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第四十話  『警笛』


 昨夜の記憶がない。


 いや、というか正直なところ途中から記憶がない。ノギさんたちと飲んでいたことは覚えているがそこまでだ。たぶん酒を飲み過ぎたせいで記憶がすべて抜け落ちてしまったようだ。本当に記憶って飛ぶんだな……


 次に目を覚ましたら俺は自室のベッドの上にいた。もちろんだけどベッドの横には誰も寝ていなかった。もしノギさんが安らかな顔をして寝ていたらトラウマものだった。考えただけでも背筋がゾッとする。


 ――いや、問題はそこではない。


 問題はよりにもよってヒュドラ討伐の当日の朝に酒を飲み過ぎたせいで体調不良になっていたのだ。全身が重たくて、頭が痛い。酔いは抜けていたが、万全を期して臨むつもりだったヒュドラ討伐の出鼻を挫かれたのだ。それも自分自身の手でだ。自業自得の体現者になっていた。


 まあ、それも朝だけで昼頃になると体調も元通りになってしまったんだけど……


「……やっと頭痛がなくなってきた」


「ボクの記憶違いでなければ、ジン君は二十歳までお酒を飲まないって言っていませんでしたか?」


「そうだよ。言ってたよ。ただ断れなかっただけだ」


「そうですか。ですが次ははっきりと言った方がいいですよ? まあ、ジン君も宴を楽しめたようでよかったです」


「………うるさいよ。というかヒビキはさっさと行けよ。お前は作戦の要なんだろ? こんなところで道草を食ってる場合じゃないはずだ」


「はい、そうですね。では、また。次に会うのはボクが夢に一歩近づいたときです!」


「ああ、頑張れよ」


 目の前にいる紫陽花のような鮮やかな着物に身を包んだ青年はいつも通り胡散臭い笑みを仮面のように貼り付けて、魔法を使って一瞬のうちに俺の目の前から消えてしまった。いや、もう見えなくなった。


「はぁ。スゴイ元気だな……」


 ヒビキの後ろ姿を見送ると同時に歩き出す。


「えっと…確か…もうすぐ着くよな」


 俺は昨日頑張って頭に入れた地図を頼りに目的地に向かって歩く。まあ、地図と言っても俺が勝手に頭の中だけで作ったものなので心許ないんだがな……


 そんなことを考えながらも足だけは進む。シュティレ大森林はただでさえ方向感覚が狂いやすいんだ。だって同じような霊樹に四方を囲まれていて太陽も月も見当たらない。それに魔素の影響か霊樹や水晶の結晶は常に森の暗闇を薄暗く塗りつぶすので時間さえも分からなくなる。


 頼りになるのは自分だけだ。だからエルフの里とヒュドラの住処があるヴァイト沼地を直線上で結び、頭の隅でいつも意識し続けることで方向感覚とこの辺りの大まかな地図を手に入れた。地図と言ってもエルフのみんなが築いた砦がないと迷子になってしまう。


 なのでヒュドラ討伐後には役に立たなくなる。一過性のものだ。


 というかエルフのみんなは迷わずにシュティレ大森林の中を移動できるって本当にスゴイことだな。どうやってるんだろう。


「あ、アンタやっと来たの?」


「お兄さん、珍しいですね。遅刻ですよ?」


 あれ、もう着いたのか? やっぱり俺が作った地図は迷子にならないが距離感はあやふやだ。本当にエルフ総出で簡易的なものでもいいから地図を作製して欲しいな。いや、それがエルフの外敵対策と言うんだから仕方がないんだけど。


