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闇夜の京に鵺二匹  作者: 惜本大祐
第五章 平治の乱
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明暗

 

 清盛が事件を知ったのは熊野への道中、事が起きてから四日後のことだった。

 その情報は急行した忠清によってもたらされた。

 彼の伝えるところでは、軍勢が再建したばかりの内裏と院御所を包囲して、朝廷を軍事的に制圧してしまったのだという。

 さらにその首謀者は平家と姻戚関係を結んでいる信頼であり、その主力は義朝だという。


「信西殿はどうなった!」


 清盛は呆然としかけたが、かろうじて平静をたもって忠清に問いただした。


「どうやら難を逃れたようにございます。されどいまだ行方は知れず、信頼殿の手の者が八方捜索しているようでございます」


 清盛が留守のときに事を起こしたのは信西との関係を警戒したからだろう。

 彼がいないうちに信西を討ち、事後承諾させるという腹積もりだと思われた。

 ならば、やることは決まっている。


「家貞、すぐに平氏の本領たる伊勢へおもむき、兵を集めたのちに合流せよ」

「盛国はこのまま熊野へ向かい、僧兵の助力を請え」

「忠清も、すまぬがすぐに六波羅へ戻って、いまから言う言葉を伝えよ。こうだ。『兵を集め戦にそなえよ、そして信西殿が頼ってきたら丁重に保護せよ。たとえ宣旨が下されようと、決して渡してはならん』と」

