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第六十一話 『思いつき』


「足を運んでくれてありがとうございます。リーネル嬢、ジン殿。そして、ようこそ小生たちの秘密の花園へ! 心から歓迎しますぞ!」


「いや、ほとんど無理矢理連れて来られたんですけど……」


「それに秘密の花園って……ここってヘンリー商会の支社じゃない。何も言わずに応接室に通してもらったけど勝手に使って大丈夫なの?」


 俺たちは『ニコの工房』から移動し、トーマスさんに先導されてとある建物の応接室に通されていた。トーマスさんと話していた受付の女性は俺たち三人を見て戸惑ったような顔をしていたので事前に許可は得ていないんだろう。


「実は小生、ヘンリー殿に呼び出されていた途中でして……」


「……え、それって本当に大丈夫なんですか? 時間にはとても厳しそうな方でしたけど?」


「大丈夫ではありませんが……いや、今は小生の魔素研の長として、研究者としての意地を貫かせていただきますぞ!」


 俺はそう宣言するトーマスさんを無視して清潔感のある室内を見回す。窓ガラスのカーテンが完全に閉じられたこの部屋は手狭だが椅子や机など人が話すだけの機能はあるようだ。いや、最低限の物以外は何もないから清潔感があると感じているだけで正直どこか古臭い。年季が入った建物だ。


 というか応接室や車とかって現世だと上司や偉い人、目上の人への席順が決まっているはずだけど気にしなくていいのか?


 俺がそんなどうでもいいことを考えていたらリーネとトーマスさんが再び話しを始めた。まあ、俺が聞いていなかっただけでさっきから二人の会話をしていなかったわけじゃないけどな。むしろ俺が邪魔な情報をカットしていただけだ。


「それで、なんでここまで移動する必要があったの?」


「それはもうリーネル嬢ならば分かり切ったことでしょう! 少しだけ話が長くなると思ったからです」


「……”少し”だけね」


「はい、少しだけ! あ、紅茶をどうぞ。茶菓子はありませんが……」


 忙しなく手を動かしながらトーマスさんは口も動かし続ける。マグロみたいに身体の一部を動かしていないと呼吸ができなくなって死んでしまうのではないかと思うほど話が途切れない。


「いや、それよりも俺手紙の内容を知らなくてですね……正直、魔素研のことも魔法を研究していること以外はよく分かってなくて」


「あー、それは失敬。小生としたことがそんな大事なことを話していなかったなんて。お茶を用意するよりもそちらを早く話すべきでしたな。あ、それはそうとこの紅茶はプリマス嬢が常備しているお高いものですから冷めないうちに飲んだほうがいいですぞ」


 そう言うとトーマスさんは俺の目の前でカップに注がれていた紅茶を一気に飲み干してしまった。一瞬だけ面を食らってしまったがすぐにトーマスさんに習ってカップに口をつける。


「あ、これ美味しいわね」


「はい、小生もそう思います。今度リーネル嬢がプリマス嬢に会ったときにでも直接言ってあげると喜びますぞ!」


 確かにリーネの言う通りこの紅茶はとても美味しいと思うけど報告会の時に飲んだプリマスさんの紅茶と比べれば物足りなく感じる。茶葉が同じなら風味も同じはずなのにどこでそれだけの違いがでるんだろうか? 


「あ、紅茶の話をしている場合じゃありませんね! ジン殿、魔素研というのはですね。正式名称を魔素研究開発機構と言って、簡単に説明すると魔素が生み出す可能性を好奇心の赴くままに調べ尽くすとこを目的とした小生が発足した研究機関のことであります」


「いや、名称は知っているんですけど魔素の可能性って?」


「質問に応えましょう。ですが魔素の可能性とはを話す前に定義についても話さないとですかね。魔素とは大気中、海中、地中などありとあらゆるものに含まれている魔力を素になるもののことですぞ。あ、魔力とはですね人間などの一部の種族が魔法、こちらではかつて妖術とも呼ばれている超常的現象を引き起こすために必要な力とでも言えばいいんでしょうか。あ、でも一部の種族と定義していますが鬼や魔法を使えない人間も魔素は必要でして、鬼は常に魔素を喰らってあれほどの怪力を手に入れたと小生たちは考察しているますし、もともと黄泉の国にいる人間は奪精鬼、奪魂鬼、縛魄鬼の秘術で現世から連れて来られた魂――」