 そんな考えを声に出さなかったのは他にもっと驚くことがあったからだ。


「ごめん遅れて。というかレインちゃんとヘルガか……随分と珍しい組み合わせだな?」


「そうでもないでしょ? 決めつけないでよね」


「確かに…そうかもしれませんね」


「え、ちょっと!」


「へ、ヘルガさん冗談ですよ」


「…そうよね? 良かったわ」


 ヘルガはレインちゃんの冗談を真に受けたのか本当に悲しそうな顔をしたが、すぐに元の勝気な表情に戻ってしまった。少しだけ可愛いと思ってしまったのが悔しい。いや、それよりも彼女がレインちゃんと話している光景を見るだけで嬉しくてにやけてしまう。


 あの夜からまともに話ができなかったけれど彼女が出会う前よりも素直になったようで、彼女が良い方向に変わったようで、その事実がたまらなく嬉しいのだ。まるで自分事のようだ。というかやっぱり少しだけ気まずいな。


「ジン、アンタもその気持ち悪い顔はヤメテくれる? 遅刻してきた分際で!」


「遅刻ってそんなに遅れてないだろ。作戦開始前だ。それに気持ち悪い顔なんてしてないだろ? ねえ、レインちゃん!」


「……ハハ、ハ」


「え、本当に気持ち悪かった?」


「…ソンナコトナイデスヨ」


 そう言い終わる前にレインちゃんは俺から目を逸らしてしまった。ヘルガだったらいつもの軽口だって気にしなかったかもしれないが、レインちゃんのその反応は真面目に傷つく。俺ってどんな顔をしてたんだ?


「ま、まあ、それよりもさ。これってどうゆう状況なの? もうヒュドラ討伐って始まってるのか?」


「…流したわね。ヒュドラ討伐は始まってないわよ。まだ笛の音が聞こえてないもの。アンタが遅刻しなかったら大丈夫なことだったのにね」


「朝急に作戦が変わるなんて予想できないだろ! いや、俺が早くに起きていれば大丈夫だったのか」


「そうよ! 現にワタシたちは対応できているでしょ! 意識の差ね!」


「…腹立つけど、俺が悪いから言い訳できない」


 そうだ。お腹を空かしたヒュドラが俺たちよりも速く行動を起こしたことで事態が少し変わってしまった。カーリやリーネの予想よりも早く魔素の濃いシュティレ大森林に迷い込んでしまったみたいだ。


 見張り役だったのエルフたちもいたのだが、近づくことができないという条件下でシュティレ大森林に迷い込んだヒュドラを見張り続けるのはいくらエルフといえども不可能だったみたいだ。まあ、俺たちも酒を飲んで楽しんでいたので人の仕事にケチをつける権利はない。むしろ夜まで頑張ってくれたみんなには何もせず、遅刻をして申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 現在行っているのは探索だ。討伐を開始する前にしなければいけないことが増えた。みんなで霊樹と呼ばれる馬鹿でかい樹々の間にいるヒュドラを探さないといけないのだ。


 だから、機動力の高いヒビキやエルフたちは扇上に別れてシュティレ大森林を虱潰しで探している。そして見つけ次第、各自で笛を鳴らして作戦開始だ。戦力が分散するのは好ましくないが仕方がない。


 ちなみに俺が現状を細かく把握できているのは昨夜のうちに聞いていたわけではなく、『いいかい? オレたちのこの笛が鳴ったら戦闘開始の合図だ』と朝心配そうな顔をして部屋にやってきたホヴズにそう言われたからだ。


 俺に貸していた笛を取りに来たついでにすべて説明してくれた。本当に感謝しかない。ホヴズに起こされてなかったら俺はまだ深酒のせいで寝ていたかもしれないのだ。起こしてくれてありがとう。


「あ、ジンがやっと来たし、うちらにすべて押し付けてビビッて逃げたと思ってたし!」


「アセビ、いくらなんでもそんなヤツいないだろ。自分のことを棚に上げるがエルフの里の危機なんだろ? いくら俺でもそこまで薄情じゃないぞ」


「それがな、あんたはまだ知らないだろうがいたんだよ。オレたちの船の新入りにな。情けない話だけどな。昨日の宴の時にわざと酒を多めに飲んで戦えねぇって言ってきやがったんだよ。本当に情けない」


