第二章-7
「──え?」
彼女は呆然と、自身の胸に開いた穴に目を落とした。織姫と彦星の娘。ピエレッタ。何が起こったのかわからないという風に、傷口を手で抑える。だが、止まらない。だくだくと、血が流れ出る。
そこに、塔の裏手から2つの影が姿を現した。頭髪を洒脱に流した甘い風貌に怜悧な目を宿す──ポラリス市長、比嘉宗平。
それともう一人も有名人だった。だが英一も直接見るのは初めてだ。奇妙なフォルムの銃を腰抱きしたその男は、そこかしこに包帯を巻いた身体で肩で荒く息をついている。
「高田軍曹……」
「大尉だ、クソガキ」
昨日自身の基地を壊滅させられたばかりのその男が、英一の呟きを即座に否定した。直後、激しくせき込み始める。
「君は黙ることを覚えた方がいい」
そう言って、比嘉が高田の前に立った。現れた時から変わらぬ無表情で、蒼白な顔のピエレッタと対峙する。
「驚いたよ。完全に不意をついたつもりだったが、それでも即死を免れるとは」
「……だったらもう少し驚いた顔をしなさいよ」
軽口を叩くピエレッタだが、みるみる生気が抜け落ちて言っているのがわかる。高田の銃弾は、明らかに致命傷を与えたのだ。
「説明が必要かね?」
「……いらないわ。おおよそは、見当がつくもの。得意げな顔を、されるまでもない」
「そうか。残念だ」
さして残念でもなさそうに、比嘉が言う。
「でも、一つだけ。その銃は、なに? 見たことないわ」
ピエレッタは、震える手で高田の構える銃を指さした。
「G─41の通称で呼ばれるパルスライフルだ。素人向けに表現するなら小型レーザービーム銃という分類になる」
「そんなオーバーテク、国際協定違反、よね?」
「その通りだな」
「市長自ら、法を破るのね」
「停滞主義だのなんだのが長らくもてはやされているが、軍事技術の進展を押し留めるのは無理がある。人間とはそういう生き物ではない。一応は保守派を標榜しているが、ある程度は内部で好きにさせてガス抜きをさせている。この銃はそうした政治的思惑から産まれた忌み子というわけだ」
まあピーキー過ぎて高田大尉くらいにしか扱えない代物だが、と比嘉は付け加える。
彼は元々、英一達にポラリスの命運を委ねるつもりなどなかった。だが、基地での戦闘記録の分析したところ、ピエレッタをしとめるにはパルスライフルと高田の存在が必要との結論がなされた。
重傷を負っていた高田だが、このことを伝えるや小躍りする勢いで病院から飛び出してきた。よって、ベガとアルタイルのいずれに彼を配置するかが問題となったのだが──「斎川は問題ない」との高田の発言が汲み取られ、二つの塔の中間地点からややベガ寄りの位置にしばらく待機した。
そして、諒子の情報によって彼らは動いた。曰く、「アルタイルの道化師は偽物」。こうしてベガに急行した彼らは、塔の裏に身を伏せて機を待ち──ピエレッタを狙い撃ったのだった。
◇
「ではそろそろいいかね?」
比嘉が冷徹に問うた。だが最早それに意味などないのは誰の目にも明らかだった。ピエレッタが受けた傷は、それほどに深い。数分持てば奇跡、1分とて危うかった。
「君には尋ねたいことが数多くある。だが生きていてもらうには君という存在は危険すぎるのだ。本意ではないが──」
比嘉は後方の高田に目配せした。だが思い直して首を振り、自身の胸元からピストルを取り出す。高田がこうした処刑じみた行為を好まないことを思い出したからだ。
「君は私の責任で殺す。悪霊となったなら私を呪え」
言いながら、銃口をピエレッタにぴたりと向ける。
「私も所詮は、ポラリスのために踊る道化だ。涙などとうに捨てた、ただの泣かずの道化だがな。泣き虫の道化の呪いの相手としては不足あるまい」
そして比嘉は、数回トリガーを引いた。ぱん、ぱん、と乾いた音がして、銃弾がピエレッタの体に吸い込まれる。彼女はそれをただ見つめていた。道化師の最期に相応しくない、それは静かな姿だった。
胸に朱の花を散らしたピエレッタは、膝をつくと前のめりに倒れた。最早ぴくりとも動く気配はない。空虚な沈黙が場を満たした。高田が詰まらなそうに空を仰いだ。
