生き物として死にたい
泣き止んで家に帰ると言う少女を見送り、鴇は村外れに残った。一人で帰れると言うのでそのまま帰してしまったが、本来なら家まで送っていくのが年長者としてあるべき姿だったなと鴇は頭の隅で考えた。
少女の背中が見えなくなるまで見送り、鴇は森の方へと向き直る。鴇のいる場所は燦々と日光が注いでいるのに、枝々に茂った葉が光を遮っているせいで森の辺りは鬱蒼として薄暗い。木々の隙間に紛れるように、輪郭のぼやけた人型が佇んでいた。
「……あれでよかったですか」
人型の輪郭が揺れる。水面に細波が立ったみたいだ。
「ああ、文句なしだ。ありがとう」
悪い事をした、と人型は呟いた。
「誰か、大人を呼んでくれと頼みたかったんだ。怖がらせるつもりはなかったんだが……」
どの口が言うのか。しかし、少女が自分のせいで父親が病気になったと泣き出した時、手と首を何度も振って否定らしい動作を取っていたから、やはり悪意あっての行動ではなかったのだろう。
「私は灰沢鴇といいます。あなたは……」
誰、いや何だと聞くべきか。言い淀むと、察したように人型が言葉を発した。
「俺の名前はロビン。見ての通り人間じゃない。元は人間だけどな」
ははは、と人型が笑ったような声を出す。また輪郭が揺れた。
「ただの消え損ないだ」
◆
昔々。具体的には百何十年か前の話。まだ村がセーガンと呼ばれる前。
岩山に一体の精霊が棲んでいた。ナルガムができる前からいたという精霊は強い力を持っていて、その力でここ一帯の土地を肥やしていた。正確に言うと、精霊にそんなつもりはなく、力を受けた土地が勝手に豊かになっていただけだ。
やがて人が集まり集落ができ、村になるまでそう時間はかからなかった。人々は精霊には気づかなかったが、実りの多い土地に、この山には神がいるのだと感謝した。着々と人が増えていた時に問題は起きた。精霊がいなくなったのだ。豊かだった土地はものの数年で痩せ細り、不作の年が続いて村人たちは考えた。なぜ今まで取れていたものが急に取れなくなったのだろう。やがて一つの結論が出た。山の神さまがお疲れになってしまったのだ。それなら、我々で食べるものを差し上げよう。そして元気になって、また土地を豊かにしてもらおう。
◆
少女が見た「おばけ」は見間違いではなかつた。なんせ鴇にも見えている。少女はずっと森に背を向けていて気づかなかったが、鴇が最初に森の方を見た時からそこにいた。少女と鴇、二人で同じ幻覚か白昼夢を見ていたならそれはそれで怖い。
「元は人間って事は、ロビンさんは幽霊ですか?」
「幽霊以下だろ。もう顔もわからねえ」
人型ことロビンはやはり形が曖昧な手で鼻と口の凹凸しか分からない顔を捏ねるように撫でた。そこで鴇は気づく。ロビンには右腕が見当たらない。腕を外したマネキンのように、右肩からわき腹にかけてストンと落ちている。
「トキだっけ。あんた、見たとこ他所の人か? 早く出てった方がいい。この辺りはいま随分とまずい状況だ」
「茶色いかさぶたのできる病気ですか?」
ざわっとロビンの表面が波打つ。驚いている、ように感じた。表情が見えない代わりに、体全体で感情を表しているのだろうか。
「……知ってるのか?」
鴇は自分がセーガンに来た経緯をロビンに説明する。国の西部でセーガンを中心に謎の病気が流行っている事、原因と治療法を調べるため、城から調査団が派遣された事。
「師匠が調査団の一員です。私は師匠に付いてきただけのお荷物です」
「その割りには中々の仕事っぷりだったぞ」
「はい? 何の事ですか?」
鴇は何もしていない。原因不明の病気に関して何かできる筈もない。
「さっきのちびっ子。親父の病気が自分のせいじゃないと分かって安心してたろ。相当気に病んでたみたいだが、あれだけ泣いたらもう大丈夫だろ。あんたの手柄だ」
「……はあ」
気に病ませた本人に言われてもピンとこない。
「あの子のお父さんの病気、本当にあなたのせいじゃないんですね?」
鴇はこれが聞きたくてこの場に残ったようなものだ
「ああ。こんな言い方は嫌だが、運が悪かったな。第一、俺にあれが操れる訳がない」
あれとは、病気の事か。何か引っかかる口ぶりだ。
