でも一緒にはいてください
食事が終わると、シーゲルは鼻の下まで布団の中に押し込められた。
「いい歳をして落ち着きがありません。一人で立って歩けるまで回復してから吠えてください」
リールが食器を持って部屋を出ていき、鴇とシーゲルの二人になる。
「お加減どうですか?」
「正直とても悪いです」
「……寝たほうがいいですね。おやすみなさい」
鴇はすぐさま明かりを消した。自分も毛布を被ってソファで横になる。
「先程は、すみませんでした」
明かりを消してしばらく。布団越しでくぐもったシーゲルの声が聞こえた。鴇は閉じていた目を開く。暗闇に慣れていない目では、すぐ近くにあるはずの机の脚も見えなかった。
「亡霊を殺したいと言って、その理由がいかにも世の為であるような嘘をつきました。本当の事を言って、見放されるのが怖かったんです……どんなに偉そうな理屈を並べても、結局僕の私怨です。その為に、無関係のあなたを巻き込んだんです」
ごめんなさい、ともう一度謝られる。
「……嘘をつかれたことを責めるつもりはありません。言いたくない事は、誰にでもあると思います」
シーゲルが笑った気配がした。
「巻き込まれたのも……文句はないです。役に立てるとも思えないので。というか、真面目な話、シーゲルさんは何をさせたくて私を呼んだんですか?殺すって物騒な事言ってましたが、私は荒事なんて何もできません」
声は返らない。シーゲルも答えあぐねているのだろう。できない知らない分からない、ないないづくしの人間に使い道がある筈もない。馬鹿な事を聞いてしまった。自分で自分の首を絞めるようなーー
「トキさんはいてくれるだけでいいんだと思います」
「……なんですか、それ」
返事を諦めていた鴇は、言われた言葉の意味が分からなかった。
「何もできないなら、できなくていいんです。でも一緒にはいてください。僕が躊躇したり、やっぱり止めるとか言い出したら、何してるんだ、早くやれって言ってください」
「そんなのでいいんですか……」
「いいんです。そういう事を言ってくれる人が、僕には必要なんです」
なんだそれ、と鴇は呆れた。そんな事でいいというシーゲルに呆れた。それすらできるか分からなくて不安になった自分にも。
「おやすみなさい」
鴇が返す言葉を失っている内に、シーゲルは会話を切り上げてしまった。毛布を頭まで引き上げて目を閉じる。釈然としないものを胸に抱えたまま、鴇は眠りについた。
◆
「五日で治す」
翌朝、やはり具のないスープを飲んだシーゲルはそう言った。
「承知しました」
リールは当たり前のように頷いた。二人とも真顔だった。鴇は付いていけなくてパンを噛み続けながら首を傾げた。この世界では体調の回復が自由にコントロールできるのだろうか。
その日、鴇は三日振りに外に出た。これまでのようにソファに座っていたら、退屈ではないかとシーゲルに言われたのだ。単に気を遣ってもらったのか、部屋に誰かいると落ち着かないからどっか行ってろと遠回しに言われたのかは分からないが。じゃあ散歩でも行ってきますと外に出て、初めて自分が寝起きしている建物を見た。避暑地の別荘にありそうなログハウス。使われている材木がそのまま見えるのが新鮮だった。
外に出たはいいが、しかしする事がない。散歩は数分経たない内に飽きてしまった。鴇は仕方なくログハウスに戻り、リールを探して声をかける。
「あの、何か手伝えることはありますか?ええと……掃除とか」
「では薪を集めて頂けますか」
渡された籠を手に外に戻り、籠が一杯になるまで落ちている枝を拾って歩く。柔らかい枝は火がつきやすいがすぐ燃え尽きる。硬い枝は火がつきにくいが長く燃えると教えてもらった。
「他にやる事はありますか」
「野菜の皮むきがあります。刃物は扱えますか」
それから、鴇はリールの手伝いをするようになった。
◆
「シーゲルさんが回復したら、どうするんでしょうか」
昼食の準備中。固いさやから乾いた豆を取り出しながら、鴇は鶏を捌くリールに尋ねた。シーゲルの五日で治す宣言から四日が経った。昨日から自分の足で立って歩き回るようになったシーゲルを見ていると、五日で治すと言ったのも本当になりそうだ。
「シーゲルさんは城の亡霊を殺したいと言ってましたが、お城に行くんでしょうか」
「ええ、城に戻るでしょう。主は王に仕える魔術師ですから。亡霊も同じ城にいます」
「……シーゲルさんって偉い立場の人なんですか」
「私も正確な所は知りませんが、立場としては大臣や宮廷魔導師の長と同じくらいでしょうか。実際の権力は大してありませんが」
「……偉い人なんですね」
王やら大臣やら、生まれてこのかた小市民として生きてきた鴇には現実感のない役職名だ。シーゲルがそれらと並ぶ立場にあるというのは、更に実感が湧かない。
「王自ら召し抱えている訳ですし、偉いといえば偉いのでしょう。あれでも実力は……あっ」
「リールさん?」
不意にリールの言葉が途切れ、鴇は手元から顔を上げた。丁度同じタイミングで、居間になっている部屋のドアが開いてシーゲルが入ってくる。寝ていたのか、髪が方々に跳ね回っていた。
「ねえリール、明日の事なんだけ……トキさん?」
「こんにちは」
「あ、うん。こんにちは。無理に手伝いしなくてもいいですよ」
「好きでやらせてもらってます」
「大変助かっております」
「仲が良くて何よりだよ。何を話してたの」
「城での主の立場について話していました」
「王様お抱えの魔術師と聞きました。シーゲルさんは偉い人なんですね」
壁に凭れて立つシーゲルは首を横に振る。
「名誉職みたいなものだから、王お抱えという言葉面ほど偉くないんです。発言権弱いし、派閥とかないから影響力ないし。まあこっちも好き勝手してますから当然です。食うに困らないのは、本当にありがたいけど」
そこまで言って、欠伸をひとつ。王直属の魔術師という立場なんてどうでもいい、といった様子だ。
「それより、主、城の人間にトキ様をどう説明するのです」
鴇もそこで気がついた。シーゲルとリールが城に戻るなら、当然鴇もついて行くのだ。国の心臓とも言える王城に身元も定かでない人間が入り込めるものだろうか。
「僕の弟子って事にするよ。僻地の集落で見つけたと言えば、多少常識に疎くても誤魔化しが効く。それで、リール、明日村に行って、トキさんの服を見繕って来てくれないか。流石にずっと僕の服という訳にもいかないだろう」
今の鴇はシーゲルの物である男物の服を借りて着ている。最初に着ていた制服は洗って乾かしている最中だ。
「承知しました」
「済みません。何から何まで」
「いいえ。トキさんを呼んだのはこちらなので。身の回りを整えるのは僕の仕事です」
「トキ様の事、一応考えてはいたのですね」
「当たり前だ。他にごちゃごちゃ言ってくる奴がいても相手にしなくていい。本当に文句があるなら僕に直接言いにくる」
「出立の予定に変更は」
「ない。トキさんさえよければですけど」
後半は鴇に向けた言葉だと、顔を向けられてから気がついた。
「はい。私もいつ出発でもいいです」
今の鴇に特別やらなければならない事もない。あえて言うならシーゲルの手助け。それならシーゲルの立てた計画に否やが有ろう筈もない。