き。矢避けの役には立たないでしょう。ならばこそ乗り換えには最適なタイミングでした。
――うわさなど無責任なもの。いくらでも対処のしようはあります。ですが、すぐに別の者との交際のうわさが公になれば、さすがにあなたに非難が向くでしょう。ほとぼりが冷めるまでの間、今しばらくは婚約者に捨てられた悲劇のヒロインを演じていてください」
「いいでしょう。欲しいものを手にするためには、しばらく大人しくしていることぐらい、わけはありません。あなたはその間に、あの女の悪評を用意しておくというわけですね」
「さすがですね。さすがは私がほれ込んだお姫様です。あなたの美貌ももちろん素晴らしいものですが、それ以上に、中身にこそ真の魅力が詰まっている。私を魅了して止まない魅力がね」
――愛憎の狭間で足掻く者たちが描き出す人間模様と、その果てに暴きだされる取り繕った体面の下に隠された人間の本性。
その様を間近で観察すること。
――それこそがオットーに極上の喜びをもたらしてくれるのだ。
そしてこのいかれた令嬢は、愛を得るためなら何を犠牲にすることもいとわないであろう。
たとえ賭けるものが自分の地位や命であっても……
シャルロットの望みをかなえることで沸き起こるだろうそれは、きっとこれまで感じたことのない快感を彼にもたらすに違いない。
だからこそこうして危険も顧みず彼女のために尽くすことも、苦に感じたことはない。それに値する感動が、その向こう側に待っているはずであろうから。
オットーの、そんな歪んだ性癖を知るのは、王太子ローデリヒと男爵令嬢シャルロットの二人のみであった。
それからいくつかの会話を交わし、オットーは長居することなくシャルロットの部屋を辞した。
一人残されたシャルロットは、それまでと違い、表情のない人形には戻らなかった。
彼女が思い描く幸せは、すぐ側まで近づいてきている。
これから起こるであろう出来事を想像し、薄闇の中、恍惚とした表情で声を立てずに笑い続けていた。
一方、自室に戻る途中、オットーはさきほど話題に上がった、アーデルハイドのことに思いをめぐらせていた。
「パラダイン辺境伯家の年若き女騎士、アーデルハイド・クロース……ですか」
あらためて声に出してみると、その響きには新鮮な芳香を漂わせているようであった。
今回の婚約破棄騒動とそれに連なる茶番劇で、彼女は主君であるパラダイン家の次期当主に、ぬぐい難い汚点をつけてしまった。
それは彼女自身の価値をも著しく貶めたことだろう。
(ですが、逆の見方をすれば、クラウス殿は自身の名誉を捨ててでも、彼女を選んだと取れなくもない……)
シャルロットの嗅覚がどの程度かはあてにできないとしても、少なくとも彼女の警笛を鳴らしたという事実だけは揺らがない。
気をつけておくことに越したことはなかろう。
――ただ、新鮮さを売りにする商品は、えてして腐りやすいものだ。
そして腐った果実というものは、それのみを廃棄するだけでは済まなくなる。
放置しておけば、やがて周囲をも巻き込んで、全体に甚大な被害をもたらすであろう。
(要は使い方次第ですね。手駒があらたに増えたと思うことにしますか……)
彼には、いまだこの状況を楽しむだけの余裕があった。
……それが無知のなせる業だと気付くのに、そう長い時間はかからなかった。




