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第四十二話 『ヒュドラ討伐作戦開始』


 シュルシュルという威嚇音がする。

 蛇特有の威嚇行動だ。オレたちが足場にしている霊樹の枝よりもデカいくせに、躰を神経質そうに丸めて、炎を器用に避けているみたいだ。

 

 だけどそれは好都合だった。


 オレたちの第一作戦”泥沼”を実行するためには数がいる。みんながこの場に集まるための時間稼ぎをしなければならない。


 オレが発した笛の音が遠くへと離れていくのが聞こえる。ここでギリギリまで時間を稼ぐ。たとえオレが死んだとしても……


「矢を放て!!」

「風刃を!!」


 カーリの号令を聞いたエルフの戦士たちが一斉に弓を曲げる。


 ヨルズ様の号令を聞いたエルフの戦士たちが一斉に魔法を放つ。


 ヨルズ様のニンゲン嫌いは里全体で広まっているのか、オレたちが昨夜頼んだはずなのに弓はまったく使う気がないようだ。風刃が命中しても逃げられてしまえば意味がないのに……


 胸中でヨルズ様たちへの文句を噛み殺す。オレはニンゲンたちが造った黒き矢を番えて弓を曲げる。グリフォンの爪を混ぜ込んだ特注品だ。


 ニンゲンの学者が調べた知識によると蛇には瞼がない。しかし目の表面は常に透明な鱗で覆われており、それで眼球を保護しているらしい。

 

 だから、同胞たちの弓では目を潰すことも叶わなかったらしい。


「…風の精よ」


 オレは同胞たちの無念を込めた矢をヒュドラの眼球に狙いを定めて放つ。その矢に風の精の加護を纏わせる。そうすることで矢を川を泳ぐ魚のように操ることが可能になる。


 真っ直ぐと勢いよく放った矢が不自然な挙動でヒュドラの眼球に突き刺さった。


 透明な鱗を貫通することは叶わなかったが、突き刺すことはできた。これで無力ではない。これを続ければ透明な鎧を引っぺがすことができるのだから……


 ヨルズ様たちの風刃もあまり効果がなさそうだ。数人がかりでの風刃では浅い傷を漆黒の鱗に刻む程度だ。やはり圧倒的に人数が足りない。探索の効率を高めるために分散しすぎた。


 いや、きちんと認めよう。オレたちは心のどこかで侮っていたのだ。


 目的を一つにしたオレたちエルフが負けるわけがない。エルフという種族の傲慢なまでな勘違いが残っていたんだろう。その結果がこれだ。次の機会があるのならこの反省を活かさなければね。


 そんなことを考えているとヒュドラの九つある首の一つが海賊帽をかぶったニンゲンの少女を背後から襲った。その一口は大きく、ニンゲンの少女一人を抵抗する暇も与えずに丸呑みしてしまうだろう。


「リーネ、後ろだ!!」


 カーリの叫び声が聞こえた。だが、気付くのが遅すぎた。


 ――間に合わない。


 オレたちエルフの長年にわたる狩猟の経験がそう告げる。


 まるで答え合わせでもするかのようにゆっくりと時間は進む。琥珀のペンダントが罅割れたかのような不気味な眼球で獲物(オレたち)の動きを観察していたはずの頭が一つ、獲物(しょうじょ)を嘲るように舌を鳴らした。


 蛇の巨大な牙が彼女の眼前に迫っていく。


 迫っていき、迫っていき、少女に牙が触れる寸前――真上から落ちてきた黒い影に吹き飛ばされた。


「何してんだ、死にてぇのか!!」 


「シュテン!」 


 黒い影ではない。鬼だ。

 黒き鬼が片手に持った棍棒一つで山のよりも遥かに巨大に感じるヒュドラの顔面を吹き飛ばし、少女の危機を救っただけだ。


「よそ見してるんじゃねぇぞ!」


「ありがと」


 彼のことは事前に聞いていたが鬼がここまでの剛力を持つ種族だったとは知らなかった。怪力乱神を語らずとはいうが、まさか事実だとは……


「貴様ら! 油断するな!! そいつの毒は――」 


 今度はカーリではなく、ヨルズ様が全員に忠告するように叫んだ。彼女のことだから部外者である海賊にではなくエルフのみんなへの忠告だとは思うが、それでもヨルズ様の声に反応できたエルフの二人がリーネルとシュテンを抱えてその場から飛び降りた。


 空中に投げ出された二人は驚いたような顔をして、不安定な姿勢のままエルフに抱き着く。シュテンが勢いよくヒュドラの顔面を叩きつけた反動で毒が辺りに飛び散ってしまったようだ。


