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第18話 百万人の手前で

 翌朝、目が覚めてスマホを見た瞬間、俺は画面を二度見した。


 登録者数、四十二万七千人。


 昨夜の配信終了時点では、六万人だった。一晩で三十六万人増えた計算だ。


「……エル」


《把握しております》とエルが静かに言った。《第四回配信のアーカイブが複数のSNSプラットフォームで同時多発的に拡散されました。特に「ダンジョン内犯罪の現場をリアルタイム配信で目撃」という切り口で、ダンジョン系以外のユーザー層にも広がっています。現時点での総再生数は推定三百万回を超えています》


「三百万」


 口に出すと、改めて実感がわかない数字だった。


「にゃははっ」とイゾルデが布団の上で丸まったまま笑った。「人気者にゃ、魔神様」


「お前は毎回それしか言わないな」


「事実にゃ」


 俺はもう一度スマホを見た。


 コメント欄の通知が止まらない。アーカイブへの新規コメントが、リアルタイムで積み上がっていく。


【コメントアーカイブ

攻略ガチ勢:昨夜からずっと見てる。これがリアルのダンジョン配信か

名無しさん:ダンジョン内犯罪って本当に野放しなの?

迷える剣士:魔神様の「見て見ぬふりはしない」、何度見ても震える

鮭おにぎり:登録者どこまで行くんだ

匿名1号:イゾルデさんが本物すぎて怖い

名無しさん:仮面の人の正体、誰か分かる人いる?

DD(誰でも大好き):分かんないけど分かんないままでいい気がしてきた

南多摩ダイバー:霧島さんがまた高評価してるじゃん

JIN信者A:霧島さん黒猫ちゃんねる推しになってて草

迷える剣士:霧島さん今日は来てないのか


 最後のコメントには、なぜか少し笑えた。


 スマホを置いて、俺は天井を見た。


 これだけ広がったということは、それだけ多くの人間の目に触れたということだ。如月さんが「世論だ」と言った意味が、数字を見てようやく腹落ちした気がする。


 ただ——目立ちすぎることの危険も、同時に頭をよぎった。


《ご懸念はもっともです》とエルが言った。《ダンジョン庁内の親新貴族派が配信者の特定を試みる可能性があります。ただし現時点では、凪の正体に繋がる情報は表に出ていません》


「引き続き頼む」


《承知しております》


  *


 その日の昼過ぎ、通知の中に見慣れない形式のものが混じっていた。


 スーパーチャット。配信中に視聴者が投げる投げ銭だ。アーカイブ視聴者からのものは初めてだった。


 金額を見て、俺は目を疑った。


 五十万円。


 送信者の名前は「カネゴン」。


 コメントには一言だけ書いてあった。


「イゾルデたんのために使いなさい。あと後ろのモブをどかして、もっとイゾルデたんをアップにすること。以上よ」


 俺は少しの間、画面を眺めた。


「イゾルデ」


「にゃ?」


「五十万のスパチャが来た」


 イゾルデが飛び起きた。


「ほんとにゃ!?」と耳がぴんと立つ。尻尾が一瞬でまっすぐに伸びた。「カネゴン! ボクの一番のファンにゃ!」


「一番、って……他にそんな金額を出す視聴者がいるのか」


「カネゴンはいつも飛び抜けてるにゃ」とイゾルデは得意げに言った。「ボクのことを天才と分かってくれてる唯一の理解者にゃ」


「後ろのモブをどかせ、とも書いてあるが」


「それはさすがにひにゃ~」とイゾルデは言って、少し考えた顔をした。「……でも、カネゴンだからなぁ~」


「揺れるな」


《カネゴンのアカウントは三日前に開設されています。配信が拡散されてから登録した新規視聴者です。ただし——》とエルが少し間を置いた。《投げ銭の総額が既に二百万円を超えています。三日間で》


