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そして

ウスラヒの屋敷が見えてくる。

遠くからは木々に隠れるように見えないのに、近づけばそれは屋敷の主を護る頑強さと、主に似た華やかさを備えてそびえたつかのようだ。

何度と訪れながら一度としてそこを棲家だと思ったことはなかった。

だが、今、その屋敷はイトにとって何よりも安らげる光景となって視界に映る。

あと少しだ。

あと少しで。

イトの足が想いに急かされて速まるその音が聞こえた訳でもあるまいに。

「イト!」

娘は門から飛び出してきた。

真夏を過ぎた季節に相応しい薄手の、だが肌を晒さないドレスをフワフワと揺らしながら、待ちきれないとばかりに駆け寄ってくる。

「イト、おかえりなさい!」

それは、この娘だけに、許された言葉だ。

そして、胸に飛び込んでくるのを軽々と受け止める。

どうやらアオイは、まだ己を必要としているらしい。

そのことに安堵するのを戒しめながら、柔らかな体を抱き上げることは止められなかった。

「おかえりなさい」

もう一度その言葉を、今度は囁くように。

そして、首にしがみつく体は、柔らかく温かい。

すぐにでも貪りたい衝動。

生きているのだと。

一緒に生きていると、確かめたい。

そんな想いを抑えながら、アオイを抱いたまま屋敷へと足を進める。

「元気だったか?」

今度の狩りは、少々長引いた。

以前から感じていた魔獣への違和感は日に日に強まるばかりだ。

ウスラヒが必死になってアオイを手に入れようとした理由を、イトは現実に見始めている。

「そんな風に聞くほど離れていたことを反省して」

アオイは更にぎゅっとイトに抱きついた。

寂しかったのだと、その力が語る。

「これが俺の生業だ」

分かっているというように頷く娘の頬に、軽く口付けを落とした。

滑らかな感触が、生きている実感の欠片を与えてくれた。


屋敷の扉口に、ウスラヒが立っていた。

イトを暗闇から救った時から何一つ変わっていないように見える姿が、今までとは少し違う瞳と笑みで馴染みの来訪者を受け入れる。

「よく、来たね」

言葉は今までどおり。

イトがここに帰ってきた訳ではないことを知っている女は、その言葉を口にしない。

そして、以前ならば与えられた目元への口付けも、今はない。

イトはアオイを降ろした。

「また、世話になる」

ウスラヒは頷いた。

「そうしておくれ。あんたがいた方がアオイがきちんと水鏡を視る」

呆れたように言いながら、イトの傍らのアオイを見やる目にはからかうようなものが浮かぶ。

「そうなのか?」

イトもアオイを見下ろした。

アオイは、小さな子供が拗ねるようにツンと唇を尖らせた。

そこに口付けたい想いに駆られるが、今はだめだと言い聞かせる。

「あんたが側にいないと、どうしてもあんたを探しに行ってしまうんだ。困ったもんだよ」

言葉ではそう言うものの、ウスラヒは微笑んでいる。

アオイを、そしてイトを、優しく見守る笑みだ。

「だって」

何を反論してくるのかと、二人のグレンダの生き残りが見守る中。

「見えてしまうんだもの」

子供の言い訳が、拗ねてはいても形の良い唇から出てきた。

ぷっと噴き出したのはウスラヒ。

イトは肩を竦めた。

「まあ、いいさ。なんであれ、水鏡が見えていることには違いない…アオイは優秀だよ」

ウスラヒの言葉に、イトは何も言わず、そして頷きもしなかった。


結局、アオイは選んだ。

イトの話を聞き、自ら水鏡の操り手となることを選択した。

アオイがどれだけ水鏡を操るということの怖さや重さを理解しているのか…イトには、正直よく分からない。

だが、イトはアオイの決めたことに、何も言うつもりはなかった。

だから、アオイの決めるまま、水鏡の元へ…ウスラヒの元へとその身柄を預けた。

イトに連れられて現れたアオイを見たときの、ウスラヒの驚きの表情は意外なほどだった。