「トーマス、本題からズレているわよ」


「あ、これは小生としたことが。えーっと、つまり魔素の可能性というのはですね。人間の魔法が例に出すと分かりやすいのですがリーネル嬢とジン殿の二人の魔法はそれぞれ異なるでしょう? ですが、エルフやドワーフ、鬼、あ、獣人は一人しか知らないので省きますが人間以外の種族は効率的に魔素を運用、いや違いますな。えっと、利用しているというか、どこか定型的な面があるんです。ここから発想を飛躍されて小生たちは魔素は生物の進化に影響を与えているんじゃないかと思い至ったわけです。これらのまだ憶測の域を出ない発想を総称して魔素の可能性と呼んでいるんですぞ」


「つまり……」


「……つまり、自分たちの妄想の答え合わせがしたいからあなたに協力して欲しいってことよ。ジン、悪いことは言わないからはっきりと断っておきなさい」


「辛辣な物言いですがその通りでございますぞ。そして後生です。どうかご協力をお願いします、ジン殿! これも未来のためなんです!」


「……なんで俺なんですか? どうせ調べるならヒビキとかヘルガの方がいいと思いますよ。俺の魔法は正直に言ってしょぼいし」


 俺を抜きにして勝手に盛り上がられるのも困る。いや、というか俺の魔法は身体から縄を生み出すだけ大したことがない。俺を調べる時間があるならヒビキやヘルガを先に調べた方が手っ取り早く進歩がありそうだと感じる。そう思ったからトーマスさんの態度に俺は疑問が募ってしまった。


「魔法にしょぼいも何もありませんぞ! ……ジン殿の言う通りヘルガ嬢の話を聞いてみたいのは事実です。ヘンリー殿に釘を刺されていなければ今すぐにでも、忍び込んででも話を聞きに行っているでしょう。ですが、ジン殿の話も同じぐらい聞きたいと思っていますぞ。統計を取ることは大切ですからね。まあ、ヒビキ殿は小生たちが修行の邪魔になると言ってもう取り合ってもくれませんが、彼は人類の進化の可能性を証明していると小生たちは思っています」


 トーマスさんは俺に疑問に答えながらさらに特徴的な語り口に熱が入る。いや、それって結局俺よりもヒビキやヘルガの話を聞きたいってことなんじゃないのか。まあいいや。今はそれよりも気になることがあった……


「人類の進化の可能性ってヒビキが?」


「はい。そうです、そうなんです。だからこそ、彼が示しているのは可能性、魔素そのものが持っている可能性なんですよ。血反吐を吐くほどの修練によって彼の肉体は魔素によって造り替えているんです! 彼が言うには忍びの修行法を教えてもらい実践しているとか……まあ、その結果。ヒビキ殿の身体は人間っていうよりも鬼やエルフに近いんですぞ。岩石を素手で砕き、我々でも測り知れない、無尽蔵と思えるほどの魔力を持つ、あれを人間という種族にカテゴリーするには多少無理があるかと」


「それは言い過ぎだろ。いやあながち間違ってないのか? ……あれ、それよりも。ちょっと待って、こっちには忍者がいるのか? 本当に?」


 トーマスさんの話を聞いて一番最初に思い出したのはエルフの里でホヴズから”ニンゲンもどき”と呼称されていたことだ。あれって冗談の類だと思っていたがもしかして本当のことだったのか?


 それに彼の話を聞いていると気になる部分が次々と出てきて話が進まない。忍者と言えば現世でも男子の憧れの的だろう。もし忍者が実在する可能性があるのなら全国の男子を代表して話を聞いておかないといけない。


「小生も詳しくは知りませんがヒビキ殿が言うにはいるらしいですぞ。小生も忍法については興味があるのですがヒビキ殿がはぐらかして教えてくれないのです。まあ、証拠もデータもないので彼の冗談かもしれませんがね。あ、それよりもそろそろジン殿の魔法について伺ってもよろしいでしょうか?」


