-36- 目覚める力
集結したジャギラス達は、しばらくのあいだエバンとブルックス、そして倒れ伏したルミアーナの頭上を回遊し続けていた。絶え間なく発せられる耳障りな鳴き声は、まるで宴の開催を喜んでいるようにも感じられた。
そう、それはまさしく宴だろう。予期せず現れた人間と馬、魔物からすれば、きっと涎の出るような馳走であるに違いない。手に入れた死肉を迷いなく放棄してエバン達に狙いを変更するのも、至極当然だった。
ルミアーナが倒れ伏している今、エバンはひとりで魔物の群れを相手取らなくてはいけなかった。ブルックスという味方もいるのだが、彼は馬だ。賢くて頼りになるのは知っているが、今の相手は空を飛べる。分が悪いことに変わりはない。
(どこから来る……!?)
剣を構えたまま、エバンは前後左右に視線を巡らせる。
ジャギラスは素早いうえに、今はおよそ七体が集結している。ひとつの方向にでも注意を怠ろうものなら、たちまち不意を突かれそうだった。
さっきエバンは、ジャギラスを剣の一突きで仕留めた。だが今は、彼が逆に串刺しにされかねない状況だった。ジャギラスの嘴やかぎ爪は鋭利で長く、人体を貫くなど造作もない。幾本もの剣が空を飛び回り、意志を持ってエバンを狙っているようなものだ。
当然ながらジャギラス達は、いつまでも空を回遊しているだけではなかった。
ほどなくして、最初の一体がエバンの頭上から襲い掛かってきた。上空から嘴を下に向けてまっすぐに急降下し、エバンの頭を突き刺そうと迫ってきたのだ。
その気配を察したエバンは、即座に後方へ飛び退いた。ほんの数秒前まで彼が立っていた場所に、真っ逆さまの体勢になったジャギラスが降ってくる。
鋭利な嘴を下に向けて特攻してきたジャギラスは、勢いそのままに地面に突き刺さった。その威力は目を見張るものだったが、回避された以上は隙を晒す行為に他ならなかった。
「ふっ!」
その好機を逃す手などあるわけがなく、エバンは剣を振り抜いてそのジャギラスを一刀両断した。
飛び散る肉片や内臓、それに血液。だがエバンには、顔を背ける余裕すら与えられない。立て続けに別のジャギラスが襲い掛かってきて、それらを相手取ることを強いられた。一体を倒したところで、まったく安心できる状況ではない。
捨て身の攻撃を仕掛けてきたさっきの一体は、言うなれば囮の役割を持っていたのかもしれない。
徒党を組んで襲ってきた別のジャギラス達は、やかましく鳴き声を上げながら鋭利な爪や嘴をエバンに振りかざしてきた。汚れがたっぷりと付着した羽がバサバサと飛び散り、獣の臭いに似た生臭さが、嫌でも鼻に飛び込んでくる。
エバンはどうにか応戦しながら、ブルックスのほうを瞥見した。
彼はルミアーナを守るように命じたが、言いつけどおりブルックスは倒れたルミアーナを守るように陣取り、蹴りや体当たりを駆使して懸命に応戦していた。
背後から襲ってきたジャギラスは後ろ足で蹴り飛ばし、正面の相手には前脚を上げて威嚇したと思うと、そのまま全体重をかけて踏みつける。その踏みつけは的確にジャギラスの頭部を踏み砕いており、もれなく一撃で仕留めていた。
(それでも、この数の差は……!)
個々の力は弱いとはいえ、群れとなれば話も変わる。
このままでは数の差に押し切られ、負けることになるのは目に見えていた。応戦できている今の状況は、いつまでも続きはしないだろう。
この場を切り抜けるためには、倒される前に倒すしかない。
そう結論づけたエバンは、衣服の袖を捲り上げようとした。髪長姫の眷属として彼が授かっている、オプスキュリアの力を使おうとしたのだ。
しかし、彼が袖を捲ることはなかった。薔薇の茨模様が刻まれた腕は覗かず、エバンの瞳が赤く変じることもなかった。
――それよりも何よりも先に、赤い閃光とともにジャギラスが弾け飛んだのだ。
「っ!」
エバンは息をのみ、飛ばされたジャギラスを目で追った。
彼に襲い掛かっていた数匹の魔物は、どれも身体の一部分が消し炭になり、焼け焦げていた。すでに絶命しているのは明らかで、生死など確認する必要もない。
何が起きた?