「……まあ、仕方がないわよ。これはワタシたちの故郷の話で、部外者のアンタらに命を賭けろっていうほうが変だもの。手伝ってもらっているだけでもありがたいもの」


「そう言われるとこっちも助かるが、面目ねぇな。最近は覚悟もない馬鹿が増えちまってよ。エルフはお得意様なんだから助けないとこっちも困るって話なのにな」


「気にしないでいいわよ。ニンゲン、いや違ったわ。えっとアンタってなんて名前だったかしら? 見たことはあるけど覚えてないわ!」


「…自信満々に言うなよ。オレはカツキだ。月が香るって書いてカツキだ。初めて会ったときに名乗ったはずなんだけどな?」


「ごめんなさい。その時はアンタに興味がなかったの。でも安心してもう覚えたから!」


「…まあ、それならいいか」


「珍しい、カツキがショックを受けてる! でも、商人上がりで”交渉人”なんて呼ばれてどこか調子乗ってたみたいだしいい薬なんじゃない? あんたに興味がないヤツもいるし!」


「うるさいぞ、アセビ。オレは調子になんか乗ってない。ただ人から忘れられたことがないだけだ。それが自慢だったのになぁ。例外が一人うまれちまった」


「あ、で、でも安心しなさい。顔は覚えていたから、忘れてたのは名前だけよ! 話したらすぐに覚えるはずよ!」


「一応話したことはあるんだけどなぁ。まあいいか、顔は覚えてくれていたらしいし。これで人から忘れられたことがないって言えるよな? なぁ、二人はどう思う?」


「はい、大丈夫だと思いますよ」


「ギリギリじゃないか?」


 俺とレインちゃんはほとんど同時に落ち込んでいるカツキに声をかける。こんなに平和に話をしているが俺たちがいるのはちょうど中間地点だ。ヒュドラ討伐の包囲網、前線への補給線はここを中心として行われている。そしてここがヒュドラ討伐の最終防衛ラインだ。この後ろにはエルフの里に残した怪我人やアリアさんなどの非戦闘員がいる。突破されたら負けだ。


 いや、本当にヒュドラがここに来ても俺たちにはどうしようもできない。この森では大砲も役に立たないし、結局のところ俺たちには逃げるしか選択肢がないのだ。


 というかヒビキも俺と同じぐらいの時刻に出発していたが間に合うのだろうか?


 そんなことを考えていると隣にいたヘルガのちょっぴりと尖がっている耳が動いた。気になって様子を見てみるとジッという音が出そうなほど彼女はアセビのことを見つめていた。


「なによ。うちの顔を見つめて、先に言っとくけどうちにそっちの趣味はないし! ヒビキ一筋だから!  エルフの顔がいくら整ってるからって、うちの方が可愛いし。調子に乗って口説いてこないでよね!」


「趣味って何を言ってるの? それに口説く? ワタシにはアンタが口にすることが理解できないわ。難しくって」


「…もういいし! なら顔を見つめてくんなし! うちに聞きたいことでもあんの!」


「………本当にアンタがあの”半鬼”なの? オニとニンゲンの血が混じった?」


「……そうだけど。何? この角が見えないの?」


「落ち着けって、それとなんでアセビは喧嘩腰なんだよ」


 一瞬でさっきまでとは違う険悪な雰囲気に変わった。なんでだよ。そう思ったがすかさずカツキが二人の間に入ってくれた。俺とレインちゃんはわたわたと成り行きを見守ることしかできなかったのでカツキがこの場にいてくれて本当に良かった。本当に……


