【記録ログ:じいちゃんが選んだ世界】
route:00
【記録ログ:じいちゃんが選んだ世界】
⸻
学園上層。
継承区画。
天音が扉の前に立つと、
認証表示が静かに灯った。
【次代天王星適合個体:AMANE】
【継承区画入室:許可】
【同行個体:なし】
扉が開く。
中は、
思っていたよりも狭かった。
任命式と聞いて、
もっと大きな場所を想像していた。
高い天井も。
並んだ管理個体も。
儀式を記録する端末もない。
中央に、
椅子が二つ。
その向こうに、
大きな窓がある。
窓の外には、
学園と居住区。
さらに遠く。
危険区域との境界線までが、
薄い光となって伸びていた。
その窓の前に、
老人が立っている。
副学園長。
先代天王星。
天音の育ての親。
老人は、
背中を向けたまま言った。
副学園長
「遅かったな」
天音
「呼び出した時間ちょうどだけど」
副学園長
「任命される側が、
任命する側を待たせるものではない」
天音
「まだ任命されてないじゃん」
副学園長
「その口の利き方では、
任命を取り消したくなるのう」
天音
「取り消せるなら、
取り消せば?」
老人は、
ゆっくり振り返った。
叱るでもなく。
笑うでもなく。
ただ、
天音を見た。
天音も、
目を逸らさなかった。
少しの間。
副学園長
「座りなさい」
天音
「立ってる」
副学園長
「長くなるぞ」
天音
「じゃあ座る」
天音は、
椅子へ腰を下ろした。
老人も、
向かいの椅子へ座る。
二人の間には、
机も端末もなかった。
天音
「任命式って、
もっと何かあると思ってた」
副学園長
「何が欲しかった」
天音
「音楽とか」
「光とか」
「歴代天王星が並んで、
拍手するとか」
副学園長
「死者まで呼び出す気か」
天音
「管理システムなら、
映像くらい出せるでしょ」
副学園長
「いらん」
天音
「地味」
副学園長
「天王星とは、
目立つための役割ではない」
天音
「世界を変えるのに?」
副学園長
「世界を変えることと、
自分が目立つことを、
同じにしてはならん」
天音は、
小さく息を吐いた。
天音
「そういうところ、
ずっと変わらないよね」
副学園長
「九十年近く生きておるんじゃ、
急には変わらん」
天音
「世界は変えるくせに」
老人は、
少しだけ目を細めた。
副学園長
「だからこそじゃ」
静かな声だった。
副学園長
「変える側にいる者ほど、
自分を変化の中心だと、
思ってはならん」
「世界は、
天王星の所有物ではない」
「生きている個体のものじゃ」
天音は、
窓の向こうを見る。
整えられた居住区。
正確に配置された光。
途切れず動く輸送路。
どこを見ても、
世界はきれいに動いていた。
天音
「じいちゃんは」
老人は、
返事を待つ。
天音
「勝手に、
適合個体として選ばれて」
「両親が誰かも分からないまま、
ここへ連れてこられて」
「ヒトとして生まれたのに、
管理システムにされて」
「人類とか、
文明とか」
「そんな重たいものを、
ずっと背負わされて」
天音は、
老人を見た。
天音
「悔しくなかったの?」
副学園長は、
すぐには答えなかった。
天音
「じいちゃんは、
世界が憎かったんだろ」
「なんで、
終わらせなかったの?」
老人は、
窓の外へ目を向けた。
すぐには答えなかった。
天音も、
急かさなかった。
副学園長
「若い頃は」
「この世界には、
残す価値などないと思っておった」
「正しさを並べて」
「個体を分類し」
「維持できるものだけを、
内側へ置く」
「それを文明と呼ぶことが、
どうしても許せなかった」
天音
「今は?」
副学園長
「許してはおらん」
天音は、
老人を見る。
副学園長
「世界を歩き」
「世界を憎んだまま、
ここへ帰ってきた」
「それから」
老人は、
天音を見た。
副学園長
「お前に出会った」
天音
「僕に?」
副学園長
「ああ」
「小さくて」
「よく泣いて」
「叱っても、
まるで聞かん子どもじゃった」
天音
「泣いてない」
副学園長
「泣いておった」
天音
「記録あるの?」
副学園長
「ある」
天音
「消して」
副学園長
「断る」
天音は、
むっとして口を閉じた。
老人は、
わずかに笑った。
副学園長
「お前の生きる時代を、
