夏の地図と、言えない秘密
「……以上で、一学期の終業式を終わります。みんな、車と知らない人には気をつけて、楽しい夏休みを過ごすように!」
先生の言葉が終わるか終わらないかのうちに、教室中に椅子を引く音と歓声が爆発した。
「よっしゃああ! 夏休みだぁぁぁ!」
大翔がランドセルをひっ掴んで、真っ先に立ち上がる。
「うるさいわね、大翔。まだ帰り道があるんだから落ち着きなさいよ」
美咲が呆れたように言いながらも、その手は素早く荷物をまとめている。
「無計画に騒いでも体力を消耗するだけだよ。……まぁ、僕も宿題は早めに終わらせるつもりだけどね」
恒一が眼鏡を押し上げ、すでに「夏休みの計画表」をランドセルの特等席に差し込んでいた。
「……秋也くん、明日、何して遊ぶ?」
隣でひよりが、少しだけ首を傾げて僕に笑いかける。
「あ、うん……。そうだね」
僕は曖昧に笑って、4人と一緒に教室を出た。
校門までの帰り道、みんなは「海に行こう」だの「宿題を見せ合おう」だの、終わることのない夏の話で盛り上がっている。
「じゃあな! また明日、いつもの空き地で!」
大翔が大きく手を振り、みんなそれぞれの家へと分かれていく。
僕も、必死に笑顔を作って頷いた。
「うん、また明日」
喉の奥まで出かかった言葉を、熱い唾液と一緒に飲み込む。
そのときは、まだ言えなかった。
家に帰ると、廊下の空気が少しだけ重かった。
「秋也! 片付け終わったの? 早くしちゃいなさい」
台所から届く母さんの声には、どこか落ち着かない響きがある。
僕は返事もせず、埃っぽい「蔵」の奥にいた。
段ボール箱の隙間、古いアルバム、捨てられない家具。
そこにあるすべてのものが、僕に「時間がないこと」を突きつけている気がした。
「秋也……。みんなには、もう話したの?」
階段の下から、母さんの少しだけ震えた声がした。
僕は、やっぱり答えなかった。
まだ、言えない。
明日が最後かもしれないなんて。僕たち五人の「いつもの夏」が、もう二度と来ないかもしれないなんて。
その時、指先が固い紙に触れた。
くしゃりと丸まった、古い手書きの地図だ。
そこには赤いペンで、力強い、けれど少し震えた大きな丸が描かれていた。
山の奥――。
地図の下から、一枚の写真が滑り落ちた。
古い家族写真だ。
若いお父さんとお母さん。そして、その間に立つ、今の僕と同じくらいの男の子。
知らない顔だ。でも、その自信ありげな瞳には、どこかで見たことがあるような懐かしさが宿っていた。
胸が、ぎゅっと鳴った。
僕は地図と写真を、壊れないようにそっと抱きしめた。
その夜、外で鳴く虫の声がうるさくて、僕は一秒も眠れなかった。
翌日。いつもの空き地。
セミの声が、鼓膜を突き破りそうなくらい鳴り響いている。
「秋也のやつ、遅いなー」
大翔がイライラしたように地面の石を蹴る。
「さすがに寝坊じゃない? 終業式で疲れちゃったのかも」
美咲が言ったとき、遠くから僕の靴音が響いた。
「ごめん――! お待たせ!」
息を切らして走ってきた僕の目は、寝不足のせいか少し赤かった。
でも、僕は精一杯の笑顔を作った。
「ねえ、宝探ししない!?」
一瞬、時間が止まった。
「は?」
と呆ける大翔。
「突然だな」
と眉をひそめる恒一。
「宝ってなに!? どこ!?」
と目を輝かせる美咲。
ひよりだけが、何も言わずに静かに僕を見つめている。
僕は、汗で湿った地図を広げた。
「うちのおじいちゃんの蔵で見つけたんだ。山の奥に、宝物が埋まってるんだって」
「ほんとにあるのかよ?」
大翔がニヤリと笑う。その顔はもう、冒険を確信している。
「地図の信憑性は低いけど……夏休みの初日にしては、悪くないイベントだ」
恒一が分析を始め、美咲が拳を突き上げた。
「いいじゃん! 夏休みだよ! 冒険しよ!」
ひよりが、僕にだけ聞こえるような声でそっと言った。
「……秋也くん、どうしても行きたいんだよね?」
僕は、一瞬だけ言葉を詰まらせたあと、強く頷いた。
「うん」
ほんとうは、宝なんて、どうでもよかった。
金貨も宝石も、きっとこの地図の先にはない。
でも、この地図があれば。
「冒険」という約束があれば。
僕はまだ、この4人と一緒にいられる。
「よし! 明日の朝、ここ集合な!」
大翔がリーダーシップ全開で宣言する。
「遅刻すんなよ、なきや!」
「なきやって言うなー!」
空き地に笑い声が広がる。
その輪の中で、僕は地図を強く握りしめた。
宝の埋まっている山。
そして、まだ誰にも言えていない、僕だけの「ひみつ」。
夏休みの始まりは、どこまでも青い空の下で、静かに幕を開けた。




