幕間
英雄が打ち破られたことで、教会の威光は地に落ちたも同然となった。周辺諸国は、ファグナリスに親書を送ったが、それらをファグナリスは一瞥することすらせず、無慈悲に彼らを滅ぼし、奴隷を解放し凄まじい速度で進軍を押し進めた。それふはどこか焦りを含んでおり、ファグナリスの性急さに疑問を呈するものもいたが、それはあくまで一部に留まった。
その焦りの真実をローザンヌだけが理解していた。
「・・・また、寝てますね・・・」
野営の天幕を一人で使う、もしくはローザンヌと共有しているのだが、ファグナリスは引きこもっているときは大体深い眠りについている。それはともすれば、襲撃が起きても目覚めないような、死のような深い眠りだった。
簡易ベッドの傍らに腰掛け、苦悶に歪む寝顔を見据える。あどけなさは、もう見えない。それは苦痛に飲み込まれて、霧消している。ここ最近は穏やかな寝顔だとて目にすることはなかった。
彼の心が穏やかに凪いでいる時は、もはや訪れることはないのかもしれない。
戦いの勝利に歓喜出来ない理由は解っている。ファグナリスにとって、それが無意味なものだからだ。酒も煙草も・・・女も。ファグナリスの乾いた心を癒すことはなかった。
一年前のあの日、ファグナリスは大事な何かを置き去りにしてしまった。
「・・・幸せを求めても、いいんですよ?」
囁くように呟いた言葉にファグナリスは僅かに反応を見せ、薄く目蓋を開いた。
「・・・ローザンヌ・・・時間か?」
「いいえ。・・・ごめんなさい、起こしちゃいましたね」
「・・・いい。もう眠らない」
体を起こし、ファグナリスは億劫そうにベッドから降り、椅子に辛そうに腰掛けた。深いため息が彼の口から漏れだした。
「何か飲みますか?」
「その辺りに酒がなかったか?」
周囲に目をやると、飲み掛けの酒瓶が転がっていた。かなり度数の高い酒だったはずだ。それを拾い上げ、ファグナリスの目前に置いた。
「ああ、ありがとう」
ふたを開け、ファグナリスは一息に酒瓶の中身を飲み干した。酔った様子も見せず、彼は何もない天井を見上げた。
「身体は、どうですか?」
「良くないな。思ったより反動が強い。あと二ヶ月保つか保たないか解らない・・・」
「・・・っ」
英雄の力は強大である。ファグナリスの力はそれを自分のものにすることが出来るが、リスクがないわけではないのである。例えば、今、ファグナリスの身体を蝕んでいるのは、自身の力である。他者を奪い取るそれは英雄を取り込むことで肥大化し、彼自身の身体を『焼いて』いる。
今でも、ローザンヌの嗅覚には、ふとした拍子に肉の焼ける匂いが感じられた。
ファグナリスの身体はそれを自動的に回復させてしまうのだが、それがファグナリスを無限の苦痛に叩き込んでいる。
本来なら身体にゆっくりと馴染ませるべきなのだろうが、ファグナリスはその時間を惜しんだ。自身を省みない行動だったが、それを彼は是とした。結果としてファグナリスは、自身を危難に追い込んでいる。
「具申します。・・・進軍を止めるべきです。あなたが、死んでは、無意味です。何もかも意味がありません・・・」
「却下。今、ここで停滞したら、教会の力が戻ってしまう。今年中に決着をつけなきゃいけない」
「だからって、そんなに自分を省みなくても・・・」
「これぐらいでちょうどいいんだよ」
ファグナリスは曖昧な笑みを浮かべて、何かを吐き出すように言った。
しかし、それは同時に他者も省みない言葉だということにファグナリスは気付いていない。ローザンヌは、静かに歯噛みする。思えば昔からファグナリスは自分を大事にしなかった。生き残る、生き残りたいと言いながら、自分の命を棄てることを躊躇しなかった。
いったい彼は自分のことをどう思っているのだろう。
・・・少なくとも大事にはしていないのは確実だが。
「私は、よくないです」
「・・・・・・」
「私はっ。よくないです! 苦しむあなたを見たくないです! 悩むあなたを見たくないっ! なんでそう自分をいじめるんですか・・・? 被虐趣味なんですか?」
「・・・自分が嫌いなだけだよ。だから、苦しむなら『俺』なんだ。それだけだよ。少なくとも、俺だけのことなら」
ローザンヌを納得させるための言葉ではなかった。ただ、自分の中にある真実の一端を吐露しただけの、ほとんど無意味な言葉。
それにローザンヌは押し黙った。ファグナリスがこれ以上言葉を重ねる気がないのが解ったからだ。
だから。
ローザンヌはただ、ファグナリスの傍らに寄り添う。
そうすることしか出来ないから。
折り返しです。もうしばらくお付き合いください。
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