終章:誰がための献身
◇
イルサナの首が、城門に掲げられた。
イルサナという魔女に支配をされていたカトルが、ユリシアスとフィアナと共にイルサナを討ったという知らせはすぐに、聖騎士たちを率いるリリアンと、森の民や王軍を率いるファティーグの元に届いた。
王国中の信仰と兵を束ねるリリアンは戦を優位に進めていた。
そしてその知らせは更に大神殿の軍を勢いづかせて、リリアンの持つ彼女の亡くした恋人の剣は、ファティーグを見事に討ち果たした。
ファティーグが討たれ、イルサナの死を知った森の民たちは、すぐさま降伏をした。
大神殿には森の民に対する弾圧の声が多く届いたが、ウルスラやハギリの声をフィアナがリリアンに伝えて熱心に説得したこともあり、森の民との間には不可侵の条約が結ばれることとなった。
騒乱が落ち着くまで、フィアナは傷に止血のための包帯をきつくまいて、動き回っていた。
それは、カトルが暗君だという誤解をとくためであり、ユリシアスが氷の民ということを隠していた、それは二心があるからだという誤解をとくためでもあった。
異民族たちに土地を奪わないという約束をした。
カトルやユリシアスに対してあがる疑問の声から、彼らを守ることができるのは全てを知る自分だけだとも思った。
だが、それは『役に立ちたい』という自己犠牲でも、使命感からでもない。
ただそうしたいから、そうしているという、だけだった。
──フィアナは大怪我をしたが、カトルの献身的な救命と、医師たちの尽力、そしてフィアナが作り置きをしていた薬の力で生き延びた。
ユリシアスの剣が、フィアナが飛び出してきたために咄嗟に殺意を鈍らせたということもある。
カトルは笑いながら「常に冷静なお前も、愛する者を前にしたら剣が鈍るのだな」と言っていた。
「もちろん、妬いている。だが俺はどこかで気づいていた。俺とユリシアスは似ているからな。きっとフィアナに心を傾けるだろう。フィアナを愛するだろう。そうすれば、どんな手を使ってでもフィアナを護るだろうと。だから、ユリシアスにフィアナを任せた」
「……カトル様。私は、フィアナ様に伝えませんでした。あなたの真実を」
「それは俺が言うなと言ったからだろう」
「そうではなく」
「皆まで言う必要はない。誰にでも秘密の一つや二つある。俺も、あの女との間にあったことは、話したくない。話すつもりもない」
カトルは、ユリシアスを許した。
そして、フィアナの傍にいることを認めた。
そんな話を病床の横でするものだから、フィアナは少し困ってしまったが──数日して起きることができるようになると、カトルの廃位やユリシアスの処罰の声があがっていることを知り、愛や恋について思い悩む暇などなくなってしまった。
カトルもユリシアスもあまり気にした様子はなかった。
ユリシアスは処罰を望んでいたし、カトルは廃位を望んでいたからだ。
けれどフィアナは、リリアンに協力をしてもらい、貴族たちを説得してまわった。
彼らが中央から退けば、異民族たちとの関係は悪化の一途を辿るだろう。
カトルが王として相応しいことも、ユリシアスの清廉さも、フィアナはよくわかっていた。
怪我をおして駆けずり回り、流麗な文字で説得のための手紙を書き、理路整然と彼女やカトル、ユリシアスやハギリたちに起ったできごとについて説明をするフィアナの姿に、もう誰も『頭の悪い王妃』と呼ぶ者はいなかった。
『明星の賢妃』
いつしかフィアナは、そう呼ばれていた。
それは、真昼の太陽のようなカトルに愛され、その隣に立ち、夜の闇のようなユリシアスに献身的に護られる──昼と夜の狭間で輝く星のような妃という意味である。
フィアナが皆に認められるようになると、フィアナの生家の者たちが吹聴していた嘘が明らかになった。
義母や妹は社交界から追放されて、領地から出られなくなっていると、フィアナが耳にしたのはずいぶん経ってからだった。
カトルやユリシアスがアルメリア家についてを、フィアナの耳に入れないようにしていたらしかった。
知ればきっと心配をする。手を差し伸べようとするだろう。
だからあえて黙っていたと、一度は捨てようとしていた玉座についたカトルと、そして処断を望んでいたものの、聖騎士団長を続けているユリシアスは口をそろえて言った。
