足跡 その2
ローザンヌはミーアを膝の上に乗せてあやしながら馬車に揺られていた。ファグナリスはその様子を目を細めて見ていた。
「・・・まさかこんなに早く行くことになるなんて思いませんでした」
「ん?・・・ああ。それはそうだ。俺が行きたかったのはミエルハンスで、ベルゼアムと俺の軍の次の目的だからな」
ミエルハンス皇国は、テニキアス王国連合の首都であるテニキアス王国まで行く道を塞ぐ大国である。連合の序列第二位であるミエルハンス皇国をどうにかしなければ、その次の奴隷産地であるテニキアス王国連合首都に攻め入れない。迂回し、攻撃する手段もないこともないが、そうなればミエルハンス皇国は迷うことなく背後を攻撃してくるだろう。
それは、あまりにもよろしくない。ファグナリスとしても、これからの戦いでは最低限の戦列参加をしないつもりであるから、自分とローザンヌでミエルハンス皇国と事を構えようとは思っていない。無論、そのことはイグナスとベルゼアム女王に伝えてあるし、了承させた。イグナスはかなり不承不承という面持ちであったが。
それでも一応、軍部の代表(イグナスが強硬しただけで、本人の意思は介在しない)という地位を戴いているが、その仕事もほぼ放棄している。
ただ、何もしないものに飯を食わせるわけにはいかないし、かといって『英雄』殺しを放逐するわけにもいかない。そうなれば、滅ばされるのはどちらかベルゼアム女王は理解している。そもそも、ファグナリス個人に対して、思うところもあるので出来れば何もさせたくないというのがベルゼアム女王の本音だった。
そんな折、ファグナリスからの提案があった。
『これから所要でミエルハンス皇国に向かいたい。軍使として自分をミエルハンスに送っていただきたい』
と、いう言伝をベルゼアム女王に送った。
渡りに船、というのはこのことか!・・・と、ベルゼアム女王が叫んだのかはさておき。とりあえず、ファグナリスが軍使として出向くというのであれば、これ以上の適任者はいない。何せ、ミエルハンス皇国の現在の王はファグナリスの弟であるアベルで、もともとミエルハンス皇国はテニキアス王国連合と敵対していた国家である。
ベルゼアム女王とファグナリスが有利な条件を突きつけてやれば、容易く同盟もしくは不可侵条約を結ぶことが出来る可能性が高い、という寸法である。
と、いうことでファグナリスはさっさと荷物をまとめ、先に書状を持たせた使者が戻ってくるのを待って出立したのだった。
「返事、意外と早かったですね」
「だろうさ。ミエルハンスにとって、こっちは頭痛の種だ。いつ襲い来るかもしれない軍。それが利益を求めるような集団じゃなければ尚更だ。交渉の場を設けようにも誰とすべきなのか解からない。少なくとも俺が起きるまでは、な」
「軍の指揮権をイグナスに預けてますけど・・・大丈夫ですか?」
「ああ、あれでいいんだ。軍権は元々『英雄』を倒すために必要だっただけだけで、今はそこまで必要じゃない。今の立場も、本来ならいらないんだ。それに、イグナスの方が軍の指揮は上手い」
この四年間のイグナスの動きをマリウスに事細かに記録させていたのが功を奏した。イグナスの動きや指揮はファグナリスが予想していたよりも巧みになっており、人同士の戦いならほとんど負けなしである。そのせいか、ファグナリスの言葉を少しだけ逸脱し、中規模の国を二、三滅ぼしていた。損耗は軽微なものであったから良かったものの、敗退する可能性だってあったのだが。
「結果はそうですが」
「イグナスに刃向かうつもりはないよ、少なくとも今は。それに刃向かわれても別にいいんだ」
「・・・」
ファグナリスは笑顔をミーアだけに送り、優しい手つきでその頭を撫でる。
「今回、少し我慢してもらうだけで、その後は自由にさせるつもりだ。一応、俺にお伺いを立てないと戦えないと言うからな」
「・・・ミエルハンス皇国を滅ぼすつもりですか?」
「それを決めるのは、俺じゃない。俺は話し合いをしにいくだけ。その結果がどうなろうが、俺の知ったことじゃない。アベルが懸命な判断を下すだろうよ。相容れなければ戦争。それだけで、俺がそれに加担することはないよ」
「冷たいことです」
「・・・それはそうだ。実の弟じゃない。血の繋がりなんてない。なら、他人だろう? 今まで良くしてやっただけで充分だ。与えられるものは全て与えてきたつもりだし、これ以上与えられるものはない。俺にはもうないよ。・・・だから、そろそろ少しだけ返してもらうつもりだ」
「・・・何を?」
「あの国にいたとき、大事なものがあった。それだけあれば充分で、必要に駆られて与えられたものだったけれど、本当に大事だった。・・・奪われてしまったものを、取り返す。・・・奪われたもののことにアベルの責任はないが、あいつの持っているものだから、返してもらうんだよ」
そういうと、ファグナリスはミーアを抱き上げ、笑う少女を抱きしめた。しかし、それは、ただ自分の冷たく凝った瞳を見られたくなかっただけなのだと、ローザンヌは気付き、曖昧な笑みともいえない笑みを浮かべて押し黙った。




