9 羽流解放戦線 takes place at night in the harbor その1
――――――頭が痛い。
羽流は佳彦に攫われてから、睡眠薬で眠らされていた。
意識を取り戻すとそこには、夜の闇が広がっている。
「あれぇ……」
遠くから船の音が聞こえ、冷たい夜風が羽流の頬を撫でる。仄かに香る潮の匂いと、遠くに見える夜の街明かりに目を凝らした。
どうやらここは、港のような場所らしい。
「お早う、ハルちゃん」
羽流の傍で、佳彦が足を組んで座っていた。
羽流は椅子に縛り付けられ、身動きが取れない。
「ど、どこ? お母さんは!?」
「心配しなくても大丈夫だよ」
佳彦は不敵に笑い、指を鳴らす。すると、佳彦の背後に車椅子に乗せられた女性が連れて来られた。顔面蒼白で生気がなく、浅い呼吸を繰り返している。
「お母さん!!」
羽流の呼びかけに、女性は僅かに顔を向けた。
「……ハル」
「お母さん! ハル……ハル……!」
「親子の感動の再会。しっかりと味わっておきなよ」
佳彦はにっこりと笑い、部下の一人を呼びつける。部下の手にはアンティーク調の手提げ金庫が握られており、それを佳彦に手渡した。
「まったく、先代には驚かされたよ。まさか本当の鍵は、羽流ちゃんの網膜認証でしか開かないようになっているなんてね」
羽流は拘束を解こうと暴れるが、びくともしない。そんな羽流の前に、佳彦は金庫を持ってくる。それを見た羽流の母は、掠れた声を上げる。
「やめて佳彦君……何度も言ったでしょ。それは、父がハルのために残したものなの……」
「だからなに?」
佳彦は冷たい表情で羽流を見つめる。その表情は普段の温和な雰囲気とはかけ離れたものであり、羽流を心の底から軽蔑するように眺めていた。
「財産を得る権利は、僕にもあるはずですね、義姉さん?」
「何を言ってるの……父は遠江グループの経営権を貴方に渡した。だからせめて、財産の少しをハルに残そうとしただけじゃない」
ハルの母の説得もむなしく、佳彦はハルの瞳を無理やり開けようとする。
「いいですか。この世の中は、力の強い者だけが全てを手にするんです」
佳彦は機械のような挙動でハルの網膜をスキャンし、無理やり金庫を開いた。
中に入っていたのは、本物の〈OOEYAMA〉の金庫番号と鍵だった。
「僕は強者だ。お前たち弱者とは違う。わかりますか?」
佳彦は、羽流の母を鬼の形相で睨みつけると、淡々と早口で言い放つ。
「僕は人並み外れた美貌を持って生まれた。姿、振る舞いで人を魅了し、声で人を操る。人間は等しく、見た目に踊らされるのです。僕はその才能で、望むものをすべて手に入れてきた。親を操り、教師を虜にし、資産家に取り入って金を奪い、コネを使って社会の中枢に潜り込んだ。そして僕は、遠江家という巨大な器を手に入れたのです」
佳彦は用のなくなった羽流を突き飛ばすと、鍵を握りしめた。
「私は、この才能ですべてを手に入れるまで止まらない。貴方たちは、私の養分でしかない。小さくて、惨めで、何よりも醜い。努力もせず、ただ遠江家に生まれただけで、莫大な財産を手に入れるなど愚かしい!」
佳彦は、羽流の腹部を蹴り上げる。
「がはっ……」
「ハル……! やめて佳彦君。暴力なら私に……」
「嫌い。なん。です。よ。キラキラした目をした子供が!!」
――――――痛い。
何度も踏みつけられ、激しい痛みが意識を支配する。
だがハルは、痛みよりも悔しさでいっぱいになった。
苦しんでいる母の叫びは、この男には届かない。
自分はどうなったっていい。けれども、母だけは、母の病気だけは治したかった。
「佳彦様。船が来ました」
部下の声を聞き、佳彦の虚ろな目が光を取り戻す。
「……行こう。この二人は海に沈めて置け」
「承知いたしました」
それはあまりにも乾いた殺害宣言だった。佳彦は再び笑みを張りつけ、羽流を優しく撫でる。
「ハルちゃん。大好きなお母さんと一緒に、海の底に行こうか」
「うっ……うっ……」
ハルは恐怖で何も言い返せなかった。
怖くて、悔しくて、涙が止まらない。
「じゃあね。ハルちゃん」
ハルの体が、持ち上げられる。
――――――もしも。かみさまがいるのなら。
ハルは心の奥で願う。
――――――どうか、お母さんだけでも、助けてください。
その時だった。
「羽流!!!」
その場にいた全員が、声のした方へ顔を向ける。
――――――コンテナの上に立つ、スーツ姿の美女と、パーカ―の少年。
美女は背負っていたライフルバックを下ろし、夜明かりに向かってサングラスを投げ捨てると、銀色の銃身を構える。
「ほんと、最低だわ」
涙で顔がぐしゃぐしゃになった羽流の様子を見た昂大は、静かに怒りを噛みしめる。
「お前ら……羽流を泣かせたんだ。覚悟は、できてんだろうな」
夜そのものを背負うような、ただならぬ気配を纏った二人に、佳彦は目を細める。
昂大と美樹は、コンテナから地面に降り立つと、臨戦態勢に入る。
「吉凶の可愛い依頼者に手ェ出したこと、骨の髄まで後悔させてあげる」
「……おう!!」
佳彦は、部下たちに突撃の指示を与える。
夜の港で、戦いの火ぶたが切って落とされた――――――。




