第三十八話 『討伐前日』
ヘルガとの距離が縮まった、あの月が綺麗な夜が明けた。
あの後、しばらく二人で月を眺めながら話していたのだが、興奮が落ち着いて素面に戻った途端、お互いに誰にも言ったことがない、胸の奥にしまい込んでいた本音を初めて他人に晒した恥ずかしさが一気に押し寄せてきて、まともに顔を合わせることすらできなくなった。
というか、結局、最後の会話は『帰るか?』『…そうね』という、妙にさっぱりとしたものだった。その後はほとんど無言で帰路についたが、不思議なことにもうその時には、変な気まずさはなかった。むしろ、ヘルガが魔法で生み出してくれたタンポポの綿毛のような光の球体が、ふわふわと俺の目の前を漂いながら、夜道を照らし、先導してくれるのが妙に心地良くて、面白かった。
それに、俺は一人勝手に『これでヘルガが人間と関わる機会が増えたらいいな』なんて、親心のようなものが芽生えていた。いや、いたはずだったのだが。
エルフの里に帰ってきた瞬間、そんな淡い期待は粉々に砕け散った。あの光景を俺は、きっと生涯に忘れることができないだろう。いや、忘れるはずがない。それほど、酷かった。綺麗な虫の鳴き声さえも飲み込んでしまう静寂を、酒を浴びるようにたらふく飲んだオッサンたちの豪快な鼾が台無しにしていた。水晶の結晶のように美しい光を放つ魔光石も、霊樹の厳かな迫力のある輝きも、横たわった半裸のオッサンたちによって隙間なく地面が埋め尽くされる地獄絵図に変貌していた。
ああ、人間という種族はなんて愚かなんでしょう。神様が本当にいるなら、いや、エルフの信仰している精霊様が本当にこの森にいたのなら、こんな愚かな種族はとっくに滅ぼされているだろう。そう思わされるほど酷い光景だった。それこそ、エルフではなく俺の方が人間という種族に失望しそうになるくらいには酷い光景だった。やっぱり酒は飲まないほうがいい。脳の隅まで酒に浸っているせいで、彼らみたいな碌でもない大人になる。海賊なんて碌でもないのは、当たり前だな。俺が勘違いしていた。少なくとも、今、朝早くから起きれている俺の方が百倍は偉いはずだ。いや、千倍は偉い。呑気にそんなことを考えていると――
「おーい、ジン。こっちを手伝ってくれよ?」
遠くからカツキの声が聞こえた。その声に意識ごと引っ張られように思考を止めて、俺は鷹揚な素振りで振り向いた。
「早いな、もう仕事をしてるのか? まだ昨日の酔っ払いどもは寝てるぞ?」
「ああ、昨日はいつにもまして酷かったな。それと朝が早いのはお互い様だろ? ジンは酒を飲まなくてよかったのかよ?」
「だから俺はまだ未成年だって……いや、こっちの飲酒年齢は十六歳からだったな」
「当たり前だろ? さすがに俺でも未成年に酒なんて勧めないぞ?」
「いや、分かってるけどさ……まだ慣れないんだよなこっちの常識に」
そう言うと俺は、カツキとエルフたちのグループに混ざるように合流した。数人の海賊はまだ酔いが抜けていないのか、顔が真っ青だ。いや、これでもだいぶマシな方だな。明らかに、海賊たちの人数が少なすぎる。エルフよりも少ない。というか、あんだけ人数がいて、朝からヒュドラ討伐の準備をしているのが数十人なのは、なんとも情けないというか、だらしないというか……
「ちょっと、くっちゃべってないで武器を運ぶの手伝ってよ? うちだけしか働いてないし! 不公平だし!」
聞き覚えのある幼い少女の声がすぐ隣から飛んできた。カツキと同じ船に乗っている、アセビという名の鬼の少女だ。いや、厳密には彼女も鬼と人間のハーフなのだから、ハーフデーモンとでも呼べばいいのだろうか。鬼って、英語でデーモンだっけ? まあ、いいや。怒っている彼女が、鬼の形相を浮かべているのは違いないのだから。鬼でもデーモンでも、きっと誤差みたいなものだろう。ニュアンスの問題だ。
