40 遺産の行方(ゆくえ)
ケインは驚いた顔で、
「寄付……?」
と言った。
「どこへですか?」
「このカウカ島に対してです」
「すると…… 全員に財産が行かなくなる?」
「きっとその方がいいと思いましてね。これなら、ユイがどこの国のどこの出身であろうと、ニアやフランツさんが親権を持ちたがることは無くなるでしょうから」
「えっと…… 申し訳ありません。どうしてそれが、親権を持ちたがらないと言うことに?」
「二人とも、ユイに遺産が行けば自分達の物にできると考えているからですよ。
あの子は今のところベラーチェス人…… ムズリアの法律は基本的に適用できませんからね。
財産がユイの方へ行けば、資産はベラーチェスで管理することになるでしょうし、そうなれば親権を持つ二人が管理することになります。ムズリアでの法定管理人が何人いようが、無意味ですよ」
ケインはチンプンカンプンながらも、なるほどと思うところがあった。
要するに、ムズリアで何をしようが、ベラーチェス人のユイに遺産がいけば、そこで親権を持っている人間が自然と遺産を管理することになる。
しかし……
「あの、成人してしまえば、どこに本籍があろうと遺産管理に支障は無いのでは? 未成年だったら管理されるでしょうが……」
「ベラーチェスでは、どっちであろうとも財産は順次継承するのです。つまり、子供自身が労働で得た資産以外は、基本的に直系の子に継承されていくのですよ」
「あぁ…… つまり、子供に資産があった場合、結局はその親が管理することになるのですね」
「そうです」
「まさかとは思いますが…… ニアさん、遺産相続のことまで考えて、海外で子供を産んだとは考えられますか?」
「どうかしらね」とベル。「もうこの際ですから、ハッキリ言いますけれどね…… あの子は計画的な子ではありませんよ」
「じゃあ偶然ですか?」
「単に父親がベラーチェス人で、彼に付いて行ったときにお産が始まった…… そういうことだと思っています。
出生情報の登録は、大体どこでも自動的に、本籍の登録にもつながりますしね」
「なるほど……」
「そうだわ……! せっかくですから、あの子に直接、そのことを訊いてくださらない?」
「えっ?」と、ケインが素で驚いてしまう。「じ、自分がですか?」
「あの子が遺産相続を想定してまで海外で子供を産んだのかどうか…… それを知りたいのです」
「カメリアさんが言うには、部屋から出てこないとかなんとか……」
「ヘソを曲げてるんですよ。安全のため、警備兵が来たら出て行くと言ってましたから、あなたが行けば顔くらいは出すでしょう。――弁護士が来ていると言えば、なおさらに」
「しかし…… 彼女の出産の経緯を知ってどうするのですか?」
「無論、今後の裁判や仲裁審議会で、どういう方針で行くべきかの参考にします。もし想定していたのなら、私の想像していた以上に邪悪な娘ですからね。子供を使った、資産強奪の計画犯罪ですよ」
どことなく、ベルから冷たい物を感じたケインは、
「やはり、もう娘として見ていない感じですか?」
と、単刀直入に尋ねた。
彼女は事もなげにうなずき、
「何も変わっていなかった。むしろ前よりひどく、邪悪になっています。あの子を娘と思うことはもう無いですよ」
と言い放った。
それがどこか、ニアと同じ物を感じさせる。
彼女は続けて、
「他に質問はありますか? ケインさん」
「あぁ…… いや、これで大丈夫です。お時間を取らせてしまってすみませんでした」
「いいのですよ、どうせ依頼についての契約も交わさないといけませんでしたから」
そう言って、ベルが立ちあがる。
いつの間にか書類を入れた封筒を持っていた。
その封筒の厚さを見たケインが、思わず首を傾げる。
「あの、二通ありますが……?」
「一つは警護依頼の物です」
「もう一つは?」
「先程言った、寄付に関する遺言書です。立会人はあなたにしてあります」
ケインが片眉を釣りあげ、二通目の手紙を見つめていた。
「私に何かあったら、これをムズリアの裁判所へ提出してください。あとは担当の弁護士が呼び出されて、その方が処理をしますから」
「何かあったらって……」
「先手を打っておかないと。ユイの自由を奪うことだけは、何がなんでも防がねば……!」
彼女の射る目は、いつしか黒い決意の目に変わっているようにケインは感じた。
彼はジッと彼女の眼差しを受け止めてから、「失礼ですが」と言った。
「あなたはやはり、ニアさんの母親ですね」
「えっ……」
ケインが急に立ちあがり、彼女の手から二通の手紙を引っ張るように取った。
「お預かりします。それと、自分もあなたに一つだけ言っておきたいことがあります」
「なんですか?」
「ユイさんのためにも、絶対に無茶なことはしないように。自分は他の同僚と一緒に、絶対に殺人なんて起こさせませんからね」
「…………」
「このこと、マイケルさんにも言っておいていいですか?」
「いいえ、私から言っておきます。
実は法定管理人になってもらう代わりに、ささやかですが遺産を譲渡するつもりでしたので。それを無下にすると言うことは、私の口から言わなければね」
「そうですか、ではお任せします。
あとそれから…… 例の奇妙な手紙ですが、一応、こちらで預からせて頂きます」
「あら、どうして?」
「不審者が現れたわけですし、万が一、何かあったら…… それが証拠品となるからです」
「なるほど…… 分かりました」
「帰り際にもう一度、執務室へ寄らせて頂きます。マイヤー所長が先に来た場合は、彼にお渡しください。それでも宜しいですか?」
「ええ、大丈夫」
「お手数を掛けてしまい、申し訳ありません」
そう言って目礼したケインが、扉の前へ向かい、また振り返った。
「では、これで」
「ケインさん」
「?」
「ユイをお願いしておきます」
「お願い……?」
「ええ」
しばらく間があいてから、「それは」とケインが言った。
「今回の事件のあいだ、と言う意味ですか? それとも今後以降も、ということですか?」
「今後以降もです」
「ベルさん、それはお断りします」ケインが突き放す。「警護兵はあくまで、契約期間中の存在。今後もユイさんを守れるのは、たった一人の親族であるあなただけです。そのためのお手伝いはしますが、直接は無しです。――では、失礼致します」
一礼したケインは、うろたえているベルを置いて、部屋から出て行った。




