10 黒豆茶
初夏、春の名残も終わりを迎えていて、トマトが出始めるまでもう少しと言う時期、常連がはける時間にコウが人連れでやってきた。
「いらっしゃい!コウさん!」
年齢から考えてコウの両親で、二人ともふわりと優しい雰囲気がコウとよく似ていた。
着ている服は質素でありながら仕立ての良いものであった。
「あの、両親です。自分が常連になった店に連れて行けと言われまして」
「ようこそいらっしゃいませ。お席にご案内しますね」
「ありがとう」
アンズの挨拶に父親が短く、優しく答えた。
母親の方は目をぱちくりとさせながら、古いぼろいのに、清潔に整えられた店内を見渡した。
「こちらが今日のお品書きです。今日の主菜は豚肉の生姜焼きと鶏の照り焼きです。小鉢はソラマメの塩ゆで、フキの煮物、干し豆腐の和え物です。主菜に小鉢1品あるいは主菜を3分の1にして小鉢を3品つけることもできます。汁物は青梗菜とネギです。ご飯も大盛り、普通、小盛が選べます」
アンズが品書きを見せながら説明すれば、コウもコウの両親は悩んでしまった。
「お茶をお持ちしますね、決まったら声をかけてください」
そう言って席から離れ、3人分のお茶を注ぐ。
暑くなってきたから、黒豆を炒って作った黒豆茶だ。
刺激が少なく、香ばしさが食事の前にぴったりだとアンズは思う。
お茶をもって席に戻れば、コウの両親は決めたものの、コウがまだ決めかねているようで唸っている。
「黒豆茶です。ご注文は…もう少し後にしましょうか?」
「コウ、何をそんなに悩んでいる?」
「私たちは先に頼むわよ」
両親にせっつかれてもコウは眉を八の字に顔をしかめ、呻いている。
「しょうがないわねぇ。生姜焼きと照り焼きをどちらも小鉢3品にしてもらって、ご飯は…お父さんは普通盛で私は小盛を少し少なめにしていただける?」
「はい、承知しました…えっと…コウさんは?ご両親のお料理お持ちしたときに伺いましょうか?」
「あ…いえ、決めました。自分も父と同じ生姜焼き小鉢3品で。ご飯はどうしようかな…普通盛で」
「はい。ちょっとだけ多めに出しますね、生姜焼きがごはん泥棒なので」
「はい、お願いします」
アンズはお品書きを受け取って、厨房の中に戻っていった。
テキパキとお膳を作る姿に両親がうんうんと頷きながら、それからコウを見て頷いた。
コウは両親の意図を感じ取って、ふっと目をそらしたのであった。
コウが両親を連れて定食屋にやってきたのは、昨晩夕飯のあとに両親から縁談の話を持ち出されたからだ。
「きっかけはどうあれ、お前が放蕩を辞めたのは褒められていいことだ。しばらく見守っていたけど、ちゃんと家業も学んでいるようだしね」
「貴方の縁談を勧めたいと思っているのよ。まずはお見合いをって思うんだけど…先に貴方が気になる女性がいないかだけでも聞きたくて」
気になる女性、そう言われてコウにはアンズが思い浮かんだ。
「あ…」
コウの反応に両親はピクリと反応をする。
「飲み屋や遊郭の女はダメだぞ」
「せめて、うちの使用人にしてちょうだい」
両親はコウのことをなんだと思っているのか。
飲み屋、遊郭、使用人とコウが考えもしなかった女性たちを列挙する。
使用人とも言葉を交わすようになったとはいえ、彼女たちが独身なのか、既婚なのかもコウは直接聞こうとは思わなかった。
一緒に仕事をしていればそれなりに聞こえてくるもので、誰が既婚で、子どもがいて、家族構成、家族の誰かが新しい働き口を探していて…くらいまでならなんとなく把握している。
「飲み屋や遊郭の女性ではありません、使用人でもないです」
「ほう…?」
「あら?」
コウの言葉に父は興味を惹かれ、母は身近な同業の年齢の近そうな娘たちを思い出す。
「…気になると言われて…顔が思い浮かんだだけです」
「それで十分だ」
「どこの誰なの?」
コウは口ごもってしまう。
「…どんな女性なの?」
「どんな…?」
コウの中のアンズのイメージは…
「青空の似合うトマトと卵の炒め物のような女性です」
コウの表現に両親ともあっけにとられてしまった。
女性を形容するのに、青空はともかく、トマトと卵の炒め物と料理で表すようなことがあるのかと…いや、実際に目の前の息子がしたのだが、にわかには信じられないことだ。
「あの…彼女の作る料理はどれもおいしくて、温かくて…それで…」
「そうか」
「そう…」
両親は互いに顔を見合わせた。
コウが放蕩を辞めた理由は、正確には酒を飲み歩くのを辞めたのは「おいしいご飯を食べたから」と本人の口からきいたことがある。
ということは、コウが気になる女性と言うのはコウが酒を飲み歩くのをやめたきっかけとなった女性だろう。
「お前が日参している定食屋にいるのか?」
「…はい…」
「あら、だったら、明日の夜3人で食べに行きましょ?」
「え?…あ、はい…」
母親の笑みと父親の視線に気圧されて、コウは頷いたのであった。




