第六十話 『手紙の行方』
またある日のこと、山のような書類が積まれてある仕事部屋、通称”船長室”で俺は忙しいアリアさんの代わりに書類の整理を手伝っていた。
レインちゃんは年齢的にこっちでもまだギリギリ未成年で働かせるのはアウト、まだ難しい漢字が読めないヘルガでは戦力外。書類整理には役に立てない。そうして残った俺に白羽の矢が立った。
というか未成年を働かせるのはアウトっていう倫理観が黄泉の国にもあってよかったと安心した。それと、俺以外にも暇なヤツらは二人ほどいるはずなんだけど何処で何をしているんだよ、あの二人。梅雨が過ぎて雨は降らなくなったことで快適な暑さではなくなったせいでイライラすることが多くなった。これもミンミンと蝉が煩い夏になったせいだ。
そして今は、やっと黒の制服から半袖へと衣替えをした俺はひんやりとしている机に突っ伏して休憩がてらリーネとお喋りをしていた。
「なあ、そういえばヘンリーさんから貰った手紙って何が書いてあったんだ?」
「うん? あれは……見なくてもいいものよ。忘れておきなさい」
ふとヘンリーさんに渡されたあの手紙のことを思い出した。封蝋されていたことから他人には見られてはいけない重要な書類か何かだと考えていたが、リーネからはまったく話題にすら上がらない。
奪衣婆さんのぼったくり闇市でヘンリーさんにリーネに渡してくれと渡されたあの手紙には一体何と書かれていたのだろうか?
「……でも、やっぱり気になるだろ」
「……はぁ、あれは”研究所”からの手紙よ」
「研究所?」
「ええ、ヘンリーが現世の技術をこちらでも真似しようと町長に直談判した結果、研究員や学者とか研究職の給料がバカみたいに上がったのよ。『白衣さえ着ていれば結婚相手には困らない』って居酒屋で常套句になっていたわ。あ、もちろん公務員の研究職だけだけどのね」
「へぇー。でも、なんでそんなところから手紙が?」
「………今でも当時の名残で数多くの研究機関がいるの。国の研究機関からあぶれた人たちも民間の研究員として職には困ってないそうよ。でもね、この手紙の差出人は”魔素”を専門に研究している魔素研の人たちからなの」
「それって何か問題があるのか?」
「問題があるからこんなテンションになるんでしょう。魔素研、いえ、魔素研究開発機構に所属している人は面倒な、異常者の集まりなの! 悪評だけが黄泉の国中に知れ渡っているの。できるだけ関わりたくないし、関わらせたくないわ」
「……ああ、ヘルガが目当てか。リーネにそこまで言わせるヤツらにも目を付けられているなんてやっぱり大変だな」
彼女はたぶんまだぐっすりと眠っているだろう。赤羽さんから『しばらくはまた注目が集まるはずだから外出はしないようにね。野次馬って本当に恐ろしいんだから!』と言われたらしい。なのでこれで正解のはずなんだけど、引きこもっている彼女を肯定的に見ることはできない。
というかやっぱりエルフたちがシュティレ大森林に引きこもっているのってやっぱり人間のせいなんじゃないのか?
そんなことを思い俺は山積みになった書類の端をペラペラと捲り、指で遊ぶ。
「一応言っておくけど、エルフであるヘルガはもちろんだけどあんたも目を付けられてるからね?」
「何で俺も!?」
「当たり前でしょう? ジンも魔法が使えるじゃない。きっとヘンリーの仕業ね。報告会の時に魔法が使えるって言ったジンの発言をヘンリーが覚えていて、彼らに伝えたのね」
「……あの時か」
報告会。あれは俺たちがエルフの里に行く前の出来事だったな。ドレークさんにヘンリーさん、エドワードさんにロバーツさん、そしてリーネ、名のある海賊船の船長五人が円卓を囲んで話し合いをしていたときに縄を出す魔法が使えるってリーネが口に出したのだ。あれ、リーネが原因じゃね?
