愛憎 その4
自分の周囲に敵はいないが味方もいなくなった。
その頃合を見図っていたように、イェルナは彼女たちに追いついた。
そこは、三方を崖に囲まれた袋小路だった。冷静なイェルナならば、そこに誘い込まれたことに気付いただろうが今の彼は常の彼ではなかった。目の前にいる彼女と、黒衣の男に気を取られ・・・否。最早、彼女たちのことしか眼中になかった。
だから、崖の上にいる弓兵や、出口を塞いでいる敵のことをきにかけることもしなかった。
愚かとは言うまい。
それだけイェルナは彼女のことを愛していた。ここに誘い込まれた時点で、気付いて然るべきことから目を逸らすことをするぐらいには。
「・・・イェルナ」
「お前、そこの男! 彼女から離れろっ!」
「・・・ああ、いいよ」
黒衣の男はあっさりと彼女から離れ、土壁に背を預けるようにして立った。黒衣の男は武器を持つことすらしておらず、脅威にも感じなかったから、そのまま捨て置き、イェルナは彼女の元まで駆け寄った。
「怪我はないかっ? なんでこんなところにっ!」
「イェルナ」
「なんだい?」
「諦めて」
腹部に冷たいものが突き込まれた。それは、すぐに熱を帯び、濡れたような感触に変わり、ゆっくりと布地に広がっていった。それが解かった。彼女はゆっくりと黒衣の男に向かって後退していく。その手には、刀身を赤く染めたイェルナの家に伝わる短剣が握られていた。
「・・・み、ミリア・・・」
「構え」
「ミリア、ミリアっ!」
「放て」
矢の雨がイェルナに降り注ぐ。
それを剣で払い除ける。イェルナにとって怪我をしていても、それら全てを打ち払うことは難しいことではない。遊びと変わらない調子で行えることが、今ではできない。イェルナの心は乱れきっていた。
彼女が、ミリアが自分を刺したこと。自分ではなく黒衣の男の傍で静かに倒れ行くであろう自分を眺めていること。彼女が黒衣の男に信頼を、自分に向けられていた以上のものを向けていること。それら全てがイェルナの心を叩き潰した。
いくつもの矢が体に潜り込んでくる。痛みは不思議なほど感じなかった。
「ごほ、ごほっ! ミリア、ミリア、なぜ・・・何故なんだ!」
「・・・薬は利いてるみたいだな」
「うん。実験は成功。・・・あの子の罪が、これで確定したわ」
イェルナの言葉に、ミリアは答えない。血を吐くイェルナを見ることもしない。ただ、黒衣の男だけが冷徹にイェルナを見据えていた。
「お前が、お前が何かしたのか!? ミリアに何をしたぁああああああ!」
「何もしてないさ」
槍兵の群れが弾かれたように現れ、イェルナの背中に向かって槍を突き出した。それらを捌き、反撃を加える段になり、イェルナは咳き込み剣を取り落とした。
「俺はミリアに何もしていない。されたのは、な。お前だよ、イェルナ」
「・・・っ」
膝や足を中心に槍の穂先が突き入れられ、イェルナは苦悶の呻きを漏らした。
「愛情が深いのも惚れっぽいのも・・・俺は嫌いじゃないよ。だが、それが自分の首を絞めたんだ。お前、ミリアに薬を盛られていたのに気付かなかったのか? いつまでも体調が悪いままなのをおかしいとは思わなかったのか?・・・俺は、それに気付かなかったことを馬鹿にすることは出来ない。俺も、そうだったから。だから、同情する。愛した人に裏切られるのは、辛いよな・・・」
「ミリア、ミリアぁ・・・なんで、なんでだ・・・なんで・・・」
「ミリアを恨まないでくれ。俺が指示したことなんだ」
「・・・」
「この状況を作り出せたのは、本当に偶然だ。まさかミリアがお前に見初められるとは思わなかった。お前の目は素晴らしい。ミリアは良い女だよ。・・・もし、お前が常人だったなら、祝福だってした。こうやって巻き込むこともしなかった。お前の不幸はお前が『英雄』であったこと。ただ、それ一点だ」
降り注ぐ槍の刃を膝立ちの体勢のまま捌き続けるイェルナに、賞賛を送りながら黒衣の男・ファグナリスは崖の上から落とされた剣を取り、静かに抜いた。その瞬間、イェルナの感覚は最大限の警鐘を鳴らし、その意識をファグナリスに向けてしまった。
その一瞬が、イェルナの命を断った。いくつもの穂先が体を貫き、血飛沫を上げた。
歓声が上がる。
『英雄』を常人が仕留めたという興奮と歓喜がそれを彼らに強制した。多量の血を流しながら、地面に倒れ付したイェルナ、薄れ行く意識の中でファグナリスの接近に気付いた。一矢報いたい気持ちがないわけではなかったが、体に力が入らない以上、諦めるしかなかった。
「存分に恨んでくれていい。その方が遣り甲斐が出る」
漆黒の剣が体の中に埋め込まれる。それを最後の知覚とし、イェルナは意識を手放した。
イェルナの体が燃え尽くされたように消え失せたところで、ミリアはイェルナの体があった場所に跪き静かに目を閉じた。
「・・・ごめん、ミリア」
「何で謝るの? その必要はないわ。私は、私の仕事を果たしただけだし、ファグナリスは何も悪くない。この結末は私の意志だもの」
「・・・そうか」
「だから、謝らないで。気にしないで。・・・謝るのは私の方なんだから」
「・・・?」
「また無駄な重荷を増やしちゃった。ごめんなさい」
「・・・ミリアの言葉、そのままそっくり返すよ」
「・・・うん」
立ち上がり、ミリアは静かにファグナリスの背を押して、ゆっくりとその場を離れた。歓呼の声が聞こえる中を、逃げるように顔を伏せて。




