-37- アズル村
降り始めた雨が、いつのまにか全身に激しく打ちつけるほどの勢いになっていた。
ジャギラス達に行く手を阻まれたせいで大幅に遅れたが、エバンとルミアーナはひとまずアズル村に到着できた。着いた頃にはもう夜になっていて、村に点在する明かりだけが視界の頼りになっていた。
「まさか、こんなに降ってくるなんてな……!」
エバンはブルックスに跨りつつ、顔を手の甲で拭った。しかしそんな行為は無意味で、数秒後には彼の顔はまた雨水でびしょ濡れになった。
どこかからか、雷鳴が轟くのが聞こえた。これほどの勢いの雨ならば、しばらくは止みそうにはない。
「あそこに宿が……」
雨から顔を庇うようにしながら、ルミアーナが村の一角を指さした。
ブルックスに指示を出して近づき、エバンは看板を見つめてみる。その宿はさほど料金が高くなく、空き部屋もあるようだった。建物はかなり年季が入っているようだが、この雨をしのぐくらいはできそうだった。
さらには馬を預かるための厩舎も備えているらしく、今のエバン達にはうってつけな宿だ。
「お部屋をふたつ……毎度さんです……」
宿の受付の老人は、抑揚を欠いたような声でエバンとルミアーナに応対した。ブルックスはすでに、厩舎に預けてあった。
自分とルミアーナ、ふたり分の料金を渡しつつ、エバンは老人に尋ねてみる。
「知っていたら教えてほしいんだが、ここ数日この村でロヴュソールの兵士を見かけなかったか?」
エバンとルミアーナがこの村を訪れた理由、それは出立したまま戻らないロヴュソール兵士達の安否を探ることだった。
声は聞こえていた。聞こえていたはずだった。
しかし老人はエバンに背を向けたまま、受付所の奥で何やらゴソゴソと作業をするのみだった。
「ロヴュソールの兵士……? はて、まったくもって存じ上げませんが……」
不自然なほどに間を開けて、エバンとルミアーナのほうを向きもせず、やはり抑揚を欠いた声で、老人は応じた。
もちろん口には出さなかったが、エバンはどこか様子がおかしいと思った。様子がおかしくて、不気味だと思った。少なくともロヴュソールでは、宿に限らずどのような店でもこのようなぞんざいな接客をされた記憶はない。
「そうか、失礼した」
これ以上問いを重ねる意味はない、そう判断したエバンはルミアーナに「行こう」と小声で促した。彼女は無言で頷いた。
客室は2階にあった。
階段を上ろうとした時、エバンはふと、宿にいる人々の数人がこちらを睨んでいることに気づいた。様子がおかしいのは、受付の老人だけではなかった。
(何なんだ……?)
疑問には思ったが、今は体を休めることが優先だった。
「それじゃ、私はこっちだから……」
「ああ、もし何かあったら呼んでくれ」
エバンとルミアーナは、隣に位置するふたつの部屋を借りた。
剣などの手荷物を机に置いて、エバンはベッドに仰向けになった。部屋にはカビの臭いが漂っていて、掃除が行き届いていないのか少し埃っぽかった。ベッドは小さくて寝心地が良くないし、立て付けが悪いのか、雨風に揺さぶられて窓がギシギシとやかましく音を立てていた。
宿代を取る以上、掃除くらいはしておけよ。
エバンは思った。しかし、値段を考えれば相応だと妥協する。少なくとも、外で雨風を全身に浴びながら夜を明かすよりはいい。
本当ならば、村に着いたらすぐにロヴュソール兵士の捜索を始めるつもりだった。一刻も早く、仲間達の無事を確認したかったのだ。
けれど、それはできなくなってしまった。
ジャギラスの襲撃で到着が遅れたことに加え、悪天候に見舞われるという不運も重なった。すでに村人達は大半が帰宅してしまっており、情報を集めることもできない。強引に捜索を行ったところで手がかりが掴める見込みは薄いし、この雨の中で下手に動けば体調を崩しかねない。
「くそ、本当ならすぐにでも探しに行きたいが……」
仲間であるロヴュソール兵達の顔を思い浮かべながら、エバンは呟いた。
それは独り言で、誰の耳にも受け取られず雨音に吸い込まれていくはずだった。
しかし、思いがけず反応があった。コンコンと、壁を叩く音が鳴ったのだ。
エバンは内心驚きつつ、身を起こした。誰が壁を叩いたのかは、考えるまでもない。今エバンの隣の部屋にいるのは、ルミアーナだからだ。
「気持ちは分かるけど、焦っても仕方がないわ」
隣室同士で会話ができてしまうほどに、壁が薄いようだった。接客といい部屋の状態といい、どこまでも値段相応な宿だとエバンは改めて思う。料金の安さ、それに厩舎を備えていることを除けば、はっきり言って評価点が見つからない宿だ。
ルミアーナの部屋の間取りがどうなっているのか、エバンには分からない。もしかしたら彼女も、エバンと同じようにベッドに座り込んでいるのかもしれなかった。
「ああ、そうだな……」
エバンはルミアーナに同意した。
焦っても仕方がない、たしかに彼女の言うとおりだ。
雨粒が窓や屋根を叩く音が、絶え間なく鳴り続けていた。外にいた時から思っていたが、しばらく止みそうにはなさそうだ。
「ねえ……今、少し話してもいい?」
壁越しで顔は見えない。
しかし声色から、エバンはルミアーナの不安げな面持ちが頭に浮かぶように思えた。
「どうした?」
気がかりなことでもあるのだろうか?