あ、あとそういえばロバーツさんから依頼されて苦労して出した俺の縄はどうなったのだろう? まあ、依頼は果たしてお金は貰ったし別にいいか。
「なぁ、ちなみに魔素研究開発機構?って何がヤバいんだ? そういう変な噂とかがあるのかよ?」
「ええ、いくつもあるわよ。まず立ち入り禁止になっている地獄へ侵入しようとしたらしいわ。地獄への道は善意で舗装されているなんていうけど、気になるからっていう理由で地獄に行くなんて他には聞いたことがないわね。まあ、ヘンリーに頼まれたエドワードが彼らを一人残らずボコボコにして未遂に終わったんだけどね。他にもエルフの里に向かっていたドレークの船に侵入していたみたいよ。まあ、エルフの里に着くまで貨物の樽の中に隠れていた執念だけは凄いけどね。私が被害に遭ったことだと毎日のように『魔法を見せて欲しい』って内容の手紙が届いて、鬱陶しいから受け入れると『実験に付き合え』って一年間も付きまとわれたわ、今はヘンリーのおかげでだいぶ大人しくなってるけどね」
「……かなり恨みが溜まってたんだな」
「ええ、それはもう」
ここまで長々と、いや、スラスラと恨み言がでてくるなんてたぶん相当迷惑をかけられたんだろうなと伝わってくる。リーネが誰に対してマイナスの感情を向ける事実に驚いた。いや、考えてみるとリーネも一人の人間だから当たり前のことだ。
だが、俺は初めて会ったあの頃から絶対に誰かの良い部分に目を向ける性善説の擬人化のみたいイメージが彼女にあった。純粋な子供のような彼女がノイローゼになるまで追い込まれるなんてスゴイな魔素研。
「あー、もう。嫌なこと思い出しちゃったわ。カメラも壊れるし、最近ついてないわね」
「カメラ?」
「そうよ。ジンが仲間になった時に集合写真を撮ったじゃない。あのカメラよ。これは私が父から受け継いだ形見の一つなんだけど、どこか調子が悪いみたいなのよ。せっかくヘルガが仲間になったことだし、記念に集合写真をこのカメラで撮ろうとしたのだけど……」
「ああ、だから通過儀礼もしてないのか」
「ええ、何もかも上手くいかなくてストレスが溜まるわ!」
リーネがそのカメラで写真を撮ることを趣味の一つにしているのは新入りの俺でも知っている。最初に聞いた時『意外と乙女だなー』と思った。そして、あの時の集合写真を自作したアルバムに収めていることも知っている。いや、俺がストーカーしているとかではなく単純によく自慢してくるからだ。
先人から受け継いできた伝統を大切にし、集合写真などを大切に保管している彼女だからこそヘルガの通過儀礼を早々と終わらせていないことが意外だったのだ。
もしかして二人は仲が悪いのかもしれないと訝しんでいたのだ。
「そんな大切なものだったら、はやく直せばいいのに」
「直せばいい……」
俺が独り言のように小声でそう呟くとそれを聞いたリーネが「直せばいい、直せばいいか……」と何度も噛みしめるように頷いていた。天を仰いで囁くように繰り返す彼女を見て壊れてしまったのかと心配になったが――
「直せばいいね、ジン、あなたいいこと言うじゃない! そうよ壊れたのなら直せばいいだけよね! ほら、ちょっと付き合いなさい!」
「え!? いや、俺まだ終わってない」
「いいから! 思い立ったが吉日なのよ。つまり、行動を起こすのは早ければ早いほどいいってことよ。アリアには私から言っておくから早く行きましょう!」
俺を言葉で引っ張るようにリーネは”船長室”から飛び出して行った。部屋から出ていったリーネを見た俺は『後でアリアさんから怒られるな』と覚悟を決めて、後を追いかけるように席を立った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
こんなクッソ暑い日にでも禊木町を行く人々は活気に溢れていた。商人たちの魂を削っているのかと思えるほどの客引きに、その客引きに足を止める人の多さのせいでサウナのような息苦しさを感じる。
ここら一帯の人口密度がやけに高すぎると思う。あ、そういえば黄泉の国の人口を聞いたことがなかったな。
そんなどうでもいいことを考えながらゾンビのように身体を引きずる。というかなんで夏ってこんなに暑いんだ。日差しを浴びるだけでも溶けそうだ。そもそもなんでこんなクッソ暑いのに外出しないといけないんだと恨むようにリーネを見るが彼女はいつもと変わらない様子でとても楽しそうだ。
その笑顔を見ていると怒る気力が無くなってしまう。綺麗さっぱりとどこかに霧散してしまうのだ。
「どうしたのよ、ジン?」
「はぁー、何でもないよ。それで何処に行くんだよ? ……あれ、こんな会話前にもしなかったか?」
「あ、デジャブってやつね! そういえば、デジャブって感覚を体験したことないのよね。どうしてかしら?」
「……そりゃあ、そんなに忙しなく生きていたらそうだろうな」
街行く人の隙間を縫うように歩きながら二人で会話を続ける。これは自分に学んだことだがこんなに人が多い時には背後に気を付けないといけない。なぜって財布を盗まれてしまうからだ。実はもう二回も盗まれている……
俺の勝手な憶測だが沿岸部から奥に行くほど、また地獄に近づくほど治安が悪くなっている気がする。俺たちは桐ノ大路にいるのでデータ不足な俺の憶測が正しいのならこの辺はあんまり治安がよくないみたいだ。
「そんなにビクビクしてるとまた財布を盗られるわよ? 向こうも相手を見て盗んでいるんだから」
「……なぁ、もしかして俺って鴨だと思われてんのかな?」
「ええ、そうでしょうね。私がもし財布を盗まないといけないなら絶対にあなたから盗むわね。だって、分かりやすいもの」
フフフと上品に笑いながらリーネはそう言った。やっぱり治安が悪いな。シュテンの行きつけの居酒屋は千引町にあるらしいがそこと遜色ないほど桐ノ大路は治安が悪い。というか警察は何やってんだ。いや、警察の手が足りないからノギさんみたいな警邏がいるのか?
