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問題ないね!?チハルくん

千春 ♀ 

真  ♀

和美 ♀ 

千尋 ♀


 私たちの住む望月町はS県の最西端に位置している。電車で六駅先には政令指定都市があるものの、望月町自体は工場ばかり立ち並ぶ地味な町だ。駅は町の中心にあって、そのすぐ北に私たちの通う望月高校がある。町田家は駅から見て北西で、喫茶桐壺は南東の位置。つまり、真逆の方向だ。徒歩で一時間はかかる。バスを利用しても、最寄りの停留所から十分は歩かないといけない。今更ながら、自転車に乗ってくればよかったと思う。

 汗だくの三人は、自販機のジュースで水分補給を行いながら、何とか町田家に到着する。

「……わたしら、酷暑をなめてたね」

「喫茶店の中と外との気温差が半端じゃないねえ。危うく、三人仲良く熱中症で倒れるとこだった……」

 八月の暑さは年々酷くなっている気がする。仕方がない。今日もエアコンは解禁だ。

「そもそも、学校も四人の家も北部に固まってるのに、わざわざ南部にある桐壺を溜まり場にしてるのが問題なんだって……」

 真が尚もブツブツ言っているが、それを無視して私は家の扉に手をかける。

「ただいまー」

 返事はない。想定内だ。二人を招き入れ、靴を脱ぎ、風通しのいい廊下を渡ってリビングへ一直線。案の定、ヒロ姉はそこにいた。フローリングに寝そべり、氷菓をくわえたまま半目で携帯ゲームに興じている。昼過ぎに家を出た時と全く同じ姿勢だ。

「んー」

 こちらを見もしない。

「あの、お邪魔してます……」

「千尋さん、お久しぶりです」

 後ろから真と和美がおずおずと顔を出す。さすがに礼儀正しくしている。

「あれ」体を起こすヒロ姉。「いらっしゃい! 真ちゃんと、和美ちゃんだよね?」

「あ、はい」

「わー、和美ちゃん、相変わらずおっぱい大きいねえ」

「え……あ、はあ……」

 開口一番がそれかよ。最悪だ。和美も困惑している。

「真ちゃんも――あの、相変わらずだね……」

 濁すな濁すな。真の幼児体型を見て言葉を濁すな。もろにコンプレックスを刺激されたのか、真は下唇を噛んで、振り向き様、和美の胸にフックパンチをお見舞いしている。

「――めちゃくちゃ痛いんだけど……」

 一番の被害者は和美だろう。真の攻撃をまともに受け、悶絶している。

「ちょっと――」

 これ以上、この自由人を自由にさせておけない。

 私はヒロ姉の前に膝を突き、意図的に真剣な顔をしてみせる。

「今日は、ちょっと真面目な話があって二人を連れてきたんだ。ヒロ姉も、そのつもりで聞いてくれる?」

「は? 私に? 何のこと?」

 シャリ、と音を立てて氷菓を噛み砕く。今日それ何本目だ。

「ヒロ姉に――協力してもらいたいんだ」

 エアコンのスイッチを入れながら、私は話し始めた。


「……話はだいたい分かった」

 喫茶店での話を聞いたヒロ姉は、送風口の真下でエアコンの風を受けながら、アイスの棒に視線を落としている。どれだけ凝視したところで、そこに『あたり』の表示はない。

「ひかるちゃんがウチの学校で誰と口論していたのか、調べてほしいってことね?」

「お願いできますか?」

 身を乗り出す真は、何故か正座だ。

「まあ、生徒会の子達に動いてもらえば、そんなに難しくはないと思う。時間は少しかかるかもしれないけど」

「お願いします」

 頭を下げる。そのまま手をついて土下座でも始めそうな勢いだ。

「それより――あたしも、真ちゃんと同じことが気になるかな」

 アイスの棒を口に咥え、ヒロ姉は髪をかき上げる。

「そのスマホに残されてたアプリって何なの? 生前の行動と照らし合わせると、やっぱりどうしてもそこが重要になってくると思うんだけど」

 咥えた棒を上下に動かしながら、ヒロ姉はそう言う。棒捨てろよ。

「それに関しては、実際に体験してもらった方が早いと思います」答えるのは和美だ。

「体験って、何を?」

 ヒロ姉と同じくまだ何も知らない真が巨大な疑問符を浮かべる。和美はそれには答えず、目の前に置かれてあったスマホを手に取り、例のアプリを起動させて、キョトンとしている真に手渡す。

