3-4・恋文の意味
セリは、今日もいつも通り子供たちと過ごしている。
入った時から同僚から遠巻きにされているのは分かっていた。
それは関係者なら誰でも分かることだったが、病棟の女性上司は見て見ないふりだった。
口を出されないというのは案外セリには良かったかもしれない。
彼女は普通の女性ではなかったから。
セリは、自分が興味が無いことに関しては気にしないことにしていた。
社会人である以上、上からの命令には従っている。
ただ他人の中傷や評価には、仕事でがんばって見返すしかないと思っていた。
ただひたすらに笑顔で毎日を過ごす。
それしか出来なかったのである。
一年以上放置されていたセリの問題が、最近になって様子が変わり始めていた。
その日、セリは上司の部屋に呼ばれた。
「セナリー、いつもご苦労様」
「あ、はい。 えっと、ありがとうございます?」
どう返して良いか分からず、ぎこちなく礼を取って上司を見る。
「もし、あなたさえ良ければ医療従事者の資格を取りませんか?」
今はまだ資格を持っているわけではない。
医術などを行う資格の多くは、現場での実務経験が何年か必要になる。
その上で直属の上司の推薦があれば資格を取得出来るようになっていた。
「はあ」
現在、セリは周りから雑用を取り上げられて暇だった。
その空いた時間を有効に使い、勉強してはどうかという話だ。
そしてそれは何年も必要とする実務経験を、試験を受けることで短縮することが可能になる。
セリは喜んで試験用の教材や資料を受け取った。
「あの、余計なことかもしれませんが、私で出来ることでしたらお手伝い致しますので」
疲れた顔の上司の机の上に溜まっている書類をチラリと見た。
しかし上司である女性は静かに微笑んで、
「いいのよ。 これは私の仕事だから」
と、気遣ってくれるセリに退室を促した。
貴族や富裕層というのは厄介なものである。
女性上司はセリに対する風当たりの強さを感じていたが、何も出来なかった。
この施設の中だけでも横暴な横槍を入れて来る者は多い。
治療に関してだけでなく、職員の待遇や仕事にまで首を突っ込んでくるのである。
「あの娘はあまりここに長くいてはいけないかもしれませんね」
上司は彼女を早く一人前の医療従事者に育て、どこでも仕事が出来るようにしようと考えていた。
病院の仕事は二交代で、早番と遅番があった。
早番明けはまだ明るい夕方になる。
「ふう」
今日は早番だったセリは、広場の飲食店の外に置かれたテーブル席に座った。
灰色の空、工場の煙などで外気はそれほどきれいではないが、セントラル生まれのセリには日常である。
給仕がお茶を出し、セリはその場で代金を支払った。
いつでもすぐに席を立てるように。
「やあ、セリ」
まるで彼女の勤務時間を把握しているかのようにアゼルが現れる。
「こんにちは、アゼル様」
いつもは「様付け」を嫌がるアゼルだが、今日は何やらニコニコしている。
セリは正直、気持ち悪い。
「何か良いことでもありましたか?」
気味が悪いことは早めに解決してしまうに限る。
「ふふ、実はねえ」
アゼルは青い目を嬉しそうに細めた。
鞄から大切そうに箱を取り出す。
豪華な紋章の入ったそれはアゼルの侯爵家のものだ。
「はい。 お待ちかねだろう?」
箱からは紙束が出て来た。
満面の笑みを浮かべたアゼルから差し出されたそれを受け取る。
『セナリー嬢へ』
で、始まる手書きの文字。
目を通そうとすると、アゼルが止めた。
「ああ、それは自宅へ帰ってから読んだほうがいいよ」
「あ、はあ」
用事は済んだという顔でアゼルは立ち上がる。
「もし返事が書きたくなったら言ってくれ。 必ず届けるから」
身体を乗り出してセリに念を押した。
「ああ、でも来週から他の都市へ視察で出張なんだ」
幹部候補であるアゼルはこれでも忙しいのである。
「そうだ。 確か、セリのご家族が美術館勤めとか」
「ええ、そうですけど」
イコガからチラリと聞いたそうだ。
アゼルは「ふむ」と少し考える。
「では、話は通しておこうか」
そう言ってセリを促し、一緒に美術館へと向かう。