レインちゃんがプレゼントしてくれたポーチのおかげで被害はなくなったが油断はできない。二度あることは三度あるというが、三回目は笑い話ではなく嗤い話になるからだ。俺がそんなことを考えていると――
「着いたわよ!」
リーネの明るい声が響いた。俺はリーネが止まったことを確認して足を動かすのをやめると真正面に『ニコの工房』と可愛い文字で書かれた看板があった。その建物は家屋、いや、家屋というには生活感がまったくなく、隙間から見える工房の中は足の踏み場がないほど荒れている。
それに四角く屋根がない。現代のコンクリートジャングルの先取りと言うよりも豆腐のような建物と表現する方が的確だろう。
だけどリーネは全然気にした様子はなく、むしろ慣れていると言わんばかりに玄関についているベルを鳴らした。
「はーい、はーい、はーい、どちら様ですか?」
「私よ。久しぶりね、ニコ!」
「あれ、あれ、あれ? どこのだれかと思ったら、その顔はリーネじゃないですか! いつ、こっちに帰ってきたんですか?」
工房の奥の方から女性の声が聞こえて来た。その女性はリーネに気が付くとごちゃごちゃと足の踏み場のない工房内をけんけんぱでもしているかのように移動しながら両手を広げて勢い良く抱き着いた。
「マイベストフレンド、会いたかったですよ。またカメラの調子が悪くなったんですか?」
「そうだけど。……あなたちょっと汗臭いわよ。いつからお風呂に入っていないの?」
「久しぶりの再会なのに酷いですねー。ちゃんと入ってますよ。えーっと、二日、三日、あれ? すいません。最後に入ったのがいつか忘れました。でも一週間は経ってないはずです」
「自慢げに言わないでよ、汚いわね。お風呂は命の洗濯っていうくらい大切なのよ。せっかく可愛い顔をしているんだから毎日入りなさい。……あ、そうだったわ。ジンにも紹介するわね。彼女はニコ。ここで修理屋をしているの」
リーネに紹介されたニコという名の女性をジッと見つめる。ふんわりとボリュームがある橙色の髪とつなぎと呼ばれる作業服を着た三白眼の女性だ。おっとりとした雰囲気なのに彼女の瞳は望遠鏡のようにこちらを深く見通してくる。
「あ、初めまして平坂仁です」
「これはこれはご丁寧にどうも。ワタシ、あたい、あたくし、ウチは……ってあれ? 私ってウチのことを何と呼んでいましたっけ?」
「ワタシでいいんじゃない?」
「まあ、何でもいいですよね。ごめんなさい、普段一人っきりで閉じこもっているので会話をしないんですよ。あー、ワタシはニコです。基本的には修理屋をしています。あ、貴方の、あれ、お前の、いや、貴殿の? あれ?」
「アナタの!」
「ありがとうございます、リーネ。アナタの噂は聞いたことがある気がします。えっと、言い難いんですが……アナタはエルフにしては耳が小さいんですねー。ワタシとあまり変わりないように見えます」
「それは人違い……いや、エルフ違いです」
リーネは遂にギュッと腕を取って抱き着いてくるニコさんの暑苦しさが我慢できなくなったようで、骨格で押し退けるみたいにニコさんを身体から離した。そんなニコさんは「そんなに臭いですかねー?」と困ったような表情で、目を保護するためのゴーグルを爪で掻いた。
「はぁ、えっとね。彼女は現世のものでも一度分解してしまえば故障の原因が分かるし、それが面白いと感じればけ意地でも再現しようとする変態よ。彼女の修理屋としての腕だけは信用していいわ!」
「えー、酷いですよ。せっかくのご新規さんの獲得チャンスだったのに……」
目に見えたようにガッカリとしているニコさんを横目に俺は工房の中を確認する。彼女はここで一人きりで作業していたのだろうか?
