良いものであればと思います
鴇の服を調達したリールは、幌荷車を引いた二頭の馬を連れて帰った。近くの村で預かってもらっていたという。今更ながら、今いる場所がどこなのか気になってきた。
「シーゲルさん、ここは何ていう場所なんでしょうか」
「ここですか?ドウバという村の外れです。何か気になる事でもありましたか?」
「今どこにいるのか気になりました」
「そういう事ですか。ちょっと待っててください、どこかに地図があったはず……」
部屋の隅に纏めてある荷物の中から、丸めた紙を取り出すシーゲル。結んだ紐を解いて紙を広げると、なるほど地図らしき図が書かれている。机の上に地図を広げ、両手を使って丸まった紙を伸ばす。
「これは王都周辺の地図です。今いるドウバがここ」
端に近い一点を指差す。
「で、王都はここです」
中心近く、赤い色で丸く囲まれた部分に指を滑らせる。
「どれくらい距離があるんでしょうか」
「馬で十日くらいですかね。馬車に乗った事はありますか?」
「ないです。大丈夫でしょうか」
鴇には乗馬の経験もない。自分で乗れるのは自転車くらいだ。
「しっかり掴まっていれば平気だと思いますよ。僕もリールもいますから」
「それなら安心ですね」
馬車の座席もしっかりした作りだったし変に不安になることもないだろう。そんな風に思っていた。
◆
「どぁっ」
道に窪みでもあったのか、馬車が一度大きく揺れた。体が跳ねて頭をぶつける。ついでに倒れて背中も打った。
「大丈夫ですか?」
「はい……」
頭をさすりながら御者台のシーゲルに返事をする。倒れた体を起こし、抱えている鳥籠に視線を落す。
「ごめんなさい、リールさんは……」
「わたしも平気です」
鳥籠の中には茶斑模様の梟がいる。元の姿に戻ったリールだ。平気とは言うが、止まり木から落ちて羽を広げかけている姿はあまり平気に見えない。
ドウバの町を出て、王都の城へと戻る道中。鴇は馬車の荷台にいた。最初は御者台でシーゲルの隣に座っていたが、大きな揺れで馬車から転がり落ちそうになったため後ろの荷台に移された。少なくとも荷台なら転がり落ちる心配はない。
病み上がりのシーゲルが御者を務める事にリールは反対していた。体調を考えるなら鴇も同意見だったが、その心配は杞憂のようだ。むしろ今の鴇は自分の心配をしていた。ここ数日で体の随所に痣ができている。リールとお揃いなんてバカな考えが頭をよぎった。痣でできた斑模様とか嫌過ぎた。
「ぅづっ」
また馬車が揺れた。頭をぶつけた。
「トキ様、わたしは平気ですので、毛布の上で横になっていた方がよろしいかと。その方が安全です」
「……そうですね」
せめてリールだけでも揺れから守ろうと思ったがそれも叶わない。ここでも鴇にできる事はなさそうだ。
◆
「リールさんは梟なんですよね」
「そうです。かつては森でネズミやトカゲを狩って食べ木の洞で眠っていました」
宿屋で鴇に充てがわれた部屋の中。鴇はベッドに腰掛け、リールは備え付けの机の上で首回りの毛繕いをしていた。シーゲルが湯を使いに部屋を出ていて暇らしい。
「この世界だと、鳥や動物は人に変身して暮らすのは普通なんですか?」
「いいえ。どちらかといえば少数派でしょう。同胞の多くは日々生きる事だけで満ち足りていますから」
「でもリールさんはその少数派なんですよね」
「ええ。何の因果かわたしは大多数から外れてしまいました。悔いてはいませんが」
「自分でも、どうしてそうなったかわからないんですか?」
「予想はつきますがね。わたしが生まれ育った森は豊か、というか些か豊か過ぎました。森自体が強い力を持っていて、時折そこで生きるものを変えてしまうのです」
風切り羽を整えながら、リールは故郷の森を思い出す。犬ほどの大きさを持つ蜂の群れ。自在に枝や根を伸ばして獲物を捕らえる樹木。一噛みで巨獣を殺す小さな毒虫。兎も蛇も魚も鳥もおかしなものが沢山いた。森では当たり前の存在が魔物という括りで呼ばれていると知ったのは森を出てからだ。
「リールさんも変わってしまったんですか」
「ええ。ただ、わたしはその中でも変わり種でした。森を訪れる外の生き物に興味を持って、あまつさえ森を出たのです」
リールにもたらされたのは、森の長い歴史の中でもきっと特異な変化だった。森の力によって変えられた他の生き物同様、寿命が生物としての限界を超え、飛び抜けて長くなった。しかし、体は少し大きくなった程度で鱗が剣を通さないほど硬くなるとか牙に毒腺ができるという事はなく、彼が得たのは少し変わった力と知性とでも言うべきものだった。
「どうして森を出ようと思ったんですか?生きるのに不自由はしてなかったんですよね」
鴇が聞くと、リールは広げていた片方の羽を閉じて首を傾げた。
