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第四十三話 『戦士たち』


 第一作戦”泥沼”は成功に終わり、指揮を執っているカーリの判断により第二作戦”鎌鼬(かまいたち)”へと移行した。


 オレがニンゲンたちから又聞きした知識が本当に正しいなら、鎌鼬とは黄泉の国では物の怪の類として知られている。つむじ風に乗って現れて、ニンゲンの皮膚を切りつけて逃げていく、そんな臆病な妖怪だ。


 これに出遭ったニンゲンは刃物で切り付けられたような鋭い傷を受けるが、痛みもなく、傷からは血が出ない。まさにこれから行う作戦にピッタリな名だ。


 だが気に食わない。オレたちエルフがそんな臆病な妖怪に例えられたこともだけど、ニンゲンもどきが『鎌鼬とは随分と懐かしい渾名ですね。もうボクも忘れていましたよ』と言ったことでオレにも他のエルフのみんなと同じような拒絶反応が起こった。いや、誤魔化すのはやめよう。


 オレが嫌だと思ったのは臆病な妖怪に例えられたからではない。ニンゲンもどきと一緒にされる。それだけはとても嫌だったのだ。昔、戦士になろうと頑張っていたオレを嘲るように”音鳴り”は『尋常に』と槍を振り回し、一晩中追いかけまわして”泣き虫”だったボクに戻してしまった。それが今でも許せない。


 しかし、まあ。そんなことを言っている状態でもない。なのでオレは笑顔でプライドを噛み殺し、渋々この名を受け入れた。


 自分でも器の小さいのは分かっている。過去にトラウマを植え付けられたからと言って、それを理由にオレたちの故郷を守ってくれている恩人に対してこの態度を取るのははあまりにも幼稚で無礼だということに……


 だから、このヒュドラ討伐が終わったら今までの恨みは一度水に流して向き合ってみようと思っている。エルフ戦士の矜持としてね。


 そんなことを考えながらオレはヒュドラと相対していた。

 罅割れた琥珀を連想させる蛇の目を攪乱するために風を纏って、弓を曲げる。


 木の葉のように優雅に舞う。


 遥か昔ドワーフ、ニンゲン、エルフの三種族が対立することとなった”名すら忘れられた”古の戦争で、オレたちエルフを最強たらしめていた風の精の力によって、空中を完全に制していた。泥中で溺れている君には手も足も出ないはずだ。


 それに八つの首と、十六個の目玉だけではオレたちの姿をとらえ続けることはできないよね。


 ほら、視線が途切れた。


 チャンスだ。


「…風刃よ!」


 オレはヒュドラの頭上で同胞たちと風の精の力を合わせて風刃を生み出し、ヒュドラ首を叩き斬った。



 ※※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「負傷した者を下がらせろ!! まだ余力のある者はこのまま攻撃を続けろ!!」


 ヨルズ様の激励を聞き、それに応えようと同胞たちがさらに勢いづく。数刻の間オレたちが攻撃の手を緩めなかった成果か、戦況は優勢を保ったまま進めることができていた。ほとんど一方的と言ってもいい。


「はぁ、はぁ…」


 あの後、ヒュドラの首を六度落とすことに成功した。


 二本だけ再生されてしまったがかなり順調に事が進んでいる。


 あと五回繰り返すだけ、あと五回繰り返すだけでヒュドラ討伐は成功したといっても過言ではない。いくら魔素をこの森から吸収したとしても傷口を燃やしてしまえば関係ない。心臓から溢れほどの魔力があっても、頭を潰せば害がなくなる。


 その後は……


 いや、先のことを考えるのはここで止めておこう。この考え自体がニンゲンの言葉でいうところの捕らぬ狸の皮算用ってやつなのだろうね。ヘルガから学んだニンゲンの言葉の数々はオレたちでは考え付かないような発想ばかりで面白い。


 いつか本腰を入れてニンゲンの文化を学んでみるのもいいかもしれない。


 そんなことを想像していると――


「おや、ここで気を抜くのは些か早計ではありませんか? 足元を掬われてしまいますよ?」


「うるさいぞ、ニンゲンもどき。『勝って兜の緒を締めよ』ということだな」


「はい、ボクはそっちの方がいいと思いますよ。いつも先人たちの言葉には教訓が隠れているものです。ボクもいつか残せるのでしょうか?」


「……それよりも、ニンゲンもどき。君はここで何をしている。疲れたのなら後方に下がり休めばいいだろ」


「いえ、いえ、心配いただかなくても。ボクにはまだまだ余裕がありますよ」


「なら、無駄口を叩いていないで戦うべきだよ。口を開けば体力が消耗するからね」


「おや、手厳しい。ですが、ボクもここにいる間にも自らの務めは果たしているんですよ? ほら、あれを見てください」


 そう言ってニンゲンもどきは持っていた刀をヒュドラに向ける。


「二つの頭でボクの動きを見張っているでしょう? こうしている間にも囮としての役を実行しているんですよ。それにしてもヒュドラは単一個体のはずですが、舌で出す音で意思疎通を図っている。実に興味深いですね。もしボクが学者だったなら眉唾物でしょう」