作ろうと思ったんじゃよ」
「世界のためではない」
「正しいからでもない」
「この子が歩く先を」
「わしが見てみたいと、
そう思った」
天音
「……なんだよ、それ」
副学園長
「わしの選択じゃ」
天音
「結局、
全部決まってるのに」
老人は、
黙って聞いていた。
天音
「僕が帰ってくる場所も」
「次の天王星を育てることも」
「任期を終えるまでに、
やることも」
「何年後に、
次の時代へ渡すかも」
「どんな時代になるのかも」
「最初から決まってる」
天音は、
膝の上で手を握った。
天音
「次があることまで、
全部決まってるのに」
「なんで僕が必要なんだよ」
副学園長
「次があることと」
「次が同じであることは、
別じゃ」
天音は、
顔を上げる。
副学園長
「天王星が受け取るのは、
完成した未来ではない」
「前の時代が、
決めきれなかったものじゃ」
「残された問い」
「選ばれなかった接続」
「まだ名前のないもの」
「それらを持って、
世界を歩く」
天音
「歩いて、
どうするの」
副学園長
「見ておいで」
天音
「それだけ?」
副学園長
「それだけじゃ」
「何を次へ渡すかは、
見なければ決められん」
天音
「じいちゃんは、
何を見たの」
副学園長
「多すぎて、
一言では言えん」
天音
「じゃあ、
一番大事だったもの」
老人は、
少し考えた。
副学園長
「決める前に、
見ることじゃ」
天音は、
何も言わなかった。
月。
目の前にいたのに、
見られなかった個体。
遠くの未来ばかりを考え。
今ここにいた月を、
見つけるのが遅れた。
副学園長
「天王星は、
遠くを見る」
「じゃが」
「遠くを見ることと、
近くを見なくてよいことは、
同じではない」
天音
「……分かってる」
副学園長
「今はな」
老人は、
柔らかく微笑む。
そして、
窓の外へ目を向けた。
副学園長
「長く役割の中にいると、
また忘れる」
「世界という言葉は、
便利じゃ」
「目の前にいるひとりを見ずに、
大きな判断を下せる」
天音
「だから、
じいちゃんは月の申請を通したの?」
副学園長
「お前が、
月を連れてきたからじゃ」
天音
「僕が?」
副学園長
「お前があの場で」
「管理記録ではなく、
月個体を見た」
「ならばわしも」
「月個体を見ずに、
世界を選ぶことはできんかった」
天音は、
少し俯いた。
天音
「でも、
助けられなかった」
副学園長
「ああ」
天音
「最後を変えただけ」
副学園長
「それも、
世界の変化じゃ」
天音
「小さすぎるよ」
副学園長
「世界とは」
「小さな変更が、
消されずに残ったものじゃ」
老人の声は、
静かだった。
副学園長
「月個体の記録は残った」
「環水処理」
「個体名保持」
「回収前希望の再審査」
「次に同じ申請が生じた時」
「もう、
前例なしとは言えん」
天音は、
老人を見る。
副学園長
「お前は、
月を救えなかった」
「じゃが」
「月が何も残さず、
処理された世界にはしなかった」
天音は、
しばらく何も言わなかった。
それから。
天音
「じいちゃんは、
幸せだった?」
老人は、
少し驚いたように瞬いた。
副学園長
「急になんじゃ」
天音
「答えて」
副学園長は、
椅子の背へ身体を預けた。
九十年近い時間を重ねた身体。
細くなった肩。
深く刻まれた皺。
それでも。
天音を見る目は、
穏やかだった。
副学園長
「ああ」
「とても、
幸せじゃったよ」
天音
「世界が憎かったのに?」
副学園長
「世界を憎みながら、
幸せになったんじゃ」
天音
「変なの」
副学園長
「お前も、
そのうち分かる」
天音
「分かりたくないかも」
副学園長
「それも、
お前が決めればよい」
少しの沈黙。
遠くで、
時刻を知らせる低い音が鳴った。
老人は、
ゆっくり立ち上がる。
天音も、
椅子から立った。
副学園長
「時間じゃ」
窓の光が、
少しずつ落ちる。
代わりに。
床面へ、
細い青白い線が走った。
天音の周囲を囲み。
その線は、
窓の外へ続くように伸びていく。
【継承処理:開始】
【先代天王星識別権限:確認】
【次代適合個体:AMANE】
【継承対象:規範更新権限】
【観測領域:全居住区】
【更新周期:84年】
