↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
1/5

1

「……ねえ、八木(やぎ)。これ、読んだ?」

放課後の教室。

誰もいなくなった空間で、隣の席の女子生徒——白雪(しらゆき)詩織(しおり)が、文庫本を1冊差し出してきた。

黒髪のボブカット、静かな目元、必要最低限のことしか喋らない「クラスの透明人間」。

普段の俺——八木和真(やぎ かずま)とも、挨拶程度の会話しかしたことがない。

彼女が差し出してきたのは、あるライトノベルだった。

タイトルは『余命半年の俺が、死にたがりの少女を救うまで』。

(……待て。なんでそれ?)

俺は心臓が跳ね上がるのを抑えながら、平静を装って答えた。

「ああ、それ……最近ネットで話題のやつだよね。読んではいないけど」

「……そう。すごく、いいよ」

白雪は本をぎゅっと胸に抱きしめた。

その瞳は、普段の無表情からは想像もつかないほど熱を帯びている。

「主人公の言葉がね、すごく温かいの。著者の『YAGI』先生は、きっと人の痛みがわかる、繊細で素敵な人に違いないわ」

……死にそうだ。

照れくささと冷や汗で、脳汁が変な出方をしている。

何を隠そう、その『YAGI』というのは俺のペンネームだ。

半年前、軽い気持ちで投稿サイトに載せた小説がバズり、先月書籍化されたばかりだった。

まさかクラスのぼっち女子が、俺の「ガチ勢」だったとは。

「へ、へえ……そうなんだ。白雪さん、その作家さんのファンなの?」

「ファンなんて生ぬるいものじゃないわ」

白雪はまっすぐに俺を見つめ、淡々とした声で恐ろしいことを言い放った。

「私、YAGI先生になら人生を狂わされてもいいと思ってる。もし目の前に現れたら、その場で求婚するわ」

「きゅ、求婚!?」

「ええ。重い? でも本気よ。毎日サイン本を拝んでから寝ているくらいだもの」

重い。あまりにも重い。

だが、作家としてこれほど冥利に尽きるお言葉があるだろうか。

俺は心の中でガッツポーズをしつつ、「正体は絶対に隠し通そう」と固く誓った。

——そう、あの事故が起きるまでは。

「……あ」

カバンから教科書を取り出そうとした瞬間、ポロリと落ちたものがあった。

来月発売される第2巻の、『著者校正用の校正紙(未発表の原稿)』。

編集部から送られてきて、確認のために持ち歩いていた代物だ。

紙切れはひらひらと舞い、吸い寄せられるように白雪の足元へ落ちた。

「あ、ごめん、白雪それ——」

「……え?」

白雪が拾い上げる。

そこには、印刷された文章と、赤ペンでびっしり書かれた修正指示。

そして何より、ヘッダーにデカデカと印字された文字。

【『余命半年の俺が2』校正原稿/著者:YAGI(八木和真)様】

「………………」

沈黙が教室を支配した。

白雪の動きが完全に止まった。

彼女の視線が、校正紙と、俺の顔を、何度も往復する。

「八木……くん……?」

「ち、違うんだ白雪! これはだな、その、友達に頼まれて印刷したというか——」

「……YAGI先生?」

「違……っ!」

「八木和真……YAGI……」

白雪の瞳から、すーっと光が消えていった。

そして次の瞬間、彼女の顔が一瞬で耳まで真っ赤になった。

「あ」

「あああああーーーーーッッッ!!!???」

本日二人目の大絶叫が放課後の校舎に響き渡った。

白雪は校正紙を抱えたまま、バタバタと後ずさりして壁に激突した。

さっきまでのクールな透明感はどこへやら、呼吸を荒くしてパニックを起こしている。

「嘘……嘘でしょ!? 八木くんが……YAGI先生!? え、じゃあ私、さっき『人生狂わされてもいい』とか『求婚する』とか『サイン本拝んでる』とか……全部……ご本人の前で……!?」

「白雪、落ち着いて! 誰にも言わないから!」

「無理無理無理無理死ぬ死ぬ死ぬ!! 恥ずかしすぎて命が保たない!!」

白雪はその場に崩れ落ち、頭を抱えてゴロゴロと床を転がり始めた。

普段の彼女からは1ミリも想像できない、完全な狂乱状態である。

「白雪、床汚いから立って!」

「立ちたくない! このまま床に沈んで化石になりたい!!」

「そんな特技ないでしょ! ほら、手開いて!」

俺が手を差し出すと、白雪は涙目で俺を見上げてきた。

その顔は真っ赤で、唇はぷるぷると震えている。

「……ほんとに、八木くんがYAGI先生なの……?」

「……うん。黙っててごめん」

白雪は俺の手をギュッと握り締め、立ち上がった。

そして、俯いたまま蚊の泣くような声で呟いた。

「……撤回、しないから」

「え?」

「さっき言ったこと……『求婚する』とか『好き』とか……撤回、しない」

白雪はゆっくり顔を上げると、真っ赤な顔で、でもまっすぐな瞳で俺を見つめた。

「だって……ずっと憧れてた大好きな人が、隣の席の八木くんだったなんて……そんなの、余計に好きになるに決まってるじゃない……バカ……」

「……っ///」

今度は俺の顔が熱くなる番だった。

「……というわけで、八木くん」

白雪は急にキリッとした表情に戻り(顔は赤いままだが)、俺の手を両手で包み込んだ。

「今日から私は、あなたの『専属アシスタント兼、一番近くにいるガチ恋勢』になります。原稿の感想も、甘やかしも、全部第一優先で受け取ってください」

「いや、感想は嬉しいけど甘やかしって——」

「問答無用です。……まずは、今日の執筆のお供に、私の手作りクッキーを食べていただきます」

そう言ってカバンから出されたのは、明らかに『YAGI先生に渡す用』として準備されていたであろう、可愛らしくラッピングされたクッキーだった。

クールなぼっち女子の、重すぎるくらいの愛と推し活。

どうやら俺の執筆活動(と高校生活)は、彼女の熱烈なアプローチによって大はしゃぎな毎日になりそうだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。