まるで太陽と月のような二人ではあるが、どこか似ているのだ。
そして、あの騒乱から二年後。
フィアナの傷はすっかり癒えた。といっても、火傷の跡も傷跡も残っているのだが、フィアナはそれを隠していない。
誰かに何かを言われると、フィアナは「背中に蝶の羽があるようでしょう? 傷跡は、王を護った名誉の傷です」と微笑んで返した。
そうすると、好奇の視線は尊敬の視線に変わる。
嘲りの目は、恥ずかしそうに下を向く。
フィアナは──前を向いて歩いている。
異民族に土地をかえすためには、まだ時間がかかるだろう。
リリアンや、そしてカトルやユリシアスに支えられながら、自分にできることを、毎日尽力していた。
「フィア、たまには休みが欲しい。森に行くという約束をまだ果たしていない」
「そうですね、カトル様。ユリシアス様に狩りを教えていただいたのです。私の腕前を、お見せしたく思います」
しどけなくベッドに寝そべるフィアナの裸の背を、カトルが撫でている。
子を作る暇さえなかったが、二年経ちようやく──こうして愛し合うことができるようになった。
暇がないというのもあるが、カトルがひどく、フィアナを心配したのだ。
体に障るかもしれない。熱を出すかもしれない。もしなにか、フィアナの身にあったら、と。
カトルは以前よりもずっと、心配性になっていた。
フィアナの姿が見えないと不安がり、時折、悪夢にうなされることもある。
フィアナは大丈夫だと言っていたが、それでも口づけや軽い触れ合い以外のことを彼はしようとしなかった。
──もしかしたら、イルサナとのこともあり、女性の体に触れるのが苦痛になっていたのかもしれない。
少しずつ、フィアナはカトルとの距離を縮めていった。
そして今は、以前のように情熱的な夜を過ごすことができている。
「俺も、狩りが得意だ。ユリシアスよりも俺のほうが上手い」
「ふふ、そうですね」
「猪のとりかたは知っているか? それから、鹿。熊は?」
「私が教えていただいたのは、鳥と兎のとりかたです」
「では、俺にも教えられることがあるな」
「はい、カトル様」
嬉しそうに笑うカトルの顔を、フィアナは優しく撫でる。
自信に満ちた光輝の王は、二人きりになると少年のように笑い、甘えてくれるようになった。
「ユリシアスも連れていこうか」
「ユリシアス様が困りますよ」
「別に、困らんだろう。君を愛する許可を与えている。隠れてではなく堂々としていろ、とな」
「それは、私が困ってしまいます」
「君は俺の花。そしてユリシアスにとっても。……ユリシアスのことも、愛しているだろう?」
「私はあなたを愛しています。ユリシアス様に感じるのは……今は、信頼です」
かつては思慕があった。
だが今は。ユリシアスの気持ちは嬉しいが、こたえることは難しい。
──カトルが愛しい。
全てを捨ててでも、フィアナを救おうとしてくれた人だ。
「ありがとう、フィア。だがあれは、一生を一人で過ごすつもりらしいからな。君の全てをあげることはできないが、たまには混ぜてやっていい」
「私のあなたへの愛を知って、いじめるのはやめてください」
フィアナは困り顔で、頬を染めた。
「そうだな。今のは、意地悪だった。試したくなるんだ、君の気持ちを。不安に、なってしまう。すまない」
カトルの唇がフィアナのそれに重なる。
何度もついばむように口付けられる。
生きろと励ましながら、生命の林檎を食べさせてくれた時のように。
「……カトル様。あなたに会えてよかった。あなたを、愛しています」
「あぁ、フィア。手紙に書いてくれたな。あの手紙は……なくしてしまった。また、書いてくれるか?」
「ええ、もちろんです」
手を繋いで、笑い合う。
──フィアナは今、自分の人生を生きている。
思うままに。望むままに。
戸惑うことも、悩むことも多いが、明るい陽射しの中を──カトルと、そしてユリシアスや、今はフィアナを支えてくれる多くの者たちと共に、歩んでいけるだろう。
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