「アセビも昨日かなり飲んでいたのに、よくこんな早く起きれたな?」
「当たり前でしょ? うちも鬼なのよ。鬼が酒に強いなんて遥か昔から分かり切っていることでしょうが!」
「いや、まあ、同じ鬼でもシュテンはまだ寝てるんだけどな。まあ、アセビが働いてくれて助かって――え、アセビって双子だったのか? いや、三つ子?」
思わず俺は、目を擦る。自分の目を疑った。あ……ありのまま今起こったことを話すぜ。俺は目の前にいるアセビから木製のデカい盾を押し付けられたかと思ったら、いつの間にか別のアセビが奥の方から現れて、そのさらに奥からまた違うアセビが現れた。な……何を言っているのかわからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった。催眠術とか超スピードとか、そんなちゃっちなもんじゃない。断じて違う。どうやら俺は、まだ夢の中にいるみたいだ。もしくはまだ寝惚けているのだ。全く同じ格好をしたアセビが三人に見えているのだから。
「何言ってんの? うちは一人よ!」
「そうよ!」
「あんた頭がバカになってんじゃない?」
三人に増えたアセビと盾越しに目が合う。え、いや、どういうことだ。本当に俺の頭がおかしくなってしまったのか? まだ容量は余っていると思っていたのに。待て、俺はあの部屋で起きた記憶がある。ベットを整えて、ドアを開けた記憶もある。階段を下りて、あそこから出てきたんだ。やっぱり肌寒いな、みたいなことを思った。え、なら、何処からが夢なんだ? もしかして全部? そんな疑問が頭を過る。すると、笑いを堪えたカツキが、腹を押さえながらアセビの一人に向かって声をかける。
「クっ、ふ……おい、アセビ。あんまり惑わせてやるなよ? あんまし、ふざけってるとまた船長から怒られるぞ?」
「こんなことじゃ怒んないわよ。殴り合いの喧嘩してるわけじゃないんだし?」
「……そうだな、たぶんここに船長がいたらジンの呆けた顔を指さして腹抱えて笑ってるだろうな」
「そうでしょ? 今のカツキみたいにね。だから、うちは悪くないし!」
三人のアセビのうち一人以外がそう言い残して姿を消した。目の前で霧になったかのように霧散していく。二人は悪戯に成功した子供のように笑いながら、全身が蛍火のような光に包まれて消えてしまった。アセビが消えるという怪奇現象に十秒ほど固まっていた。戸惑っていた。だが、さすがに現世で頭が固いと言われていた俺も、もうこっちの常識に慣れてきた。説明できない事象は、すべてこの一言で片づけられる。
「魔法か……?」
「お、当たりだ! ジンも段々とこっちに馴染んできたんだな。馬車にも乗ったことがなかったくせに、なんだか感慨深いな」
「……それよりも説明してくれよ。アセビが消えたけど。あれって一体どんな魔法だ?」
「あー、別にバラしてもいいよな。あれは、ただの『分身』だよ。荷物運びとかにスゲェ役に立つんだぞ? アセビはジンと似て根が真面目だからな。あの魔法がピッタリなんだそうだ。自分一人で大概のことに対処できるからな。確かに口は悪いが、頑張り屋さんなんだよ」
「うん、さすがにそれは見てたら分かるよ。じゃあ、俺たちもあいつに怒られないうちにこれ全部運んでしまおうか? サボってたら殴られそうだ」
「それがいい。あれ、なんだこれ? 何か、オレたちだけ多くないか?」
俺もカツキと同じように足元に置いてあった盾やスコップなどの道具類を確認する。確かに、さっきよりも多くなっている。これ全部俺たちが運ぶのか? 無理だろ。無理、無理。ここにあるすべてを運ぶことができたとしても、筋肉痛で明日一日死んでしまう。というか、いったい誰がこんな悪戯を……あ!