「別に喧嘩腰ってわけじゃないし! もともとうちはエルフの無自覚に人の神経を逆なでして、見下してくるところが大嫌いだったし!」 


「…わかったよ。ヘルガさん、疑問があるならオレがアセビの代わりに答えるよ。できる限りね。そっちの方がたぶん早い」


「………いや、ワタシは彼女と話してみたい。早いとか遅いとかじゃなくてワタシは彼女と話がしたいの」


「って言ってるけどどうするんだ? このままじゃあ、あんたが悪者扱いだぞ?」 


「ちょっと! カツキはどっちの味方なわけ? うちじゃないの?」


「オレはいつも素直な方の味方だな」


 カツキの一見ふざけたような返しにアセビはムッとしたが少しだけ冷静さを取り戻したみたいで何かを考えるように息を吐いた。


「……分かったわよ。あと話は聞いてあげるけど次にうちのことを”半鬼”って読んだら一生口を聞いてやらないから。それだけは注意しなさい。内向的すぎて人の嫌がることが分かんなくなってるわけじゃないでしょ?」


「ええ、それでいいわ」


 アセビは日に焼けた健康的な肌を猫のように一度伸ばす。きっとルーティンのようなもので気持ちを落ち着けるためにしているのだろう。そして、それが終わると同時にヘルガに『早く話始めろよ』と催促するように顎を突き出した。


「アンタって噂が本当ならオニとニンゲンの血が混ざってるのよね? それで苦労とかしなかったの?」


「はぁ!? うちに聞きたいことってそんなことなの? それって別にうちに直接聞かなくてもいいでしょ!」


「………陰口みたいになるじゃない。それはワタシが嫌だと思ったからアンタから聞こうってしてるのよ」


「そこまでして聞きたい理由は何だし? うちもあんまり他人に聞かせるような話じゃないって思ってるんだけど?」


「それは……ごめんなさい、言いたくないわ」


「あんたは話したくなくてうちには話せってこと? それってずいぶんと我が儘じゃない?」


「ええ、そうね。だから無理強いはしないわ。嫌なら嫌って言ってほしいの」


 ヘルガの緑色の瞳がはっきりとアセビのことを見据えている。そのまま数秒間、真剣な空気が張り詰めていく。


「でも、いいわ『言いたくない』っていうのも立派な理由だしね」


「……アセビって甘いよな」


「お兄さん、また怒られますよ。それにここは『甘い』ではなく『優しい』というべきです」


 ボソッと呟いた言葉を隣で困ったような顔をして二人のことを見守っているレインちゃんに聞かれてしまった。


「そうね、苦労はしなかったって言ったら嘘になるわね。苦労したわよ。うちは山奥の村で産まれたからね。周りは人間しかいなかったし、母さんはうちが子供の頃に流行り病で死んだみたいで味方なんていなかったからね」


「恨んだことはないの? 血のせいにしたことは?」


「あるわよ! そりゃあね。村のみんなはうちを除け者にしたし、石も投げられたことがあるわ! 母を身籠らせた(クズ)の顔は見たことがないしね。そんな理不尽なことが何度もあったわ! ほんと『死ね!』って感じだし! でもね。うちはうちのことが大好きなの。だからあんな奴らに負けてたまるかって、すべて過去にしてやるって決意して村を出たの。そしてヒビキの言っていた”海賊”ってのになるために都会まで来たし! それがうちの全てよ!」


「……アンタ強いわね」


「うちはずっと強いわよ! まあ、ヒビキに助けられなかったらうちは”天狗”に食べられてお腹の中にいたけどね!」


「何度もヒビキさんとの馴れ初め話を聞いたが、それでよく海賊船を間違えたよな」


「うるさいし! あの時は余裕がなかっただけだし! あと半分ぐらいは船長のせいだし! ……まあ、でも後悔はしてないわ! ヒビキはいなかったけど海賊になって初めて家族ができたしね!」


「…そうなのね。アンタが愛されてるのは見てて分かるわ」


「そうよ、みんなうちのことが大好きだからね。でも腕っぷしが弱いヤツらばっかりだからうちが守ってあげないと。あ、安心しなさい! あんたらのこともうちが守ってあげるわよ、コウハイども!」


