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第四十四話 『羽を捥がれた妖精』


「全員!! 下だ!! 霊樹から降りろ!!」


 オレはリサナウトの毒に侵された身柄を傷ついた同胞たちに預けて、再びヒュドラとの戦いに挑んでいた。

 

「風の精よ!」


 ヒュドラの毒は目に見えない。それが最も恐ろしい。

 そのくせ、気化した毒を含んだ風は一瞬でオレたちの命を脅かす。リサナウトは一呼吸しただけで身動きが取れなくなった。


 風の精の力を借りていくら周辺の風を払っても焼け石に水だ。いつかは毒で満ちてオレたちはヒュドラに近づけなくなってしまう。

 

 戦況は膠着状態に陥っていた。

 いや、正しくはこれから戦況は膠着状態に陥ることになるだろう。


 時間をかけて討伐しなければならないはずの敵が、時間をかけるほど圧倒的に不利となってしまう。オレたちは選択を迫られていた。このまま討伐を続行するか、放棄して体勢を立て直すかだ。


「なんだありゃ? 蛇が二日酔いにでもなったのか? 同じ蛇でもヤマタノオロチは酒に強かったんだがなぁ?」


「休日のあなたと似たようなものでしょう? シュテンもそろそろ深酒は控えた方がいいわよ? もう若くはないんだから」


「……ついにオレも身体の心配をされるようになったのか」


 そんな呑気な会話が後ろの方から聞こえてきた。

 

「…君たちは、何の話をしているんだい?」


「ああ、ほら、あれを見ろよ。まるでゲロでも吐いているみてぇだろ?」


 そう言って”美食家”、シュテンが指を差した方に顔を向ける。


 そこには先ほどまでと変わりなく泥の中で暴れ回っているヒュドラが一匹。頭が七つ。まだ半分以上も残っている。絶望的な状況だ。しかし、この目に映った光景はオレたちをさらに絶望の淵に突き落とすものだった。


「何だい、あれは?」


「やっぱり気持ち悪いわよね」


 黄色の薄い膜に覆われた体液がヒュドラの口から溢れだしていた。コポッ、ゴッポ、と粘度の高い泡がはじける。生理的嫌悪を催す音が聞こえてきた。胃液の酸っぱい臭いがこちらまで漂ってきている錯覚を覚える。不覚にも、このヒュドラの姿は前の宴でニンゲンの一人が吐いている姿と重なってしまった。


 豚のように自分で吐いた吐瀉物の中に顔を埋めていたニンゲンだ。


 その哀れな姿と目の前の凶悪なヒュドラの表情が重なってしまったのだ。


 嫌悪感が押し寄せる。


 しかし、あれはすぐに止めないとこの森が取り返しのつかないほど悲惨なことになってしまう。ニンゲンの吐瀉物は自分たちの手で掃除させればいいだけだ。だけどヒュドラの毒はどうすることもできない。気化してしまった毒はユニコーンの角でも浄化ができるかが分からない。あの角には毒などで侵された水を清める力はあるが、空気中の毒を清めるなどとは聞いたことがない。


 もしそうならドワーフたちが放っておかないだろうしね。きっと大陸中で乱獲騒ぎになってしまう。


「ッ同胞よ!! これ以上我らの故郷を汚させるな!!!」


 口と鼻を布で覆いながら、ヨルズ様は風を押し退けて突き進んだ。彼女の纏った風はヒュドラが吐いた目に見えぬ毒を全て吹き飛ばすように飛んでいる。気化した毒を万が一にでも吸わぬように地を擦るほど低空を飛んでいる。


「ボーっとするな。オレたちも行くぞ!!」


 オレたちもヨルズ様の真似をして、口と鼻を布で覆いながら低空を飛ぶ。羽が捥がれたからと言ってオレたちがやることは変わることがない。首を落とし、燃やすだけだ。しかし、これほど低いと一方的にはいかない。文字通り命懸けだ。


「来るぞ! 右へ避けろ!!」


 頭の一つが低空を飛んでいるオレたちに襲い掛かってくるのが見えた。噛み付いてオレたちの身体を真っ二つにするつもりなのか、それとも飢えを少しでも満たすためかは分からないが、回避行動を取らないと死んでしまうことには変わらない。


