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第五十六話 『牛鬼』


「牛鬼とは地獄に生息する頭が鬼で蜘蛛の胴体を持つ妖のことですよ。その多くが非常に残忍で獰猛な性格をしていて、人の肉を好んで食べるせいか獄卒の目を盗んでたまに地獄から三途の川を渡って黄泉の国にやってきます。まあ、ただのでかい害虫とさえ認識しておけば間違いはないです」


「へぇー、そうなんですね」


「アンタ詳しいのね」


 状況が読み取れずに慌てふためく俺たちの姿を見ていられなくなったのか椿さんが牛鬼について説明してくれた。


「え、でも……なら早く逃げた方が良くないか?」


「バカね、ここも危険な状況だったら私たち桜一刀流の一派が真っ先に街の人たちの避難を誘導してるわよ」


「はぁ? もう、どういうことなんだよ」


「道場の立地よ。位置関係を考えなさい」


 冷たい氷のような声のまま俺にそう噛み付いてきたのは葵さんだ。椿さんとイオリ君の二人といる時と宗右衛門さんが座っているのを見る前では別人のように変わった気がする。壁を感じるのではなく、突き放されているような感覚だ。


「弟弟子よ。拙者が教えて進ぜよう!」


「………弟弟子?」


「ち、違いますよ!?」


 宗右衛門さんお願いだから今そう呼ぶのはやめてくれ。葵さんが向ける目線の温度がスゴイ勢いで下がっていっている。理科の授業でマイナス温度は限界があるって習ったのに葵さんの視線は限界を知らないかのように冷たくなっていく。絶対零度をもうとっくに超えてしまったとさえ感じる。


「まあ、何でもいいではないか! 弟弟子よ拙者の話に集中しろ。まず牛鬼が生息するのは地獄、畜生道にいると説明されただろ?」


「ああ」


「牛鬼は必ず三途の川を渡ってここまでやって来る。だがしかし、三途の川を渡っても聳え立つ山々が行く手を阻むのだ!」


「そうですね。この街でなら”鬼ヶ島”が有名ですね」


「鬼ヶ島?」


「……死天山のことよ」


 鋭い目を歪めてニコニコと笑っている椿さんとイラついた様子を隠さないで綺麗な指を軽くトントンと鳴らす葵さんが俺の知らない知識を補足してくれる。地獄みたいな状況だ。雰囲気の寒暖差で胃が死にそうだ。酸っぱい何かが腹の中で蠢いているのを感じる。


 というか死天山って鬼ヶ島と呼ばれているのか。


 初めて知ったな。


「浜辺を渡って進行してくる牛鬼たちを要塞の役割を自然としてくれる山々が食い止めている間に獄卒が地獄に力尽くで送り返してくれるのだ。拙者たちも日々の生活に牛鬼の突然の襲来がすっかりと馴染んでしまい今では祭りごとのように騒ぐバカも出ている始末だ」


「他にも牛鬼の対策として閻魔様は閻魔殿の改築を命じて、三途の川を囲うように分厚い塀を立てたと風の噂で聞きましたが上手くいってはいないようですね」


 二人は嘆くように俺たちに語る。現世で言えばニュースにまでなった渋谷のハロウィーンみたいなものか? いや、少し違う気もするな。


 まあ、結論をまとめてしまえば人間とはどっちに住んでいても頭をバカにして騒げる祭りという催しが好きな生き物なんだろう。


 そんなことを考えていると突然『ドン!』と大砲のような音が街中に響いた。


「キャ! 空鳴り!?」


「いや、花火じゃないか?」


「………これは、もう牛鬼が討伐されたようですね」


 椿さんの静かな呟きを掻き消すように遠くから空砲の音が届いた。イオリ君が運んできたお茶を音を立てないように慎重に啜る。すると今度は桜一刀流の道場を囲む塀の外から花を咲かせるような賑やかな談笑が聞こえた。


