-23- 闇の底へ
「はっ、はっ……!」
杖を片手で握ったまま、ルミアーナは大聖堂から続く長い廊下を駆けていた。
ひとまずは、戦いの場から逃れることに成功した。しかし、まったく安心できる状況ではない。
アロスティーネの餌にされた魔女は、およそ100人くらいだと記憶している。だが、あれは学院に残っている魔女達のほんの一部にすぎないのだろう。
バルバーラに従い、彼女とともに魔族に下った魔女はさらに数多く存在するはずだった。バルバーラを師と仰ぎ、崇拝している魔女が大勢いたことをルミアーナは知っている。バルバーラが『針』ならば、その魔女達は『糸』だ。アロスティーネ含む特級魔導士達がそうだったように、ともに魔族に魂を売っても不思議はないはずだった。
(今学院に残っているのは、きっとバルバーラに賛同した魔女が大多数のはず……!)
思案を巡らせながらも、ルミアーナは足を止めはしない。青いマントや銀髪をたなびかせながら、ひたすら走り続けた。
立ち止まるわけには、いかなかったのだ。
できることなら、そうであってはほしくなかった。だが、ルミアーナにはもう、周りが敵だらけであるとしか思えなくなっていた。
できれば、仲間である魔女達を信じたい――そんな淡い期待は、最悪の形で打ち砕かれることとなった。
「うっ!」
廊下の壁がいきなり爆発し、瓦礫がルミアーナに向かって飛んできた。
否応なく足を止める。舞い上がった砂煙の中から、数人の魔女が姿を現した。
人数は3人――全員が、かつてルミアーナと仲の良かった魔女達だった。
「ルミアーナ……話はもう聞いたよ。学院長を裏切ったんだって?」
魔女のひとりが、杖をかざしながら歩み出た。
ルミアーナは思わず身構えた。その顔を見れば、彼女達がすでにかつての友ではないことが、すぐに分かったからだ。
もうひとりも歩み出る。
「素晴らしい魔族の力を受け入れないなんて、愚の骨頂よ」
さらにもうひとりも。
「あなたらしくない間違った判断ね、特級魔導士は名ばかりかしら?」
ルミアーナは奥歯を噛み締めた。
魔族に魂を売った彼女達には、我慢ができなかった。しかしそれ以上に、それを招いたバルバーラに怒りが込み上がったのだ。
否応なく、その事実が突きつけられた。嫌な予感は、的中してしまった。
この学院はやはり、魔族の手先の巣窟と化していたのだ。
「お願い、そこをどいて……できることなら、あなたたちとは戦いたくない」
そうは言ったものの、説得が通じるとは考えていなかった。
また、説得している時間もなかった。さらなる増援が駆けつけてくるかもしれないし、アロスティーネや他の特級魔導士が追手として現れる事態も考えられたからだ。
大聖堂では多勢に無勢といえる状況に陥ったが、どうにか切り抜けることができた。しかし、それは運に恵まれただけのこと。幸運が、何度も続きはしないだろう。
「残念だけど、そうはいかないわ……あなたを捕えるよう、学院長からのご命令が来ているの!」
ルミアーナがバルバーラの申し出を断ったことは、すでに知れ渡っているようだった。
3人の魔女達は、それぞれの杖に魔力の光を宿しながら襲い掛かってきた。もしかしたら、ルミアーナを捕らえれば何かしらの報酬を渡す約束でもされたのかもしれない。
だがもちろん、黙って捕まる気などなかった。
自分に向けて振り下ろされた杖を、ルミアーナは自分の杖で受け止めた。
「ふっ!」
即座に弾き返し、距離を開けたところで光弾を生成し、相手に直撃させる。
それを喰らった魔女は悲鳴とともに吹き飛ばされ、廊下に倒れ伏した。
ルミアーナと仲の良かった彼女達は、手の内も知り尽くしているはずだった。遠距離戦では勝ち目が薄いと思って接近戦を仕掛けたのかもしれないが、ルミアーナには敵ではなかった。
報酬で誘惑し、足止め要因として彼女達を使い捨てたのかもしれない。
どこまでも汚くて卑怯な女だ……バルバーラの顔を頭に思い浮かべながら、ルミアーナは杖を握る手にギリッと力を込めた。
今すぐにでも、諸悪の根源たる彼女を倒しに向かいたかった。しかし、それはできなかった。
悔しいとは思ったが、今の自分ではバルバーラに太刀打ちできないことを、ルミアーナは理解していたのだ。
ほんの数秒前に倒したかつての仲間達を振り切って、ルミアーナは再び駆け出した。
その後も、さらなる追手として多くの魔女達が差し向けられ、襲ってきた。
物陰から刃物を使っての不意打ちや、大勢で徒党を組んでの襲撃――方法こそ多種多様だったが、それらを仕掛けたのはいずれも、ルミアーナがかつて仲間だと思っていた魔女達だった。
かつての仲間を差し向け、自分に精神的な打撃を与えることを狙っている?
