錆みたいな病気
遠くからでも見える灰色の岩山。セーガンは岩山の周りを囲む森を抜けた場所にあった。鴇から見たセーガンの印象は荒れた村、というものだ。埃っぽい風がそう思わせるのだろうか。昼間なのに人気のない村は、空気がくすんで全体的に褪せて見えた。
件の場所に到着した調査団は、以前から流行り病を調べていた言うなれば先遣隊と打ち合わせを始めた。その後で村の代表者に話を聞きに行くらしい。シーゲルもその一人だ。鴇はリールと一緒に天幕を張ろうとしたが、戦力外通告をされたので薪拾いを始めた。
そこらを歩き回っていたら、調査団の中に杏色の頭を見た。出発の時にも見たが、彼も無事に着いたようだ。薪拾いから戻ると、シーゲルが戻っていた。難しい顔で何やら考え込んでいる。
「錆みたいな病気です」
「……錆?」
鴇が天幕に入ってきたことに気付いたのか、シーゲルがぼそっと言った。錆みたいな病気とはどういう意味か。
「皮膚の表面に傷もないのに痛がゆくて錆みたいな茶色いかさぶたができて、それがじわじわ広がっていくそうです。すでに死者も何人か。猶予はないですね」
「かさぶたで人が亡くなるんですか?」
「あれは唯のかさぶたじゃないですね。かさぶたが広がって生命力を吸ってる感じでした。広がるごとに体が弱って動かせなくなって、全身に広がる頃には衰弱死です。病気って言ってましたけど、病気は命を食べません。凄く嫌な感じもしたし、僕からすればあれは呪いの類としか思えません」
「……誰かが、この村を呪ってるって事でしょうか」
悪意を持って、セーガンに危害を加える者がいるのだろうか。
「分かりません。誰か一人を呪うならともかく、村全体を呪うのは……無くはないか。でも、正直こんな小さな村を全滅させても利益があるとは思えないですね。犯人が村の人間なら、自分だって共倒れしかねない」
村人たちは謎の病に怯え、畑仕事、水汲みなどの必要最低限しか外に出ないという。
「畑仕事、ですか」
水汲みはともかく、畑仕事のために怖くても外に出るというのは今ひとつ腑に落ちない。
「死活問題ですよ。畑の世話をしないと、食べる物がありませんから。最近は商人も来なくなったと言っていますし」
そう言われて納得した。この世界にスーパーやコンビニはないのだ。たとえ店があっても、今は商品を仕入れる事ができない。怖かろうと自分たちで食料を調達するしかないのだ。
「明日から本格的に原因を調べますが、下手すると僕らもやられかねません。こりゃ防護の符でも作った方がいいなあ……トキさん、出発前に渡したナイフ、肌身離さず持っててください。無いよりマシでしょうから」
「はい」
城を出発する日の朝、シーゲルは鴇に一振りのナイフを渡した。稀少な素材で作られていて、魔除け、厄払いの効果があるという。
翌朝、シーゲルはリールを伴い、調査団の面々と共に出かけていった。
「ねえ」
鴇が一人になるのを見計らったように声が掛けられる。天幕の陰に隠れながら、鴇より年下と思しき少女がおそるおそるといった様子で鴇を見ていた。
「ねえ、あなた、お城から来た魔術師の人よね……?」
「え?いえ、私はーー」
「一緒に来て!」
ただの弟子です。と言い終えない内に、少女は鴇の手を引いて歩き出した。小さい体のどこからそんな力が出てくるのかと思うほど力強い歩みで、真昼の日差しに照らされた村をどんどん進んで行く。辺りを見回すと、やはり村に人気はない。明るいのに人の気配がない。廃村のようだ。進む道を選んでいるのか、調査団の面々とも行き合わない。時折遠目に見かけるくらいだ。
「あの、どこに行くんですか?」
「もうちょっと!」
「場所はどこでしょう」
「北の村外れ!」
「どこだ……」
少女に手を引かれて歩く内に、家はまばらになり、道には大きな草が生えたり石が転がったりと粗末になってきた。このまま行くと村の外に出てしまいそうだ。
「ここよ、ここ!」