「後はこちらで処理する」
と、比嘉が言った。それは英一に向けられた言葉だった。彼は告げたのだ。これまでのことは忘れろ、と。
「──ふざ」
けるな、と言い掛けた英一に、比嘉が酷薄な目を向けた。背筋が凍るような視線だった。ピストルは降ろされているにも関わらず、その銃口が向けられているような錯覚に陥り、英一は萎縮しそうな心を必死で鼓舞しなければならなかった。
やがて、比嘉の方が英一から視線を外した。思わず安堵してしまった自身の惰弱さが英一には許せなかった。比嘉はそんな彼に興味を失った様子で、ピエレッタの死体に近づいていった。
そして。
「──なんだと!?」
彼が大声を出したのを、英一は初めて聞いたような気がした。おそらくは、それは事実だった。いついかなる時でも動揺を表に出さない比嘉宗平が、この時ばかりは驚愕に顔を強張らせて目の前を凝視していた。
比嘉の前で。ピエレッタの死体が徐々にその輪郭を霞ませていった。同じような光景を、英一は先ほどから何度も見ていた。それは、そう、突進を終えた『戦車』がカードに戻る時と同じ──
「馬鹿な!」
比嘉が絶叫した。どこで歯車が狂ったのかわからなかった。だが真実は明らかだった。ピエレッタの体は既に消え去り、後には一枚のタロットが地面に残されているだけになっていた。
──カード名『奇術師』。
「こちらが偽者だったというのか!?」
では諒子の見立てに誤りがあったのか。彼は懐刀の彼女に全幅の信頼を寄せていた。それは今もって変わらず、だからこそこの状況が信じられずにいる。
「──少し違うわ」
そんな彼に答えたのは──ピエレッタだった。比嘉は反射的に声のした方角に目を向ける。
そこには紛れもなくピエレッタが立っていた。ベガの塔の入り口で、開いた扉に半身を寄りかからせるようにして。
「……いつの間に」
「いつだと思う?」
そう比嘉をからかう調子からは、先程までの死に瀕していた様子は感じられない。しかし、全く無傷というわけでもないようだった。
唇の端には血の乾いた跡が残されている。英一が放った一撃は『本物』に届いていたということだろうか。
「言ったでしょ、遊びはやめるって」
その言葉通り──ピエレッタは英一の拳を受けたことで、全ての手札をベガで集中して使うつもりになっていたのだ。
実態を語るならば、これまでアルタイルで使われたカードは全て、ベガ側で制御されていたものだった。複製たる『奇術師』をアルタイルに配置し、それを衛星基地代わりにしてベガから札の効果を送り届ける。『奇術師』にはダミーのカードを持たせ、さもアルタイルで使っているかのように見せかける。
第一のカードに相応しい埒外な効果である。だがこれには当然のように制約事項も多かった。特に、同時に使用出来ないことが戦術の組み立てを難しくさせた。
そのため彼女は、使いどころに細心の注意を払っていた。実際、戦闘が複雑化してからは、アルタイルでほぼカードを使用していない。複製の自律行動に任せ、ベガに集中していたと言って良い。
そして彼女は、唯一アルタイルに置いていた『奇術師』もベガに向けることにした。そのためにまず、アルタイル側の主戦力たる斎川に手傷を負わせた直後、煙幕を張って彼らの目を欺く。次いで煙の中にひそんでいるように見せかけて、秘密裏に撤退させる。このようにして、『奇術師』のカードを手元に戻したのである。
後は、さほど難しい話ではなかった。視線を一方に集めた隙にトリックを使うのは手品の基本スキルだ。高田に撃たれる前に身代わりの準備は終わっていた。『奇術師』に敵の相手をさせ、自身は悠々とベガの扉を開けた。
「Echec et mat.(チェックメイト)」
ゲームの終了を、ピエレッタが歌うように宣言した。事前の取り決めでは塔に辿り着くことが勝利条件だったのだから、まさしく今の状況は『詰み』だ。『戦車』を直ちに放たれて塔を破壊されても何らルールから逸脱しない。
だがピエレッタはそうはしなかった。おそらくは最後に母親の姿を見るつもりなのだろう。その姿が扉の向こうに消える。
「追え!」
