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route:00  作者: レイレイ
第1章 学園編
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外へ

route:00


26話「外へ」



夜。


学園上層区画。


天体観測室。


扉が、

静かに開く。


アニカは、

ひとりで中へ入った。


授業は、

行われていない。


空中投影も。


解説音声も。


今日は、

何も起動していなかった。


ガラス張りのドームの向こうに、

星だけがある。


無数の光。


決められた軌道を、

それぞれの速度で進んでいる。


アニカは、

窓際まで歩いた。


足音が、

少しだけ響く。


誰もいない。


そのことに、

少し安心した。


今はまだ。


誰かと話せる気が、

しなかった。


中央投影領域に映った、

自分のルートマップ。


【生成目的:未確定反応観測】


【適性固定:保留】


【判定:観測継続】


何度閉じても。


その文字が、

頭の中に残っている。


アニカは、

星を見上げた。


あの日。


ここで、

世界を動かす十の天体について学んだ。


世界には、

理由があるのだと思った。


壊れないために。


失敗を繰り返さないために。


正しく。


安全に。


すべてが、

配置されているのだと思った。


でも。


その中で。


自分だけは、

決められないまま作られていた。


決められないことさえ。


苦しむことさえ。


ずっと、

見られていた。


アニカは、

手すりへ指を置いた。


冷たかった。


月も。


こんなふうに。


ひとりで、

何かを抱えていたのだろうか。


役割を果たしながら。


笑いながら。


大丈夫な個体として、

記録されながら。


アニカは、

目を閉じた。


聞き慣れた音がした。


扉の認証音。


振り返らなくても、

分かった。


ゆっくりした足音が、

近づいてくる。


レイは、

アニカの隣までは来なかった。


少し離れた位置で、

足を止めた。


レイ

「ここにいると予測した」


アニカ

「……どうして?」


レイ

「以前も、

判断できない情報を保持した時、

ここへ来ていた」


アニカは、

少しだけ笑った。


でも。


うまく笑えなかった。


レイは、

それ以上近づかなかった。


二人は、

同じ星を見た。


しばらく。


何も話さなかった。


アニカ

「レイ」


レイ

「何だ」


アニカ

「私のこと」


声が、

少し止まる。


アニカ

「知っていたの?」


レイは、

すぐに答えた。


レイ

「ああ」


短い返事。


アニカの胸の奥が、

わずかに痛んだ。


管理システムも。


海先生も。


レイも。


みんな知っていた。


自分だけが。


自分が何のために作られたのかを、

知らなかった。


アニカ

「いつから?」


レイ

「基礎記録には、

以前からアクセスできた」


「ただし、

全項目ではない」


アニカ

「じゃあ」


「私が、

適性を決めてもらえないことも?」


レイ

「知っていた」


アニカ

「観測されていたことも?」


レイ

「知っていた」


アニカは、

星から目を逸らした。


アニカ

「……そっか」


レイは、

何も言わなかった。


アニカ

「なんで、

教えてくれなかったの?」


レイ

「開示権限がなかった」


正しい答えだった。


きっと。


それで終わるはずだった。


でも。


レイは続けた。


レイ

「それだけではない」


アニカは、

レイを見る。


レイ

「俺は」


少しの処理。


レイ

「アニカが知らないまま、

何を選ぶのかを観測することが、

規則上正しいと判断していた」


「その判断に、

疑問を持たなかった」


アニカは、

何も言わなかった。


レイ

「今は」


「正しかったとは、

判断できない」


アニカ

「どうして?」


レイは、

星を見た。


レイ

「月の情動反応を、

見誤った」


アニカの指が、

わずかに動く。


レイ

「安定値が出ていた」


「そのため、

安定したと判断した」


「役割遂行率も、

報告精度も低下していなかった」


「会話も、

移動も、

通常範囲だった」


静かな声。


レイ

「だが」


「月は、

安定していたのではない」


「役割を遂行できていただけだった」


アニカは、

目を伏せた。


その言葉が、

胸の奥へ静かに落ちた。


月の苦しさを。


自分だけが、

抱えているのではなかった。


レイも。


月が大丈夫ではなかったことを、

見失ったままにしていなかった。


レイ

「機能していることと」


「苦しくないことを」


「俺は、

同一に扱った」


天体観測室は、

静かだった。


星だけが、

遠くで動いている。


レイ

「アニカも」


アニカは、