「……アセビだ。アセビの分身が持ってた荷物を全部ここに置いて消えやがったんだ! それ以外考えられない!」
「なるほど。それだと確かに筋が通るな……名推理だな」
「おい、カツキ。あれのどこが真面目なんだよ。仕事を押し付けられたぞ?」
「サボるなってことだろ? 十分に真面目じゃないか?」
「いや、そうかもだけどさ、これ全部俺たちがやるのか? 無理だろ。いっそエルフのみんなに頼み込んで魔法で運ぶのを手伝ってもらうか?」
「……オレもそれも考えたんだが、彼らにも彼らの仕事がある。それに、オレたちの荷物くらいオレたちで面倒みないとな。商人は身体が一番の資本。そして、失敗も成功もすべてが自己責任だ。頑張って運ぶぞ、ジン?」
「俺たちはいつから海賊から商人にクラスチェンジしたんだよ」
「まあ、一応やってることは商人と変わりないだろうよ。ほら、みんなが起きる前にここにあるのだけでも運んじまおうぜ? オレたちはどうせヒュドラをこの目で拝むことはないんだからな」
「……そうなのか?」
「ああ、オレたちの役割は先兵じゃなくて、補給兵がいいとこだ。まあ、どっちも大切だ。頑張ろうぜ? あ、もしヒュドラが見たかったなら、死体で我慢しとけよ? オレも死体で我慢してるからな。もし、動いているヒュドラをどうしても見たいなら……ここはオレがやっておく。だから、遺書はちゃんと書いとけよ?」
「できればそんな怪物一生お目にかかりたくねぇよ! 死ぬ思いをするのはもうグリフォンの時だけで十分だ。あ、これは文字通りの意味だからな?」
「はい、はい、ほら、ジンはそっち持ってくれよ。オレはこっちを持つから」
「流さないでくれよ。今でも震えるぐらい怖かったんだからな!」
カツキがどこかに歩き出したので、さっさと終わらせるために彼の横に並ぶ。俺も盾や弓、矢筒を抱えて駆け足でついていく。こんな雑用にも近い労働をしているうちに、気がつけば朝が終わっていた。ヒュドラ討伐の全貌はまだ分かっていない。恐怖をそこまで感じていないのは、きっとまだ俺の心が当事者になれていないからだ。だけど、それでも、少しでもいいから役に立ちたい。昨日生まれたばかりのそんな想いを周りに伝えるように、俺は重たい荷物を抱えたまま、カツキと一緒にエルフの里を横断し続けた。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「じゃあ、ヒュドラ討伐作戦の詳細を話しておくわ! 質問があったらいつでも挙手してくれて構わないわよ!」
「……さっそくだけどいいかな?」
「いいわよ、ジン。何かしら?」
「何で作戦会議を俺の部屋でやってんだ? もっと他にあっただろ?」
リーネの声が狭い会議室に、いや、俺の部屋に響き渡った。俺は思わず、天井を見上げる。カーリさんが用意してくれた霊樹を刳り貫いて造られたこの部屋は、俺が一人で生活するには十分過ぎるほど広い。だが、六人も押し込めば、さすがに狭い。狭くて、落ち着かない。というか、大広間とか選択肢は他にもあったはずなのに何でわざわざ俺の部屋にみんな集まってるんだよ!
