7 願いの地平線
その日の夕方。昂大は部活が終わると、吉凶で使用している携帯端末を使って雪にメッセージを送り、どこにいるかを訪ねた。
返信はすぐに返って来た。校舎南棟の屋上にいるとのことだった。
昂大は屋上と聞いて、不安がよぎる。
とはいえ、この異変を確かめずにはいられない――――――。
屋上の扉を開けると、雪が手すりにもたれかかり、グラウンドを眺めていた。
昂大に気づいた雪は、ぱあっと明るい笑みを向けてくる。
「昂大くん。練習終わったの?」
「う、うん。早めに抜けて来た」
美しい薄桃色の双眸が、昂大の心を撫でる。
可憐で美しい少女を前に、再び心臓が高鳴るのを感じた。ゆっくりと雪の近くまで歩み寄ると、言いにくそうに質問する。
「な、なあ雪。君は週明けに来たばっかだよな?」
「うん。そうだよ」
「なんか、変なんだ。先輩たち、雪のことすごい知ってて。部活中にそれとなく二年の先輩にも聞いてみたけど、みんな君のこと知ってた。それに、口をそろえて言うんだ。なんて可愛い子なんだって」
雪はそれを聞くと、エメラルドグリーンに輝く水平線を凝視する。
「おれ、先輩に殴られたんだぜ。この間、君と昼ごはんを食べてるとこ見られただけで……」
雪は目を開き、昂大を心配そうに見つめる。
「そんな……大丈夫? 怪我してない?」
「うん。全然大丈夫だよ」
昂大はへらりと笑ってみせる。
本当はかなりの力で何度も蹴られたので、まだかなり痛んでいた。おそらくアンダーシャツの下に打撲痕ができているだろう。
「……ごめんね。私のせいだ」
「なんで雪が謝るんだよ」
「だって、私のことで昂大くんが怒られたんでしょ?」
雪の表情が、憂いの色に染まる。
「……私ね、殺しの任務を遂行中なの。期限は今週末まで」
「えっ。それって誰を……」
雪はそっと、昂大に体を預けた。
雪の体が昂大の体に触れ、服の上からぬくもりが伝わってくる。
深く吐き出された甘い吐息――――――昂大は腕のやり場に困って手を背後に回す。
「……昂大くん。私、本当は嫌なんだ。人を殺すこと」
雪は昂大の肩に頭をつけ、上目遣いで顔を見つめると、震える声でそう言った。
昂大は不意に、美樹の言っていたことを思い出す。
――――――吉凶の中で、最も人を殺した女の子。
「ずっと、嫌で嫌でたまらなかった。でも私には才能があるんだって。すごいんだって。よくやったって、殺したら認めてくれる。だからずっと、我慢して殺してきた。何人も、何人も」
雪は、ゆっくりと昂大から離れる。肩が僅かに震えていた。
温かい熱が離れ、代わりに夜風が二人の間に流れていく。雪の言葉に、昂大の心は震えていた。
「おれに何かできる? 君の力になりたい」
「えっ」
「殺したくないなら、殺さなくてもいい。やりたくないことは、やらなくてもいいんじゃないかな?」
「でも……」
真剣な眼差しで雪を見つめると、両手で肩を掴む。昂大はこの少女を助けたいと強く思っていた。
雪の震えが止まり、薄桃色の双眸が光を取り戻していく。
雪は、昂大の顔に向けて右手を伸ばす――――――ハッと我に返り、ぎゅっと手を握ると、昂大から目を背けた。
「だめだよ。これは私の仕事なんだ。途中で投げ出したりできない」
「いや、きっと何か良い方法が……」
雪は考える昂大に、小さく願いを告げる。
「じゃあ……代わりに、君が殺してくれる?」
「……ぇ」
――――――昂大は硬直する。
それはとても簡単なことだった。昂大が雪の代わりに仕事をすれば、問題は解決する。雪を傷つけず、確実な方法で事態を解決するには、それが一番だった。
わかっているのに――――――昂大は首を縦に振れなかった。
「ね、お願い。昂大くん」
「あ……いや……」
昂大に迫る雪の表情は、期待に溢れていた。
緊張が最高潮に達した時、昂大の口から漏れたのは、雪の求める答えではなかった。
「万屋さんに……聞いてみるよ」
その言葉に――――――雪は昂大から距離を取った。
「はは。ははは」
雪は頭を抱えると、口角を上げて笑う。
そして、冷たく笑い終えると、別人のように昂大を睨みつけた。
「そうだよね。私、勘違いしてた」
「えっ」
「舞い上がっちゃってたみたい。ほんと、馬鹿だなぁ私」
雪は乾いた笑みのまま、両手で体を押さえた。
「……ちょっと寒いね」
昂大は雪の言葉の意味がわからず、困惑する。
雪の瞳は、すべてを拒絶するように虚ろだった。
「ねえ、昂大君はなんで吉凶にいるの?」
「さっきから何の話を……」
「答えてよ。何のために人を殺しているの?」
雪は鋭い目つきで、昂大を睨めつけている。
昂大の心拍が激しくなる。
何がいけなかったのか。なぜ、雪は怒ってしまったのか。
助けないといけないのに、答えられなかったせいか。
でも、万屋の指示が無いのに、人を殺すことはできない。
そうだ――――――絶対に、できないのに。
「ねえってば」
「おれは……君を助けたいと思って、それで……」
様々な感情がごちゃまぜになって、昂大はそれ以上言葉を発することができなかった。
目が泳ぎ、完全に沈黙してしまった昂大を見て、雪は再び元の可憐な笑みに戻る。
昂大の傍に近づくと、耳元で呟いた。
「青あざ、早く治るといいね」
「!」
雪は昂大から離れ、屋上から出て行く。
「……嘘つき」
姿が見えなくなる寸前、そんな雪の声が聞こえたような気がした。