「……あ、忍者の話はこれで終わりなんだ。あ、まあ。いいですけど」


 実にあっさりと興味のある話題が打ち切られて落胆してしまった。後でヒビキに教えてもらおうかとも思ったが、教えてくれないのなら聞いてもしかたがないか。


「まず実際に魔法を見せてくれませんか? ついでにリーネル嬢も」


「……私もなのね。まあ、暇だからいいけど」


 そう言うとリーネの掌から火炎が上がった。とても小さく火種程度の炎だが確かに熱を感じる。思わず見惚れるほど綺麗な炎だ。


 俺もそんなリーネに倣って右手からうにょうにょと動く縄を出現させる。相変わらず慣れない。身体の内側からくすぐられるような気持ち悪い感覚だった。


「おー!! これがジン殿の魔法ですか。あ、それにリーネル嬢の炎はいつ見ても美しいですね」


「……女はついでみたいに扱われると、どんな賛辞も響かないのよ」

 

 リーネは少しだけ拗ねたような顔をすると手の中にあった炎を消してしまった。トーマスさんはそれを見て残念そうな顔をしたがすぐに標的をリーネから俺に移してしまった。どうやらリーネの助言を彼は聞いていないみたいだ。


 標的を俺に移したトーマスさんは興味深そうに俺の掌を両手で掴み、縄が出ている根本を覗き込んできた。まるで自分が解体される前のカエルか、モルモットにでもなったかのようで嫌だったが一度協力すると言った手前いまさら拒絶するのも何か違う気がする。


「ジン殿。これはどれほどの時間持ちますか? それとどんな感覚ですか?」


「え、何日分からないけど。ロバーツさんに渡した縄がまだあるなら数か月は大丈夫かと。どんな感覚かっていうと身体を中から弄られるっていうか、いや、本来身体にないはずの何かが生えてきたみたいな感じです」


「ほー! 数か月、なら数年単位でこの縄は残る可能性があると。検証のために少しだけ、いや結構な量の縄をもらっていいですか? あ、あと生えてきたとはどういうことですか? もっと詳しく教えてください!」


「え、難しいな。例えるなら掌の先からさらに腕や指が生えるような感覚って言えばいいんでしょうか? トーマスさんもある朝突然、尻尾が生えても困るでしょう?」


「腕や、指、尻尾が生えるような感覚。ああ、未知の感覚だから、どう動かせばいいのかよく分かっていないから気持ち悪いと感じるんでしょうね。なら、用途を変える。例えば、補うためならどうでしょう。もしジン殿の腕を斬り落としたとしたら、魔法で意味出した縄で腕の代わりを作れたりするんじゃないでしょうか?」


「発想が怖いな! 勝手に人の腕を斬り落とさないでください!」


「ああ、怖がらせたならすいません。腕を補うにしても自由に縄を動かせないと仮定にもなりませんよね。ジン殿、その縄はどれぐらいなら任意で動かせるんでしょうか? 試しに小生の頬を叩いてみてください!」


「……話を聞いていませんね。まあ、制度は悪いですがある程度なら自由に動かせますよ。ほら!」


 掛け声を上げると共に俺は掌から生み出した縄を自由に操りトーマスさんの頬を軽く叩いた。まあ、叩いたと言っても撫でるような威力だけどな。


「なるほど、なるほど。なら遠くで縄を操る時にはどのような感覚ですか? 限界まで伸ばしてください!」


「えっと、こう、いや、こうですか?」


「はい、そのまま。ここが限界ですか? 約三メートルで動きが完全に止まってしまいますね。猫の尻尾が地面にポテッと落ちてしまったかのようですぞ。おそらくこれはまだ魔法の精度がリーネル嬢やヒビキ殿と比べて低いからでしょう。ジン殿、今はどんな感覚ですか? どこか変化はありますか?」


「いや、遠くにいくほど難しくならだけで、縄はずっとニョロニョロとした感覚のままです」


「ニョロニョロですか? ジン殿、面倒くさがらずに。どんな些細なことでも言語化して小生に伝えてもらえると嬉しいですぞ。なら、次は――」


「あ、あの。トーマスさん? これって何の意味があるんでしょうか?」


「決まっているでしょう。これも人類の進化のために必要なことなんですぞ!」


「――そうですか。なら、貴方はその人類の進化のために、私の呼び出しを無視したという認識でいいのでしょうか?」


「ぇ!?」


 トーマスさんの声からは先ほどの勢いがなくなり、掠れるような悲鳴を上げて背後を振り向いた。彼の背後には赤茶色の髪を持つ男とメイド服を着た女性が立っていた。ヘンリーさんとプリマスさんだ。彼の猛禽類のごとく鋭い視線からは眼鏡越しにでも分かるほど怒りが滲んでいる。