 そう言うとアセビは俺とカツキのちょうど真ん中に指をさしてきた。


「なあ、俺たち弱い判定されてるんだけど」


「事実だろ。オレたちがこの中で下から一、二位だからな。腕相撲でも絶対に勝てないぞ?」


「……男として、情けないな」


「……ああ、ホントにな」


「ちょっとあんたら、返事は?」


「「はい、お願いします。先輩!」」


「よし、それでいいし」


 俺たちが頭を下げるのを見て満足気に微笑んだアセビは上機嫌のままヘルガへと視線を戻す。この二人って境遇が似ているんだなと今更ながら頭に浮かんだ。


「それで、他に聞きたいことはある?」


「ないわ。話してくれて、その、ありがとう」


 モジモジしながらヘルガは目の前にいるアセビに感謝の言葉を口にした。だけどアセビは素直になったヘルガに照れるでもなく心底驚いたという顔をしていた。


「意外だし! エルフってお礼が言えるんだ?」


「…それってどういう意味よ? ワタシたちのことをバカにしてるの?」


「事実でしょ? あんたらエルフって絶対に『フン』って反応しかしないし。回りくどくネチネチしてくるし!」


「フン、そんなわけ――」


「そうそう、その顔だし! またネチネチされるし!」


「………ちょっと、アンタね!」


 今のは本気でイラっときたのかヘルガは不機嫌そうに顔を歪めてアセビに食って掛かる。それに負けじとアセビがさらに噛み付いていく。俺たち三人は完全に蚊帳の外だ。というか今ってヒュドラ討伐の最中なんだよな。こんなに緊張感がないことってあるんだな……


「お兄さん、あの二人って実は気が合うと思いませんか?」


「それちょっと思った。最初は仲が悪すぎてどうしようかと思ったけど」


「仲が悪いってか、アセビはただの内弁慶だからな。身内にはだいぶ優しいけどそれ以外には基本噛み付くぞ?」


「たぶんやめさせた方がいいよ。それ」


「オレもそう思ってるよ」


 三人で話ながらヘルガとアセビのじゃれ合うような言い合いを見守る。さっきまでの険悪な雰囲気がなくなったことで俺もようやく安心できた。というかあの雰囲気に巻き込まれると息をするのにも気を遣うから呼吸がしづらいんだよ。


 そんな不満を心の中で呟いてみたが心はもう完全に緩みきっている。ヘルガが人と話しているのを見るだけで微笑ましい気分になってしまう。昨晩のことがあったからか頑張る孫娘を見ているお爺ちゃんの気持ちだ。いや、アセビは鬼の血が混じっているから正確にはただの人間ってわけでもないんだけど……


「なあ、昨晩ヘルガさんと何かあったのか? 雰囲気が優しくなってる気がするが?」


「え、な、なんでだよ? 何もないけど。なんでだ?」


「やっぱりジンは嘘が下手だな。走ってヘルガさんの後を追うのを見たんだよ。ってかさっきからあんたらは互いを見ているときの目が変に意識している感じがする。わざと自然に振舞おうって不自然さがあるんだよ」


「目敏いっていうか、もう気持ち悪いな。何もないよ。ただ自分の本音を話し合っただけだ」


「そうか、仲直りは無事にできたようだな」


「ああ、お前のアドバイスのおかげだ。相談に乗ってくれてありがとな。あの言葉に走り出す勇気を貰った」


「別にそれはあんたが勝手にやったことだよ。……頑張ったんだな、ジン」


 カツキの言葉を上手く返すことができなかった。『頑張ったんだな』って俺のしたことが初めて第三者に認められたような気がする。何て言うか、照れるな。そんなことを考えていると急に腕を引っ張られる。何だと思い隣を見るといつの間にか近づいてきたヘルガがいた。


