12 責任
夜のボロアパートに来訪者が現れる。
掠れたチャイムの音で扉を開けた昂大は、酷い顔つきで来客を迎えた。
「うっわ……これは重症ね。失恋でもした?」
「……してない」
げっそりとした顔の昂大に苦笑いした美樹は、そろりと部屋に上がる。その後ろで、顔に不快を張り付けた石川がため息を吐いて続いた。
「ふん。顔が貧相すぎて、こっちにまで辛気臭さが移りそうなんだが」
「……すいません」
石川は渋々昂大の部屋に入ると、扉に背を付けて腕を組む。
「話って……まあ、何となくわかるけど」
「……」
「貧相なツラはもういい。そんな顔でいられたら気分が悪い。せめて笑え」
「……すいません」
「こりゃだめだ。雅治、昂大のメンタルに塩を塗らずに黙っててね」
美樹は、駅前のシャトマーレというケーキ屋で買ってきたショートケーキを机に並べた。
「ほらほら。これ食べて元気出しな」
「……うん」
美樹はケーキを折り畳み机に広げながら質問する。
「で、何があったの?」
昂大は学校で起こったことを断片的に説明する。
雪が来た途端、クラス中が雪のことばかり見るようになり、全校生徒が雪のことを偶像のように祀り上げ――――――殺されかけたり、裸にされたり。
それに、臨起という不思議な力のことも――――――あれは一体何なのだろうか。
とはいえ、雪に操られかけたことは黙っておくことにした。あの時見せた雪の涙を、あまり思い出したくなかった。
昂大の話を一通り聞いた美樹は、ケーキに向かってため息を吐いた。
「なんか、本当によくわかんなかった。なに考えてるのかも、なに抱えてるのかも」
美樹は扉の前にいる石川を一瞥する。
「僕は指示してないぞ」
「うん。貴方が昂大をいじめたいなら、人を使ったりしないだろうし」
「なんのことだ?」
美樹は暗に爆弾騒動のことを皮肉ったのだが、石川はそっぽ向いて追及を躱す。
「あのさ、臨起ってなんだよ。雪は、おれが目覚めてないとかなんとか言ってたけど」
美樹は一瞬、言いよどんだ後に、ゆっくりと言葉を吐きだす。
「……裏社会にいるとさ、不思議な力を使う者の話とか、化け物の話とか聞いたことあるでしょ」
――――――この世の中には、不思議な力を使い、目に見えない化け物を祓う、不思議な存在がいると聞いたことがある。
裏社会の噂、都市伝説のようなものだと思っていた。それを美樹が口にすること自体、大きな違和感だった。
「臨起っていうのは、簡単に言うと不思議な力を使うことができるようになるってことかな……特別な力に目覚めたって思ってくれたらいいと思う。臨起は、人の欲望とか願いとか、そんな意思に深く影響されるんだって」
青黒い液体が身体に流れ込んできたことを思い出して、昂大は苦い顔した。
熱くて、心臓が動いて、意識に雪の存在だけがこびりつく、あの気持ち悪い感覚―――。
あの時昂大は、雪のことを不自然なほど好きになっていた。
「お前の話が本当なら、臨起の力を使って学生たちを操ったのは罰さなければならない。仕事の妨害でしかない上、一般人を巻き込むことは吉凶の掟にも反している」
「罰するって……」
「雪のしたことに関しては、とりあえず後回しにしましょう。雪の任務の話は聞いた?」
「え……うん。そこから変な流れになったし」
「内容は暗殺。対象は理科担当教師一名」
「誰だよ」
「理科担当教師なら、誰でもいいの」
昂大は目を細め、美樹を睨みつけた。
「誰でもいいって……そんな」
「だから多分、手っ取り早く済ませるために臨起の力で教師をあぶり出そうとしたんじゃないかな。その過程で、色々考えちゃって、昂大のこと意識しちゃって、こうなった」
「ほんとに……意味わかんねえよ」
「うん。多分、私が説明するよりも、あの子ともう一度話した方が良いと思うな」
「……無理だって」
昂大は机に並ぶケーキを見つめると、喉を鳴らす。
しかし、なんだか食べる気が起こらなかった。
「仲良くできるかもって……最初は思ってた。でも無理だ。おれも、あいつも、お互いのこと嫌いなんじゃないかなって思っちゃった」
「どうしてそう思うの」