 

 彼の印象は初対面の頃から変わらない。ピシッとした服装で優秀な営業マンみたいな雰囲気が父親と少し似ていて苦手だったのだが、意外な発見もあった。


 俺はヘンリーさんが人前でここまで感情を剥き出しにする人だとは思わなかった。彼は父と同じで世間体には人一倍気を遣う、体面を汚さないように立ち回る人だと思っていたのだ。きっと約束をすっぽかしてこんな所で道草を食っている事実がよほど腹に据えかねたのだろう。


「はぁ、もういいです。……私としては、人類の進化よりも、進歩のために貴方には魔素の研究よりも現世の技術の再現に力を入れて欲しいのですが」


「……そちらも最低限はしていますぞ。ですが、研究者は、いえ、人間とは既知よりも未知に惹かれるもの。もちろん未知を知るために既知は重要なもので、欠けたらいけないと分かっているのですが、小生たち魔素研がより好奇心をそそられたのは魔素という未知の分野なのです。小生たちは誰かの後追いをしている時間なんてないのです!」


「……そうですか」


 出来るだけ早く切り上げたいのかヘンリーさんはこめかみを押さえてトーマスさんの言い分を冷たく聞き流した。


「リーネル、今から我々が彼の対応します。なので、貴方はもう帰ってもいいですよ」


「それはありがたいけど。話し合いをこんな丸聞こえな場所でやるの? あなたが直接話をするなんてよほど重要な話題なんでしょう?」


「……そうですか。なら、本社の方へ移動しましょうか。プリマス、彼の”介抱”を頼みます」


「承知いたしました」


「お待ちください! 小生はまだジン殿と――ヴッ!」


 メイド服を着た女性、プリマスさんはヘンリーさんからの命令を受けるとすぐに不満を漏らしたトーマスさんの側頭部に回し蹴りを食らわせた。衝撃を受けた彼はそのまま身体ごと床に倒れ込んでしまい気を失ってしまったようだ。その証拠に蹴りを食らってからピクリとも動かなくなった。


「さすが、『女王蜂』の蹴りね。恐ろしい威力だわ」


「お褒めに預かり光栄です。では、トーマス様。失礼いたします」


 目の前で突然人が気絶しても驚かなくなってしまった。まあ、それだけ俺がこっちの常識に馴染んでしまったのだろう。いや、できれば馴染みたくはなかったんだけどこっちでよく話す女性陣の会話の内容が基本的にどこか物騒なんだよ。血生臭いっていうかさ……


 そんなことを考えていると突然、意識を失っているはずのトーマスさんの白衣が淡く紫色に光り始めた。


「え、な、何だ?」


「落ち着きなさい。これはプリマスの魔法よ。彼女の魔法は手に触れなくても、頭の中で命令すれば物体を動かせるのよ。ジンには念力って表現した方がイメージしやすいかしら?」


「……ああ、もう何でもありなんだな」


 念力、つまりサイコキネシスなんて実際に見る機会があるなんて思わなかった。というかプリマスさんも魔法を使えるんだな。俺の周りの人が当たり前のように魔法を使えるのでトーマスさんにいくら特別なものと言われても実感がわかないな。


 そう思って物理法則を無視して浮かんでいる彼に視線を向ける。だけど、干された洗濯物のような態勢でスライド移動するトーマスさんを見ていると何だかもうどうでも良く思えてきた。


「あ、そうでした」


 肩を落としてこれからどうしようかと考えていた俺に向かってヘンリーさんが声を掛けて来た。


「今度の夏祭りについてなのですが、何か話題になるような出店を増やしたいと考えているのです。何か良いアイディアはありませんか?」


「え、いきなり言われても。俺はそういうアイディアを出すのが苦手で……いや、というか何で俺に聞くんですか?」


「現世から来た貴方に聞けば何か突拍子のない発想が出てくるかと思いまして」


 残念ですとでも言いたげな表情でそう告げて来るヘンリーさんになぜか苛立ちを覚えてしまったが、それを否定するならば何かアイディアを出して見返さないといけなくなる。


「ヘンリーさんの期待に応えられなくて、残念、ですが……」


 断ろうと口を開いたのに上手く言葉を紡げなかった。なぜか引きこもっているヘルガのことを思い出したからだ。いや、正確にはエルフの里で俺が彼女の語ったことを思い出したからだ。