濡れた服を乾かすのも後回しにして、エバンは彼女の相談に応じることにした。
「オプスキュリアの眷属としての力を使う時、あなたはあの力が恐ろしいと思ったことはある?」
思いがけない質問に、エバンは息をのんだ。
「どういう意味だ?」
質問の意図がどこにあるのか気になり、エバンは問い返した。
「さっきジャギラスの群れを倒した時、思ったのよ。こんなに大きな魔力は初めてで、恐ろしいって。こんな力を使い続けていれば、私も姉弟子達や、学院長みたいになってしまうんじゃないかってね……」
エバンと違い、ルミアーナはオプスキュリアと眷属の契りを結んだばかりだ。オプスキュリアから貸し与えられた魔力を振るったのも、あのジャギラスとの戦いが初めてだった。
補足を聞いて、エバンは彼女の質問の意味を理解した。
味方関係にあるとはいえ、オプスキュリアは魔妃だ。その力を振るう自分と、魔族の力に溺れて取り込まれた姉弟子や、バルバーラというアヴァロスタ学院長の姿が重なって思えたのだろう。
ルミアーナの話によれば、バルバーラは姉弟子を魔物に変じさせ、さらに生贄として多くの魔導士達を喰い殺させたとのことだった。ルミアーナは、その惨状を目の当たりにしていたらしい。
魔力に溺れた人間は、そんな残酷なことまでできるようになるのだろうか。
魔物よりも、よほど恐ろしく思えた。
「そういうことだったのか……」
ルミアーナがジャギラスの群れを蹴散らしたあとで、恐怖するような表情を浮かべていたのをエバンは思い出した。
圧倒的な魔力を振るう自分自身と、姉弟子や学院長のことが重なって見えたのだろう。恐ろしく思えるのも無理はなかった。
「無暗に使いたい力じゃないが、正しく使えば恐れることはないさ」
オプスキュリアの魔力を使うのは、あくまで最終手段。エバンはそう考えていた。
自分が魔妃の眷属であることを無暗に知られたくはない。それ以上に、魔妃の力を闇雲に振るうのはいい気分ではなかった。ルミアーナが恐怖を抱くのも頷ける気がした。
眷属として授かった魔力は、魔物を退けることもできる大きな力だ。しかし、ひとたび扱いを誤れば破滅を呼びかねない諸刃の剣でもある――確信があるわけではないが、そう思えていた。
ルミアーナもどうやら、本能的にそれを感じ取ったようだった。
だからこそ彼女はオプスキュリアの魔力に恐怖を抱き、同じ眷属たるエバンにこの質問を投げかけてきたのだろう。
「魔妃ではあるけれど、オプスキュリアは俺達に味方してくれているから。エルマだって彼女を信頼しているようだしね」
「エルマ……ああ、あの髪長姫ね」
窓の奥で、再び雷鳴が轟いた。
望みは薄いかもしれないが、明日までに雨が止んでいることを祈るばかりだ。
「なるほど、分かった。時間を取らせてごめんなさい。明日に備えてもう休みましょう、お風呂入ってくるわ」
壁の向こうから、かすかに立ち上がるような物音が聞こえた。
「お風呂……?」
「一緒に入りたいの?」
エバンは思わず赤面した。
「い、いや違う! あ、それと……最後にひとついいか?」
「何?」
エバンは壁の向こうのルミアーナに、神妙な面持ちを浮かべつつ口を開いた。
「その、気をつけたほうがいい。宿の主人もそうだが、さっき見たこの宿にいた人達も、どこか様子がおかしく思えたんだ。万が一に備えて、武器は近くに置いておいたほうがいいかもしれない」
そっぽを向いて抑揚のない声で話す老人や、エバン達を睨んできた宿の人々のことを思い出しつつ、注意を促した。
思い過ごしであればいいのだが、エバンは念のために剣をベッドのすぐそばに置いて眠るつもりでいた。もしものことがあれば、すぐにでも剣を抜ける。
「分かった。それじゃあ、あなたも気をつけて。お互い無事に朝を迎えられるようにね」




