エピローグ 近くて遠い世界の一幕
【2060年6月21日】
東京。警察庁長官室にて。
日本警察のトップ、警察庁長官の新田竜玄は、部屋に掲げられている日本国の国旗を眺めていた。
国家の安寧と市民の安心安全を守る警察官――――――その責務が、国旗を見ていると非常に重くのしかかってくるようだった。我々の責務は、国家の礎を築くものでもあるのだと。そう告げられているように。
新田は自ら呼び出した人物を待っていた。そして今から話すことが、非常に重要な案件であることを改めて認識する。
「責任感など、とうになくなったと思っていたが」
新田は背後の応接席にいた女性に微笑みかけた。
「申し訳ありませんね鵯さん。ご足労いただきまして」
「いえ、とんでもないです。わざわざ長官室にお招きいただきありがとうございます」
呼び出した人物よりも先に来ていたスーツ姿の美しい女性は、緊張した面持ちで椅子に腰かけている。
女性が出された煎茶を飲んでいると、部屋の扉が三回ノックされた。
「入りたまえ」
「失礼します」
扉を開け、中に入ってきたのは、メガネをかけた若い男だった。
端正な顔立ちでグレーのスーツをしっかり着こなしているが、表情には緊張の色が目立つ。
「突然呼びつけてすまないね、馬崎係長」
「いえ。ちょうど事務作業が終わったところでしたので。どうせ今は誰もオフィスにいませんし」
「皆、現場に出ているのかね」
「はい。最近発生した〈廃棄物の傀異〉に少々手こずっていまして……」
「そうか。特命係の皆には、苦労をかけるね」
馬崎と呼ばれた男はぎこちなく笑うと、先に来ていた女性を見てネクタイの位置を直す。
「おや……とてもお美しい方がいらっしゃっているようですが」
「初めまして馬崎係長。ご活躍等々は長官から聞いております」
「嬉しいですね。こんな綺麗な方に知られているなんて。一体どのようなお話だったんでしょう」
「優秀なのに、女性に弱いところがある、と話しておいたよ」
「……こりゃあ手厳しい」
新田長官は、苦い顔をした馬崎に着席を促すと、自らも馬崎の隣に座った。右側だけ長い白髪交じりの髪を揺らし、切れ長の目をより細める。
女性は合図とみて、名刺を取り出し、馬崎に手渡す。
「私は、公安調査庁調査第一部、特別調査係長の鵯と申します。今回、一般的には認知されることのない特殊な案件について、ご相談させていただこうと思って参りました」
「……公調の方が、私に何のお話でしょうか」
馬崎はここにきて苦い顔つきになる。
公安調査庁は、破壊活動防止法等に基づき、破壊的団体に関する情報の調査、事務的な活動を行う組織――――――となっているはずだ。
警察と密接な情報網を築いていることは知っていたが、なぜ公安ではなく、特命係が呼び出されたのか。
「先ほど、一般的には認知されない件と申し上げましたが、私が所属している特別調査係というのは、その、窓際部署でして」
「はい?」
「鵯さん。謙遜はしなくても良いよ。君たちは大変優秀な職員で構成されていると聞いています」
「申し訳ありません……公になっていない、といいますか、公になっては問題になる事案を取り扱う部署でして」
それを聞いた馬崎は、思わず破顔してしまった。
「何だ。そういうことでしたか。それならば私共と同じですね」
新田長官は腕を組み、静謐な雰囲気のまま馬崎を見る。
「馬崎係長。君も知っての通り、我々警察や公調は、日本国政府の機関だ。一般的には表社会の秩序を守るために存在していて、裏社会とはこれまで一線を画してきた。しかし、事案によっては表社会にも強い影響がある場合、裏社会に強く干渉する必要性も出てくる。そのための特命係だね?」
「……はい。承知しています」
「どうか鵯さんの話を聞いて欲しい」
馬崎が頷くと、鵯はカバンの中から資料を取り出し、馬崎の前に広げる。
「単刀直入に申し上げますが、現在私たちが追っている団体があります」
――――――世界的財団組織。日本での活動名は〈光神会〉。
馬崎も聞いたことのある有名な財団だった。
貧困者支援、紛争地域への医療支援、貧困者や孤児を対象とした世界的な教育関連支援等、人権に関する取り組みを行っている宗教組織を母体とした財団だったと記憶している。
資料には、そういった活動内容や構成員等の子細な内容が示されていた。
「確か、一昨年の世界平和賞受賞者ですよね? 紛争地域における平和活動を世界的に推進したとか。まあ世界平和賞など、廃れて久しいものですが」
「はい。彼らは世界中で、その国に適した形で活動しています。正直、我が国ではあまり知られていませんが、水面下で市井に影響力を持っている団体です」
馬崎はパラパラとページをめくる。眩しいほど人々のために活動している実績がよくわかるが、それを見るたびに違和感が募る。
「それで、この〈光神会〉が公調の網に引っ掛かるようなあくどい団体だと仰るんですか?」
「……申し上げると、大変ショッキングな内容です」
鵯の言葉に、馬崎のページをめくる手が止まる。
「〈光神会〉は、世界的人身売買に関わっている可能性があります」
「……冗談でしょう」
〈光神会〉は、日本では真っ当な宗教法人として活動していた。資料を見ると、かなり活動的な宗教組織であることがよくわかる。メディアへの露出や行政との協働、身近な福祉支援活動などを行いながら着々と支援者を増やしているらしい。信者ではなく、支援者としているところが、彼らの在り方を示しているようだった。