「……今でも上手く説明できませんが、おそらくは森での暮らしに飽きたのです。それとも、耐えられなくなったと言うべきでしょうか。森というのは、小さなひとつの世界です。その中だけで完結しています。森の生き物は森で生まれ、森で死にます。起きて、食べて、眠って、殖えて、死んでいく。延々と同じ事が続いて、それをただ見続ける内になぜわたしはここにいるのかと疑問に思ってしまいました」
本来なら疑問など抱きもしない事だった。一羽の梟として生きて、番を見つけて子を育み、次の世代に種としての命を繋いでいく。しかし既に種から外れてしまった彼には共に生を営む同胞はおらず、いずれ来る死を待とうにも彼の寿命は長過ぎる。ただ命を繋ぐ日々に、足元が真冬の川に浸かっているような寒気を感じていた。当時は知る筈もなかったが、あれは孤独というものだ。肉の体ではなく、その中にあるものが凍えていた。
「そんな頃、時たま森を訪れる生き物に目が向きました。人間です。何と言いましょうか、似ていると思いました」
「リールさんが、人間に?」
「当時の考えでは、人間がわたしに似ている、ですね。何かを見て、感じて、考える二本足の生き物に非常に近しいものを感じました」
森には賢しい生き物も多くいたが、いずれも彼には並ぶほどではなかった。二本足の生き物が森に来たと知るたびに、すぐに飛んで行った。そうする内に、二本足の生き物は人間という種族で森の外にしかいないと知った。
「人間に近づくには森を出るしかありませんでした。ですが生まれてからずっと森しか知りませんでしたから、決心がつかずにいたのです。そんな時に主に会いました」
その日は今でもはっきり覚えている。いつものように、木の陰から森に入ってきた人間を見ていたら、人間の方がこちらに気づいたのだ。初めての事だった。彼に気づいた人間は、他と違って逃げるでも危害を加えようとするでもなく見返してきた。それが嬉しくて、少しずつ距離を詰めていく。やがて互いの声が届く距離になると、たどたどしい言葉で語りかけた。外に行きたい。人を知りたい。そう望む彼に人間は取り引きを持ちかけた。
「人の中で生きる方法を教えるよ。その代わり、一緒に来てくれないか?話し相手を探してたんだ」
かくして一羽の梟でしかなかった彼は、人間の使い魔として契約を交わす事でリールという名前と人間の姿を手に入れた。生まれた土地の外に居場所を見つけるなんてひどく異端だと思っていたが、主であるシーゲルに言わせればそう珍しいものでもないらしい。
「人間の中には故郷を出る奴なんて掃いて捨てるほどいるよ。捨てる奴も、追われる奴もね。獣も鳥も、子供の内は親元にいても、成長すれば巣を出て外で生きていく。それと一緒さ。あの森は君にはもう小さ過ぎたんだ 」
その時は言われたことが腑に落ちなかった。森で生まれた命は死後肉体も魂も森に返る。リールが知る限り例外はなかった。森を出て初めて、生まれた土地の外に骨を埋める生き方もあると知った。それを理解した時、やっとシーゲルの言った言葉の意味が分かった気がした。あの森は変わってしまったリールには狭すぎた。
「それで、先生に付いていったんですね」
「そうです。あとはご存知の通り、主の使い魔として日々懸命に働いております」
舞台役者のように両羽を広げて頭を下げれば、鴇は「わー」と歓声の真似をしながら拍手した。
リールの居場所は生まれ育った森ではなく、かといって人間の世界かと問われればそれもまた違う気がする。ここが居場所だと敢えて定めるのなら、シーゲルの傍が自分の居場所であるとリールは考える。
「いい出会いだったんですね」
鴇は頷きながらしみじみと言った。過去の出来事を語るリールは楽しげで、シーゲルとの出会いを大切に思っていることがよくわかった。
「ええ。長々と話してしまいましたが、その一言に尽きます。私にとって、主との出会いは掛け替えのないものです。トキ様にとっても、良いものであればと思います」
「シーゲルさんは幸せですね。凄いです」
ここまで他者、いや他梟から思ってもらえることは滅多にないだろう。鴇が誰かから同じように言われれば、それだけで我が生涯に一片の悔い無しと本気で思ってしまう。
「あれ?リールさんとシーゲルさんは何年くらい前に会ったんですか?結構昔みたいな口ぶりでしたが」
シーゲルは見たところ三十歳に届いてはいないように見える。梟の寿命は知らないが、十年以上前ということはないだろう。
「さて……そういえば何年前でしょうか。何十年も前ですね」
「……リールさんとシーゲルさんって結構長生きされてますか?」
そうですねえ、とリールは先程とは逆に首を捻った。
「トキ様よりは長く生きているのは確実でしょうか」