「……さっきから君はボクを馬鹿にしているのか? 言い回しがいちいち面倒くさいよ」


「それはすいません。ボクのこのお喋りな性格は性分ですので不快にしたなら謝ります。……ですが、不退転の覚悟を持ってヒュドラ討伐に臨んだはずなのにここまで一方的だと何だか興醒めですね」


「……おい、口を慎め。同胞が喰い殺されたオレたちの前でよくもそんなことが言えたな。彼らは勇敢なエルフの戦士だった。彼らの死は意味のある死だ。もしそれを侮辱するなら徒では済まさないよ」


「戦士でも、侍でも死に意味はありませんよ。あるのは誉だけです。まあ、それよりもホヴズさん。何か気付いたことがありませんか?」


「…………いや、もういい。それよりも何かって? 君には指摘するだけ無駄だということには気付いたけどね」


「ボクの勘違いでなければ、先ほどから火の精の攻撃だけはしっかりと避けてるんですよね。ボクや風刃、弓矢による損傷は再生するから気にしないようにしたのでしょうか? もし、そうなら勘所はいいようですね」


「…ああ、ボクも君と同じことを考えていたか。ヒュドラにはオレたちとは違い知性などないはずなんだがな。でも、たぶんそのことはカーリたちも気付いているよ。敢えて皆に言わないのは作戦には支障がないと判断してのことだろう。だって残っているヒュドラの頭は五本なんだしね。このまま順調にいけば……」


『数刻もすれば終わるだろう』そうオレが口を開こうとした刹那――ヒュドラの凶悪な顎の一つが自らの躰を噛み千切ってしまったのだ。それもオレたちが火の精の力によって、焼いて傷を塞いだはずの部位をだ。


「な、な、何をしているんだ、アイツは…」


 オレの頭は即座に状況を理解した。思考が凍った。最も悪質で、最も望ましくない。そんな避けるべきはずの未来を……

 

「……知性はなくとも知能はあるようですね」


 隣で同じ光景を見ていたはずのニンゲンもどきがニッコリと笑った。愉快そうに口角を端を吊り上げていた。オレには何が面白いのか分からない。


 だって、だって、ヒュドラの噛み千切った部位からは骨が痛々しく露出し、血ではない何かどろりとした粘着質な体液が漏れ出している。凄惨な傷だ。しかし、まだ器官が生きている。それが分かったのは傷口から蠢く肉が徐々に盛り上がっていくのが見えたからだ。


 筋肉繊維が造りあがっていく。熟練の陶芸家が急速に回転する轆轤の上で、柔らかい粘土の塊を成形するみたいに押され、潰され、上方に引き伸ばされて元の状態に戻されていく。潰れたような不細工な眼球がぎょろりとオレたちを見つめる。蛇の目が手強い獲物を前に、失ったはずの眼球の光に敵意の火を灯した。


 背骨と肋骨の隙間を編み込むように赤々とした筋肉の鎧が一瞬の内に出来上がっていく。表面が皮に包まれていく。その表面を包む皮もオレたちエルフだけでは太刀打ちできないほど硬く、丈夫な黒い鱗なのだから笑えない。


 ヒュドラの頭が新たに二つ現れた。燃やしたはずの一つの傷口から二つの頭だ。


「やってられないよ。それは、さ……」


 怒りか、絶望か、もう自分の感情すらも分かっていない。


 七つの頭がオレたちを睨む。討伐を始めた頃よりも頭の数は少ないはずなのに絶望感が増した気がする。いや、それは単純なことだ。頭が一本増えたからだ。当初よりも頭の数が一本増えた。その事実に膝が折れそうになる。


 オレたちが焼き塞ぐことに成功した傷口は四カ所。そのうちの噛み千切った一カ所からまるで分裂したかのように二本の頭が生えたのだ。傷口は後三か所も残っている。つまり、さらに六本も頭が増える可能性があるのだ。すべてを合計すると十三本だ。もうどうしたらいいんだ……


「絶望する必要はありませんよ。簡単です。つまり、ボクたちは焼いた傷口を噛まれないように立ち回らないといけなくなったというだけのことです」


「あ、ああ、そうだな」


 虚勢すら張ることができない。


 いや、それどころか横にいるニンゲンもどきの言葉すら聞き取れなかった。理解できなかった。理解したくもなかった。


 カーリも、ヨルズ様も、あの”海賊の娘”リーネルも全員の顔が絶望に歪んでいた。笑っているのはただ一人”音鳴り”のヒビキだけだった。イカれている。素直にそう思った。それしか感想が出なかった。