ルミアーナはそう感じた。姑息で卑怯で、人道など欠片も考慮されていない手段だが、バルバーラであれば考えそうだと思った。
しかし、それには疑問が残った。襲撃者たる魔女達は、その多くがルミアーナと仲の良かった者だった。だが、見当たらない者も数多くいたのだ。
(他の子達は、どこに……?)
襲ってくる魔女を退け、時には光弾で天井を崩して障害物にし、戦闘を回避するという手段も取りながら、ルミアーナは考えを巡らせる。
杖に腰掛け、空を飛んで逃走することもできた。しかし、それは行わなかった。
たしかにそれならば速く動けるものの、魔力を消費してしまう。残された魔力は温存し、すべて戦闘に使うつもりだったのだ。
(こんなに大人数が、魔族に下っていたなんて……!)
その後も、ルミアーナは魔女達の猛追を搔い潜り続けた。
かつての仲間を傷つけることは本意ではなかったが、そうしなくてはならない状況にも幾度か出くわした。そのたびに彼女は迷いを抱えながらも、杖を振り抜いた。魔族に下った時点で、彼女達はもう仲間ではないと自分に言い聞かせた。
最年少であるとはいえ、ルミアーナは特級魔導士だ。ただの女学徒にすぎない彼女達とは比較にならない魔力、そして魔法の腕を備えていた。立ちはだかる者を退けること自体は、難しくはなかった。
大聖堂がある塔を抜けると、すぐに別の塔との連絡通路となっている巨大な石橋に出た。
屋外であるここから、杖を使って逃げることができる――しかしルミアーナが橋の上に歩み出ようとした瞬間、突如として橋が大きく揺れた。
「っ!」
それは、体勢を崩してしまうほどの大きな揺れだった。
地震かと思ったが、そうではなかった。
揺れの原因が何なのか、それを知った時にはすでに、ルミアーナは身動きが取れない状態に追い込まれた。
橋の下から姿を覗かせた巨大な腕が、一瞬と呼べる時のうちにルミアーナの細い身体を掴み上げた。彼女が手にしていた杖が取り落され、遥か遠くへと落下していく。
「うぐっ!」
苦悶の声を発するルミアーナとは対照的に、彼女の前に現れた女は笑っていた。
「逃げられるとでも思ったの? ルミアーナ……あなたはもっと賢い子だと思っていたわ」
アロスティーネだった。
彼女は魔物と化した自分の身体を活用し、死角から奇襲を仕掛けてルミアーナを捕らえた。
そう。あの揺れの正体は、彼女の巨大な腕が壁面に突き立てられ、抉り取る際の振動だったのだ。
「うぐうっ……!」
先回りして待ち伏せされていたのか、あるいは追いついてきたのかは分からない。
しかしいずれにせよ、ルミアーナに成す術はなかった。杖は落としてしまったし、掴まれて身動きもできない。ルミアーナには杖の他に剣という武器があったが、当然それを抜くことも不可能だった。
アロスティーネの下半身に形成された巨大な口が視界に入り、否応なくさっきの光景が頭に浮かぶ。魔女達が次々と喰い殺された、あの地獄さながらの光景だ。
自分も同じ道を辿ることになる。魔女達と同じように、この口に放り込まれて生きたまま噛み砕かれる――しかし、そうはならなかった。
「お母様が、あなたに相応しい死に場所を用意してくれているの……さあ、行きましょう」
囁くようにそう告げると、アロスティーネはルミアーナをどこかに連れていき始めた。
この場で殺す気はないようだが、安心などできるはずがない。ルミアーナを捕らえている腕は、彼女を握り潰しかねない力で締め上げ続けていた。
「うぐうっ……!」
自分の身体が軋むような音がしたのを、ルミアーナは感じ取った。
猛烈な痛みと息苦しさに苛まれていた彼女には、自分がどこに連れていかれるのかを考える余裕すら与えられなかった。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
「さようなら、ルミアーナ……ごきげんよう」
まるで歌い上げるように、楽しげに、別れの挨拶が告げられた。
同時にルミアーナが解放される。彼女の身は重力に従って落下していった。
「うっ!」
どこかに打ちつけたのか、後頭部に強い衝撃を感じた。
次の瞬間、急激に意識が遠のいていき――みるみるうちにルミアーナの視界が黒く染まっていた。何も見えなくなるまで、さほどの時は要しなかった。
ルミアーナの身は闇の中を転げ落ちていったが、気絶した彼女はもう、痛みも何も感じることはなかった。