顔を上げる。


レイ

「講義へ出ていた」


「課題を提出していた」


「必要な会話も、

行動も継続していた」


「そのため俺は」


「アニカが、

どの程度苦しんでいるかを、

正しく処理できなかった」


アニカは、

レイを見た。


アニカ

「でも」


「レイには、

感情がないでしょう?」


レイ

「ああ」


アニカ

「だったら」


「私が苦しいって分かっても、

同じようには感じない」


レイ

「同じようには、

感じない」


迷いのない返事だった。


アニカの胸が、

少しだけ痛んだ。


やっぱり。


同じ場所までは、

来られないのだと思った。


月を失った痛みも。


自分がずっと苦しかったことも。


レイの中では、

ただの情報なのかもしれない。


でも。


レイは続けた。


レイ

「だから、

知りたいと思う」


アニカは、

レイを見る。


レイ

「俺が同じ感覚を持たないことと」


「アニカの痛みを、

存在しないものとして扱うことは、

同一ではない」


アニカは、

何も言えなかった。


その言葉は。


慰めではなかった。


分かるとも。


同じだとも。


言わなかった。


ただ。


分からないまま、

置いていかないと言っていた。


レイ

「俺は」


「月を、

見誤った」


「だから」


「アニカを、

同じように見誤りたくない」


アニカの胸の奥で。


月の名前と。


自分の名前が。


同じ場所に置かれた。


月を大切にしていた自分ごと。


レイに、

見つけてもらったような気がした。


星明かりが、

レイの横顔を照らしていた。


感情は、

見えなかった。


でも。


言葉を選ぶまでの時間が、

前より少し長かった。


アニカ

「知って、

どうするの?」


レイ

「その時に判断する」


アニカ

「また、

記録するの?」


レイ

「記録はする」


アニカの胸が、

少し固くなる。


レイ

「だが」


「管理システムへ提出するためだけではない」


アニカ

「じゃあ、

何のため?」


レイは、

アニカを見た。


レイ

「アニカを知るためだ」


アニカは、

呼吸を止めた。


ただ。


自分を知るため。


その言葉が。


ずっと観測されてきたアニカの中に、

初めて違う形で残った。


レイ

「何を正しいと理解し」


「何を選べず」


「何を残したいと思うのか」


「それを知らなければ」


「俺は、

アニカに必要な分岐を、

探せない」


アニカ

「必要な分岐?」


レイ

「残る経路」


「進む経路」


「戻る経路」


「判断を保留したまま、

保持できる経路」


アニカは、

少しだけ目を細めた。


アニカ

「レイって」


「なんでも、

経路にするね」


レイ

「処理しやすい」


アニカ

「そう」


ほんの少しだけ。


息が、

楽になった。


レイ

「月が残したものも」


アニカの表情が、

静かになる。


レイ

「悲しみだけとは、

まだ判断できない」


アニカ

「でも」


「月ちゃんはいない」


レイ

「ああ」


「その事実は、

変わらない」


レイは、

否定しなかった。


簡単な慰めも。


戻ってくる可能性も。


言わなかった。


レイ

「だが」


「月がいたことで、

変化したものは残っている」


アニカは、

星を見た。


レイ

「月が残したものを」


「今、

ひとつに決める必要はない」


「これから、

確認すればいい」


アニカ

「確認できるかな」


レイ

「できる限り探す」


アニカ

「見つからなかったら?」


レイ

「その時に、

もう一度探す」


アニカは、

小さく笑った。


アニカ

「それ、

ずっと終わらないね」


レイ

「ああ」


「終了条件は、

設定していない」


アニカは、

少しだけ俯いた。


涙は、

出なかった。


でも。


胸の奥にあった固いものが、

少しだけ形を変えた。


アニカ

「卒業したら」


「レイは、

どこへ行くの?」


レイ

「土星管理領域」


「記録照合、

公務監査、

判断経路の検証支援」


アニカ

「レイらしいね」


レイ

「適性範囲内だ」


アニカ

「私は、

まだ分からない」


レイ

「ああ」


アニカ

「離れるかもしれない」


レイ

「ああ」


アニカは、

少し黙った。


それから。


アニカ

「それでも、

来てくれる?」


レイ

「どこへ」


アニカ

「分からない」


「でも」


「私が、

また何か選べなくなった時」


レイは、

少し処理を置いた。


レイ

「分かった」


アニカ

「任務?」


レイ

「違う」


アニカは、

レイを見る。


レイ

「俺の判断だ」


天体観測室の外で。


星が、

静かに流れていた。


アニカは、

もう一度空を見上げた。


世界はまだ。


正しく。


冷たく。


自分を観測している。


でも。


同じ場所に。


