8
廊下でお父様に出会ったのは偶然だった。
「お父様、どこに行くの?」
「温室だよ。セシリアが最近アロエを熱心に観ていてね、気に入ったのかと思って手入れをしに行くところだ。アルシアも一緒に行くかい?」
「行く!」
アルシアは即答だった。
隣にいたエドワードが小声で聞く。
「俺も行っていいですか」
「もちろんだよ」
アルベルトが笑った。
温室の扉を開けた瞬間、温かい空気と緑の匂いが押し寄せてきてアルシアは目を丸くした。その空間は広く明るい。そして緑生い茂っている。
ハーブ、薬草、果樹、花。様々な植物が所狭しと並んでいた。
「すごい……!」
「好きなんだ、植物が」
アルベルトが穏やかに笑いながら歩き始めた。
アルシアとエドワードがその後ろをついていく。
「これは?」
「カモミールだよ。お茶にすると体が温まる」
「これは?」
「ペパーミント。頭痛に効くと言われている」
「これは?」
「ラベンダー。眠れない時に」
アルシアの目がきらきら輝き、アルベルトを質問責めにしていく。その様子を見て、エドワードが小声で言った。
「また始まった」
果樹のコーナーに来たとき、アルシアは足を止めた。
同じような木が二本並んでいた。だが片方は青々と葉が茂り、実が鈴なりになっているのに、もう片方は葉が少なく、実もまばらだった。
「なんでこっちだけ育つの?」
アルベルトが少し考えた。
「日当たりの違いかな」
「土は?」
「同じ土だよ」
「種は?」
「同じ木から採った種だ」
アルシアがしゃがんで土を触った。
「日当たりだけでこんなに変わるの?」
「魔法をかけてあげると変わるよ」
「どんな魔法?」
「見せようか」
アルベルトが片方の木に手をかざした。ゆっくりと、緑の光が木全体を包む。葉が少しずつ増えていく。枝が伸びる。小さな実の芽が膨らみ始める。
「……すごい」
アルシアが息を呑んだ。
エドワードも黙って見ていた。
「お父様」
「なんだい」
「同じ植物でも形が違うことがあるよね」
「あるね」
「それって、種類が違うの?」
お父様が少し驚いた顔をした。
「種類……??でもそうだね、同じ植物でも少しずつ違いがある」
「もっと甘くならないの? 例えばこの果物、もっと大きくて甘い実がなったらいいと思わない?」
アルベルトがアルシアを見た。
「それは……どうやって?」
「甘い実がなった木の種だけを育てて、それを繰り返したら段々甘くなるんじゃないかなって」
「…………」
アルベルトがしばらく黙った。
エドワードが小声でアルシアに囁いた。
「……アリーがまたなんか言い出した」
「だって気になるんだもの」
アルベルトはまだ考えていた。それから静かに言った。
「……それは、面白い考えだな」
独り言のような声だった。でもその表情は真剣だった。
帰り際、アルシアはもう一度温室を振り返った。
「お父様の魔法ってすごいね」
「そうかい?」
「植物が元気いっぱいって感じがする。お父様が魔法をかけると、喜んでるみたいで」
お父様がアルシアを見た。それから、少し目元を緩めた。
「……よく気づいたね」
「本当にそうなの?」
「植物は正直だからね。いい魔法をかければ、ちゃんと応えてくれる」
アルシアは温室をもう一度見渡した。
緑が、光の中でゆれていた。
帰り道、エドワードがぽつりと言った。
「お前って本当に、どこでも全力だな」
「そう?」
「そう」
アルシアは首を傾げた。
「いけなかった?」
「……いや」
エドワードはしばらく黙ってから続けた。
「伯爵が…嬉しそうだったから」
アルシアが振り返ると、温室の方へ戻っていくお父様の背中が見えた。その足取りが、少し弾んでいた。
その夜、人気のない伯爵の書斎では、羊皮紙に何かが書き留められていた。
甘い実がなった木の種だけを使って、それを繰り返す…
伯爵はしばらくその文字を眺めてから、静かに羊皮紙を引き出しにしまった。
「……面白い」
口元が緩んでいた。
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