「大広間はエルフたちが独占しているんだもの。仕方がないでしょう? ロバーツのところは真面目で優秀な船員たちが、頑張って説明し回ってるわ。私はそんな手間をかけたくないの。それに私たちは人数が少ないことが取り柄なんだから、そこを活かして楽をしないとね」
「いや、それはいいけど。なんで揃いも揃って俺の部屋に集まってんだよ。それなら別に、誰の部屋でも良かっただろ?」
「だって近かったんだもん。それ以外理由なんてないわよ」
リーネは悪びれもせずに肩をすくめた。
「まあ、強いて言えば、部屋が散らかってなくて綺麗だったからよ。私とヒビキとシュテンの部屋は足の踏み場もないほど散らかってるもの。アリアの部屋は二週間の内に溜まった必要な書類やら何やらで同じような状態だし、レインの部屋でも良かったけど六階まで階段で上るよりも、二階のジンの部屋の方が利便性が良かったの。これが答えよ!」
「……あ、っそう」
思ったよりもちゃんとした理由が返ってきて、逆に困る。いや、アリアさんとレインちゃんの二人はいいとしても、他の三人は部屋くらい綺麗に保てよ。一応、エルフの里の部屋を借してもらっている身分なんだからさ。というか、一ヶ月も経ってないのに部屋を足の踏み場のないほど汚くするのは何かしらの才能だろ。
「それじゃあ、他のみんなは? ジンと同じで先に聞いておきたいことはない? もし何もないなら、このまま始めるわよ?」
リーネは部屋にいる一人一人と順番に目を合わせていく。燃えるような赤い瞳は妙に鋭くて『何かあったら遠慮なく聞きなさい!』と幻聴が聞こえてきそうなほどだ。
「ないみたいね。なら、始めるわ!」
いつもよりも一段と明るく、ハキハキとした張りのある声。テンション高い。隣を見ると、寝起きのシュテンはまだ酒が抜けていないのか、ぐったりとしている。朝早くから起きて、祈りを捧げているアリアさんですら戸惑っている。誰一人、リーネのテンションについていけてないみたいだ。
「まずはざっくりとしたヒュドラの倒し方からね! 最初に首を斬り落とす。次にその傷を火で燃やす。以上よ!!」
「ざっくりしすぎだろ!」
「仕方がないでしょう! 最適解って言うのはシンプルになるものなのよ。それに火の魔法が使える私と首を斬るヒビキ、あとはエルフたちくらいしか前線にいないんだし! ヒビキはエルフたちの戦術立案に係わってたんだから、私が説明をしなくても大丈夫でしょう?」
「はい、そうですね。ですが……」
「……オレは?」
シュテンがぼそりとそう呟いた。声が低く、掠れている。彼の吐く息からはまあ酒の残り香がする。昨夜、どんだけ飲んだのかは知らないが、少なくとも理性はあるみたいだ。
「ああ、そうだったわね。少し無駄を省きすぎたわ。……えっと、もう最初からみんなに話した方が速いわね。まず、ヒュドラ討伐の第一段階としてヒュドラを誘き寄せて罠にかけるの。エルフのみんなが地の精霊の力でヒュドラの身動きを封じるそうよ。そこはカーリが何とかすると言っていたから私たちは信じるしかないわ。次の第二段階はヒュドラの首を斬り落とすの。ここは風の精霊の力とヒビキの頑張りにかかっているわ。頼むわよ、ヒビキ!」
リーネは軽く咳ばらいをして、改めて説明を始めた。主に、シュテンに向かってだ。ヒビキは黒い目でリーネを流し見ると、黙って頷いた。こういうときは、本当に頼もしいな。妙な安心感がある。酒も抜けているみたいだし、雰囲気から強者のオーラを感じる。
「でもね。それだけじゃダメなの。私たちやエルフが持っている過去の記録や情報を照らし合わせているとヒュドラの傷がすぐに治る可能性があるわ。だから傷口を燃やさないといけないの。私やエルフの魔法でね。対処は一本ずつしか無理だろうから、長期戦になるのを覚悟してちょうだい。シュテンはもしも私やエルフにヒュドラが近づいたら力尽くで払い除けて欲しいの。簡単でしょ? それと木から木に移動するときはエルフに抱きかかえてもらいなさい。いいわね?」