 だけど――


「まだだ!! まだ、終わっていない!!」


 絶望に立ち向かう者もいた。


「オレたちで討ち取ると亡き同胞に誓ったではないか! 火の精霊様に誓ったではないか! オレたちは死してなお果敢に戦い抜くと!! エルフの戦士なら下を向くな!!」


 リサナウト。

 オレの古くからの友人にして、エルフの戦士だ。


 彼の魂からの叫びを聞いた。

 この状況でも失わないオレたちエルフの矜持を彼は示した。


 だから――もう一度立ち上がるのには十分だった。


 今日だけでもう何度目だろう。


 何度も絶望に打ちひしがれた。


 その度に誰かの強さを目の当たりにし、負けてたまるかと奮起している。

 

 今日だけでオレの一生分の絶望を味わった気さえしてくる。


 そうだった。勘違いをしていた。強いと言うのは肉体の強度が全てではない。ましてや魔法でもない。心だ。何が起こっても折れない心こそが本当の強さだった。


「オレの風刃が何としてでもヤツの首を斬り落とす!! オマエたちはそれに合わせ…テ……ッ…グ……ァ……」


 はないはずの妖精の羽が見えた。そうオレに連想させるほど見事だった風の精の加護が突如、苦しみだしたリサナウトから消えた。喉を押さえて悶え苦しむ。

 

 希望が打ち砕かれたような錯覚に襲われた。


 空中から無残に落ちていく彼の姿がオレたちのこれからの未来を暗示しているように見えたからだ。


「リサナウト!!!」


 オレは無意識のうちに駆け出していた。

 友の名前を叫びながら。


 落ちて行く彼を死なせないように風の精の力を借りて、空中でなんとか彼の身体を掴んだ。


 何でだ。何でリサナウトは苦しみだした?

 攻撃を受けたような外傷はない。 


 それにリサナウトが苦しみ始めたのは、あの蛇程度では絶対に届かないオレたちの領域だった。かなりヒュドラから距離の離れた空中だったのだ。


 分からない。だけど冷静にならないと……


 でも、でも、どうすればいい? このままだと、リサナウトが死んでしまうかもしれない。どうするのが一番いいんだ? オレは、()()は何をすれば……


「貴様ら!! 毒だ!! 我らの領域にヒュドラの毒が吐かれた!!」


 泣きそうになりながら迷っていたボクにヨルズ様の声が届いた。


 毒? それって、あの透明な?


 確かにヒュドラの毒は強力だった。

 かすりでもしたらボクたちでも命の保証はなかった。

 でも、それだけだ。それだけだったはずなのに……

 

 ボクは、いや、オレは何とかヒュドラに視線を戻す。

 だけど何も見えない。分からな……いや、あれはなんだ?


 ヒュドラの足元に、泥沼の中に浮かんでいる紫色の液体は?

 いつから、いや、どこから?

 

 そんな疑問が頭に浮かぶ。

 だが、すぐに辻褄が合った。あれが毒だ。

 あれが万物を苦しめ、死ぬ至らせるヒュドラの毒なんだ。毒が気化したんだ。


 なら、さっきまでの毒だと思っていたのは何だ? 

 あれに肌が触れると一瞬で溶けたように……消化液だ! あれがただの漏れ出した消化液で、こっちが本命の毒なんだ!


「……なるほど、やけに拍子抜けだと思っていましたが本命はこちらでしたか。そこまで大柄な体躯をして毒が隠し玉というのは、やることが妙に狡いというか、卑怯というか。……いや、邪に落ちた蛇に誉を求めることが間違いでしたね。ならば、ああ、なんと面妖な生き物でしょうか!」


 絶望は畳み掛けるように襲って来た。そんなオレたちのことをヒュドラは細長い舌を出して嘲笑っていた。ヒュドラの多頭が上顎と下顎が外れたように開き、喰い殺してやると煽るように嗤っている。


 僅かでもこの場にいる全員の表情に影が差した。


 きっと己の死を意識したのだろう。想像に難くない。オレたちはヒュドラの毒を吸い、身動きが取れなくなってしまい。全身を内側から刺されるような苦しみの中、あの反り返るほど鋭い牙で身体を裂かれて喰われて死ぬのだ。胃に辿り着くころにはもう意識は途切れているだろう。


 現実感がある死が、泥沼を這うように近づいてくる。

 そんな絶望の渦中でもカランコロンと下駄を鳴らして笑う者が一人だけいた。


 彼はいつものように表情が読み取りづらい能面のような貼り付けた笑みをしていない。彼は獲物を前にした獰猛な獣のように隠そうとしても隠しきれない凶悪さが滲み出たような笑みを浮かべていた。


 そんな彼、”音鳴り”のヒビキはヒュドラの多頭を前にしてやっと自身の本性を剥き出しにした。そして周りの誰にも自分の声が聞こえていないことに気が付くとようやくと本音を語った。


「これで、やっと面白くなりましたね」

 

 ヒビキは血が滾るほどの愉悦を語った。誰にも理解されることのない一人の侍としての、いや、一匹の獣としての本音を……

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