-44- 不気味な儀式
どのような戦いを経てここに駆けつけてくれたのか、エバンにはわからない。
だが、村人達の猛追を掻い潜るのは容易ではなかっただろう。雨に濡れたルミアーナの衣服は数か所に傷や、破れている個所が見受けられた。アヴァロスタの特級魔導士だった彼女も、無数の村人による徒党を組んでの襲撃――圧倒的なまでの数の暴力に晒されれば、危機的状況に陥るのは至極当然だった。
だが、幸いにも大きな怪我をしている様子はない。
「無事だったのか……!」
けっして無傷ではなくとも、無事に合流できたことにエバンは安堵する。
どうやってこの場を探したのかは分からなかった。巨大嬰児の呻き声といった物音を聞きつけたか、あるいはエバンが解放した魔力の赤い光を見つけたのかもしれない。
「とりあえずはね……」
杖を使って空を飛んでいたルミアーナは、エバンのそばに降り立つ。
雨音が絶え間なく鳴り続ける中でも、互いの声が聞き取れるくらいの距離感だった。
「まあ、これからも無事でいられる保証はないけど……」
ルミアーナが視線を向けた先で、巨大嬰児が蠢いている。
また、あの不気味な声が発せられる。降って湧いた新しい獲物を喜んでいるのか、そうでないのかを知る術はない。分かるのは、エバンに増援が駆けつけた今の状況においても、あの魔物の敵意は健在だということだ。
長く話している余裕はなかった。気を抜けばルミアーナが言ったように、ここでふたりとも命を終わらせられる結末を迎えかねない状況だ。
「あれが、手紙にあった魔物なのね」
「手紙?」
ルミアーナの言葉に、エバンは思い当たるものがあった。
そう、ルミアーナが死に際のオルティスから預かったという、あの手紙だ。とてもそのような状況ではなかったので、エバンはまだ目を通していなかった。
状況から見て、ルミアーナが言っているのはあの手紙である可能性が高い。オルティスは何か、あの魔物に関することをあそこに書き留めていたのだろうか? だが、以前としてエバンには手紙を取り出す余裕などなかった。
巨大嬰児は今にも、彼やルミアーナに向かってきそうな雰囲気だったからだ。
少しでも逃げ遅れれば、たちまちあの魔物に踏み潰されることになる。
「とにかく、今はあの魔物を何とかしよう。君は空から援護してくれ!」
「わかった……!」
ルミアーナは再び杖に腰かけ、空へと舞い上がった。
エバンはブルックスに乗ることで、ルミアーナは杖による移動手段がある。お互いに素早く移動する手段を持ち合わせていることで、巨大嬰児から逃げ切れずに踏み潰されるという事態にはならなかった。
巨大嬰児が突っ込んでくる中、エバンはブルックスに合図をして走らせた。
ルミアーナは上空へ、エバンは横へ回避することで突進を避ける。エバンの動きは、そこまではさっきと同じだった。
しかし、ブルックスは突進をかわしたあとも速度を落とすことなく、より速く駆け続ける。続いて大きく円を描くように方向転換し、そのまま巨大嬰児に向かって突っ込んだ。
もちろん、それは無為な行動ではない。あの巨大な魔物は突進こそ素早いものの、方向転換には多少の時を有する。つまり攻撃を避けた直後は無防備になり、そこがエバンにとっての反撃の機会だった。一度大きく離れることで、振動によって態勢を崩される心配もなかった。
エバンが思い描いていた反撃の手段を、ブルックスは完璧に読み取っていた。有能な軍馬である彼は、命令を受けずとも主人の意図を読み、それを行動に移したのだ。
(ここだ……!)