「今回はだいぶ早く片が付いたみたいですね、師範」


「………」


 嬉々として椿さんに話し掛けるイオリ君は気が付かなかったみたいだが、俺は彼の顔が少しだけ苦渋に歪んだのを見逃さなかった。


 何故だろうと俺が思案した次の瞬間、さっきまでとは違う青年の叫び声が遠くの方かから聞こえて来た。まだ未成熟な声だが低く男だとすぐにわかる声だ。


「皆さん!! 牛鬼は退治されたよ!! 牛鬼は退治されたよ!!! 牛鬼に止めを刺したのは『音鳴り』! 『音鳴り』のヒビキだよ!!!」


 途切れ途切れに叫び声を上げる青年はさっきの青年よりも足が速いようで、安い革靴特有のドラドラとした足音を鳴らしながら桜一刀流の道場の前をさっさと走り去ってしまったみたいだ。


 ヒビキのヤツが退治してくれたのか。俺たちに紹介状だけ渡し、道案内もせずに放っておいて一体何をしているのかと思ったら街を救っていたみたいだ。たぶんだがノリノリで斬ったんだろうな。いつも通りの胡散臭い笑みを顔に貼り付けて刀一本で牛鬼に向かって行くヒビキのイメージがすぐに湧いてくる。


「おお!! 師匠が仕留めたのか! 道理で早いわけだ!」


 宗右衛門さんが柏手を叩いた。宗右衛門さんがヒビキの活躍を聞くと同時に全身を大きく使って喜びを表現していると『バン!!』と葵さんが出した音が彼の幼稚な行動に冷や水を掛けた。小さな拳で母屋の壁を思いっ切り叩いたのか壁には綺麗な罅が入っていた。


 道場の屋根を覆う黒々とした和瓦が太陽が生み出した熱の代わりに音を吸収しているのかと疑うほどの沈黙が俺たちの間に降り注いだ。


「葵、落ち着きなさい」


「落ち着けるわけがないでしょ! 兄様を殺した()()()が、今も変わらず、のうのうと生きているなんて――」


「あれは正式な死合でした。現当主の私が兄の最後の頼みを受けて立ち合ったのですから、部外者である我々が結果に口を挟んでいいわけがない」


「……ッ!!」


「ああ、アオイさん」


 椿さんの現当主としての貫禄のある態度に葵さんは怒りの矛先を見失ってしまったのか、俺たち三人に……いや、俺たちの背後にいるヒビキという影に殺気に満ちた眼光を向けると泣き出しそうな顔をしたまま母屋の奥へ足早に戻っていった。


 イオリ君は困ったように眉を寄せて二人の間でキョロキョロと視線を彷徨わせていたが、椿さんに深々と頭を下げると葵さんの背中を追った。


「………すいません、客人の前なのにお見苦しいところをお見せしましたね。あの子は見かけよりもまだ幼い。きっと頭の中で兄の死を上手く消化できていないのでしょう。兄のことをこの世の誰よりも尊敬していましたから」


「いや、それはいいんですけど、ヒビキが殺した? 失礼ですけどお兄さんの死因は病気だったんじゃないんですか? さっき椿さんは兄は病弱だったと」


「いえ、兄が病弱だったのは事実ですが、ヒビキさんとの決闘の末に亡くなりました。もともと兄は余命幾許もない身でしたので死闘の結果命を落とすのは本望だったでしょう」


「………そうですか」


 帰りたい! もうスゴイ帰りたい!!


 だってこの空気感に耐えられない。というか俺にはこの人たちの価値観が理解できない。椿さんは懐かしむように熱々のお茶を啜って穏やかな表情をしているし、宗右衛門さんは頷きながら「その通りだ」と何かを噛みしめるみたいに呟いている。


 実の兄を殺されて恨んでいる葵さんの方が二人よりもまともに思える。


 脳が刀に寄生されるんじゃないのか? ヒビキもそうだったがもしかして刀を腰に差すと脳に悪影響を及ぼすのだろうか?


