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蒼境の子羊《メシア》たち  作者: くろ飛行機
3章 ぬくもり
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7 願いの地平線

 その日の夕方。昂大は部活が終わると、吉凶で使用している携帯端末を使って雪にメッセージを送り、どこにいるかを訪ねた。

 返信はすぐに返って来た。校舎南棟の屋上にいるとのことだった。

 昂大は屋上と聞いて、不安がよぎる。

 とはいえ、この異変を確かめずにはいられない――――――。


 屋上の扉を開けると、雪が手すりにもたれかかり、グラウンドを眺めていた。

 昂大に気づいた雪は、ぱあっと明るい笑みを向けてくる。


「昂大くん。練習終わったの?」

「う、うん。早めに抜けて来た」


 美しい薄桃色の双眸が、昂大の心を撫でる。

 可憐で美しい少女を前に、再び心臓が高鳴るのを感じた。ゆっくりと雪の近くまで歩み寄ると、言いにくそうに質問する。


「な、なあ雪。君は週明けに来たばっかだよな?」

「うん。そうだよ」

「なんか、変なんだ。先輩たち、雪のことすごい知ってて。部活中にそれとなく二年の先輩にも聞いてみたけど、みんな君のこと知ってた。それに、口をそろえて言うんだ。なんて可愛い子(・・・・)なんだって」


 雪はそれを聞くと、エメラルドグリーンに輝く水平線を凝視する。


「おれ、先輩に殴られたんだぜ。この間、君と昼ごはんを食べてるとこ見られただけで……」


 雪は目を開き、昂大を心配そうに見つめる。


「そんな……大丈夫? 怪我してない?」

「うん。全然大丈夫(・・・・・)だよ」


 昂大はへらりと笑ってみせる。

 本当はかなりの力で何度も蹴られたので、まだかなり痛んでいた。おそらくアンダーシャツの下に打撲痕ができているだろう。


「……ごめんね。私のせいだ」

「なんで雪が謝るんだよ」

「だって、私のことで昂大くんが怒られたんでしょ?」


 雪の表情が、憂いの色に染まる。


「……私ね、殺しの任務を遂行中なの。期限は今週末まで」

「えっ。それって誰を……」


 雪はそっと、昂大に体を預けた。

 雪の体が昂大の体に触れ、服の上からぬくもりが伝わってくる。

 深く吐き出された甘い吐息――――――昂大は腕のやり場に困って手を背後に回す。


「……昂大くん。私、本当は嫌なんだ。人を殺すこと」


 雪は昂大の肩に頭をつけ、上目遣いで顔を見つめると、震える声でそう言った。

 昂大は不意に、美樹の言っていたことを思い出す。


 ――――――吉凶の中で、最も人を殺した女の子。


「ずっと、嫌で嫌でたまらなかった。でも私には才能があるんだって。すごいんだって。よくやったって、殺したら認めてくれる。だからずっと、我慢して殺してきた。何人も、何人も」


 雪は、ゆっくりと昂大から離れる。肩が僅かに震えていた。

 温かい熱が離れ、代わりに夜風が二人の間に流れていく。雪の言葉に、昂大の心は震えていた。


「おれに何かできる? 君の力になりたい」

「えっ」

「殺したくないなら、殺さなくてもいい。やりたくないことは、やらなくてもいいんじゃないかな?」

「でも……」


 真剣な眼差しで雪を見つめると、両手で肩を掴む。昂大はこの少女を助けたいと強く思っていた。

 雪の震えが止まり、薄桃色の双眸が光を取り戻していく。

 雪は、昂大の顔に向けて右手を伸ばす――――――ハッと我に返り、ぎゅっと手を握ると、昂大から目を背けた。


「だめだよ。これは私の仕事なんだ。途中で投げ出したりできない」

「いや、きっと何か良い方法が……」


 雪は考える昂大に、小さく願いを告げる。


「じゃあ……代わりに(・・・・)、君が殺してくれる?」

「……ぇ」


 ――――――昂大は硬直する。

 それはとても簡単なことだった。昂大が雪の代わりに仕事をすれば、問題は解決する。雪を傷つけず、確実な方法で事態を解決するには、それが一番だった。

 わかっているのに――――――昂大は首を縦に振れなかった。


「ね、お願い。昂大くん」

「あ……いや……」


 昂大に迫る雪の表情は、期待に溢れていた。

 緊張が最高潮に達した時、昂大の口から漏れたのは、雪の求める答えではなかった。


「万屋さんに……聞いてみるよ」


 その言葉に――――――雪は昂大から距離を取った。


「はは。ははは」


 雪は頭を抱えると、口角を上げて笑う。

 そして、冷たく笑い終えると、別人のように昂大を睨みつけた。


「そうだよね。私、勘違いしてた」

「えっ」

「舞い上がっちゃってたみたい。ほんと、馬鹿だなぁ私」


 雪は乾いた笑みのまま、両手で体を押さえた。


「……ちょっと寒いね」


 昂大は雪の言葉の意味がわからず、困惑する。

 雪の瞳は、すべてを拒絶するように虚ろだった。


「ねえ、昂大君はなんで吉凶にいるの?」

「さっきから何の話を……」

「答えてよ。何のために人を殺しているの?」


 雪は鋭い目つきで、昂大を睨めつけている。


 昂大の心拍が激しくなる。

 何がいけなかったのか。なぜ、雪は怒ってしまったのか。

 助けないといけないのに、答えられなかったせいか。

 でも、万屋の指示が無いのに、人を殺すことはできない。

 そうだ――――――絶対に(・・・)、できないのに。


「ねえってば」

「おれは……君を助けたいと思って、それで……」


 様々な感情がごちゃまぜになって、昂大はそれ以上言葉を発することができなかった。

 目が泳ぎ、完全に沈黙してしまった昂大を見て、雪は再び元の可憐な笑みに戻る。

 昂大の傍に近づくと、耳元で呟いた。


「青あざ、早く治るといいね」

「!」


 雪は昂大から離れ、屋上から出て行く。


「……嘘つき」


 姿が見えなくなる寸前、そんな雪の声が聞こえたような気がした。


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