【記録ログ:預かり】
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【記録ログ:預かり】
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午後の光が、
部屋の床に静かに落ちていた。
湊は、
初期化を終えたアンドロイドを連れて帰ってきた。
深い藍色の瞳。
穏やかな顔。
昔とは、
少し違う顔だった。
しばらく何も言わずに
その顔を見ていた。
その時、
小さな透明な箱を差し出された。
「これ」
視線だけを落とすと
【遅延開示フォルダ】
【閲覧意思確認後 開示可能】
静かな青文字が
箱の内側に浮かんでいる。
「祖父さんが、
父さんに残していた記録らしい」
湊の声は、
少しだけ慎重だった。
「でも、
今は開かない方がいいかもしれないって」
湊の父は
透明な箱を見たまま、
小さく息を吐いた。
「……そうか」
それだけ言って、
箱を受け取る。
湊は、
何か言いかけて、
やめた。
「じゃあ、
また来る」
「うん」
扉が閉まる。
部屋は、
静かになった。
透明な箱を持ったまま、
窓辺の机へ向かった。
椅子に腰を下ろす。
箱を、
机の上に置く。
透明な箱を見つめた。
窓から差す光を受けて、
縁が
淡く白く反射している。
静かな箱だった。
記録媒体特有の、
少し厚みのある透明素材。
内部には、
青白い待機文字が
静かに浮かんでいる。
それだけ。
たったそれだけなのに。
その箱の中にはきっと。
何十年分もの
迷いと、
後悔と、
言えなかった言葉が
閉じ込められている。
ぼんやりとそれを眺めていた。
まるで。
昔の自分を
少し離れた場所から
見ているみたいに。
もう、
そんなに、
傷という傷ではないのかもしれない。
自分も歳をとった。
結婚して、
湊が生まれた。
愛して。
迷って。
育てて。
成長を見守ってきた。
父親を経た。
その時間の中で、
自分で得た経験が、
少しずつ自分を癒していった。
夫婦生活。
家族。
社会への奉仕。
たくさんの人と関わり、
たくさんの環境の中で生きてきた。
気づけばもう。
父親とのことだけを考えて
生きているわけでは
なくなっていた。
それでも。
幼い頃。
小さな世界には、
父親しかいなかった。
あの頃の自分が、
父親の心を求めたことは。
間違いではなかったはずだ。
静かに箱を見つめる。
分かるようになったこともある。
父も、
苦しかったのだろう。
戻ろうとしていたのだろう。
今こうして自分が生きているのは、
父がどうにかして、
自分を生かそうとしてくれた、
結果なのかもしれない。
それでも。
分かることと、
受け取れることは違う。
ひとつ大きく息を吐いた。
静かな部屋。
「分かってるんだよ」
ぽつりと落ちる声。
「親父が
苦しかったことくらい」
「戻ろうとしてたことも」
「多分」
「ちゃんと
愛してたことも」
静かな午後の光。
箱へ手を伸ばす。
箱を持って移動し
棚へ置いた。
位置を少しだけ整える。
手の届く場所。
隠しもしない。
でもまだ、
開けない。
初期化を終えたアンドロイドが、
窓際に立っている。
穏やかな横顔。
昔とは、
少し違う顔。
その顔を見て。
湊の父は
ほんの少しだけ、
寂しそうに笑った。
「……お前も、
大変だったな」
部屋に、
静かな風が流れていった




