勢力図
ケーキを食べ終えた後、なし崩しに夕飯まで一緒にしてしまったエミールは、内心で苦虫を潰した。
食卓に並ぶのは、普段食べている豪華な宮廷料理とは程遠い、出汁の効いた味噌汁や素朴な煮物だ。
しかし、湯気の上がる温かい食事を前にすると、エミールの箸は止まらない。
ソウの纏う穏やかな空気に惑わされ、自分がなぜここにいるのかという疑問すら霧散していた。
そこが魔法使いとして、何よりプライドの高い彼女には悔しいらしい。
「不覚だわ」
「ご飯を三杯もお代わりしておいてよく言うにゃ。腹の虫の方が正直にゃ」
玉藻の軽口を無視して、雄哉がのんびりと声をかける。
「エミール、お風呂沸いたよ。着替えはね、おじいちゃんがこれどうぞって」
「パンツは、にゃーがわざわざ買ってきたから安心するにゃ。最新の速乾素材にゃ」
「・・・一言多いのよ。くそ猫」
着替えをひったくるようにしてエミールは風呂場に向かった。
完全にこの家の雰囲気に呑まれている。
我に返ったのは、全身を洗い終わり、心地よい湯船に浸かっているときだった。
「・・・やっぱり不覚だわ。お風呂は気持ちいいけど、理屈じゃないわね、これ」
風呂上がり、貸し出された花柄のパジャマを着たエミールは、窓の外を飛び回っている使い魔の蝙蝠を忌々しげに睨み付けた。
石を持わない今の彼女には、追い払う手段などない。
「お風呂あがったわよ」
「ちゃんと髪を乾かしたにゃ? 濡れたままはキューティクルの天敵にゃ。魔法使いは見た目も大事にゃ」
「乾かしたわよ。うるさいわね」
「まぁ、ようやく役者は揃ったにゃ」
布団が仕舞われているはずの押し入れを睨み付け、玉藻が意味深に告げる。
その声を合図に、古い襖がひとりでに滑り開いた。
「役者って・・・僕たちは演者なのかな? 玉藻」
「玉ちゃんって呼ぶにゃ。芸歴はにゃーの方が長いにゃ」
「呼ぶわけないだろ」
「役者は与えられた台詞を演じてから、鮮やかにアドリブを入れるものにゃ」
玉藻が悠然と毛繕いを始める横で、雄哉は開いたままの襖を閉めた。
パチンと乾いた音が響き、境界が閉じられる。
「何をしている」
低く冷徹な声が襖の向こうから響いたが、雄哉は動じない。
「何って、襖を開けたままにしちゃ駄目だって、おじいちゃんが言ってたから」
「ふっ、ふははは、ふふふ!」
突然、エミールが腹を抱えて笑い出した。
「エミール? どうしたの?」
「エリオールお兄様の顔があんまりにおかしくって。ふふふ、無駄よ。雄哉は、あのサーマエランのソウに英才教育をされているの。ここが魔法界でなくとも、石が無くとも、雄哉に勝てるはずがないじゃない」
襖の隙間から現れたエリオールは雄哉を鋭く睨み付けるが、雄哉には全く響いていない。
まっすぐに睨まれた雄哉は、困惑してエミールに助けを求めた。
エミールは肩を竦めて首を振るだけだ。
「えっと、どうしたらいいの?」
「お前だって負けたのだろう。父上が聞いたら何と言うだろうな」
「お兄様だって同じじゃない。現に雄哉に魔法が届いていない」
エミールの兄が使う魔法は一択だから誰もがわざわざ口にしないだけだ。
だが、魔法使いとしての素質はあっても日の浅い雄哉では想像力がそこまで及ばないことで回避できていた。
「何か魔法を使ってるの?」
「お兄様の魔法は『幻影』。影から這い出る大蛇に睨まれたら、普通は心臓が止まるほど足がすくむものだけど」
「えっ、蛇? ・・・うわぁあぁぁあ!」
雄哉が振り返ると、そこには彼を丸呑みにしようと鎌首をもたげる黒い影の大蛇がいた。
先程までの平穏はどこへやら、腰を抜かした雄哉を見て、エミールは逆に目を丸くする。
玉藻は冷めた目でその様子を眺めていた。
「えっ? 本気で怖がってるの?」
「雄哉は蛇が大の苦手にゃ。本能レベルの恐怖にゃ。だから、廿楽のことも・・・」
「呼んだか?」
襖を尾で器用に開けて入ってきた廿楽が、畳の上でのたうち回る雄哉に忍び寄る。
変温動物特有の冷たい感触が腕に巻き付いた瞬間、雄哉の悲鳴が家中に響き渡った。
「うわぁあぁぁあぁぁあ、蛇ー! 本物だー!」
「それは見たままにゃ。語彙力が死んでるにゃ」
「・・・可愛い俺を捕まえて投げ飛ばすとは。魔法使いの風上にも置けんな」
放り出された廿楽が床でとぐろを巻きながら毒づく。
エリオールはプライドを傷つけられた腹いせに廿楽を軽く踏みつけると、わざとらしく咳払いをした。
「んんっ、遊びはここまでだ。・・・父上が、お前たちを招待したいと言っていてね。無駄な抵抗はやめて、受けてくれるだろう?」
「ようやく与えられた台詞を言ったにゃ。長かったにゃあ。伝書鳩なら、もっと速やかに役目を果たすにゃ」
玉藻の皮肉にエリオールは口元を引き吊らせた。
彼は廿楽を乱暴に掴み上げると、再び襖を開け、超合理主義な父が待つ冷徹な魔法界へと消えていった。