オプスキュリアの魔力を宿し、赤い光を放つ剣を構える。騎馬戦にも覚えがあるエバンは、今の状況でも最大限の力を発揮して剣を振る方法を身につけていた。
巨大嬰児が振り返ろうとするが、それよりもエバンが剣の届く範囲に踏み入るのが先だった。
好機を逃さず、エバンはブルックスが接近した一瞬を見計らって剣を突き立てた。突き刺しただけだったが、疾走しているブルックスに乗っているせいで、そのまま横向きに大きく切り裂く形となった。魔物の肉が裂ける独特の、それでいて気味の悪い感触がエバンの腕から全身へと伝わってきた。
すさまじい鳴き声が、巨大嬰児の口から発せられる。
「ぐっ!」
思わず耳を塞いだ。しかし右手に剣を握っているせいで、片耳しか塞げない。
ブルックスも怯んだようだったが、どうにか態勢を崩さずに済んだ。彼は全力疾走で巨大嬰児から離れ、耳を聾するどころか頭を割りそうなほどの鳴き声から主人を遠ざけた。
あの鳴き声が防衛手段なのか、ただ激痛に悶え苦しんでいるのかはわからない。巨大嬰児の様子からして、今の一撃はそれなりの痛手となったことは間違いないが、仕留め損なった。
「もう一撃喰らわせられれば……!」
巨体に見合う強烈な攻撃もさることながら、あの鳴き声もエバンにとってはかなりの脅威だった。
頭を割られそうなほどの鳴き声、あれを間近で受けていれば気を失いかねない。
エバンが思ったように、もう一撃与えられていれば致命傷になった可能性もある。しかし、離れるという判断は正しかった。共倒れになっては、元も子もないからだ。
とはいえ、オプスキュリアの魔力があれば手傷を与えられると確信が持てた。勝ち筋があるということで、十分な収穫だと言える。
「ブルックス、もう一度……!」
再度攻撃を仕掛けようとした、その時だった。
突如頭部に鋭い痛みが突き抜けて、エバンは思わず俯くように頭を下げた。
「っ!」
思わず目を閉じる。視界が瞼に塞がれて、完全な暗闇が訪れる。
直後、その光景が浮かび上がってきた。
目が捉えているのか、頭に直接浮かんでいるのか、どちらなのかすらわからない。だが、その映像はまるでエバンに見せつけるかのように彼の意識を支配した。
目を開けようとしたが、できなかった。鋭い痛みがなおもエバンの頭に走り続けていて、顔も上げられなかったのだ。
幻影のように浮かんだその光景に、色はなかった。
だが、何が行われているのかは分かる。
夜の湖のほとりに集まった人々、彼らの先頭に立つ者が手にした赤ん坊を、その身をくるんだ毛布ごと湖へと投げ込んだ。その行為に、エバンは思わず息をのんだ。
凶行は終わらなかった。ひとりやふたりではない、ひとりが投げ込むと次が、次の者も投げ込めばまた次の者が前に出て……まるでゴミでも捨てるかのように、次々と赤ん坊を湖に放り込んでいく。彼らにためらいがあるのかどうか、それはわからなかった。エバンからは、赤ん坊を投げ入れている者達の表情は見えなかったからだ。
人々のそばでは、法衣に身を包んだ魔導士と思しき数人の男女が、夜空を仰いで両手を高く掲げ、呪文のような意味不明な言葉を叫び続けている。
夜空に浮かんだ月と、数か所に設置された燭台に燃える炎が、不気味で異様なその儀式(儀式であるという確証はないが、状況からしてエバンにはそう感じられた)の様子を映し出していた。
エバンには、まったく理解が追いつかなかった。
人々がなぜこんなことをしているのか、理解ができなかったのだ。
(なんだ、なにをしているんだ……!? こんな惨いことをやって、なんの意味が……!)
たった数か月、この世で生の時間をすごしただけで殺されることになった赤ん坊達。その身に立って考えると、エバンは言葉にならない思いに胸が締め付けられそうになった。
だが、止めることなどできない。そもそもこれは、今彼の前で起こっている出来事ではない。
そして突如、映像は途切れた。その瞬間、エバンはようやく目を開けることができた。しかし頭痛の余波が残っていたようで、すぐに顔を上げることはできなかった。
「エバン!」
ルミアーナの声で、エバンはようやく顔を上げた。
彼女は上空からエバンの様子がおかしいことに気づき、降りてきて彼を守るように立っていた。
「どうしたの……?」
ルミアーナは杖を構えたまま、振り返るようにエバンを見ていた。エバンを気遣いつつ、巨大嬰児からも注意を逸らさないようにしているのだ。ブルックスも騎乗している彼の様子に気づき、足を止めていた。
巨大嬰児は様子を見ているのか、追撃を繰り出してくる様子はなかった。
「すまない、急に頭が痛くなって……変なものが見えたんだ」
「変なもの?」
エバンは頷いた。
頭痛は徐々に引いていき、正常に受け答えができるようになっていた。
ルミアーナと会話するあいだにも、戦闘態勢は解かなかった。エバンの両目は赤く変じたままで、剣もオプスキュリアの魔力で赤い光を宿したままだ。
「不気味な、なにかの儀式みたいな……大勢の大人が、赤ん坊を何人も湖に放り込んでいた」