中を覗いてみたが誰もいない。自転車を細かくパーツごとに分解した残骸があるだけで他には何もない。いや、正確には何に使うのかすら分からないパーツが床一面に散らかっている。
「ワタシ以外はいないよ。今日は休養日だったからねー」
「なら、あなたはなんでいるのよ」
「ワタシはただの暇つぶしだよ。今日は暇つぶしにそこにある自転車を直していただけだね。頼まれちゃったから仕方ないよねー」
「随分と、仕事熱心ですね」
「いや、いや、これは趣味趣味。仕事は面白いの以外は断ってるよー」
「……そうなんですか」
ニコさんの中では仕事と趣味のラインがあるようだが、俺が話を聞いても明確な違いが分からない。
「それなら、このカメラは直してくれる? 何回も直してるから面白味はないけれど」
「そこはもう友情価格だよー。それに何回も直しているからって、面白味がなくなるわけじゃないしね。一週間で直すよ。……あ、ダメだ。もうすぐ夏祭りがあるからもうちょっと時間がかかるかも」
「それはいいけど。また何かするの?」
「そう、そう。ワタシたちの屋台は毎年期待されてるみたいだから今回も気合を入れて頑張らないと……はぁ、でもアイディアがないんだよなー。ワタシもこのカメラと同じで調子が悪くってさ、いつもみたいにパーっと頭の内側から湧き出してくる感覚が来ないんだ」
「よく分からないけど大変なんですね」
「そうなんだよー。アナタも何か実現できそうなアイディアがあったら遠慮せずすぐにワタシたちに言って欲しい。期限が近いし、もう楽になりたいよー」
ニコさんはまるで死人のように力なく倒れこんできたかと思ったら、両手で襲い掛かるみたいに俺の肩を掴み、グルグルと脳味噌と一緒に頭を回す。こんな奇行を繰り返していてもより良いアイディアが生まれるとは思えない、思いたくもない。
「アンタは、現世から来たんだろ? 面白いアイディアの一つや二つあるはずだよー」
「いや、ないですよ。俺って美術の授業で豊かな発想力を身につけましょうって言われたぐらいなんですから。ほんとに無理ですって」
面白くない人間に面白いアイディアを出せって言うのは酷な話だと思う。きっと俺は産まれながらに専門分野が違っていたんだ。俺なんかがいくら努力したとしてもアイディアマンと呼ばれる人達の仲間になれるとは思えない。だから俺は昔から芸術系の教科は評価が悪いんだよ。
そんな悲鳴を心の中で上げる。というかニコさんは華奢な女性のはずなのに案外力が強い。両肩に食い込む指を俺の力では引っぺがすことができない。
「ほら、そろそろ落ち着きなさい!」
「ア、イタイ。の、脳が震える?」
リーネのデコピン一発でバグっていたニコさんの頭が弾けるように後ろに飛んだ。顎が上がり、額は赤く染まっている。俺も傍から見たらリーネが彼女のシュッとした顎に拳でも叩きこんだのかと疑うような光景だ。
「ほら、ニコ。正気に戻った?」
「はぁ! ワタシは何をしていたんでしょうか? あ、そうだ。カメラの修理でしたね!」
「ええ、よろしくね!」
ポンと優しくニコさんにカメラを渡した。どうやらさっきまで俺の肩を万力の握力で掴んでいたことは忘れ去ってしまったみたいだ。
そして彼女は溜め息を吐き捨てながら趣味に戻った。本当に何もアイディアが浮かんでこないのだろう。ストレスが蓄積されていっているのが手に取るように分かる。
まあ、苦しんでいるなら力になってあげたいが人間には向き不向きがある。だから、俺ではニコさんを助けることはできない。
「行くか?」
「ええ、そうしましょう」
黙って距離を取るように俺たちは『ニコの工房』から屋敷への道を引き換えして行った。最後にリーネの「また、来るわ!」という声に反応して、手を挙げて答えてくれたのでニコさんは危ない人だけと良い人なようだ。それにしても……
「濃いキャラだったな、ニコさん」
「そうね、久しぶりだったけどもうお腹いっぱいよ」
予想よりも早くカメラが直るのがそんなに嬉しかったのか、口では嫌味を言っているが久しぶりにニコさんに会えて嬉しかったのかは俺には分からないがリーネの機嫌が良いことだけは確かなようだ。その証拠に――
