引継
教皇に与えられた部屋でアメティスタは自身の分身とも言える剣を研いでいた。大陸のどこにも見られない製法で打たれた剣は、その美しく湾曲した刃を世界に曝し、僅かに彼の心に平穏を与えた。
唯一これだけが、アメティスタを世界に繋ぎ止める武器だった。
遥か昔、この大陸に渡る以前から彼を支えていた相棒。
その長い旅路の終わりと定めた場所が、危機に瀕している。
だが、アメティスタに焦りはなかった。焦燥に心身を焦がすような感情は磨耗して、消え失せていた。逆に称賛の感情があった。自分とは違うアプローチを仕掛けている人物がいることは、励みにすらなった。
そして、その人物に彼は心当たりがあった。
遥か昔。違う道へと進んでいった戦友・・・あの女に何もかも奪われた数少ない同胞にして同属。
彼のアプローチは、おそらく失敗するだろう。あの女がただ静かに傍観を決め込むわけがない。必ず途中で引っ掻き回しに介入してくるはずだ。あの女に愛されてしまった彼ならば尚更・・・
しかし、解っていても止められないことはある。今回のこともそのひとつであることを、アメティスタは重々承知していた。流されている血は膨大で、もはや取り返しがつかない。
上手く誘導されてしまった、としか言えない。少なからずあった火種に油を注がれてしまった。他を省みないからこそ取れる戦略だ。
「■■■」
アメティスタは自分を呼ぶ声の方に視線を向けた。そこには豪奢な衣装を身に纏った少女が、その瞳を諦念に燻らせて立っていた。・・・誰が信じようか。これが、教会を支配する教皇たるものの姿かと。
ここ三十年、姿を隠し続けている老齢に達しているはずの人物が、未だ即位当時の姿から変わっていないことを民が信じられるわけがない。他の英雄も信じなかった。あの引きこもり以外は。
・・・まぁ、あの引きこもりは既に五百年近く生きていたのだから、信じるとか信じないとか以前に、最初から知っていたのだが。
アメティスタも、既に七百年ほど命を繋いでいるわけだし。上手くすれば千年は生きられるかも知れないとも思っているが、そこまで生に執着しているわけでもなかった。ただ、アメティスタを殺せる人間がいなかっただけだ。
「どうかしたか?」
「あいつ、来るかな? 私たちを殺しに」
「・・・来る。・・・なんだ、怖くなったか?」
「別に。死ぬなんて今更だし。私は『私』に返るだけ・・・それだけでしかないもの。怖いことなんてひとつもない。・・・私だけのことなら」
「・・・なんだ。俺の心配か。・・・そこまで柔じゃないよ、・・・俺は」
英雄は正確には殺されているわけではないことは解っていたし、アメティスタとしては、既に充分過ぎるほど生きている。今更執着することなどなにもなかった。
心配すべき人間も、家族もいない。だから、彼には懸念がない。教会が滅びることに焦りはない。滅ぼされるのであれば、それで構わないと思っている。
何故なら、それは、今教会が持っている力を超えるということだから。望むべくことであり、それを強固に否定する理由もない。敗れた時は、『次』を彼が引き継ぐだけだ。
「また私を置いていくのね」
「・・・。昔は」
「・・・」
「どうしようもなかった。だが、今は必要なことだ」
「奪いに来たのが、あの女か、彼かの違いでしかないわ。・・・ねぇ、私たちは、抗うことすら赦されないの?」
「無抵抗に譲り渡すつもりはない。全力で抗って、敵わなかったら、諦めよう。ただ、それだけだ。別にあいつは、抗うなとは言ってないよ。俺も、ただで首を渡すつもりはない」
「・・・そう」
無表情のまま、小さく呟く教皇を横目で見据え、アメティスタは微笑を口元に浮かべた。そこに彼女の安堵を見たからだ。
「・・・安心したか?」
「ええ、割と」
「・・・俺は、必ず取り戻す。『本当』のお前と、お前の感情を」
女神に奪われた彼女の全てを、取り戻す。
それがアメティスタの願い。そして、『英雄』たち全てがかつて望んだ願い。皆は忘れていたが、アメティスタは覚えている。彼ほど鮮明ではないにしろ、その時の記憶が魂に刻み込まれている。それを幸運と捉えるか不幸と捉えるか・・・それはその人物によって変わることだろうが、少なくともアメティスタはそれを幸運と捉えていた。
少なくとも、そのおかげで不完全ながら、望んだ再会は果たされたのだから。