「……ああ、それだけなら」
シュテンはこめかみを押さえながら曖昧な返事を返した。頭痛が酷いみたいだ。昨日、俺がヘルガと共にこの里に帰ってきたときも、シュテンは一人で飲んでいたからな。一人酒、晩酌ってヤツだ。鬼とはいえさすがに飲み過ぎのようだ。許容量がある。本当に一度、反省して欲しい。俺がそんなことを考えていると、レインちゃんがおずおずといった様子で、穏やかな声で尋ねた。
「それで、私たちは具体的に何をすればいいのでしょうか?」
「レインとジンは中衛で比較的後方よ、補給係とでも思ってちょうだい。グリフォンを素材として作った弓矢や水や食料などの運搬がほとんどよ。だけど最悪の場合に備えて盾や簡易的だけどエルフが用意した砦はあるわよ。ヒュドラは本能的に魔素が濃い場所に向かうらしいから、この里を目掛けて一直線に来るかもしれないわ! まあ、でもあなたたちがいるところを抜けられるともう実質的な負けみたいなものよ。私たちも死んでるかもしれないしね。だから、最悪の場合は逃げることだけを考えて動いてちょうだい。いいわね?」
「はい、分かりました」
「……実質的な負けって、お前たちを置いて逃げるのか? それに、なんでヒュドラがエルフの里に来るって」
リーネの言葉に部屋の空気が少しだけ重くなる。部屋にいる皆に言い聞かせるように、アリアさんが素直に頷いた。納得させる儀式みたいなものなのは分かっている。だけど、俺はまだ納得ができずに思わず口を挟んでしまった。
「疑問を持つことはいいことよ、ジン! だから答えてあげるわ」
リーネは指を一本立てて、説明を続ける。
「私もヒュドラの驚異的な再生能力に疑問を持ってカーリたちと話し合ったの、そこで一つの仮説を立てたわ。ヒュドラの再生能力って一種の魔法なんじゃないかって、もしもそうなら私たちが戦闘が激しくなるほど傷を早く治すためにヒュドラが魔素が多い地へと移動することも考えられるわ。まあ、移動される前に倒すのが理想なんだけどね」
「……なんでヒュドラが魔素が濃い場所が分かるんだよ。知性がないって話だったろ?」
「知性が低いって言ったのよ。それに魔素が濃いかどうかはエルフにも感覚的に判るらしいわ。だから魔素が濃いこの地にエルフの里があるわけだしね。それと、実質的な負けっていうのはエルフたちの守るものがこの里にすべてあるからよ。つまり私たちが戦う意味ね。アリアがいる後方には傷ついたエルフの戦士も治療をしているの、それに戦えない子供もね」
「だったら、尚更、足止めとかさ」
「そんなことするくらいなら自分の身だけを守りなさい。私たちがいない時点で無駄になるわ。倒すすべがないんだし。あなたは今『なら戦わなければいい』と思ったかもしれないけど、遅かれ早かれ魔素の濃いエルフの里には辿り着くわよ。それなら、こっちが準備してから迎い撃った方が勝率が高いと判断したのがエルフたちなのよ。ヒュドラの毒は空気中に気化してしまうから、エルフがこの森に住めなくなるし。霊樹も枯れてしまう。だから、抗うことを選んだの。これであなたは納得できたかしら?」
「……ああ、理解した」
理解はした。だが、納得はできていない。というか、するわけにはいかない。戦う理由に納得してたまるかという俺の幼稚な反抗。だが、もう決まったことだ。そんな、俺の幼稚な反抗をリーネは気にも留めないだろう。だって、今、ここでしているのは確認作業。納得なんて必要ない。俺の気持ちはただのノイズになる。本来、彼女はただ淡々と必要な説明だけを進めればいいだけなのだ。
「アリアも大変だと思うけどお願いね。カーリが言うには他の里のエルフの戦士も混じっているみたいだから、たぶん……」
「大丈夫ですよ? 私は大丈夫ですから。リーネは自分の役目に集中してください。なるべく怪我はしないようにです?」
「……分かったわ、アリア。いつもありがとう」