「ねえ、ジン。途中で甘いものでも食べて帰らない? 今なら奢ってあげるわよ?」
「そろそろ帰らないとアリアさんに怒られるぞ」
「いいのよ。今から帰ってもアリアに怒られるのはもう決まってるんだから、今のうちに少しでも羽を伸ばさないと……」
グッと伸びをしながらリーネはそう言った。いや、できればアリアさんに怒られたくないんだけど。怖いし。え、今から帰ったらギリギリ大丈夫とかないかな? まあ、ないよな……
いっそのこと二人で怒られる覚悟を決めるか。というかリーネが羽を伸ばすたびにその分の負担がアリアさんにいってるだけなんじゃないのか。うちの船の胃痛役っていうか、なんでいつもリーネの近くにいるのか不思議になるぐらいの苦労してるよなあの人。
自分が遊ぶために部下に仕事を押し付ける上司。それが客観的に見た今の状況だけど、まあ、どこまでいっても他人事だからな。そんなことを考えていると――
「見つけましたぞ! リーネル嬢!」
「え!?」
男にしては高い声が聞こえて来た。誰だろうと思いながら声のした方向へと振り返ると白衣を着た男が立っていた。枝のような細身だが俺よりも二回りは大きな身長だ。白衣で隠れているが服装は全体的にだらしなく、ぼさぼさと整えられていない髪のせいでニコさんよりも風呂に入ってないのではないかと疑ってしまう。そんな野暮ったい感じの男だった。
「な、なんで、あなたがここに?」
「いつまでも手紙の返事をくれないので、小生の方から屋敷まで直接伺いに参りました。リーネル嬢がどこにいるのかという小生の質問にアリア嬢が懇切丁寧に教えてくれましたよ!」
「……アリアにしてやられたわ。私たちをヘルガとレインの身代わりに差し出したわね」
よく見ると白衣に何かバッチのようなものがついている。そのバッチに俺は見覚えがあった。確かヘンリーさんの手紙を封蝋していた蝋と同じ刻印のはずだ。それにリーネの嫌そうな顔を見ていると嫌でもこの人がどこのだれなのか分かるはずだ。どうでもいいがリーネ、お前そんな顔できたんだな。
「なぁ、もしかしてこの人が?」
「ええ、そうよ。彼は幼少期に図書館に置いてある数少ない現世の資料から蒸気機関理論を考案し、改良し、こっちでも再現可能にした”稀代の天才”よ。そして同時に”鬼才で天災”とも呼ばれているトラブルメーカーでもあるわ。……ヘンリーにこき使われてるって情報をサクラコから聞いてたのに、まさかこんなところで会うとは思わなかったけど」
嘆くようにそう告げるリーネを尻目に俺は目の前にいる男の人に視線を向ける。すると彼もちょうどこちらに視線を向けたようで偶然にも目が合ってしまった。ヤバい、気まずい。
「あ! あなたが噂になっているジン殿ですね。なんでも縄の魔法を使えるとか。あ、自己紹介もまだですかね、小生はトーマス・ワトソンです。こちらでは珍しい名前故、親しみを込めてトーマスとお呼び頂けると幸いですぞ」
「…………ご丁寧にどうも。平坂仁です。よろしくお願いします」
とても早口だな、半分ぐらい何を言っているのか聞き取れなかったぞ。矢継ぎ早で、捲し立てるように俺を言葉で殴ってきたトーマスさんはニコリと意外と人懐っこい笑みを浮かべていた。
最近はこっちに来たばかりということもあり、初対面の人との会話する機会が多くなった。もう挨拶という定型文に慣れてしまったのだがどうやっても疲れるものは疲れる。
もともと俺は数が少なくても友達と深く関わりたちタイプなのだ。というかニコさんの次がこの人って……。ゲームでいうボスラッシュみたいに濃い人ばかりと連続で顔を合わせていると胃もたれしてしまう。
だから俺は関わりたくないという気持ちを心中で押し殺してトーマスさんが差し出してきた右手を握った。
リーネは終始嫌そうな顔をしていたが、俺は別に彼のことが嫌いではなかった。確かに話し方の癖は強いが慣れれば丁寧でいい人そうだ。なんで鬼才で天災と呼ばれているのだろうか?
そんな疑問はすぐに解決した。俺はその理由をこの後すぐに身を持って知ることになったからだ。こんな和やかな雰囲気から一変して、俺もリーネと同じように彼とはもう二度と関わりたくないと思うようになるなんてこの時は夢にも思っていなかった。