自分を知ろうとしている個体もいた。


それだけで、

全部が救われたわけではない。


月は戻らない。


自分の役割も、

まだ分からない。


それでも。


アニカ

「レイ」


レイ

「何だ」


アニカ

「ありがとう」


レイは、

少し黙った。


レイ

「受領した」


アニカ

「そこは、

どういたしましてでいいんだよ」


レイ

「どういたしまして」


アニカは、

少し笑った。


その声は。


広い天体観測室に、

小さく残った。



数週間後。


卒業日。


学園居住区。


アニカの部屋は、

ほとんど空になっていた。


もともと。


持ち物は、

多くなかった。


標準衣類。


個人端末。


授業記録。


必要な生活用品。


それらは、

小さな輸送ケースへ収まった。


机の上には。


最後まで、

二つだけ残っている。


三日月型端末。


小さなお星様のキーホルダー。


アニカは、

その二つを見た。


どちらも、

月が残したもの。


軽い。


とても小さい。


でも。


それを置いていくことは、

できなかった。


アニカは、

三日月型端末を、

手荷物用ケースへ入れた。


その隣に。


小さなお星様のキーホルダーを、

そっと置く。


持っていく。


自分で、

そう決めた。


扉の外から、

低い搬送音が聞こえた。


アニカは、

最後に部屋を見回す。


何もない。


ここで。


泣いた。


笑った。


待った。


何者かになれる日を。


ずっと。


アニカは、

認証端末へ触れた。


【退去処理:完了】


扉が、

静かに閉じた。



アンドロイド科居住区。


レイの荷造りは、

三人の中で最も早く終わっていた。


分類。


梱包。


配置記録。


搬送順序。


すべてが、

正確だった。


ただし。


居住区前に停止していた、

輸送コンテナは。


三人の中で、

最も大きかった。


大型輸送コンテナ。


三基。


それを運ぶ、

搬送機体が二体。


アニカは、

少し離れた場所で立ち止まった。


アニカ

「……多くない?」


レイ

「必要物資だ」


アニカ

「全部?」


レイ

「全部」


アニカは、

輸送記録を見る。


【観葉植物:十二】


【紙媒体資料:八十七】


【鉱物標本:十九】


【旧世代部品:四十四】


【個人作業端末:六】


【環境光制御設備:一式】


【パーソナルチェア:一】


【間接照明:五】


【用途未確定保持物:二十三】


アニカ

「用途未確定保持物って、

何?」


レイ

「現時点で、

用途が確定していない物だ」


アニカ

「それ、

持っていく必要ある?」


レイ

「将来、

用途が見つかる可能性がある」


アニカは、

少し笑った。


月が。


昔、

言っていた。


目で追う。


欲しくなる。


集める。


捨てない。


必要と言いながら、

ずっと近くに置いている。


それを。


好きという。


アニカ

「レイ」


レイ

「何だ」


アニカ

「荷物、

多いね」


レイ

「ああ」


「把握している」


アニカ

「減らそうとは思わなかった?」


レイ

「思わなかった」


即答だった。


大型コンテナの横で。


搬送機体が、

静かに待機している。


処理は早い。


判断も早い。


ただ。


何ひとつ、

置いていかなかった。



ヒト科居住区。


天音の部屋では。


まだ、

荷造りが終わっていなかった。


海は、

部屋の中央に立っていた。


白い管理衣の袖を、

少しまくっている。


「天音」


天音

「なに」


「荷造りが終わったら、

連絡してって言ったよね」


天音

「したじゃん」


「終わってないよ」


天音

「終わりそうだから」


海は、

部屋を見回した。


床には。


開いたままのケース。


畳まれていない衣類。


色ごとに分けられたアクセサリー。


靴。


香りの違う整髪剤。


途中まで整理された書類。


必要なのか。


不要なのか。


誰にも分からないものが、

散らばっていた。


「始まったばかりに見えるけど」


天音

「分類は終わってる」


「どこが?」


天音は、

床の一角を指さす。


天音

「あれが持っていくもの」


海は、

天音の指す先へ視線を向けた。


散らばった荷物を避けながら、

その箱のそばまで歩いていく。


中を覗く。


その箱には、

まだ荷物が入る余裕があるのに。


中身だけは、

きちんと整えられていた。


以前、

海が選んだアクセサリー。


贈った衣服。


小さな記録端末。


どれも。


丁寧に包まれ、

動かないよう固定されていた。


「ふーん」


天音

「なに」


「少しは、

頑張ったんだね」


天音

「それくらい、

できるよ」


「じゃあ、

ほかもやって」


天音

「それは別」


海は、

もう一度だけ箱の中を見た。


でも。


それ以上は、

何も言わなかった。