「……あ、そうだ。何で俺たちがカツキの知り合いだって分かったんですか? というかカツキはこの道場に通ってたってことですか?」


 椿さんがしたり顔で嘘をついたが、俺もヘルガもここに来てカツキの名前なんて言っていない。ロバーツさんは少しだけ寄り道をすると言っていたのでまだカツキは黄泉の国に帰ってきていないはずだ。


 ヘルガも疑問に思っていたのか彼と距離を取りながら「そういえば、そうじゃない」と肯定するように口を挟んできた。


「ああ、やっぱり友人なんですね。あの子は手が早いから噂にまでなってる貴方達と関係を築いている思ったんですよ。まあ、葵を納得させれば良かったので関わりがなくても構いませんでしたが」


「………そうですか、そうですよね」


「存外食えないわね」


「あの子に薙刀を教えたのは葵なんですよ。もともと九条家の次男坊だと聞いて、試しに葵の初めての弟子にしてみたのですが正解でした。そういえばあの子の社交性と人の本質や将来性を見抜く慧眼は目を見張るものがありましたね。格好つける性格はまだ治っていないようですが。個人的には海賊としてではなく商人として安全な場所で自分の才を活かして欲しいですが……」


 椿さんはあっけらかんとした顔でそう言ってきた。怖いよ。というかカツキのヤツは椿さんや葵さんにも誰とでも交流があるって思われてるんだな。納得させられるだけの行動力をこの目で見てきたからかイメージしやすいな。


 どこか楽しげに話していた椿さんは俺とヘルガが引いているのに肌感覚で気づいてしまったのか『ゴホン』と一度咳払いすると「少し話過ぎましたかね。どうです、お二人は何か私に聞きたいことはありますか?」と尋ねてきた。


 先程よりもだいぶ落ち着いたのか彼は元通りの冷ややかな印象を受ける切れ長の眼に戻っていた。彼の黒い瞳からはまったくと言っていいほど熱を感じない。


 俺とヘルガは椿さんのその言葉に困ったように顔を見合わせた。笑顔のはずが威圧感があり『特にないです』なんて口が裂けてもいえない雰囲気がある。


いや、実際問題俺たちはヒビキの紹介で来ただけで武の神髄を知りたいだの、武をこの身で味わってみたいだのといった変態的な思想を持ち合わせていない。俺はノーマルなんだ。


 顔を売るつもりで桜一刀流の道場まで足を運んだだけなのに困ったことになったぞ。本当に聞きたいことが一つもない。むしろこの人たちが怖いから早く立ち去りたいぐらいだ。いや、住む場所も何もかもが違うのだから、価値観の違いにも目を向けないといけないと分かってはいるのだが怖いものは怖い。


 二人にはサイコパスの気質があると思う。だから、早々に切り上げるためにも俺は純粋に疑問に思ったことを彼に聞くことにした。


「なら、蒸し返すようですいませんが……」


「はい、私に答えられる範囲の質問でしたら何でも答えますよ」


「椿さんはお兄さんを殺したヒビキを本当に恨んでいないんですか?」


 俺がまだ現世にいたころ特別兄貴と仲が良かったわけではない。尊敬以外の感情はマイナスのものばかりだと言ってもいい。


 だけど兄貴が誰かに殺されたと聞かされたらその誰かをたぶん恨むと思う。それが葵さんがあれだけ想うほどの人だったら尚更だろう。


 椿さんは考え込むような動作で顎に手を当てて「……そうですね」と唸るように呟いた。


 彼は目を閉じて、真剣に悩んでくれている。あの凄まじい眼力がなくなっただけで少しだけ椿さんが幼く見えるのが不思議だ。そして数秒の重たい沈黙の後にようやく答えが出たのかパチリと鋭い目で俺を見つめて――


「少しだけ羨ましいです。私は兄のことを少しだけ羨ましいと思っているようです」


 とはっきりと二回も口にした。彼のすっきりとした表情から判断するにこの答えに嘘はないのだろう。きっと今の俺の顔は驚愕という一色に染まっている。理解できない、信じられないものを見る目で彼のことを見つめていると……


