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黒焔 その5

長い夢から覚めたファグナリスはふらふらと覚束無い足取りで、王都とは違う方向に向かった。その方向には、今の我が家があった。自分が非常に曖昧な状況で、自分というものを取り戻すために、ファグナリスは歩いた。そこには家族がいる。王都で起こっていることとは関係ない、家族がいる。それだけが今、ファグナリスが縋ることの出来るものだったからだ。

足取りは徐々に速くなり、それが歩みとは言えなくなり、馬の速度を越え、明け方に近付くころファグナリスはようやく我が家に辿り着いた。

王都にいるアベルのことなど忘れたまま、ファグナリスは屋敷の門を潜った。

屋敷は異常なほど慌ただしかった。

「・・・何が」

「っ!? ファグナリス様!」

「どうした、何があった」

痛む頭を抑えながら、ファグナリスは侍女に問いかけた。侍女は、事情を知らないファグナリスに疑問符を浮かべた。

「知らせを聞かれたのではないのですか?」

「いや・・・どうしたんだ。何があった」

「・・・奥様の容態が・・・」

「・・・っ!」

ファグナリスはリーゼリアの寝室に向かって駆け出した。後ろで侍女が何か叫んでいたようだったが、何を言っているか聞こえなかった。

「兄様・・・」

「アリシャ! 何があったんだっ!」

妹の肩を掴み、詰問するように問いかける。アリシャの顔には苦渋が浮かんでいた。

「・・・兄様が出て行ったあと、陣痛が始まったの」

「それで?」

「今の義姉様の体調で出産は、無理。負担が大きすぎるし、何より、まだ時期が・・・」

「くっ!」

アリシャを退けて部屋に入ろうとするファグナリスをアリシャは飛びつくように止めた。

「だめ、兄様、だめっ!」

「何でだ!?」

「兄様、自分の今の格好を考えて! そんな汚れた姿で入ったら、どんな影響が出るか解からないんだよ!? 今は、落ち着いて。お願い。落ち着いて、着替えて。冷静になって、またここに来て」

「・・・・・・解かった」

大きく息を吐き出し、ファグナリスはふらつきながら自室に戻り着替えた。そのさなか、ミリアがドアを開けて入ってきた。

「ファグナリス・・・話は聞いた?」

「・・・アリシャから、多少、ね」

「そう・・・覚悟、ある?」

「・・・そういう言い方するってことは・・・は、そういうことか」

「・・・ファグナリス」

「一人にしてくれ」

力なく呟いた言葉に、ミリアは従い静かに部屋から出て行った。ファグナリスは、無様に椅子に腰を下ろし、深々とため息をついた。

手のひらから、砂が零れ落ちるように何もかもが抜け落ちていくようだった。


二時間後、ファグナリスはミリアに呼び出された。彼女は何も言わなかったが、それの意味することをファグナリスは察した。

幽鬼のような足取りで進むとアリシャの姿を見かけたが、彼女は声をかけてくることはなかった。ローザンヌの姿は見えない。

扉の前に医師がいた。彼は、無言で首を左右に振った。

「お子様も・・・」

「解かった。ありがとう」

ミリアに医師に御礼をし、お帰りいただくよう言いつけた。

「誰も入るな」

それだけ言って、ファグナリスはリーゼリアの寝室に入った。浅い呼吸を繰り返すリーゼリアがベッドに横たわっており、顔色は土気色に染まっていた。言われなくとも、素人であっても彼女の命が燃え尽きる寸前だということが解かる。

それでもファグナリスの姿を見たリーゼリアは健気にも微笑んだ。

「ああ、あなた」

「・・・よくがんばったな、リーゼ」

微笑んで、彼女の頬をそっと撫でる。

「はい。・・・あの、今まで眠っていたせいで、私、赤ちゃんを見てないの。男の子だった? 女の子だった?」

「元気な男の子だったよ。立派な、跡継ぎだ」

「そう。よかった・・・」

安堵するように、息を吐いて、一度だけファグナリスを見て、リーゼリアは目を閉じた。

「・・・ごめん。リーゼ。俺は、君を幸せにすることは出来なかったね」

彼女の人生を思う。

その僅かな思考に意味がないことは理解しているし、これからどうこう出来るとも思っていない。だからこれは、独りよがりだ。失った者に対する、僅かな悔恨。ただ、後悔の置き場所を探っているだけ。無駄だ。だが、そうせざるを得なかった。それぐらいしか、出来ることがない。

「・・・ままならないな」

戦争をしている方がまだ気楽というものだ。

「もういい。考えるのはやめだ」

疲れた。

一言小さく呟く。

「ああ、いいよ。お前が、そうしたいなら、してやる。こんな世界、焼き払ってやる。お前の作った世界なんてもういらん」

リーゼリアの体を燃やす。灰すら残すつもりはない。その存在の全てを飲み込む。彼女の生きた証を全て奪い取る、なんと罪深いことだろう。懺悔する神はいない。懺悔も後悔も悲しみも神に渡すつもりはない。だから、飲み込む。全てを腹の底に押し込む。

「・・・ファグナリス?」

部屋に入ってきたミリアが周囲を見回し、ベッドの上にリーゼリアの姿が見えないことに困惑の表情を浮かべた。

「・・・」

ファグナリスはミリアの問いに答えることなく、しっかりとした足取りで外に出た。その姿を見送り、ふと目に付いた、アリシャがリーゼリアに与えていた薬包をなんとなくエプロンのポケットに入れて、ミリアは部屋を出た。


アベルがミエルハンス皇国の王に即位し、薄くなっていた教会との繋がりを絶ち、テニキアス王国連合に参加することを表明した。幾つかの領土は割譲されたが国としての体面と、力をほぼ保持することに成功し、ミエルハンス皇国はテニキアス王国連合の序列二位となった。

こうして、十年近く続いたテニキアス王国連合とミエルハンス皇国の戦争は事実上終結した。

ファグナリスはアベルに自分の領地に絶対に手出しをしないことを、内密に約束させ、行方を晦ませた。領主代行としマリウスが土地の管理をすることになった。ローザンヌもファグナリスの後を追うように姿を消した。

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