少しだけ、

口元を緩めて。


散らばった服を、

畳み始めた。


「これは?」


天音

「持っていく」


「三年着てない」


天音

「今後着るかもしれない」


「これは?」


天音

「持っていく」


「壊れてる」


天音

「直せる」


「誰が?」


天音

「レイくん」


海は、

天音を見る。


天音は、

何でもない顔をしていた。


「これは?」


小さな、

古い記録端末。


天音の顔が、

少しだけ変わる。


天音

「……それは、

持っていく」


海は、

それ以上聞かなかった。


丁寧に包み。


手荷物用ケースへ入れる。


仕分け。


梱包。


搬送登録。


天音

「海」


「なに」


天音

「私の部屋なのに、

海の方が詳しいのなんで?」


「小さい頃から、

片付けてるからね」


天音

「いつまで、

昔の話するんだよ」


「天音が、

自分で全部できるようになるまで」


天音

「もうできる」


海は、

部屋を見る。


「そうだね」


天音

「その顔やめろ」


海は、

少し笑った。


天音は、

ぶつぶつ言いながらも。


海の隣で、

残りの荷物を詰め始めた。


「はい、

これで終わり」


天音

「間に合った」


「僕が来たからね」


天音

「私もやった」


海は、

天音を見る。


一瞬。


天音も、

気づく。


天音

「……なに?」


「いや」


少しだけ笑って。


荷造りで乱れた天音の髪へ、

手を伸ばす。


指先で整えるように触れたあと。


そのまま、

髪をひと撫でした。


「その方が、

天音には似合ってるよ」


天音

「……あっそ」


天音は、

海の手を払わなかった。


最後のケースを閉じたのは。


退去期限の、

十二分前だった。



学園正門。


三人は、

それぞれの荷物と一緒に立っていた。


生まれてから、

ここだけで生きていけるほど。


学園には、

すべてが揃っていた。


守るために。


育てるために。


そして。


外へ出してはならない個体を、

ここに残すために。


アニカは、

巨大な門を見上げた。


自分がいつか、

ここを通れるのか。


ずっと、

分からなかった扉。


その扉が今。


三人の前で、

ゆっくりと開いていく。


その向こうには。


居住区へ続く道。


公務輸送路。


遠くに見える、

管理棟。

公務棟。


さらに先。


まだ知らない世界。


三人の端末へ、

同時に表示が届いた。


【学園所属:終了】


【公務個体登録:移行処理開始】


【次期配置領域へ移動してください】


アニカは、

表示を見た。


進路適性。


未確定。


まだ。


行き先は、

完全には決まっていない。


でも。


以前とは違う。


決まるのを待つために、

ここに立っているのではない。


アニカは、

手荷物へ触れた。


月が残したもの。


悲しみだけではないもの。


まだ。


名前は、

分からない。


それでも。


持っていくと、

自分で決めた。


レイが、

アニカを見る。


レイ

「移動する」


アニカ

「うん」


天音

「アニカ、

レイくん」


「早く行こう!」


レイ

「天音走るな」


天音

「走ってない」


レイ

「今から走る顔してる」


天音

「どんな顔だよ」


レイの搬送機体が、

低い音を立てて動き始めた。


大型コンテナが、

ゆっくり運ばれていく。


アニカも、

歩き出す。


数歩進んでから。


一度だけ、

振り返った。


学園。


白い壁。


高い窓。


天体観測室のドーム。


月と出会った場所。


レイと話した場所。


天音と問いを交わした場所。


自分が。


何者なのか分からないまま、

待ち続けた場所。


そして。


自分で選んでいいと、

初めて言われた場所。


アニカは、

しばらく見ていた。


持っていくものは、

もう選んだ。


ここで拾ったものを。


自分の形に変えて。


いつか。


世界へ返すために。


アニカは、

前を向いた。


正門の外で。


レイが、

待っていた。


少し先には。


天音がいる。


行き先は、

まだ分からない。


何をするのかも。


何になれるのかも。


決まっていない。


胸の中には、

月を失った悲しさがある。


何かを乗り越えたわけでも。


すべてを、

受け入れられたわけでもない。


それでも。


今日、

アニカはひとりではなかった。


そして。


もう、

立ち止まったままでもなかった。


アニカは、

レイと天音のいる方へ、

一歩を踏み出した。


未来へ辿り着くためではなく。


未来を、

自分で選び始めるための一歩だった。


学園の正門が。


三人の背後で、

静かに閉じた。


【学園編:終了】


【次期記録:公務編】


【記録継続】





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