「それで、千尋さんの名前を呼びながら、千尋さんを撮ってみて」

 なるほど。実際に体験させてみる――か。口で言っても絶対に信用はしないだろうし、これが一番手っ取り早いのかもしれない。

「名前を呼びながら?」

「そ。やってみれば分かるから」

 戸惑いながら、シャッターボタンを押す。

「ああ、うん――じゃあ、千尋さん……」


          ★


 世界が歪む。一瞬、目を閉じ、すぐに開ける。だけど、驚くほど目の前は何も変わっていなかった。神妙な顔つきの和美と、スマホを構えたまま固まっている真。

 そして、怪訝そうな表情のヒロ(にい)

 何度確認しても、何の変化も見つけられない。

「千尋――さん?」

 真だけが、目を丸くしている。

「何だよ。今、何か起きた?」

 ヒロ兄も私と同じ感想を抱いたらしい。咥えたアイス棒を上下させながら、真の顔と自分の体を交互に見ている。この人、自堕落な生活をしている割には筋肉質で、均整のとれた体つきをしている。

「えええええええええッ!?」

 突然の絶叫に、私たち三人は揃って身を仰け反らせる。

「男!? え、何でッ!? 何で男になってるのッ!?」

 甲高いキーキー声で喚きながら、ヒロ兄の体をベタベタ触り出す。

「……固い……」

「ちょっと、何だよ。いきなり何?」

 普段温厚なヒロ兄が、少しだけ迷惑そうな声を出す。それはそうだろう。大して親しくもない従兄妹の友人が、男だ男だと騒ぎ立て、体を触ってきたのだから。

「和美ちゃん、どういうことだよ。彼女は、急にどうしたの?」

 真本人ではなく、何かが分かっているらしい和美に尋ねる。

「――真の目には、千尋さんが女性から男性に変化したように見えているんですよ」

 ああ、そうか。鈍感な私は、事ここに至ってようやく理解した。そうだった。このアプリは、撮影した人間にしか認識できないのだ。

「和美ちゃん、言っている意味が分からないよ」

「わたしも分かんないんだけどッ! 何これ! 何がどうなってこうなってるの!?」

 二人とも混乱している。当然だ。

「じゃあ、次は千尋さんが真のことを、このアプリで撮ってみてください」

 説明するよりまず、全員に体験させる方法を選んだらしい。未だ混乱の渦に放り込まれたままの真からスマホを奪い取り、ヒロ兄に手渡す。

「真の名前を呼びながら、です」

「ふうん? 名前を呼びながら、ってのが重要なんだな……?」

 ヒロ兄はさすがに理解が早い。首を傾げながらも、このアプリの意味を察しつつある。

「それじゃあ……真ちゃん」


          ★


 ぐらり、と揺れる。

「待って待って。和美、先に説明しろってば」

 どんどん先に進めてしまう和美に、真が苦言を呈する。

「僕たちの身に、何が起きてんだよ。このアプリは何なのさ。まさか、女を男にするアプリだなんて言わないよな? そんなことできる訳がないし、絶対に信じられないんだけど」

 声変わりが来たとは思えないような甲高い声で、矢継ぎ早に質問を飛ばしてる。

「えっと……」

 対するヒロ兄は完全に目を開き、スマホと真を交互に見ている。

「これ……何だ? オレがおかしくなったのか? 正直言って、混乱してる……」

 ヒロ兄は怠惰で自由だけど、基本的には聡明な人だ。ここまで露骨にパニックになるところ、初めて見た。

「流石は従兄妹ですね。千春と同じこと言ってる」

「僕は説明しろって言ってンだよ」

「そうだな。……悪い。オレも、説明してほしい」

 二人揃って和美に食い下がっている。

「一言で説明すると、今操作してもらった『TSアプリ』は対象人物を性別転換させるアプリなんです。男を撮れば女に、女を撮れば男になる。『TS』ってのは『性転換』って意味の『トランス・セクシャル』の略だし、♂♀(オスメス)のマークからも、それは明らかです」