 俺は絶句した。


「何者だ」


《現時点では特定困難です。アカウント情報は最小限しか登録されていません。ただ、使用している端末の購買パターンや投げ銭の時間帯から、かなり裕福な家庭の若い女性である可能性が高いと推測されます》


「若い女性」


《あくまで推測ですが》


 イゾルデが満足そうに尻尾を揺らした。「ボクのファンにゃ。間違いないにゃ」


 まあ、悪意がある相手ではなさそうだ。とりあえず、後でお礼の配信コメントを返しておこう。


 後ろのモブをどかせ、という要求は断固として却下するが。


  *


 夕方、用事があって新宿に出た。


 協会本部に寄って手続きを一件済ませ、帰り際に本部の前の広場を通りかかったとき、見知った後ろ姿が目に入った。


 白銀に近い金髪。長身。


 ソフィア・ヴォルコワだ。


 広場のベンチに一人で座って、スマホを見ている。こちらには気づいていない。


 先日、新貴族に絡まれていたところに俺が割り込んで、「助かったとは言わない」と言われた相手だ。


 通り過ぎてもよかった。


 ただ、何となく——足が止まった。


「よう」と俺は声をかけた。


 ソフィアが顔を上げた。一瞬、目が細くなる。


「……あなたか」


「奇遇だな」


「奇遇とは思わない」とソフィアは言って、スマホをポケットにしまった。「この近辺にいればそのうち会う。協会の周りなんてそんなものだ」


「違いない」と俺は言って、隣のベンチに腰を下ろした。「何を見てた?」


 一瞬の間があった。


「……配信のアーカイブ」とソフィアはぼそりと言った。「黒猫ちゃんねる。昨夜の」


 俺は内心で盛大に動揺しながら、表情を変えなかった。


「そうか。面白かったか」


「面白い、という言葉が正しいかどうか分からない」とソフィアは言った。「あの仮面の人間は——ダンジョン内で起きていることを、外に出した。それが正しいことかどうか、私にはまだ判断できない」


「判断しなくていいんじゃないか。見た人間が、それぞれ考えればいい」


 ソフィアがこちらを見た。


「あなたはどう思う」


「俺は」と俺は少し考えた。「逃げるのが嫌いなだけだ」


 ソフィアはしばらく俺を見ていた。何かを値踏みするような目ではなく、ただ、聞いているという目だった。


「……イゾルデは」とソフィアは言って、肩の上の黒猫に視線を向けた。「今日も一緒か」


「にゃ」とイゾルデが短く鳴いた。認識阻害の中で、ソフィアだけに向けた声だ。


「この猫、私のことが分かるのか」とソフィアが俺に聞いた。


「賢いから」と俺は答えた。


 ソフィアが、ほんのわずかに表情をゆるめた。笑顔ではない。ただ、最初に会ったときよりは、少し違う顔だった。


「そうか」


 短い沈黙があった。不快ではない沈黙だった。


「もし」とソフィアが立ち上がりながら言った。「また新貴族に絡まれているところを見かけたとしても、次は割り込まなくていい」


「そうする」「ただ、割り込みたくなったら割り込む」


 ソフィアが俺を見た。


 また、あの一瞬だけ表情がゆるんだ気がした。


「……勝手にしろ」


 それだけ言って、ソフィアは歩き出した。


 俺はその背中が人ごみに消えるまで、ぼんやりと見ていた。


《ご参考までに》とエルが静かに言った。《ソフィア・ヴォルコワさん。ロシア出身。日本に来て三か月。クラン未所属の単独行動型。現在の在籍ダンジョンは主に新宿と南大沢です。黒猫ちゃんねるの視聴履歴は、チャンネル開設初日から確認されています》


「初日から見てたのか」


《はい。ハンドル名「Белая кошка」として、初回配信から登録しています》


 俺は少し笑った。


「教えなくていい」


《でも、事実でございます》


 イゾルデが肩の上で、くつくつと笑っているような気がした。


 空は夕方の橙色に染まっていた。


★ここまで読んでいただき、ありがとうございます。★

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