「ねぇ! こいつ嫌いなんだけど。ジン、アンタどうにかしてよ!」


「………」


 アセビから揶揄われて逃げてきたことはすぐに分かった。だけどそれ以上にヘルガはいつの間にか俺のことを名前で呼んでいることが気になってしまった。いつもいつも『フン、ニンゲン』みたいに呼ばれていたから戸惑った。


「どうしたのよ? ワタシの顔に何かついてるの?」


「ああ、いや、何でもない」


 昨晩、エルフの里の外れにある水場での出来事を思い出す。彼女のどこか不安そうな顔を見ていると今更ながらヒュドラ討伐が失敗した後のことを想像してしまう。彼女の家族はいまも前線でヒュドラの姿を探しているだろうし、後方には傷ついた仲間がいる。


 二週間しかいない俺以上になんとかしたいと思っているはずなんだ。ヒュドラ討伐に失敗したら彼女たちは住む場所がなくなるのだ。命もなくなるかもしれない。それにカーリが言っていたことだがシュティレ大森林はヘルガの同胞たちが眠る場所なんだ。守ってあげたい。なんとかしてやりたい。その実感が、昨日の彼女の焦る気持ちが、遅れて俺にも理解できた。だから――


「頑張ろうぜ、ヘルガ」


「ええ、当たり前じゃない」


 昨日と同じセリフを口にする。昨日はなかった決意を込めて。


「っていうかそれ昨日も言ったでしょ? 言われなくてもワタシは頑張るわよ。さっきからやっぱりアンタちょっと変よ?」


「……いい雰囲気ですね」


「昨日の深酒でも残ってるんじゃないか?」


「あんたらさ、もっとうちを見習って緊張感を持ったら?」


 まあ、ヘルガには上手く伝わらなかったみたいだ。別にそれでもいい、格好つけたいわけじゃない。ただ、もう一回お前と同じく本当にエルフの里を守りたいって伝えたかっただけだから。


 というか外野は空気を読んで黙っててくれないかな! さすがにちょっと恥ずかしんだけど。俺が三人に対してそんなことを考えていると――遠くから耳を劈くような音が聞こえた。


 最初は気のせいかと思うほど小さな笛の音が足音のようにどんどんと近づいてくる。波及的に広がっていく笛の音は甲高い悲鳴のようで耳に残って薄気味悪い。俺たちに無理やりにでも危機感を抱かせるような音だった。


「なあ、これって……」


「ええ、どうやら始まったみたいね」

 

 ヘルガの言葉の意味を理解する。同時に寒気のようなものを背中に感じて身体が強張る。涼しいはずが緊張のせいで汗をかいてきた。胃の辺りからモヤモヤとした吐き気を催してきた。


 ――これは合図だ。


 エルフの誰かがヒュドラを発見した合図だ。


 ならたぶん前線ではもうとっくに作戦は次の段階に進んでいる。エルフたちが地の精の力を借りて泥の沼地を生み出し、身動きを封じた後に首を斬り落とすのだ。


 中間地点にいる俺たちも緊張しているのだ。きっと前線で死の恐怖をより身近に感じながらヒュドラ討伐に参加しているみんなは俺たち以上に酷いことになっていることだろう。覚悟を決めても怖いものは怖い。もしかしたら漏らしたり、吐いたりしているかもしれない。


 リーネたちは無事だろうか?


 そんな不安が頭によぎったが俺たちにはどうしようもない。ここにいるメンバーには戦う力がない。少なくとも戦闘で役に立たないと判断されたやつらが多いんだ。俺も含めて…


 いくら己の無力を呪いながらも時間は無情にも進んでいく。


 笛の残響を掻き消して時間は進む。決して止まることはない。


 だけど俺たちには願うことができる。


 エルフも、海賊も、みんなが無事にエルフの里に戻ることを……


 ――こうして俺たちのヒュドラ討伐作戦が始まった。


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