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閑話.“まとも”という言葉(クリストフ視点)

よろしくお願いします。

 ロスヴィータが席を外して、エリーアスと二人きりになるなり、エリーアスが口火を切った。


「お前たち、なんだか雰囲気が変わったな」


 そう言われても、そうだろうかくらいにしか思わなかった。確かに自分たちの関係は変わったけれど、それが人からどう見えるかはわからない。首を傾げていると、エリーアスがニヤリと嫌な笑いをする。


「特にお前。ロスヴィータが席を外す時も無意識かわからないが、目で追っていたぞ」

「ああ、それは確かにそうですね」


 エリーアスに話すと決めたときのロスヴィータの表情に悲愴感はなかった。ただ、淡々とどんな未来も受け入れようと、どこか諦観を感じさせるものだった。短期間で多くのものを失ってきた弊害なのだろうか。だからこそ、俺は今のロスヴィータが心配だった。


 俺が素直に認めたことで、エリーアスは目を瞬かせた。


「どうしたんだ? お前、そんなこと言うような奴じゃなかっただろう?」

「……否が応でも認めないと、大切なものを失いかねないとわかりましたので」

「そうか」


 俺の言葉を聞いて、ロスヴィータが去っていった方向を見たということは、エリーアスにはその大切なものがロスヴィータだということに気がついたのだろう。エリーアスは目を細めて笑った。


「ありがとう」

「別にお礼を言われることではありませんが」

「いや、本当にいろいろと感謝しているんだ。こうしてあいつと一緒にいてくれることもだが、まともにしてくれたことも」


 その“まとも”という言葉が癪に触った。とはいえ、相手は次期男爵家当主だ。怒りに任せて無礼な態度を取るわけにはいかない。エリーアスには見えないようにグッと拳を握り、表情を消した。


「そうですか」

「おい。今の会話に怒るところなんてあったか? 無礼だなんだと言わないから、どこが気に障ったのか言ってくれ」


 エリーアスは気づいたようで、不思議そうに尋ねてきた。自分の方が立場が上なんだから、その態度はなんだと怒ったり、話せと命令したりできるはずなのに。


「いえいえ、そんな。次期男爵が俺みたいな平民にへりくだってどうするんですか。舐められますよ」

「いや、お前もロスヴィータも貴族への影響力はないだろうし、せめてここくらいでは殺伐としたやり取りは無しにしたい。そんなのは仕事だけで十分だ」


 そう言って重いため息をついたエリーアスに、逡巡はしたものの、思うことを吐露した。


「……まとも、という言葉が引っかかりました。俺は孤児です。だからまともじゃないといった偏見に晒されることがありましたし、なにより今のロスヴィータにはその言葉は毒にしかならないでしょう」


 自我を奪われ、“まとも”とは言えない育ち方をしたロスヴィータ。頑張ったら報われると頑張っていた。だが、どんなに頑張っても生い立ちは変わらない。生い立ちを知った時点で、いや、知る前から勝手に背負わされていた罪をロスヴィータは自分の存在と同列にしてしまっている。

 存在することが罪だと? そんなわけがあるか。そんなものは親たちが自分たちにとって都合のいい犠牲にロスヴィータを落とし込んだ、それだけの話だ。

 俺もあいつらと同じだ。ロスヴィータにまともになることを強いて、辛い現実を突きつけて、それでも自分の私欲で逃がさないんだから。


「毒とはどういうことだ? ロスヴィータに一体何があった?」

「……それは、あいつの生い立ちを聞いたら理解してくださると信じています。知らない方が幸せだと言った男爵夫人の言葉はあながち間違いではなかったのかもしれません。今のあいつは、どこか張り詰めたような危うさを感じるんです」

「そうか……言葉の使い方を間違えたようだ。嫌な思いをさせてすまない。だが、ロスヴィータが……。私が言える義理ではないが、あの子を頼む」


 エリーアスは真摯に頭を下げてくれた。その言葉に嘘はないのだと信じられる。だが、エリーアスはロスヴィータの義兄であると同時に次期男爵でもある。それらを天秤にかけたときに、どちらに振れるのか、俺には予想がつかなかった。


「……俺にとってロスヴィータはもう失いたくない、大切な存在なんです。もし、あなたが次期男爵家当主として夫人と共にロスヴィータを攻撃するなら、俺はロスヴィータを守ります。たとえあなたと敵対することになったとしても」


 貴族相手にこんな物言いをして、と冷静な自分が批難する。それでも俺もロスヴィータ同様多くのものを失ってきた。俺の父がレナーテ様を失ったように、俺はロスヴィータを失いたくはない。親世代の悲劇を子世代で繰り返すなんて真っ平だ。恐怖以上に理不尽に対する怒りの方が強かった。

 俺は真っ直ぐにエリーアスを見据える。エリーアスは否定しようとしたのか、一度口を開きかけて止まった後、ふう、と息を吐くと頷いた。


「……お前の覚悟はわかった。だが、私はまだ知らないんだ。全てはロスヴィータの話を聞いてからだ」

「はい」


 もしかしたらこれでエリーアスと俺の関係も変わるかもしれない。ふと、この部屋を出ていくときのロスヴィータの表情を思い出した。俺もあいつみたいに諦めたような顔をしているんだろうか。


 そのあとはロスヴィータが帰ってくるまでお互いに黙っていた。その時間は短かったはずなのに、いつまで経っても帰って来ないんじゃないかと不安になるほど長く感じた。


 そして覚悟を決めた表情のロスヴィータが帰ってきたのだった。

読んでいただき、ありがとうございました。

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