少女がようやく立ち止まったのは、村の外れだった。すぐ近くに昨日抜けてきた森がある。
「ここですか……というか、なんで私を連れてきたんですか?」
鴇は顔を左右に向けて辺りを見ながら尋ねる。少女を見ると、びくりと肩を揺らして顔を逸らされてしまった。胸の前で握りしめた両手は震えている。
「……」
鴇の手を引いていた時とは打って変わった様子の少女。鴇はしゃがむと、黙りこくる少女の顔を下から見上げた。あ、と気づく。この子は、怖いのだ。
「ここで、何かあったんですか?」
少女は目を瞑って小さく頷いた。
「……私はあなたを怒ったりしません。何があったか、話してくれますか」
目を開けた少女はおずおずと鴇を見た。その目には薄っすら涙が滲んでいる。少女の表情や仕草に、鴇はつい小さい頃の自分を重ねてしまう。周りから叱られるのが怖くて、いつも下を向いていた。今頃、少女の胸は不安と恐怖と後悔でいっぱいの筈だ。そう考えると放っておけない。話だけでも聞いてやりたい。問題が起きているなら、シーゲルに相談しよう。
「……おばけがいたの」
「おばけ?」
「ちょっと前にね、ここに来たの。お母さんに、外に出ちゃダメって言われてたんだけど、お家にいるの、つまんなくて外に出ちゃったの」
少女は少し口を閉じた後、振り向かないまま背後の森を指差した。鴇は森の方を見る。
「森の中にぼんやりした人みたいなのがいて……あれ、絶対おばけだよぉ……! おばけが何か言ってて、わたし、怖くなっておうち帰って、そしたら、そしたら……」
うわああ、と少女は声を上げて泣き出した。
「お父さんが病気になっちゃった……!!」
少女がどうしよう、どうしようと涙を零す。え、と鴇は目をみはる。少女の父の病気とは、今セーガンで流行っている病気ではないか? 呪いとしか思えませんと、シーゲルの言葉が耳に蘇った。鴇はもう一度森を見る。
「わたしのせいだ……わたしが言うこと聞かなかったからおばけに会っちゃったんだ。そのせいでお父さん病気になっちゃったんだあ」
「違うよ」
鴇の右手が少女の頭に触れる。
「お父さんが病気になったのは、あなたのせいじゃない。お母さんの言い付けを破ったのはいけない事だったけど、お父さんの病気はあなたのせいじゃないよ」
ぐす、と洟をすすって少女が鴇をみる。涙に濡れ、悲しみに歪んだ顔をまっすぐ見返した。
「……ほんとに?」
「うん。おばけだって見間違いだよ。あの木、枝と葉っぱの影が人の顔みたいに見える。怖かったり不安だったりしたから、おばけと見間違えたんじゃないかな」
あそこ、と鴇が森の一箇所を指差したが、少女は振り向かなかった。怖い思いをしたのだから無理もない。
「……よく頑張ったね」
鴇は少女の頭に置いた手を動かす。頭を撫でられた少女は目を瞬いた。
「誰にも言えなくて、辛かったね……ずっと、怖かったよね」
少女はずっと耐えていたのだ。自分のした事が間違いだと気づいて、過ちを認めて、それを誰にも言わずに今日まで来た。元はといえば少女が母親の言いつけを破った事が原因だ。自業自得と言えばその通りで、そう言ってしまうのは簡単だ。けれども鴇は、少女の行いをただの自業自得とは言いたくなかった。
「よく頑張ったね、偉いね」
少女の顔がくしゃくしゃになった。泣きながら飛び付いてきた少女を尻もちつきながら受け止める。最初に見た時思った通り、小さな体だ。鴇の腕の中に収まってしまう。こんな小さな体の小さな胸に、子供には過ぎた秘密も罪悪感も、不安も恐怖も全部詰め込んで必死に耐えていたのだ。その努力を、忍耐を、鴇一人くらいは褒めたっていいだろう。
「おとうさん、病気治るかなあ……? 元気になるかなあ……?」
少女は泣きながら一心に父親を案じている。きっと優しい子なのだろう。
「私には分かりませんが、私の先生や、他にも沢山の人が病気の原因と治し方を探してます。だから、きっと大丈夫ですよ」
少女が泣き止むまで、鴇は尻もちをついたまま少女の頭を撫でていた。