 ヒュドラの口内から漏れ出し、散乱した透明な体液が先ほどまで彼女たちがいた足場へと付着した。ジュと何かが溶けるような音がした。霊樹が見る見るうちに腐って、枯れていくようだ。


 一滴でも肌に触れたら死ぬような毒だ。


 彼女たちに当たらなくて良かった。そう安堵する。毒を浴びた同胞の死体を見た。あれは酷い者だった。亡骸は骨がなく、皮膚と片目が少しだけ残されていた。


 死ぬにしても溶けて死ぬのは嫌だなぁ……


 せめてカーリがオレだと分かるように形だけは残して死にたい。戦闘中だというのに柄にもないことばかり考えている。感傷に浸る前に作戦を成功させないと明日は我が身だ。そうやって意識を切り替えた瞬間、


 ――カランコロンと小気味いい音が聞こえてきた。


 記憶に残っている嫌な音だ。その音がオレの耳に届いた瞬間、オレは反射的に後ろを振り返っていた。


 しかし、下駄の音が響いたはずの背後にもう彼の姿はなかった。木を打ち付けるような残響のみが置き去りにされていた。


「―――ッ」


 影すらも残さない早業にギョッとしてオレはすぐさまヒュドラの、いや、彼の声が聞こえた方向へと顔を向ける。いつの間にかニンゲンもどきはヒュドラの黒々とした鱗に覆われた頭の上に立っていた。黒い髪を靡かせて、興奮で上気した凶暴な笑みを隠すことなく美しき刀を突き刺していた。


 血の花が咲く。刀身が深々とヒュドラの肉に埋もれているのだ。


「ご機嫌よう、そしてご機嫌よう」


 そして彼はそのまま刀を掴み重力に凭れ掛かるように落ちる。

 一閃。既に首は斬り落とされていた。


 洗練された一振りに目を奪われる。急所を狙う静寂の一撃。

 静謐な剣戟だった。


 深々と斬りられたヒュドラの首は切傷のせいで、自らの重量に耐えられなくなったのか千切れるように傷が広がっていく。


 傷口から赤々とした肉が見える。硬い鱗が蛇皮のように伸びて、プチと音を立てて割れた。嫌な音だ。ヒュドラの顔面が赤い血と透明な毒をぶちまけながら、重力に逆らわずに落下していった。


 大地が揺れた。


 轟音を立てて、落下の衝撃で地面を砕く。

 霊樹の上に陣取っているオレにも振動が伝わった。

 静寂が訪れた。エルフのみんなにオレと同じ驚きが伝播したのだ。


 ニンゲンがたった一人でヒュドラの首を斬り落とした。その偉業だけでもきっと後世に名を語り継がれるほどだろう。誇ってもいい。しかし、彼は、


「……まずは一つ」


 確かにそう言ったのだ。


 オレがその光景に呆気に取られていると半瞬遅れてエルフの同胞がこの場に集ってきた。

 旋風を纏わせ、空中で身体を捻りながら弓を曲げて、ヒュドラに挑む。あのニンゲンたちに負けないようにと……


 オレは遅れてきた同胞が果敢に挑む姿を見て、やっと身体を動かした。


 追い風が吹いた。誰も口にはしなかったが確かにオレはそう感じた。


 カーリの頼もしいと語るような笑みが、リサナウトの脳天に一撃食らったような驚きに満ちた表情が、ヨルズ様の悔しそうに歪んだ顔がオレの予感が正しいのだと言っている。


 オレも負けてはいられないな……


 そう思い風を纏って別の霊樹に移動する。彼が斬り落としたはずの傷口が蠢いていた。再生する前に焼かなければならない。だから――


「……我らも矜持を示さねばならないな」


「貴様ら、ニンゲン風情に活躍させるな!! 心せよ!! ヒュドラは必ず我らの手で討つ!」


 カーリとヨルズ様の声がはっきりと聞こえた。


 その声に背中が押されて、胸が熱くなるのを感じる。だけど雄叫びは上げない。オレたちエルフの戦士は自らの働きのみで矜持を示す。それが最強を自負するものの義務だからだ。