比嘉が切羽詰った声で叫んだ。英一は弾かれたように入り口へと走る。それに高田も続いたが、余程の怪我なのだろう、途中で獣のような声を出しながらも地に膝をついていた。ホワイトカラーの比嘉の脚力には期待出来ないので、実質追跡者は彼一人だ。
だが追いつくのか? 焦りと疑念が拭えなかった。比嘉の様子からして、塔の中にまで細工を施しているとは思えない。戦い前のブリーフィングで見た内部構造は至極シンプルなもので、迷う余地もない。ただジグザグに階段を上るだけで最上階の『装置』に辿り着いてしまう。
さらに要所要所にカードを仕掛けられているのは確実であり──
「──ぐぁ!」
地上に叩きつけられて、彼は大きく呻いた。高くジャンプして窓から侵入すればと考えたのだが、強烈なGを受けて落下したのだ。『塔』の効果である。完全に読まれていた。おそらく内部の階段を地道に上る以外許さないつもりだろう。
諦めて入り口に突進し、扉をぶち破ると、外壁と同様の白い空間が広がっていた。だが見とれている暇はない。躊躇せず最奥に走り階段を上り始める。
2階ぶんほど上りきったところで、激しい風圧を感じて彼は首を引っ込めた。そのすぐ上の空間を巨大な剣が薙いでいく。ここで来たか、と彼は思った。『戦車』が階段の出口を塞ぐように立ちはだかっている。『置き札』であり、術者が近くにいないため多少は与し易いかもしれないが、あの脇を抜けるのは至難の技であるように思えた。
「邪魔だ!」
苛立ちのあまり叫ぶが、『戦車』に意に介した様子はない。ひたと首を英一に向けながら、再び剣の構えを取る。
半ばやけばちになって拳を固めた英一であったが、足を踏み出した途端室内に走った閃光に目を白黒させた。
「……ハク!」
振り向くと、下の踊り場に4つ目の神獣の姿があった。良い時に、と喜びかけるが、その前に確かめるべきことがあった。
「ハク、れんはもう大丈夫なのか!?」
英一はれんが狐の霊であることを知らない。だが彼の身代わりとなってピエレッタに切られた瞬間は見ている。あれは酷い深手だった。葉月の血の効果だけで治癒するのか不安になるほどに。
ハクはそれに、静かに首肯してみせた。英一は安堵のあまり腰が抜けそうになる。その情けないさまをふんと鼻で哂ってから、神獣は全身に雷を溜め込み始めた。
ゆけ、とその目で告げられた英一は、頷いてから階段の上に躍り出た。すぐさま待ち構えていた『戦車』に剣を振るわれるが、その切っ先をハクの雷が立て続けに貫いて弾く。
間近で強烈な電圧を感じながら、英一は『戦車』の脇を走り抜けることに成功した。礼を言うために一瞬振り返ったが、ハクの雷撃が鉄騎を打ち据え続けているのを見て踵を翻す。足止めに徹しようというその意を汲んで、礼は胸の裡に留めた。
思わぬ助けに背中を押された気分になった英一は、その後、息継ぎすら惜しんで階段を駆け上った。残るカードは『奇術師』、『隠者』、『月』の3種。だがいずれも、彼の足を止めるには力不足だった。『奇術師』の剣技は本物同様冴え冴えとしたものだったし、『隠者』の『遅延』には苛立ちを募らせられたが、倒すのでなく通過するだけであれば彼の身体能力が上を行く。
そうして全ての障害を突破した英一は、勢いを駆って最上階に躍り出た。1階と同様の白い空間。違うのは、中央に柱が立っていること。
その柱の前に立ち、天井近くを見上げているピエレッタの姿が視界に入った。
「ピエレッタ!」
駆け寄った英一は、しかしこの後の行動に悩む。殴って気絶させればいいのか、拘束すればいいのか、いやそれ以上に彼女は──
考えあぐねた彼は、少女につられるように柱を見上げた。と、その先端に楕円形のカプセルが置かれているのがわかった。その装置からはゴルゴンの髪のようにチューブが伸び、フロアの内壁と接続されているようだった。
英一は目をすがめてカプセルを注視した。カプセルは柱の上に垂直に立っており、白くコーティングされている。ただし前面上部だけは強化ガラス張りのようで、女性の上半身姿が見えた。
そして──
幾本ものコードに繋がれ、眠るように眼を閉じたその顔には、たしかに穏やかな笑みが宿っていた。