「他の者は俺に続け、このまま京へ帰り、信頼殿を諫める」


 言い終わると、清盛はすぐ馬にまたがった。


「急げ!」




 時をさかのぼること四日、十二月九日。

 信頼が決起する直前のことだ。


 その日の信西は、いつものように院御所で仕事をしていた。

 例の熱心な仕事ぶりだから、外のことなどまったく気にも留めず、信頼がこんな計画をしていることなど夢にも思っていなかった。

 そんな信西を急場から救ったのは、側近の師光(むろみつ)だったと言っていい。


「ちかごろ、信頼殿が静かでございますな」


 仕事の骨休めにこぼした、何気ない一言だった。

 しかし、その一言に、信西の鋭敏な頭脳は反応した。

 いまは清盛が京を離れている。

 ならば、自分を殺すのに、これほど適した時はないのではないか。

 近ごろ文句を言ってこないのも、顔を会わせて計画を悟られることを恐れているからではないか。


 確信したわけではなかった。

 しかし、信西は自分が人から恨まれていることを知っている。


「師光、清盛殿が帰郷するまでのあいだ、ワシは身を隠すぞ」


 師光にしてみれば前触れもない、突飛な言葉だった。

 驚いて聞き返そうとしたが、信西の行動は早い。

 結局、師光が信西の真意を聞くひまもなく、さっさと供をさせる者を選ぶと誰に伝えることもなく、院御所を後にしてしまった。


 その夜、信頼の襲撃があった。


「やはり、そうであったか」


 師光から京の様子を聞いた信西は、これからどうするべきか考えた。

 信頼が上皇を擁しているなら遠国に逃げても追討の宣旨が下されればそれまでだ。

 ならば京の近くに隠れ、清盛と合流して反撃に転じたほうがよい。

 信西はそう考えた。


「師光、ここに穴を掘れ」


 師光は驚いて聞き返す。


「なにゆえ」

「ワシがそこに身を隠すのだ」


 作業は素早く行われた。

 人が二人くらいは入れるかという穴が掘られると、そこにどこからか手に入れてきた大きな箱が入れられた。

 その箱のふたを改造し、竹筒を取りつけて空気孔とした。


「師光、最後になるかもしれぬゆえ申しておくが、お前はよく仕えてくれた。礼を言う」


 師光は平伏した。

 まさか最後ではあるまいと思いながら、涙が止まらなくなった。


「こちらこそ、入道様のお役に立てたこと、誇りに思いまする」


 信西がうなずく。


「礼を言うばかりでなく、何か形見の品でも残してやりたい。だが急いで出てきたゆえ、なにも持っておらぬ。なにか望みはないか」


 師光はすこしのあいだ考えて、言った。


「では、法名をいただきとうございます」

「法名?」

「もし入道様が捕えられるようなことがあれば、私は世を捨て、仏道に専念しようと存じます。そのときのための法名を入道様にいただければ、これ以上の形見はございません」

「縁起の悪いことを申すな」


 信西は笑いながらそう言ったが、法名自体は真剣に考える様子で首をひねりはじめた。


「うむ、ではワシの〝西〟の字と、お主の〝光〟の字で〝西光(さいこう)〟というのはどうだ」

「西光、よき名をいただきました」

「よし、ではその名を名乗らなくて済むよう、仏に祈っていてくれ」


 主従ともに、ひとしきり笑いあったあと、信西が箱に入った。


「必ず、お迎えにあがります」

「待っておるぞ」


 師光は箱のふたをしめ、その上に土をかぶせ、さらに草葉をかぶせた。

 一目見たくらいでは人が埋まっているとは思えない出来ばえだ。

 それを確認すると、師光は何度も信西のもとを振り返りながら去っていった。




 ひとり土中に入った信西の胸には、幾多の彼の過去が去来した。

 彼の前半生は、暗闇の中にあったと言っていい。

 そもそも彼が生まれた家が、この類稀なる天才にとっては、暗闇の中にあるような家だった。

 藤原氏の傍流も傍流、どんなに頑張ったとしても公卿にはなれないような、家格の低い家だったのである。

 だが、彼に備わった大志と才が出世の道を諦めさせなかった。

 道を開こうと学問にはげみ、ついには当代随一の学者と呼ばれるまでになった。

 しかし、平安時代三百年の闇は彼一人の努力でどうにかなるものではなかったらしく、信西の努力もむなしく、結局、彼の官位は正五位下少納言であるにとどまった。

 彼は一度、世を憎みさえした。

 この国の頂点には彼よりも物を知らない者しかいない。

 そういう者たちが国に生じている問題を無視して、安穏と過ごしている。

 そんななかで問題を解決しうると自負する信西は低い身分のまま、その無能な彼らに奉仕している。

 絶望し、ついに出世の道を諦めて仏道に入った。


 そんな時に、保元の乱が起きた。

 乱は彼にとって光だった。

 信西はその光を、砂漠をさまよう者が水を求めるような切実さで欲した。

 そのために学友ともいえる左大臣頼長を騙し、主筋である崇徳上皇を流罪に追い込み、乱に参加した数多の武士たちを殺した。

 その果てに信西は光を手に入れた。

 彼は光を大きく育て、平安時代三百年の時間が生んだ闇を照らそうとした。

 今はその途中である。


(まだ死ぬわけにはいかん)


 暗闇の中で信西は自分に言った。

 世のために身をささげてきた自分がここで死ぬわけがないと自分を励ました。

 暗闇だと思えても、いつかは光が差すことを彼は経験から知っている。




 何日たっただろうか。

 朦朧とした意識の中で誰かの足音を聞いた。


「……」

「……」


 話し声も聞いた。

 頭上で、カサカサと音がした。

 それから間もなく、信西の目に光が映った。




 清盛は走った。

 昼夜を問わず走りつづけ、途中、伊勢・伊賀に住む郎党たち三百騎と合流して帰京した。

 12月17日のことだった。


「信西殿は!」


 六波羅邸につくと、最初にそう叫んだ。

 屋敷を守っていた弟の教盛、経盛、頼盛、誰も答えない。

 何かに耐えるように、じっと床を見つめている。

 清盛はいても立っても居られなくなって六波羅を飛び出した。


 彼の馬はまっすぐ義朝邸にむかう。

 義朝なら知らないはずはない。

 信西とつながりの深い自分が、信西を襲った彼らにどう思われているかなどという政治上の恐れは忘れていた。


 しかし、あるとき。

 突然清盛は馬を止めた。

 どういう集まりか、人だかりができていた。

 嫌な予感がして、ゆっくりと近づいていく。

 そして、見た。

 野次馬たちの視線の先にある、胴から切り離された僧形の男の首を。




 ちょうどそこへやってきた男があった。

 その男の顔を見ると、野次馬たちはクモの子を散らすように逃げだした。


「清盛、もどっていたか」


 その声を聞いた瞬間、清盛は男の顔に拳を叩きこんだ。

 男は吹き飛んで、尻餅をついた。


「なぜこんなことをした!」


 その男――義朝――は、すぐに立ち上がると無表情に服についた土をはらった。

 それがまた清盛の気に障った。

 もう一度、義朝の顔を殴りつけようとした。

 しかし、それは義朝の掌に受け止められた。


「信西の目指していたのは、しょせん公家の世だ。武士の世ではない」

「公家の世の何が悪い!」

「公家の世では、もはや実情に合わん。それは九州を調査したお前もわかっているはずだ」

「これから合うように変えていけばよいではないか!」

「どれだけ時間をかけるつもりだ。それほどの時間がかけられるわけがなかろう。現に、それをしようとした信西入道は殺されたぞ」

「お前が殺したのだろうが!」

「俺がやらなくとも誰かがやった。現にこの計画には、お前の平家をのぞく、源氏の武士はほとんど参加している。公家においてさえ、協力者は多い」

「では、なんだ。俺と信西殿がやっていたことは無駄だったというのか」

「そうではなかろう。あれだけの権力をもっていた信西入道ですら、武士は簡単に倒せるということを世に示した。そのための人柱であったと考えれば、決して無駄ではない」

「人柱、人柱だと!」


 感情のまま、刀を抜こうと柄に手をかけた。

 しかし、直前で思い止まる。

 信西がそうなら、義朝もまた友だった。

 気づくと、清盛の頬を涙がつたっていた。

 義朝がことさらに表情を消して言った。


「……信頼殿は平家の力も頼りにしていると言っていた。あとで名簿を差し出すといい」


 それだけ言い残すと義朝は去っていった。

 それを見送ると、清盛はふり返って信西であった物を見た。

 頬の周りに土がついている。

 清盛はそれを拭ってやり、合掌して、仇を討てないことを詫びた。



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