【継承最終確認】
老人が、
天音の前に立つ。
副学園長
「天音」
天音は、
老人を見る。
副学園長
「今代天王星を、
引き受けるか」
静かな問いだった。
命令ではない。
拒否できない役割を、
無理に選ばせる声でもない。
最後まで。
天音が答えるのを、
待つ声だった。
天音は、
一度だけ目を閉じた。
月との会話。
アニカの怒った顔。
意味を理解できないまま、
残る経路を探すレイ。
外の夜。
まだ見ていない世界。
全部。
一緒に浮かんだ。
天音は、
目を開く。
天音
「私が、
引き受ける」
老人の眉が、
わずかに動いた。
副学園長
「反抗期は、
もう終わったのか?」
天音は、
少し笑った。
天音
「うん」
「もう、
決めたから」
床面の光が、
強くなる。
【次代個体意思確認:完了】
【継承を確定します】
老人は、
背筋を伸ばした。
その姿は。
副学園長でも。
育ての親でもなく。
ひとつの時代を、
ここまで運んできた天王星だった。
先代天王星
「天音」
「今代天王星へ、
任命する」
「わしが選んだ世界を、
歩いておいで」
天音
「うん」
少しだけ間を置いて。
天音
「行ってくる」
【継承処理:完了】
【今代天王星:AMANE】
光が、
静かに消えていく。
老人の肩が、
ほんの少し下がった。
何かを失ったようにも。
長い間持っていたものを、
ようやく置いたようにも見えた。
先代天王星
「行っておいで、
天音」
「天王星が旅立つのは、
いつの時代も双子座じゃ」
「お前は、
ひとりではないじゃろう」
「そして」
老人は、
少しだけ笑った。
「たまには、
顔を見せに帰っておいで」
天音は、
何も言えなかった。
代わりに、
小さく頷いた。
天音
「……うん」
少しの間。
天音
「じいちゃん」
副学園長
「なんじゃ」
天音
「今まで、
ありがと」
老人は、
一度だけ目を閉じた。
それから。
副学園長
「最後に、
ひとつ命ずる」
天音
「まだあるの?」
副学園長
「今後は」
老人は、
真面目な顔で言った。
副学園長
「じーじと呼ぶように」
天音
「……は?」
副学園長
「命令じゃ」
天音
「なんだよそれ」
「いつの呼び方だよ」
副学園長
「お前が五歳の頃じゃ」
天音
「絶対呼ばない」
副学園長
「反抗期は終わったのではなかったか」
天音
「それとこれは別!」
老人は、
声を出して笑った。
天音は、
呆れた顔で見ていた。
でも。
少しだけ、
笑っていた。
⸻
継承区画前。
扉が開く。
天音は、
ひとりで廊下へ出た。
背後で、
扉が静かに閉じる。
天音は、
数歩進んでから、
足を止めた。
振り返る。
閉ざされた扉。
その向こうには。
ひとつの時代を、
ここまで運んできた天王星がいる。
育ての親として。
先代として。
自分が歩く世界を、
残してくれた人として。
天音は、
姿勢を正した。
そして。
閉じた扉へ向かって、
深く頭を下げた。
長い間。
誰にも見られていない廊下で。
今代天王星として、
先代天王星へ。
敬意を込めて。
ゆっくりと、
頭を上げる。
天音は、
もう一度だけ扉を見た。
それから。
今度こそ、
前を向いた。
廊下の先に、
誰かが立っている。
黒い眼鏡。
淡い紫の髪。
白い管理衣の下に、
黒い服。
海先生だった。
壁へ背を預け、
端末を見ている。
天音
「海」
海先生は、
顔を上げた。
海
「終わった?」
天音
「見れば分かるだろ」
海は、
天音の顔を見た。
海
「うん、
反抗期が終わった顔してる」
天音
「うるさい」
「なんで、
みんな同じこと言うんだよ」
海は、
小さく笑った。
天音
「ずっとここにいたの?」
海
「今来たところ」
天音
「遅い」
海
「アニカさんと話してたから」
天音の表情が、
少しだけ変わる。
天音
「アニカは?」
海
「ひとりで出ていったよ」
天音
「大丈夫だった?」
海
「大丈夫ではないと思う」
「でも、
歩いて出ていった」
天音は、
少し黙った。
海
「今は、
追いかけない方がいい」
天音
「なんで」
海
「自分の足で出たから」
「誰かに支えられたことにすると、
たぶん怒るよ」
天音
「……それはそう」
海は、
端末を閉じた。
海
「それより」
天音
「なに」