「お祖父ちゃん、いますか」
幼い頃から顔を出しているので、美術館の職員もセリの顔は知っている。
かつて知ったるで警備室に通された。
後ろをついて来るアゼルについては、皆、二度見していた。
「おや、セリ。 珍しいな」
最近では、夜勤の弁当を届ける以外はあまり仕事中に顔を出すことはない。
「うん、ちょっとお祖父ちゃんに用事があるって、アゼル様が」
「こんにちは」
金髪脳筋が明るく挨拶をすると、部屋の中にいた守衛たちが固まった。
「ん?、卒業の宴の時にセリを送ってくれた人か」
「はい」
「とりあえず、外に出ましょうよ」
暢気に挨拶を交わすふたりを引っ張って、セリは外に出た。
美術館の前の広場のベンチに座り、三人で話す。
「申し訳ありませんが、私が出張で不在の間、荷物を受け取って欲しいのです」
「ああ、そりゃ構わんが。 ヤバいもんじゃなけりゃな」
アゼルは何故か意味ありげにニヤリと笑う。
「危ないものではありませんよ。
『ウエストエンド』の領主様からセリへの手紙です」
「はあ?」
セリと祖父の声が重なった。
アゼルは侯爵家の紋章入りの割符を差し出す。
「魔鳥便で届くので、魔法局に取りに行っていただきたいのです」
そこはちょっと面倒ではある。
本来なら軍部の後輩か、侯爵家の侍女にでも取りに行かせればいいのだが、アゼルはセリの家族を巻き込むことに決めたのだ。
「中身はたいしたものではありませんよ。
ただ他人に知られるのは恥ずかしいのでお身内にだけ、としか言えませんが」
アゼルは先ほど渡した紙束を、祖父に見せるようにセリに頼んだ。
「いいけど」
セリに渡されたそれを見た祖父は、目頭を押さえる。
「確かに承った」
何故かアゼルと祖父はしっかりと握手を交わしていた。
アゼルと祖父の様子に疑問を抱きつつ、セリは紙束を持って家に帰った。
夕食の支度までまだ少し時間がある。
着替える必要もないので、そのまま母親のいる居間でそれを取り出し、目を通し始めた。
『セナリー嬢へ』
イコガにしてはなんだかむず痒い感じがする。
『あの月の丘で、君を抱きしめた夜を思い出す』
セリの胸がドキドキとうるさい。
「ただいまー、それ、なあに」
弟のトールが帰って来て、セリの横に座った。
「きゃあああ」
真っ赤になったセリが突然、立ち上がる。
「な、なんだよ」
びっくりしたトールが椅子から落ちそうになって、セリを見上げる。
「何でもないわ!」
セリは慌てて鞄と紙束を抱きしめ、自分の部屋に駆け込んだ。
「やだ、これ。 何なの」
まるで恋文のようだ。
「まさか」
そう思いながら、もう一度読み返す。
『君を思いながら、ひとり、今日もあの月を見ている』
確かにイコガの字だ。
美術館で署名したのを見たから覚えている。
男性なのに、細くて小さな文字。
セリは、緊張して、その先を読むことが出来なかった。
いつも通りの夕食、食後のお茶。
ぼんやりと口数が少なく、たまに赤くなったり、ぶつぶつ呟くセリに、母親や弟が首を傾げる。
心当たりがある祖父はニヤニヤとその様子を見守っていた。
しかし、このままでは眠ることも出来ないのではないか。
そう思った祖父は孫娘が部屋に戻ると、自分もついて行った。
「今日の紙束のことで、話しておかなきゃならんことがあってな」
セリは真っ赤になったまま、祖父を部屋に入れた。
「アゼル様の言葉を覚えておるか、セリ」
イコガの文章に気を取られていたセリは、慌てて思い出そうと目を閉じた。
「魔法局の魔鳥便?」
「そうじゃな」
セリは「それがどうしたの?」と、首を傾げた。
長距離の通信に関してはすべて魔法局が取り仕切っている。
「おそらく検閲がある」
「あー」
セリは紙束に視線を落とした。
「じゃあ、これは」
祖父は深く頷いた。
「偽装じゃろうな」
恋文に偽装した文書。
イコガに宛てたセリの質問帳は、それ自体が危ういものだったということだ。
「あの若者もお前に直接渡したかったんだろうがな」
イコガはセントラルに頻繁に来られる身体ではない。
「だけどな、セリ。
偽装といえど、この文章が書けるのはあの若者だけだろうよ」
祖父は意味ありげに笑っていた。