 ヨルズ様の宣言に合わせるように空中に浮遊していた同胞たちが一斉に火の精の力を借りて灼熱の炎を生み出した。


 ヒュドラに灼熱の炎が襲い掛かる。


 肉が焼ける音がした。そして肌を刺すような熱風がこちらにも押し寄せた。


 呼吸がしにくい。

 口を開けていると熱波のせいで喉が焼けるからだ。


 焦げ臭い。

 あまりの熱に肉が真っ黒になるまで燃焼し、血が蒸発した臭いだ。


 炎によって生み出された熱波が収まっていく。


 見ると蠢いていて剥き出しとなった皮膚の内側が跡形もなく焼け焦げている。残っているのは首の付け根部分と、ボロボロと石炭のように崩れる肉片だけだった。


 酷い有様だ。霊樹の表面が軽く焦げている。


 だが、これであと八本だ。

 あと八回これを繰り返すだけですべてが終わる。


 脈々と受け継がれてきたオレたちの故郷に、無残に喰い殺された同胞の亡骸に、報いることができる……


「あれが噂に聞くエルフの戦士ですか……。確かに凄まじい威力ですね」


 真横を見ると青い独特な装束にニンゲンの男がいた。ニンゲンもどきだ。

 

「おや、気付きませんでした。偶然ですね?」


 ニンゲンもどきはオレが彼ことを見ていることを確認するようにそんなことを言ってきた。いつも通り慇懃無礼な態度だがその顔は貼り付けたような笑顔ではなく、本当に関心したような表情だった。だから……


「まだだ、見ておけよ。オレたちエルフはこんなものではないぞ!」


「はい、それは楽しみです」


 オレは真っ正面から殴りかかるように告げた。彼の一挙手一投足がオレの神経を逆撫でする。しかし、それは問題ではない。問題は彼がオレを舐めていることではなく、オレの同胞をも侮っていたかのような顔をしたからだ。そうじゃないとあの心底驚いたといった目はできまい。


「あら、ヒビキ遅かったじゃない。道にでも迷ってたの?」


「いえ、ただジン君と少し話していただけですよ。まあ、そのせいで美味しいところはリーネに全て持っていかれたようですが……」


「それは仕方がないわよ。あなたは私たちと正反対の位置にいたんだから」


「ってか、それでよく間に合ったな。いくらお前でも周りのエルフよりも来るなんて不可能だ。それこそ笛を聞こえるよりも速く動かねぇと…」


「はい、血の匂いを辿っているといつの間にかここに着いていました」


「……それが本当ならお前はもう人間じゃねぇよ」


 緊張感のない会話が後ろから聞こえてきた。

 ニンゲンたちがまるで世間話でもするかのように霊樹の上で会話している。

 

「今に見ていろよ。ニンゲンもどきめ」


 そんなことを気にすることなく、オレは霊樹から三人を残して飛び降りた。


 順序が滅茶苦茶になってしまい。先にヒュドラの頭を一つ斬り落としたが第一作戦”泥沼”はまだ実行できていない。このまま重症を負わせても魔素の濃いこの森の中心に行くと回復してしまう恐れがある。それはさせない。


 リサナウトとヨルズ様の二人が目線で合図を送ってきた。みんなはもう配置に着いているようだ。


「これより第一作戦”泥沼”を実行に移す!!」


 霊樹の上からカーリが高らかに宣言した。

 オレは地面に両手を突く。体内の魔力が周辺の魔素に影響を与えていくのが分かる。大地を細かく崩すようなイメージで揺らす。


「……地の精よ、水の精よ」


 イメージが熱を帯びていく。 

 地面が激しく揺れたのだ。ここまで大規模な魔法は初めてだが上手くいっているようだ。樹々の根に苔むすように生えていた魔光石に罅が入り、割れた。


 突如、ヒュドラを中心にして巨大な円を描くように地面が液状になってすべてを沈める。これが山のように巨大な胴体に九つ首を持つ大蛇の姿を借りた怪物”ヒュドラ”を討伐するための第一歩だ。強靭な四本の足が、巨大な胴体が、忽ちオレの視界から消えてなくなった。

 

 ヒュドラが泥沼の中で足掻くほど沈んでいく。これで逃がすことはない。


 オレたちはヒュドラの足止めに成功した。

 その成果を伝達するように炎を打ち上げる。

 打ち上げた炎の残り火を追うようにオレの視線が流れていき、彼女を見つけると同時に止める。止めた視線の先にはオレたちの里長、カーリの姿があった。


 カーリは霊樹の上に腕を組んで立ち、ヒュドラが泥中で藻掻く姿を見下ろしていた。だが、オレの出した合図に気付くと大きく息を吸い込み高らかに告げた。


「貴様ら! 第一作戦”泥沼”は成功した!! これより第二作戦”鎌鼬”へと移行する!!」


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