「よし、三人は風刃の準備をしろ! 二人はオレと一緒に囮だ! 来い!」 


 リサナウトの分までオレが声を上げなければならない。掛け声とは武器だ。皆を奮い立たせて、士気を高めることができる。先ほどリサナウトのおかげで学んだことだ。絶望的なこの状況において、これ以上の武器は他にない。


「こっちを向け!! ヒュドラ!」


 冷静を保ったままオレは弓を曲げて、目を狙う。

 少しでも囮になって、同胞たちの負担を減らすように……


 顎が外れるほど口を開いたヒュドラからは毒々しい液体が漏れ出していた。ニンゲンたちの町にある噴水みたいだ。自らが出した毒に溺れているようにも見える。オレはそんなヒュドラに狙いを定めて風の精の加護が宿った矢を放った。



 ※※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 戦いが激化するにつれてエルフたちの透き通るような美しさは陰りを見せていた。ヒュドラが暴れることで飛び散る泥や傷ついた同胞の血に濡れて肌が汚れていく。だが、エルフの美貌が霞むにつれて、戦士としての輝きが増していった。

 

 矛盾している。

 しかし、彼らの戦う姿は美しい。


 エルフとしての驕りが戦いの中で完全に消え失せ、戦士としての覚悟のようなものが研ぎ澄まされていく。まるで鍛冶屋が金属を鍛錬して一振りの刀を製造するかのようだ。そう思わせるほどだった。命を懸けの闘いでエルフたちは一皮剥けた。


 風を纏って、弓を放ち、風刃でヒュドラの首を斬り落とす。そして仕上げに火の精の力を借りて傷口を燃やす。これを繰り返している。ついでに再生されないように焼き塞いだ傷口に近づくヒュドラの牙を火炎で牽制しながらだ。


「このまま、皆で焼き尽くすぞ! 火の精よ!」


 カーリの掛け声と共に風刃で斬り落とした首を焼く。

 黒々とした鱗が焦げて、ボロボロと剥がれ落ちていく。鱗の伸縮性が火炎が持つ熱によってなくなったからだ。泥の中で炭のような物体が浮かんでいる。


 リーネルも、シュテンも討伐に加わっているがエルフたちとの機動力の差で活躍が目立たない。ロバーツは全身が獣の体毛に覆われ、鋭い爪で霊樹を掴みながら四つ足で走り続ける。


「クッソたれ!!」


 狼が吼えた。ロバーツは一度鱗に爪を弾かれてから、囮と落ちてきたエルフの回収に重きを置いて動いていた。獣人としての野性の勘がいくら冴えていても、攻撃が通らないのなら意味がない。だが、それでも精霊の力によって大規模な泥沼を器用に避けて、毒に侵されたエルフを抱えて跳ぶ。


 全員でそれぞれの足りない部分を補っていた。


 持久戦だ。それも気が遠くなるほどの持久戦だった。

 後ろで最低限の治療が終わったエルフの戦士がニンゲンの持って来たグリフォンの矢を抱えて戻ってくる。そしてロバーツに助けられたエルフが治療のために後方へと運ばれる。それを繰り返していた。


 個ではなく、群で立ち向かう。

 最強の戦士としての慢心があった彼らにはできていなかったことだ。まだまだ終わる気配がない戦況を自分たちの手で変えるために邪魔なものを削ぎ落としていった。矜持は捨てず、驕りを捨て、忌み嫌っていたニンゲンの力も借りる。


 すべては故郷を守るためだけに……


「…ッ……風の精よ」


 弓を曲げて風の精の加護が宿ったグリフォンの矢を放ち続ける。ガン、と硬い音を立ててヒュドラの汚い琥珀色の眼球を守る透明な鱗を貫いた。


「よし、風刃の準備だ。カーリに合わせろ!」


 オレたちは個の力でなく、群の力でヒュドラ討伐をなんとか継続できている。

 団結した風の精の力で毒を払い、目を潰し、首を落とす。


 故郷を脅かす敵に一矢報いるために前線にいるみんなが、ニンゲンもエルフも関係なく手を取り合っている。一致団結。連合を組んだ当初よりも遥かに息が合っている。ヒュドラとの激しい戦いの中で前線に立つ者たちの間には確かな絆が出来上がっていた。血のつながりよりも濃ゆく、固い絆だ。


 その中で、派手に暴れる異物が一人……


「ハハ、蛇足とは良く言ったものですね」


 カランコロンと下駄を鳴らし、臆さず噛み付く獣の牙にさすがのヒュドラも戸惑っているようだ。オレたちは違い、群ではなく個としてヒュドラの懐に飛び込んでいく、頭のイカれていた馬鹿が一匹。高らかに笑いながら目にも止まらぬ速さで毒霧があるかもしれないところへと突っ込んでいく。


 彼もヒュドラのようにたくさんの頭が生えると多少はましになるのだろうか?