――――――訳のわからない力で生徒たちを操り、争わせた。
――――――訳のわからない力で自分を操り、酷い命令を下した。
思い出せば思い出すほど、強い不快感が込み上げてくる。どんな事情があれ、常軌を逸していると思った。
何も言わずに押し黙る昂大を見て、美樹は小さく付け加える。
「あの子はね、昂大と同じような境遇の子なのよ。親も兄弟もいない。家族に捨てられた……そんな過去がある」
「……」
「今回の雪のよくわからない言動は、過去と臨起が原因なんじゃないかな」
美樹は自分用に買った苺タルトにフォークを入れた。
「あの子はね、七歳の時、母親に捨てられたの。母親は雪に、必ず戻ってくるからと嘘を吐いて、若い男と駆け落ちした。
その時は真冬だった。暖房の切れた家に一人、雪は五日も放置された。極寒と飢餓の中、助かったのは奇跡だった。その時に生死の境をさまよったことが、あの子の心に深い傷をつけてしまった」
美樹はフォークで大きな苺を刺した。勢いよく刺したので、果汁が苺から滴れ、タルト生地に落ちる。
「嘘を吐かれることは、あの子にとって耐えがたいことなの。もう二度と見捨てられたくないから、相手に嘘を吐かれていないか怖くてたまらない。あの子は人の心を支配してまで、安心を求めている」
「……」
雪の言動を振り返ると、思い当たる節がいくつかあった。
人を殺すことが嫌だと言った。本当はしたくないのだと。それを代わりに自分がやることが、雪の求めていたことなのだろうか。
なぜ吉凶にいるのかと問われた。何のために人を殺しているのかと。
――――――君は人を殺すことに、責任を持たないつもり!?
心臓が強く跳ねた。
これまで考えたこともなかった。自分の存在理由とか、存在価値とか、そんなものはすべて、自分を救ってくれた万屋と吉凶のためにあると思っていた。
でも、雪は違ったのだ。
一人でずっと、人を殺すという罪の重さを背負い、人を殺し続けていた。
「……いや、違う。雪は、臨起の力が嫌いなんじゃないかな」
「嫌い?」
「気持ち悪い力って言ってたし。それを見せてやるって」
「……なるほどね。雪は承認欲求の強い子よ。臨起の力を使ったのは、あなたに力を見せつけたかったからなのかもしれない」
昂大は、思い切ってケーキにかぶりつく。
甘いクリームが口の中で溶け、頬の奥が刺激される。
だが、あまりおいしいと思えなかった。
――――――初めて会った時に見た、雪の笑顔。
心が跳ねた。心の底から、可愛いと思った。あれも偽物だったのだろうか。
どうしても、そう思えなかった。
――――――雪は、人を殺したくないのに殺している。吉凶で一番多く、人を殺している。
自分は万屋の指示に従って、人を殺している。殺したくないなど、考えたこともなかった。それが当たり前であり、日常の一部だった。でも、万屋の指示がない人殺しは考えられない。絶対に、したくないと思った。絶対にしたくないと思うことをする苦痛は計り知れない。
――――――それなら、雪は。
「……だめだ」
「ケーキ、美味しくなかった?」
「石川さん。雪はいつ殺すんですか」
「今夜だと言っていたな。さっき報告してきた」
昂大は突然立ち上がると、後先考えずにアパートを飛び出した。
突然の行動に、美樹は手を伸ばして叫ぶ。
「ちょ、昂大!?」
美樹は昂大を追おうとしたが、アパートを出たところで、風のように走り去った昂大を見失う。
「……雅治、追いかけてよ」
「ほっとけ」
石川は呆れかえり、昂大の向かった方向とは逆の方向へ立ち去っていく。
「待ってよ。本当に大丈夫なの?」
「僕にわかるわけないだろう。人の心など、誰にもわからない」
「でもそれで二人が傷つけあったら、どうすんのよ……」
石川は美樹の方へ振り返り、小さく零す。
「傷つけあう運命にあるのかもしれない。はたまた心の距離が一気に縮まることもあるかもな。臨起に適合するということは、そういうことなんだよ」
「何それ、珍しっ。詩人みたいじゃん」
美樹は寂しげに笑った石川が、どこか遠くへ消えてしまうような気がした。




