四十一 青鬼も泣いた話
その夜、蔡銭学園高等学校の第二視聴覚室で、異様なまでに髪の長い女子生徒とガタイのいい男性教員が向き合っていた。
ほとんど人のいなくなった校舎の一室で、二人は声を落として言葉を交わす。
「……先生さあ、奥さんの前の苗字、大賀さんなんだってねえ。それってぶっちゃけどうなの?」
「うるせえな。鬼だからオーガ。自分の愛する嫁の名前もじって何が悪いんだよ」
「うざーい。でも羨ましーい。元ネタは泣いた赤鬼なんでしょ? 先生っぽさが滲み出ちゃってるよねえ」
いひひひ、と髪の長い女子生徒、釘原いろはが怪しく笑って、背が高く筋骨隆々の男性教員、坂本誠は太い腕を組んでつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「あのさ、先生。気になってたんだけど、どこまで予測してたのかなあ?」
「言ってる意味がわからねえな。何の話だ?」
「嘘つきぃ。私に、久郎くんのこと教えたのは先生でしょお? 最初に久郎くんとお話した中庭で、私達のことこっそり見てたの知ってるんだからね。偶然だって言い張るのは無理があるよお」
「…………別に、俺は何か計算して動いてたわけじゃねえよ」
いろはの指摘を受けて、坂本は気まずそうに頭を掻いて呟く。
「助けが必要なガキ同士を引き合わせたら、思いのほか上手くいった。そんだけだ。教師にできることなんてたかが知れてんだよ。良い結果が生まれたんだとしたら、その原因はお前らにある」
「おー、流石、町のヒーローも兼業してる先生は言う事が違いますなあ」
「まあ、一番予想外だったのは、お前が久郎の奴に惚れたところだけどな」
「ひょえっ? な、なにを言い出すのかな馬鹿じゃないのかな先生は」
「隠しても無駄だっつーの。こちとらボロボロだったってのに、目の前で抱き合いやがってよお」
「あれは! そういうんじゃないもん! 惚れたとか、好きとか、そんなんじゃ……ないもん」
「ほーん。まあ、そういうことにしといてやるけどよ。ここで素直になれないようじゃ、お前、前途多難だぞ。久郎の奴、どーもスケコマシの気がありそうだからな」
「ああ、それは、なんかわかるかも」
ニヤニヤと笑う坂本に対して、いろはは口を尖らせてから、ぽつりと呟く。
「でも、ありがとね。先生のおかげで、あいつがまだこの町にいるのがわかった。ずうっと気になってたんだ」
「そうだな。お前は、そうだろうよ。取り逃がしはしたが、まだどこかに隠れてるってのがわかっただけでも、体張った甲斐があったってもんだ」
いろはと坂本は何かを確かめ合うように見つめ合い、そして。
「……先生はさ、どうしてオーガになろうと思ったの?」
「あん? どうしたよ。急に」
「今回の件で、傷だらけになっちゃった久郎くんを見てて、思ったんだ。誰かのために頑張るのって、体を張って戦うのって、大変なことなんだなって。巻き込んじゃってよかったのかなって、ね」
「なるほどなあ。ま、お前の言う通り、簡単なことじゃねえ。こちとら学校の仕事もあるしよ」
俯くいろはに、坂本は顎をさすりながら遠い目をして言う。
「まあ、長いこと学校の教員なんてやってるとな、どうしても救えなかった奴ってのが出てくるんだわ。自分の力不足や、熱意が足りなくて、正しく育ててやれなかった奴ほど記憶に残っちまう」
「それ、例えば、どんな人たちなの?」
「色々だよ。ガラの悪い先輩に絡まれて、逆に相手を半殺し。そんで退学になっちまった奴は、町のチンピラどものリーダーみたいになっちまった。卒業した後すぐに、二個年下の後輩の、母ちゃんと結婚したけど、母ちゃんの方が一年もしないうちに男作って行方不明。血も繋がってない、歳も近い、おかしな親子関係だけが残って、苦しんだ挙句、娘の方は学校に居られなくなった。とかな」
「……その人達って、もしかして」
「昔々の話だよ。俺が助けてやれなくて、おかしな道に入り込んで行っちまった奴らの話さ」
坂本は、ちらりといろはを見た後、深く息を吐く。
「尾長の奴は確かに救いようのないクズだった。けどな」
上を向き、坂本は、オーガと名乗る男は、何かを堪えるように低く呻く。
「殺されなきゃいけねえほど、悪い奴だったとは思えねえんだよな」
つうっと、一筋だけ頬に零れ落ちた滴を拭って、坂本は再びいろはと向き合う。
「学校の先生なんてもんじゃ、救ってやれない奴らもいる。殴ってでも正しい道に進ませなきゃいけないって時に、俺はあの、馬鹿みたいなパーカーを被ることにしたんだよ」
「そう、だったんだ」
「おい、他人事みたいに言うんじゃねえよ。お前らだって、俺の生徒だからな」
神妙な顔で頷いたいろはに対して、坂本はどこか冗談めかしたような表情で肩をすくめてみせる。
「グレムリン、っつったか? お前らが間違えば、俺はいつでも現れる。よく考えて、正しいことをしろよ?」
ぴっと両手の人差し指で二本の角を作り、眉間に皺を寄せる坂本を見て。
「なにそれ。じゃあ、怒られる前に、今日はもう帰ろうかなあ」
思わず吹き出したいろはが、椅子にもたれかかりながら大きく背伸びをする。
「おう。そうしろ。俺は今から授業の準備があるからよ。もうちょい、学校にいなくちゃならねえ」
自分の目の前でいろはが紫色に光り出しても。
部屋のパソコンの電源が一人でに消えていっても、坂本は驚くことはなく。
「だから、町の馬鹿どものことは、お前らに任せたぞ」
そう言い残して、職員室へと戻っていったのだった。
先生の出番はもうちょっと増やすべきだったと、思わなくもないです。