「よし! 話は終わったようだな! ならば弾まぬ話はそこまでにして皆で師匠に討伐された牛鬼でも見に行くか?」


 宗右衛門さんが空気を読まずに大きな声でそんなことを言ってきた。いや、むしろ彼なりに空気を読んだ結果なのかもしれないな。


「いや、残念ですが行きませんよ」


 だけど、俺は彼からの誘いを断ることに決めた。椿さんだけではなく宗右衛門さんとも距離を置きたい。現世で生活していて学んだことは多くあり、こちらでもそれを活かすことができる。その一つが怖い人とは物理的な距離を置くことだ。


 人は見た目だけで判断できるものじゃないが、見た目で怖いと感じる人は本当に碌でもない人しかいない。体感でほぼ八割ぐらいの確率でヤバいやつなのだ。これは一種の防衛本能だ。


 俺は今回見た目だけではこの人たちがヤバいかもと気づけなかった。だけど、話している相手に少しでも何か違和感のよなものを感じてしまったら逃げた方がいい。これが現世を生き抜くコツだ。


「そうか、それは残念だな。だがいいのか? 後ろにいる妹弟子の方は牛鬼に興味があるようだが?」


「いや、そんなこと――」


「…………行きたいのか?」


「ちょっとだけ興味があるわ。でも、ほんのちょっとだけだから別に……」


 ヘルガはエルフの里を出たばかりで黄泉の国で起こったすべての出来事に興味津々といった様子だ。人の視線は怖いくせに祭り事には人一倍の興味があるんだから厄介だな。だけど、正直に言うと好奇心がくすぐられる話だ。


「……ハァ、しょうがないな。なら、みんなで行こうか?」


「ええ!」


 ヘルガは俺の言葉に嬉しそうな声でそう返してきた。まあ、最近彼女はテンションが低く、暗い表情ばかりだったのでこれがもしかしたら良い刺激になるかもしれない。そう俺は考えた。だから――


「ならば善は急げだ。弟弟子、妹弟子! 拙者の後ろをついて来い! ほら、椿も行くぞ!」


「これ以上さぼっていると葵に失望されそうなんですが……」


「それこそ今更だろう!」|


「………それもそうですね。私も行きましょうか」


 宗右衛門さんの勢いに椿さんが先に折れたようで『やれやれ、仕方がないですね』と気だるげな雰囲気を漂わせて俺たちの後ろをついて来た。こうしてガタイのいい和服の男が二人、黄泉の国にはない学生服を着た少年が一人、そして噂のエルフの少女と言ったどうやっても目立ってしまう奇妙な四人組(カルテット)が完成した。


 ヘルガだけでも俺の手には余るのにこの二人と行動を共にすると考えただけでも腹の奥から深い溜息が零れちた。そして、いや、まあ、結論から言ってしまえば俺たちは牛鬼の死骸を見ることはできなかった。


 俺たちのいる桜ノ大路とはほとんど反対側にある桐ノ大路の辺り、しかも禊木町ではなく千引町で討伐されたらしい。俺たちが到着した時にはもう時間が経ち過ぎたようで牛鬼の死骸はもう地獄から来た獄卒たちが回収してしまったと傍観していた人たちに聞いた。


 なので、俺たち四人は人だかりだけが残った桐ノ大路で注目を集めないうちに陰に隠れるようにその場を去った。


 何も収穫がなかった俺たち四人は落ち込んだヘルガを見て居た堪れなくなった宗右衛門さんの「よし! 妹弟子よ。何か食べたい物を奢ってやろう!」と張り上げた一声で『藤の花』に寄ってお茶をして帰った。


 ヒビキの紹介で桜一刀流の道場を訪ねたこと以外は特に収穫がない踏んだり蹴ったりな一日だった。


 いや、現世ではモグラのように受動的だった俺が行動しただけで成果はあった方かもしれないな。それにヘルガが俺の予想以上にサクラコさんとコノハの二人を気に入っていたようで、そのことを知れただけでも良かった。

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