 あの時に聞かせたロケットや、車の話を、いや、現世の話を彼女は俺の吐いた嘘だと決めつけているみたいだし、何かで嘘じゃないって証明してもいいかもしれない。ならばこれもいい機会だ。……それにヘルガが屋敷の外に出ようとするきっかけになるかもしれないしな。


「何か思いついたようですね。もし貴方にやる気があるのならお金に糸目は付けませんよ」


「……ヘンリーさん、吐いた唾は呑み込めませんよ」


「……はい、それがこの街の利益につながるのなら」


 ヘンリーさんの一言を了承の意味だと受け取った俺は急いで応接室から飛び出した。こうなったなら一秒でも時間が惜しい。夏祭りまで後どれぐらい猶予があるか分からない。俺のアイディアを実現可能かどうかだけでもニコさんに聞いてみよう。


「え、ちょっと⁉」


「リーネ悪いけど。先に帰っててくれ! ニコさんのところに行ってくる!」


 俺はリーネにそう言い残して再び『ニコの工房』へと向かった。この後、執念深いトーマスさんに毎日のように絡まれる生活を送るはめになるなんてこの時の俺は予想すらしていなかった。


 夏祭りの当日までトーマスさんの相手をしながらニコさんの下へ足繁く通う生活をするはめになるなんて本当の、本当に思わなかったのだ。


 いや、暇すぎるよりも遥かにまし……どっちもどっちだな。もし今から過去に戻れるのなら俺はこの話を断っていたかもしれない。そう考えさせられるほど鬱陶しく、忙しい夏が始まった。



 ※ ※ ※ ※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「もう。ジンって意外とせっかちなのよね」


「まあ。アイディアは早い者勝ちですから。それで貴方はどうしますか?」


 ヘンリー商会の支社から出てジンが向かったと言っていた『ニコの工房』がある方角を向いて私たちは話を続ける。不自然な態勢のまま宙に浮いているトーマスが注目を集めているが気にするだけ無駄みたい。


「そうね、私は銭湯にでも寄って帰るわ。……あ、そうだった。一向に連絡がないからあなたに聞くけど”ヴァイキング”の件はどうなってるの? エドワードは上手くやったの?」


「……それは、私にも分かりません。梅雨が明けるまでは大人しくしているんじゃないでしょうか? それか話し合いを早く終わらせていつも通り近くの街で遊び回っているのでしょう。連絡がこないのはいつものことですし、あまり気に留めなくてもいいと思いますよ」


「それもそうね。でもロバーツは絶対に祭りには帰って来るから、エドワードの船がこっちに帰って来るときと入れ違いになるわね。話を聞きたかったのに……」


「そうですね。彼は生粋の祭り好きですから」


 まあ、そうよね。何があってもロバーツは祭りには参加しているもの。雨が降ろうが槍が降ろうが関係なしに彼は気分によって行動する。いえ、気分でしか行動を決めないのに野性の勘で乗り越えてしまうことに問題があるのね。振り回される船員がとても哀れに思うわ。私もたまには彼を反面教師にしないといけないわね……


「それにしてもジンにも困ったものよね。わざわざ注目が集まらないようにジンの出回っている情報を制限してあげてるのに」


「そうですね。きっと彼のことが金の卵にでも見えているんでしょうね。仕方がないことですけど……」


「……まあ、いいわ。エドワードによろしくって伝えといて!」


「……はい、必ず」


 元気なく返事をしたヘンリーに一瞬だけ違和感を生まれたけど、私はその違和感を押し殺してその場を去った。銭湯に寄った後にでもジンの様子を見に行こう。きっとニコは現世の知識に食いつくはずだ。私が助けに行かなければ、ジンは自分から断れないからきっとニコが力尽きるまで拘束されてしまう。


「相変わらず変なところで鋭いのは父親譲りですね」


 ヘンリーが何かをぼそりと呟いた言葉は周りの人々の声に掻き消されて私の耳には届かなかった。この時、私は胸の内に生まれた違和感を押し殺したことを後悔した。私はただこの違和感の正体を突き止めるために、何が何でもヘンリーを問い詰めていれば良かったのだ……


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