水鏡の操り手にも予想だにしない状況だったのだろうか。

天使と呼ばれる娘が、無頼の男と共にあることを望んだ。

水鏡の操り手となることを決めた。

それは、ウスラヒの見ていない未来だったのだ。

水鏡の操り手は、やはりそれだけのものだ。全てを知り得る者ではない。

「…俺は、水鏡は滅ぶべきだと思っている」

あの時、アオイをウスラヒに渡しながら、イトは告げた。

グレンダを解放した時の思いは何も変わっていない。

「だが、水鏡が足掻くなら…アオイが、それを受け入れるなら…それも良いだろう」

ただ、これは公にはするな。

やがては何処には知れようが、あえて明らかにするな。

それを頼りに、集おうとする輩を受け入れるな。

世界で動きつつある異変を垣間見るだけの水鏡であれ。

この世を動かすのは人であり。魔であり。そこかしこ溢れる全てのものだ。

水鏡は、その断片を映し出す…小さな鏡なのだ。


「イト」

黙っているイトの衣を、ツンと指先で引っ張る。

隻眼が自身に向けられたのを確認してから、アオイは心中にある言葉を告げた。

「本当は…水鏡の中のイトを見るのはいや」

でも。

「…知らないところで、いなくなってしまうのはもっといや」

そう、アオイは知らず知らずのうちにも覚悟している。

イトが死ぬのは…アオイの傍らではないのだろう、と。

この男は魔獣を狩るのが生業なのだ。

常に剣を携えて、あの地獄絵図の一部として生きている。

「私、貴方を私の元に戻すために…水鏡を見ている」

アオイはそれだけを望んでいるのだ。

そのためだけに、水鏡に姿を求める。

「そして…貴方の最期を見届けるために…水鏡を見ている」

どうにもならないことがある。

イトがそう言った。

ならば、せめて、そう言う男の最期を見届けるために。

「他なんて…知らない」

ウスラヒは、頷いた。

「それで構わないよ…その男は、動く世界の一部だ」

イトはアオイを抱き寄せた。

この娘は、イトが思っているよりも、ずっと…そう、人らしい。

身勝手にも思える一途さが、それ故に美しい。

溢れ出る愛しさと、迸る欲望に耐えきれず、イトはアオイを抱きあげた。

「…ウスラヒ…しばらく、ここには戻さねえから」

そう言って出ていく男をウスラヒは黙って見送り、そして、足元にある水鏡を見下ろした。

かつて、ここに映った次代の頭領は、闇の中に浮かびあがる血に塗れた子供だった。

それを拾い上げた。救ったと、その時は思ったのだ。

だが、違った。

手元に置いた。

抱きしめもした。

母のように。時に恋人のような思いさえ秘めて。

子供は一人の大人になり、一族を率いる地位にまで伸し上がった。

だが、何も救いにはならなかった。

悪魔とも、神とも呼ばれた女は、一人の子供を…男を救うことはできなかった。

「アオイ・オードル」

ウスラヒの呟きに、水鏡は音を上げて跳ねた。

あの娘は、見事に水鏡を操る。

一人の男を見るためだけに。

その死を見届けるために、現在を。

そして、救うために、未来を。

その男を己の元に戻すためならば、いくらでも水鏡を操るのだ。

僅かな戸惑いもなく。

指先を水に滑らせる。

他は知らないと、いらないと…迷いなく。

その残酷な一途さが。

傲慢とさえ言える無垢さが。

やはりウスラヒに一つの言葉を思い浮かべさせる。

幾度と男に否定されようと。

アオイは、ウスラヒにその存在を思わせる。

それは…天使。

終わりました。

難産でしたあ(苦笑)


当初のテーマは一目惚れ…の筈だったのでした。

『軍神の花嫁』が、長い時間をかけて結ばれたので、今回は短時間で結ばれてしまう怒涛のようなジェットコースター的ストーリーを展開したかったのですが。

うーん、微妙だ。


最後までお付き合い頂いた読者の皆様、ありがとうございました!

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