「蛇は神の怒りに触れたせいで、足がない姿になったと聞きます。だけど君には四つも足がある。おまけに頭は九つ、いえ、斬り落としてしまったからあと七つですかね? ほら七つもある。刀も、蛇も、無駄を省くほど美しくなると思うんですよ。だから、ボクが君の死に様を美しく飾り付けてあげます!」


 カッン、と木を強く打ち付けたような甲高い音が響いた。

 

 音の方向へオレが目を向ければ、次の瞬間にヒュドラの頭が一つ、さらに一つ落ちる。もう彼の姿を目で追うことができない。


 泥でできた湖の上でも関係ないと言わんばかりにニンゲンもどきは走り回る。

 足掻いているヒュドラを足蹴にし、さらに泥中へ沈めるように……


 一閃。蛇腹を捌く。



 頸椎を避けて、綺麗にヒュドラの首が地に落ちる。時間稼ぎにはなっているがこのままではオレたちも彼の駿足に追い付けない。韋駄天の如き疾走に火の精の力を合わせることができないのだ。


「ニンゲンもどき、君も、オレたちに合わせてくれ!」


 何処に消えたのか分からない。彼の姿はとっくに見失っていた。

 だが、オレは懇願するように声を上げる。同胞たちがこれ以上傷つかないうちにヒュドラを討伐するために彼に向かって声を上げる。


 すると――


「仕方がないですね」


 背後から声が聞こえた。次に、下駄の音が遅れてやってきた。


「……協力してくれるのか?」


「はい、そのためにここに来たんですよ?」


「そうか。なら、君はオレたちの声に従って動いてほしい。君がいくら一人で頑張っても傷口を燃やさないと意味がないよ」


「お恥ずかしい限りです。ボクも久しぶりの敵に昂ってしまって……それよりも、あれはどうしましょうか? ずっと毒をばら撒かれてはさすがのボクも手の打ちようがありません」


 ニンゲンもどきの言わんとしていることは既に分かっている。

 

 ゴポッと粘度の高い泡がはじけた。粘着質で耳に残る気色の悪い音だ。真中にあるヒュドラの頭の一つが痙攣しており、失神したかのように白目を剥いている。顎が外れた口からは胆汁から猛毒が漏れ出している。気化した毒が空気を汚染しているようだ。あれがある限りオレたちは直接近づけない。


 胆汁から漏れ出す猛毒はすぐに尽きると思い込んでいた。


 オレたちが風を纏っても迂闊に近づけないようにするために、警戒心を抱かせるために少量だけ吐き出したのだと思い込んでいたのだ。


 しかし、オレたちの予想を裏切るようにあの毒は止まらない。


「……あれをどうにかすればいいのだね。オレたちで何とかしてみよう」


「はい、ではよろしくお願いします」


 そう言うとニンゲンもどきは器用に霊樹を伝って地面に飛び移った。オレは彼の言葉を信じて少数の戦士を集めることにした。他のみんなは彼や、ヨルズ様、カーリを援護するように立ち回って欲しい。だから――


「全員、左に旋回しながら接近するぞ! オレが指示を出しながら毒を押し退けて進む! だから君たちは風刃をアイツに叩きこむことだけに集中して欲しい!!」


 今度はオレが先陣を切る。リサナウトのようにみんなを鼓舞するため、オレが声を張り上げてヒュドラの眼前に飛ぶ。後ろには三人ほどが続いてくれた。やはり圧倒的に数が少ない。これ以上消耗する前に決着をつけないと……


 オレはそんなことを考えながら、目に見えない毒を掻き分けて進んでいく。火薬の燃焼によって押し出された弾丸のように、心を燃やして地面を這うように飛び出していく。もうこれ以上、みんなが傷つく前に終わってくれと思いながら……


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