海
「学園の寮を出たあとは、
僕とセントラルで同居するから」
天音
「は?」
海
「手配は済ませてある」
天音
「なんで海となんだよ」
海
「天音はヒトでしょ」
「学園を出たら、
生活支援を担当する個体が必要になる」
天音
「だからって、
なんで海なんだよ」
海
「管理システム同士の方が、
予定も権限も同期しやすい」
「それに」
海は、
少し首を傾けた。
海
「天音、
自分用のサポート個体を、
育ててなかったでしょ」
天音
「必要ないと思ってたから」
海
「学園の寮と、
外の居住区を同じだと思ってる?」
「誰が管理するの」
天音
「自分でやる」
海
「昨日、
端末の充電を忘れてた人が?」
天音
「あれは一回だけ」
海
「三日前も」
天音
「……」
海
「先週も」
天音
「記録するなよ」
海
「記録じゃなくて、
見てただけ」
天音
「余計やだ」
海は、
また少し笑った。
海
「天音が天王星にならないなら」
「公務適性が決まるまで、
僕が生活ごと引き受けるつもりだった」
天音
「なんで」
海
「幼なじみだから」
天音
「それだけ?」
海は、
天音を見る。
ほんの少し。
返事が遅れた。
海
「今は、
それでいいでしょ」
天音
「なにそれ」
海
「天王星になったなら、
なおさら僕が近くにいた方がいい」
「海王星は、
天王星の観測支援と、
精神領域の補助を担当できる」
天音
「仕事で?」
海
「仕事でも」
天音
「でも?」
海
「生活でも」
天音
「勝手に決めるなよ」
海
「もう決めた」
天音
「僕の家なのに?」
海
「僕の家でもある」
天音
「なんで同じ部屋なんだよ!」
海
「同じ部屋とは言ってない」
天音
「同居って言っただろ!」
海
「寝室は別」
「まあ天音が希望するなら、
隣接区画にもできる」
天音
「最初からそうしろよ」
海
「でも、
夜中に呼ばれた時、
隣だと少し遅くなるんだよな」
天音
「呼ばない」
海
「小さい頃は、
よく呼んだ」
「僕が先に学園へ入ってからも、
夜になると端末を鳴らしてたのは誰?」
天音
「何年前の話してんだよ」
海
「天音が、
まだ僕の後ろを歩いてた頃」
天音
「今いくつだと思ってんだよ」
海
「任命式が終わったばかりの、
今代天王星」
天音
「そういう言い方、
むかつく」
海は、
天音の横を通り過ぎる。
海
「荷造りが終わったら、
連絡して」
天音
「待てよ」
海が、
振り返る。
天音
「僕は」
言いかけて、
止まった。
海は、
何も言わず待っている。
天音
「……私は」
その言葉を、
まだ少し確かめるように置く。
天音
「アニカの近くに、
住もうと思ってたの」
海
「アニカさんの配属先は、
まだ正式開示されてないよ」
天音
「近くにして」
海
「僕に決定権はない」
天音
「海王星でしょ」
海
「便利な時だけ、
管理システム扱いしないで」
天音
「じゃあ、
お願い」
海は、
少し目を細めた。
海
「確認しておく」
天音
「うん」
海
「でも同居は変えないから」
天音
「そこも確認しろよ!」
海は、
天音に背を向けた。
海
「荷造り、
忘れ物しないでね」
天音
「海!」
海
「なに」
天音
「勝手に、
僕の生活決めるな!」
海は、
少しだけ笑う。
海
「今、
僕って言ったよ」
天音
「うるさい!」
静かな上層廊下に、
天音の声が響いた。
海は、
そのまま歩いていく。
天音は、
しばらくその背中を睨んでいた。
でも。
海が角を曲がる前に。
天音
「……海」
海が、
足を止める。
天音
「ちゃんと、
待っててよ」
海は、
振り返らなかった。
海
「ずっと、
そうしてるよ」
それだけ言って。
今度こそ、
廊下の向こうへ消えた。
天音は、
ひとり残った。
でも。
ひとりになった気は、
しなかった。
天音は、
端末を開く。
【個体識別名:AMANE】
【管理分類:今代天王星】
じいちゃんから受け継いだ文字。
これから、
この文字を見るたびに。
背負ったものの重さを、
思い知るのだろう。
同時に。
ここまで世界を運び、
自分へ渡したじいちゃんのことも、
思い出すのだろう。
天音は、
しばらくその文字を見ていた。
それから。
端末を閉じ、
ゆっくり歩き始めた。