「あの、ロビンさんは病気について何か知ってるんですか?」
にい、と。ロビンの口を表す凹凸の端が、片方持ち上がる。まるで人が片頬だけで笑ったようだ。
「何かどころじゃない。病気って言われてるものの、原因を知ってる」
◆
村外れから戻る途中、杏頭と出くわした。今日は桶を持っていない。あからさまに顔を顰められる。鴇は軽く頭を下げて通り過ぎたが、はたと気づいて立ち止まる。
「お仕事中すみません」
「……」
嫌そうな顔ではあるが、杏頭も足を止めて振り向いてくれた。
「聞きたい事があるんですが、少しお時間いいですか?」
「……それは、オレじゃなきゃいけない事か?」
「いえ。最初に会ったのがあなただったので。嫌ならいいんです。他を当たります。失礼しました」
駄目で元々だ。断られたなら最初の予定通りシーゲルに聞けばいい。
杏頭はチッと大きな舌打ちをしたが、「何が聞きたいんだ」とその場に留まった。
「あれ、いいんですか?」
「早くしろ。オレに分かる事は答える」
その顔にはありありと嫌悪が見て取れる。嫌われているのだから当然だが。それなのに質問を聞いてくれるなんて。杏頭はとても良い人のようだ。数少ない知った顔なのでつい声をかけてしまったが、自分はもっと嫌われている自覚を持った方がいいだろう。
「ありがとうございます。あのですね、死んで肉体がなくなっても消えられない魂があったとして、それをもう一度死なせるにはどうすればいいでしょうか?」
「死んだ奴の魂を死なせる……消すとか、天帰じゃないんだな?」
「すみません、テンキとはなんでしょうか」
「死者の魂を天にお帰しする事だ」
「……多分違います。あくまで、生き物として死なせる方法です」
「そうか。なら悪いが、オレには分からない。肉の器を用意してそこに魂を入れればいいのかもしれないが、詳しい方法は知らない。死霊術の範囲じゃないか。というか、それこそシーゲル殿に教えてもらえばいいだろう」
「そうですね。急にすみません、ありがとうございました」
礼を言い、鴇はその場を立ち去るために背を向けた。そこに「おい」と声がかけられる。
「急にどうした。村人に何かあったのか?」
森の中にいたロビンを思い出す。村人……なのだろうか。
「いえ。少し気になっただけです」
◆
ロビンとの会話を思い出す。
病気の原因を知っていると言われ、鴇は驚きで言葉が出なかった。
「原因を教えるのは全く構わない。むしろ俺もあれをなんとかしてもらえるなら願っても無い事だ」
すぐにでも教えてほしい。そう思った鴇を遮るように、ロビンは言葉を継ぎ足した。
「その代わりと言っちゃあ何だが、俺の頼みもできれば聞いてほしいんだ」
見ての通り俺は死んでる、とロビンは言う。
「俺が死んだ時、周りはひでぇもんでな。俺が死んだ事になんか気づいてくれない。いや、そもそも、その時俺は人間どころか生き物ですらなかったんだ」
溜息をつき、左手で右肩の辺りをさするロビン。
「ひっでえよな、あれ……痛かったなあ。……でもみんな……もっと……」
当時を思い出しているのか、ロビンは小声で何事か呟いている。鴇はおずおずと口を挟んだ。
「ええと、あの、ロビンさんが頼みたい事っていうのは何でしょうか」
「ん? ああ、悪い悪い。俺は、死をやり直したい。もう一度、今度は真っ当に生き物として死にたいんだ。でも方法も何も分からなくてな。トキの師匠、魔術師なんだろ? 何か方法を知ってるかもしれない。俺もトキたちを手伝うから、そっちも俺の目的に力を貸してほしいんだ」
ロビンの話を信じるか、協力し合うか。鴇だけで勝手に決める訳にはいかない。シーゲルに話して、判断を仰ぐべきだ。そう考えた鴇は、一度天幕に戻る事にした。途中で杏頭に会ったので、ロビンの死をやり直すという希望は実現できるものなのか尋ねたが、彼にも詳しい事は分からないようだ。
天幕へと戻る道を歩きながら、鴇は別れ際のロビンを思い出す。
(……なんか、顔が変わってたな)
変わったというか、はっきりしたというべきか。最初は口と鼻の凹凸しか分からなかった顔が、最後は目元の形が分かるようになっていた気がする。