リーネとアリアさんから俺には見えない強い繋がりを感じる。親愛や家族愛よりも、強い絆だ。二人の間に流れた空気は、俺には触れることができないほど強くて、深い。今まで俺が見てきた友情や愛情がすべてが嘘っぱちだったかのような錯覚に襲われた。そんな絆を感じた。
「さ、気を取り直して……と思ったけどほとんど説明したのよね。あなたたち他に何か聞きたいことがあるかしら? 疑問ができたら後でも答えるけど?」
「……”私”と”ユキ”のどちらの方がいいですか?」
そこで、レインちゃんが小さく手を挙げる。リーネは彼女の勇気をたたえるように笑ってみせる。
「私はあなたが必要って言ったのよ、レイン? でも、もし危険が迫ったら迷わずにユキに変わりなさい。いいわね?」
「…はい、分かりました」
「ならばボクからもいいですか?」
「いいわよ、ヒビキ!」
「前線にはボクたちと、もう一人ロバーツが来ると聞いていたのですが?」
「ああ、本人の強い希望があってね。それに私が止めても聞かないからね。囮をしてくれるらしいわよ」
ヒビキは無表情のまま、ほんの少しだけ眉をひそめた。ロバーツさんも戦うみたいだ。リーネはヒビキとレインちゃんの質問に次々と答えていく。アリアさんは後ろでニッコリと微笑んでいるのでもう疑問なんてないのだろう。そして、俺が最も意外だったのは隣にいた二日酔いの鬼が手を挙げたことだった。
「……今夜の宴はいつからだ?」
「やるわけないだろ、シュテンは明らかに飲み過ぎだ!」
「今夜の月が見えたらよ。それまでは明日のためにしっかりと働きなさい!」
「やるのかよ! スゴイな!」
「……当たり前だ」
俺が即座にツッコむより早く、リーネが淡々と答えた。シュテンは二日酔いで、今にも胃の中身をすべて吐きそうなほど真っ青な顔をしているのに、琥珀色の目だけは真剣そのもの。真剣な眼差しだけは、俺から離さない。いつもその表情なら、陰でオッサンなんて呼ばないのにな。
「さてと、みんな。ヒュドラ討伐作戦での自分の役割が頭に入ったわね? それじゃあ各自持ち場に戻りなさい! 働かざる者、食うべからずよ。明日のための準備に取り掛かりなさい!あ、あと酒は飲み過ぎないこと! 明日後悔したくなかったらね。以上、解散!!」
リーネの号令を最後に、皆が動き出した。アリアさんは静かに立ち上がり、ヒビキは無言で腰の刀を確かめ、レインちゃんは胸に手を当てて深呼吸をしている。二日酔いのシュテンでさえ、ふらつきながらも部屋を出た。気づけば、部屋には俺だけが取り残された。さてと……残った俺は何をしようか。そう思って、俺はベッドの上に横になった。朝から動きっぱなしだった身体を休めるように、ベットに沈み込む。というか、エルフの皆の姿を朝から見ないが、どこに行ったのだろう? ヘルガもカーリさんも、朝から姿を見ていない。そんな疑問が頭に浮かんだ、その時――閉まったはずのドアが、わずかに軋む音を立てて開いた。顔を覗かしてきたのは、リーネだった。
「ジン? もし迷ってるなら……そうね。あんたはカツキたちのところに行きなさい! そこなら仕事があるはずよ!」
「いや、朝も手伝ったからな、それでいいんだけど。ヘルガたちエルフのみんなは何の仕事をしてるんだろうなって……」
「……人間嫌いなカーリの姉と明日の打ち合わせでもしに行ったんじゃないの? ほら、あんたもさっさと行きなさい!!」
「イタッ!」
ベッドから勢い良く起き上がって、ドアノブに手をかけた瞬間だった。リーネが不機嫌そうな顔で俺の尻を蹴っ飛ばしてきた。痛みと勢いに押され、俺はそのまま部屋の外へと追い出される。文句の一つでも言おうとしたが、リーネはカツカツと足音を響かせながら、さっさと階段を下りて行ってしまった。いや、なんで不機嫌になってんだよ。意味が分かんねぇ。俺は蹴り飛ばされた尻を摩りながら、余った仕事をもらうために、再びカツキの元へ向かった。