エバンは逆方向を振り向いた。そしてすぐに、ジャギラスを一蹴した者の姿を目の当たりにした。
――倒れ伏していたと思っていたルミアーナが、いつの間にか立ち上がっていた。
それまでは青かった彼女の瞳が赤く染まり、同じく青かった杖の先の宝石もまた、赤く変じていた。袖から覗く彼女の腕に、薔薇の茨模様が浮き出ているのがはっきりと見えた。
彼女のその状態が何を意味しているのか、エバンにはすぐに分かった。眷属として授かったオプスキュリアの魔力を発揮し、戦闘能力を高めているのだ。
エバンも同じオプスキュリアの眷属であるから、分からないはずはなかった。
「ルミアーナ……!」
彼女は何も言わなかった。どこからともなく強い風が吹いて、ルミアーナの銀髪やマントが激しく揺らいだ。
ルミアーナが杖を振りぬくと、赤い光弾が無数に放たれてジャギラス達を撃ち落とした。威力も精度も、これまでとは段違いであるように思えた。
彼女の脅威度に気づいたのだろう、残ったジャギラス達はエバンとブルックスには目もくれず、一斉にルミアーナへと襲い掛かった。徒党を組んで襲い、もっとも警戒すべき相手を先に潰すことにしたようだ。
危ない! エバンは思わずそう叫びそうになった。
しかし、彼の心配はまったく不要だった。
ルミアーナが杖を天に向けて掲げた瞬間、彼女を中心に赤い光の竜巻が巻き起こる。前後左右、ルミアーナを取り囲んで襲い掛からんとしていたジャギラスがすべて吹き飛ばされた。エバンの足元にもそのうちの一体が転がってきたが、その身が焼け焦げるようになっていて息絶えていた。
ルミアーナが放ったのは、いわば周囲を吹き飛ばす赤い光の壁。ジャギラスをまとめて蹴散らすには、十分すぎる魔力だった。
それでも、まだ数匹のジャギラスが残っていた。
だが、敵わないことを悟ったのだろう。残った魔物達はルミアーナに襲い掛かろうとはせず、翼を羽ばたかせて空に向かい、逃げ去っていこうとした。不利な戦況であると判断すれば、撤退を選択するだけの知能を備えていたのだ。
しかし、ルミアーナは逃がすつもりはないようだった。
彼女は再び、杖を振り抜いた。赤い光弾が放たれ、残ったジャギラスがすべて撃ち落とされる。
またたく間に、彼女はジャギラス達を全滅させた。
何も知らない者であれば、単独で魔物の群れを殲滅した彼女を称賛したかもしれない。しかしエバンはそうではなかった。同じくオプスキュリアの眷属である彼は、ルミアーナが振るった力がいかなるものであるかを知っている。
「ルミアーナ、今の力は……!」
剣を収めたエバンが駆け寄り、問いかけた時、ルミアーナの瞳はすでに元の青色に戻っていた。腕に浮かんでいた茨模様も消えていた。
彼女の手元から杖が揺れたと思った瞬間、それはゴトリと音を立てて地面に倒れ落ちる。
ルミアーナは目を見開き、自分の手のひらを見つめていた。
「っ……!」
困惑したような、恐怖するような表情を浮かべ、ただ息をのむルミアーナ。
たった今自分が振るった力に、恐れおののいているように思えた。かすかだが、その指先が震えているのがエバンには分かる。
「大丈夫か……?」
エバンが恐る恐る語りかけると、ルミアーナははっとして顔を上げ、互いの視線が重なった。まるでエバンの声が聞こえていなく、彼が近くに来たことにすら気づいていないかのようだった。
けれど、ルミアーナはすぐに「何でもないわ、ごめんなさい」と応じ、落とした杖を拾い上げた。
そしてエバンを避けるように、マントをふわりと翻しながら踵を返し、歩を進め始める。
「アズル村に行きましょう、先を急ぐんでしょ?」
「あ、ああ……」
引き留める言葉を持たなかったエバンは、少し戸惑ったあとでブルックスの手綱を取り、彼女の背中を追いかけた。