「のめり込むタイプのカルト宗教ではないんじゃないですか? 古来の赤い団体でもないようですし。日本にクリスマスや初詣が混在しているように、占い程度の緩い結合であるなら、支援者が増えても問題がないように感じますが」
「私も同意見でした。しかし……こちらをご覧ください」
鵯は別紙を馬崎に手渡すと、口元を押さえた。
「これは……東南アジアからの密入船摘発事件の詳細です。二か月前、大阪湾に停滞していた不審船を警視庁公安部外事第二課が取り締まったところ……中から人間の心臓が大量に発見されたんです。数は、ざっと五万個程度。一つ一つが特殊な容器に入れられ、密輸されようとしていました」
「う、うわぁ……」
馬崎は資料に付けられていた人の心臓の写真を見て、ハンカチで口元を押さえた。
「目的も、取引先もすべて不明でした。ですが、外務省や警備局外事課との共同調査の結果、輸出したのが〈光神会〉の息がかかった世界的貿易商社、〈厳島商事〉であると判明して、摘発に乗り出したのですが……」
鵯は言葉を詰まらせ、新田長官を一瞥する。
「うちの外事課と捜査協力をしてもらっていた大阪府警の公安の捜査官が、複数名失踪したんだよ。〈厳島商事〉の拠点とともに、忽然とね」
「……」
馬崎は資料に書かれていた失踪者の一覧と貿易商社の関係者を交互に見遣ると、顎に触れる。双方に大きく、行方不明、とだけ書かれている。
「一切の証拠を残さない手口に、拠点を即解体して見せたことから、裏社会が大きく関わっているのだと見て、警察は手を引かざるを得なかったんだよ。この時はね」
「ちょ、ちょっと待ってください長官。ならどうして私を呼んだんですか? 我々特命係の仕事は、傀異を取り締まることです。外事課が手を打てないなら、想術師協会に捜査権を移譲すべきではありませんか? 裏社会のことは当然存じ上げていますが、一般人相手ならば特命係の仕事ではないはずです」
「一理ある。実際に我々は一度手を引いたんだよ。当然、想術師協会にも相談して、大量の心臓を鑑定ののち、引き取ってもらったんだ。でもそこで、雲行きが怪しくなってきた」
馬崎は、心臓の鑑定結果と書かれた紙に目を通す。
そこには、傀朧と呼ばれる物質の解析データが乗っており、そのどれもが、並みの傀異を凌駕する質を秘めていた。
伝承レベルと呼ばれる傀朧の質を表す単位が、〈レベルⅤ〉。つまり最高の数値を叩きだしている。
人間の心臓に、これほどの質の傀朧が含まれているのは、明らかに異常なことだった。
「これは……」
「私たちは事件の結果を踏まえて、新田長官より調査依頼を受けて活動しておりました。公安調査庁の秘密の情報網……私たちは想術師協会も秘密裏に監視しておりまして……と言いますか、その方がメインの仕事とも言えるのですが、その調査に使うラインで彼らの捜査記録を閲覧したところ、心臓が密輸された事実ごと抹消されていました」
「つまり、想術師協会がこの事件を黙認していることがわかる。首謀者である可能性さえあるということだ」
「……はあ。あの連中め」
馬崎は愕然と肩を落とす。大きな陰謀の絡んだ、嫌な予感しかしない。それに、捜査官が失踪した以上、頼りになるのは同じ日陰者である、特命係しかいないと考えるのも自然だった。
「心臓の持ち主は、七歳から十六歳程度の子どもであったと聞いています。こんな悍ましいことはない……我々も協力を惜しみません。どうか指揮を執っていただけないでしょうか」
「頼まれてくれないか、馬崎係長。〈光神会〉を秘密裏に調査し、心臓の行方を突き止めて欲しい」
新田長官と鵯に頭を下げられた馬崎は、資料をまとめて立ち上がる。
「……長官。一つだけ聞いてもよろしいですか?」
「何でも聞いてくれたまえ」
「極めて個人的な話なのですが、心臓を見て、少し思い出してしまいまして」
馬崎は新田長官の目を見つめる。
「この事件を特命係……いや、私に託していただいたのは、何か別の理由があるのでしょうか?」
その質問に、新田長官は馬崎の目を見つめ返して答える。
「それを含めて、君たちにしか頼めないからだよ」
馬崎はにっこり笑うと、力強く宣言する。
「お任せください。必ず、心臓の行方を突き止めてみせます」
長官室を出ていく馬崎の瞳は、静かな怒りに燃えていた。
馬崎の意識に思い起こされたのは――――――八年前の、ある事件。
長官室を出た馬崎は、廊下の突き当たりの壁に背を付ける。
「……人身御供連続殺人事件」
馬崎の脳裏に、苦い記憶が蘇ってくる。
警察庁に入庁後、現場研修を兼ねて配属された最初の部署。そこで直面した、未解決事件だった。
エピローグは、まさかの特命係が絡んでくるというサプライズ投稿でした(笑)
「エボルブルスの瞳」は今年で投稿から五年を迎える節目です。普段は揺井さんが書いているところを、私が書くのはちょい不安ですが(ヘタクソな二次創作にならないように頑張らなけれならない)頑張って書いていこうと思っております!
今後、どのような形になるかはわかりませんが、がっつりと特命係が動く話を書こうと思っておりますので、末永くお待ちください。
さて、第七章は幕間的な意味の強い章でした。石川先生という精神的支柱を失った昂大くんたちは、今後どのような学園生活を送ることになるのかご注目ください。
ちなみに馬崎さんが体験した苦い記憶――入庁すぐに起こった未解決事件については、次章でスポットが当たります。
今後、どのように特命係が本作と絡んでくるのかについても、エボを読んでいただいたことがある方はお楽しみに!
まだ読んでいない方はぜひ、「エボルブルスの瞳」もよろしくお願いします。
2026/10/6 くろ飛行機