「はァ?」

 説明を受けても、すぐには信じられない様子の真。

「……なるほど。それで真ちゃんは男に――いや、今は真くんって呼んだ方がいいのか。オレが男性に変えちゃったんだもんな……」

 一方のヒロ兄は、本当に理解が早い。というより、順応性が高い。

「いやいやいやいや、僕はずっと男だしっ! 急に男になっちゃったのは千尋さんの方でしょう!? 何で二人とも平気なのさ!?」

「そこが大事な所なのよ。今言った通り、このアプリは人の性別を反転させる。ただし、性別が変わったと認識できているのは、アプリを操作して対象人物を撮影した人物のみに限られる。対象人物も他の人間も性別が変わったとは認識できない。例えば今の状況で言うと、真は女性の千尋さんをアプリで撮ることで男性に変化させた、だけど、そう思っているのは真だけ。千尋さんもあたしも千春も、ずっと前から男性だったと思ってるって訳」

「千尋さんは、ずっと男だった……?」

「真に対してもそう。千尋さんは真が女から男になったように見えているんだろうけど、あたしたちはそうじゃない。真は、ずっと前から男だったと思ってる。そこに混乱の元があるっていうことです」

「……ええと、ちょっと待ってよ」

 腰を上げ、ヒロ兄はリビングから離れる。どうしたんだろうと見ていると、彼は新しい氷菓を手に、すぐ戻ってきた。

「――整理してくれ。みんなで情報を共有したいから、できるだけ嘘や隠し事はなしでね」

 ヒロ兄に真っ直ぐ見られ、仕方なく私は口を開く。昨日の喫茶桐壺での一件と、マックでの和美との遣り取り、その全てを話した。

 隠れて和美を男から女へ変換させたことも、ここで明かす。

 何となく分かっていたのか、本人は怒りも驚きもしなかった。

「……話を聞く前に、アプリの性能を確認したかったんだ。悪いとは思ってる。ゴメン」

「謝らなくていいわよお。お互い様だし」

「……何が?」

「あれ、まだ気付いてない? トイレの前で、あたし、千春をアプリで撮ったのよ?」

「――え?」

「千春って、元々は男だったの」

「……そう、なんだ……」

 少なからずショックだったが、どこかでそんな気もしていた。

 こんな未知のアイテムを見つけたら、人にやらせるよりまず自分でやってみたいと思うのが、勝浦和美という人間だ。真やヒロ兄にやらせている時点で妙な気はしていたが、なるほど、すでに私で体験済みだったという訳か。

「――整理しよう」

 話を聞きながらアイスを食べていたヒロ兄が、久々に口を開く。

「まずはアプリの性能な。これは基本、撮影した対象者の性別を反転させることができる。男は女に、女は男に――だけどそれを認識できるのは撮影した本人のみで、世界そのものは元々そういう性別だったという形に塗り替えられてしまう。撮影者以外の記憶はもちろん、記録物でさえそうだ。単純に相手の性別を変えるというより、対象者の性別が逆の世界であるパラレルワールドへジャンプする、と捉えた方がいいのかもしれないな」

 食べ終えたアイスの棒をゴミ箱に投げ捨てながら、新しい見解を口にするヒロ兄。

「その仕様についても、ちゃんと理解しておく必要があるんだろう。普通のカメラアプリと違い、デフォルトの状態でシャッター音やフラッシュはオフになっている。つまり、ある程度の盗撮は可能ってことだ。ただし、撮影する際には必ず相手の名前を呼ぶことが要求される。それに加え、相手の顔を画角に収めなければいけない、という点も必須だ。性別を変えるには、相手が撮影範囲にいて、相手の名前を知っていることが条件となる訳だ。名前はフルネームじゃなくても構わないみたいだけど――ニックネームや役職などでも機能するか、検討した方がいいかもしれないな」

 私たちが思いつきもしなかったことを語りながら、彼は続ける。

「注意事項はもう一つ。自撮りが不可ってことだ。和美ちゃんが検証したのは鏡を使ったモノだけみたいだけど、エラーメッセージの内容からすると自分で自分を撮影する行為――イコール、自分の性別を変えること自体が不可能ってことなんだろう。もっとも、別の人間に自分を撮影してもらって、性別を変換させることはできる。でもそうすると、自分の性別が反転したという認識はできなくなってしまう。要するに、自分が認識できる範囲内で、自分の性別を変えることはできないってことだ」

 ここまではいいかな――一区切りつけて、一同の顔を見渡す。

 私は嘆息していた。

 この人、いつの間にかここにいる誰よりも『TSアプリ』のことを理解している。

「千尋さん、あの子は――ひかるは、このアプリのせいで?」

 皆を代表して、和美が尋ねる。

「多分ね。ひかるちゃんは、このTSアプリで何かをしてしまった。結果、彼女は自ら死を選んだ……」

「それを探る方法ってのは――」

 正座していた真が、膝立ちでじりじりとヒロ兄ににじり寄る。いくら冷房の効いた室内とは言え、男が男に近付く絵面というのはなかなか暑苦しいものがある。

「それこそ、真くんの考えた方法が最適なんだと思う」

「僕の?」

「ここに来る前、喫茶店で話し合ってたんでしょ? ひかるちゃんが死ぬ前の三週間、どこで何をしていたのか。そのほとんどは奇行ばかりだったみたいだけど、中には使えそうな情報も混じっていた訳じゃないか。ウチの学校で生徒の誰かと口論してたってのもその一つ。望月高校でも誰かと揉めてたみたいだしね」

「まずはそれが誰が特定するってことですかね……」

 いつの間に取り出したのか、小型のノートにメモを始めている。こういうところは真面目な男だ。

「一回、持ち帰って情報を整理した方がいいかもだね……」

 ノートを見ながら、真がシャーペンの尻で頭を掻く。

「まず順番をはっきりさせたら? 何週間も前のことを正確に思い出すのなんて無理だろうけど、だいたいでいいから時期を特定するの。で、それを時系列順に並べ直す。あたしたちはそれを順番に検証していく――これでだいぶスッキリするんじゃない?」

 和美の的確な提案を、真はノートにとる。

「そうしようかな。僕の方でも、もうちょっとネットワーク広げてみるよ。アイツ、とにかく目立ったから、網を広げればそれだけ集まる情報も増えるだろうし」

 着々と建設的な話を進める二人を、私はただ黙って見ていることしかできなかった。


「もう帰っちゃうの? 晩飯食っていけばいいのに」

 帰り支度を始める二人に、家主のような顔をしてヒロ兄はそんなことを言う。

「いえいえ、そこまでご迷惑はかけられませんよ」

 普段遠慮のない物言いばかりの真が、ヒロ兄相手では随分と殊勝な態度だ。

「それに、一刻も早く情報を集めたいですし」

「あたしも自分なりに考えをまとめてみる。何か見落としてるような気もするし」

 と、これは私に対する和美の発言。

「あ、そうだ」和美の声に顔を上げたのと、彼女が私に向けてスマホを向けたのがほぼ同時だった。

「千春」


          ★


 目眩。止める暇もない。

「やっぱこれはアンタが預かってて」言いながらスマホを差し出す。

「その方がいいと思う」

「それは構わないが……」

 俺は自分の体を見下ろす。別段変化はない――が、それは俺が認識できてないというだけの話だ。さっきの軽い目眩で、だいたい想像はつく。

「お前、またやっただろ?」

 それだけで充分伝わる筈だ。隣の真も、だいたい察したようだった。

「アンタは、やっぱその方がいいと思って」

 悪びれもしない。俺は返す言葉も見つからず、無言でスマホを受け取ったのだった。


 夕飯を簡単に済ませ、俺は自室へと戻る。時刻は夜八時。そろそろ両親が帰ってくる時間だ。学習机の椅子に腰掛け、俺は考えを巡らせる。

 ひかるの行動。

 ひかるの意図。

 TSアプリの使い道。

 性別反転の行方。

 自殺という道を選んだ、その理由。

 アイツは常に前向きアグレッシブで、長い付き合いの中で、一度だって『死にたい』なんて漏らしたことはなかった。

 ――いや。

 一度だけ、あるか。

 ちょうど一年前のことだ。

 中学三年の夏休み最終日、俺はアイツの部屋にいた。

 その時のことを、俺はゆっくりと思い出す……。

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